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韓国学を趣味にするなかれ 2013年4月17日


 水野俊平という人は一昔前の韓国では知らぬ人のいない日本人であった。彼は全羅道訛りの韓国語を操る大学の先生という特異なキャラクターが受けてテレビで親しまれた。彼は韓国で「韓国が好きだ」と叫びながら、一方で日本で韓国を非難する文章を書いた。それは別に罵詈雑言をまくし立てたわけではなく、韓国社会の矛盾や問題点を指摘したものに過ぎないのだが、韓国人は「日本人が韓国ではいいように振舞っておきながら、自分の国で俺たちの事を悪口している」と立腹し、結局、水野氏は韓国社会に留まる事を諦めざるを得なかった。
 ほかにも韓国社会にいる外国人、または在外韓国人が韓国で人気者になった一方で自国で韓国を誹謗したという事件は多々発生している。それはひとえに韓国社会には歪みがあり、外国人はそれがよく見えるだけのことであるが、韓国人は外国人がそれを指摘する事をやけに嫌う。外国人は常に韓国人に対し「友好的」に振舞わなければならず、さもなければその地を去らなければならない。
「架け橋人」という言葉をご存知だろうか。前田真彦氏の造語である。今でこそ韓国語のテキストは随分溢れているが、2000年代半ばくらいの時には上級テキストはほとんどなかった。その時期上級者向けテキストと言えば、前田真彦氏の『韓国語 上級演習ノート』であった。その内容は当時の教科書の中では群を抜いて使いやすく、また各章毎にやる気を奮い起こさせてくれるコラムがあり、とても秀逸なものであった。その前田氏は韓国語を学ぶ理由について「架け橋人」になる事を訴える。日本と韓国に架かる橋、その役割は韓国語を学ぶ人に求められているのである。架け橋人とはとても良い言葉である。つまりは韓国との友情の絆を結ぶ人と言う事であり、韓国語に拘らず、語学を勉強する時のひとつの動機付けのシンボルとも言えよう。しかし、韓国人は総じて日本に友好的ではない。「架け橋人」は片思いに過ぎない。
 韓国には日本語を学ぶ人がたくさんいる。その中には日本のアニメ・ドラマが好きで日本にどっぷりとハマってしまったマニアもいるし、企業人として日本と取引するために語学をマスターした人もいる。そして、注目するべきことは日本が嫌いだからこそ日本語を勉強する人も相当数いる事実である。日本が嫌いだからこそ、日本が知りたい。そうした人が日本に留学して日本学を学び、後に大学に残って教鞭を取っている。そして日本批判の論文をせっせと執筆する。それが韓国人である。
 日本では韓国が嫌いな韓国学者はあまり拝見しない。それは韓国学の先生はあるいは在日朝鮮人であり、あるいは総連に出入りする共産系日本人であり、あるいは韓国好きがそのまま知識人のふりをしている等、総じて批判的な視点を持つ動機を有し得ない人達が大多数であるからであろう。もしくは日本人の「消極性」が感情を表面に出させないからなのであろうか。韓国を批判できるのはたいてい韓国学と別分野の人達である。いずれにせよ、韓国に気を使う日本人韓国学者と日本が嫌いで日本のあら探しを我が使命とする韓国人日本学者とはとても対照的である。
 韓国が好きだという事は韓国学を学ぶ理由にはならない。そのような人は韓国旅行でもしていればよい。学問を好事家の道楽に貶めてはならない。当然韓国が嫌いだという事が韓国学を学ぶ理由にもならない。それは日本のあら探しをする韓国人日本学者の例を見ればよく分かる。好きだの嫌いだのというのは主観的であり、主観的な思考では往々にして事実を見誤る。韓国学を学ぶ人に求められるのは観察者としての態度であり、その場に感情を持込まない意志である。

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最終更新:2016年10月22日 20:57