The Game Must Go on(1)
「…12時、か」
平原を歩むアーバレストの中で、セレーナ・レシタールは唸るように呟いた。
タイマーが指し示す時刻は12:00。この悪趣味なゲームが始まって、24時間が経過した。
そしてそれは、あの仮面の主催者と交わしたチーム・ジェルバを壊滅させた仇の情報と引き換えに、
24時間内に三人の参加者の命を奪うという取引のタイムアップだ。
機体を操作する手を止め、セレーナは深く息を吐きながらその身体をシートへ預ける。
「セレーナさん…」
傍らを浮遊するエルマの声に反応することも無く、自らの顔を覆うように手を当て、瞳を閉じる。
間に合わなかった。
あの主催者が、本当に仇の情報を知っているのかはわからない。だけど、ずっと追い続けて漸く掴んだ手掛かりだったのだ。
その手掛かりもまた、掴みかけたこの手から零れ落ちてしまった。
―――だというのに。
僅かに感じる、この安堵は何なのだろう?
数時間前―――仕留めたはずの機体が、未だに活動を続けていたと解った時の事を思い返す。
既にロストしていたディス・アストラナガンの追跡を早々に諦め、
セレーナはそれまであの機体と交戦していたと思われる、廃墟に消えた機体の元へ向かった。
そこで彼女が見たのは、白銀の機体と、小さなバイク―――アルテリオンを与えられたロイ・フォッカーと、
大破したダイアナンAから辛くも脱出し、そのコクピットでもあるスカーレットモビルへと乗機を変えた、司馬遷次郎の二人だった。
ECSを作動させた上で、通信が傍受できるギリギリの範囲から二人の会話を聞く。
会話の内容から解ったことは、彼らはゲームに乗っておらず、むしろ、あの主催者を倒すために首輪の解析を進めているということ。
どうやら、既にある程度の解析は済んでいるらしい。これからG-6の基地で設備を探し、更なる解析を行うつもりのようだ。
「首輪を解析か…。僕達じゃ無理でしたけど、確かにもっとちゃんとした設備があれば、可能かもしれませんね」
会話を傍受しながら、エルマが呟く。
このゲームが始まってすぐ、エルマとアルに首輪の解析をさせたことがあった。
結果は失敗。半ば予想していたことだが、抑止力たるこの首輪は、そう簡単にどうこうできるものではないようだ。
「セレーナさん、あの人達と一緒に行動しましょう。もし首輪を解析できれば、あんな奴の言う事なんか聞く必要もなくなります!」
振り返るエルマに、セレーナは言葉を返さなかった。
操縦桿を握る右腕に左手を添えて、ただじっと、モニターに小さく映る二つの機影を見詰めている。
「…セレーナさん?」
「…エルマ。行くわよ」
心配そうに顔を覗き込むエルマにそれだけ返し、セレーナはアーバレストを発進させた。
「え、セレーナさん!?ちょっと…!」
「忘れないで、エルマ。私の目的は、チーム・ジェルバの仇を討つこと。…それだけよ」
「でも…。いえ、はい…解りました…」
有無を言わせぬ強い口調でエルマを諭し、その場を離れる。
幸い、アルは何も言わずに従ってくれた。
前に言った、私の矜持を理解してくれたのか、それとも、理解できていないからこそ何も言わなかったのかは解らない。
ともかく、一刻も早くこの場を離れたかった。
その後、苦肉の策としてECSを解除した上で、敢えて見晴らしの良い平原を進んでいたが、
結局、他の参加者に遭遇することもなく残酷に時間は過ぎていき、こうしてタイムアップを迎えた次第だ。
エルマは、ロストした悪魔のような機体と交戦し生き延びた二人の無事を喜び、協力しようといった。
だけど、あの時の私が考えていたことは、その反対。
白銀の機体とバイクの主は、ECSを使用していたこちらの存在に気付いていなかった。
あのような小型のバイクが、高い戦闘力を有しているとは思えない。
不意をついて白銀の機体を撃破すれば、残るバイクを仕留めるのは難しいことではないはずだ。
そうすれば、目的の三人を達成できる。捜し求めていた、仇の情報を手に入れることが出来る。
思わずアーバレストを二機の元へ駆けさせようとする手を必死に押し留め、
心に浮かんだその思いを断ち切るように、私はアーバレストをその場から離脱させた。
その思いは、タイムアップを迎えた今も、私の心に巣食っている。
あの時は、まだ多少とはいえ時間的余裕があった。
だが、もしタイムリミット目前にあの二人と遭遇していたら。
私は、引き金を引かずにいられたのだろうか―――。
「…残念だったな。セレーナ・レシタール」
不意に、自分の胸元から声がした。首に巻かれたあの忌々しい首輪を介しての、ユーゼスからの通信だ。
苛立ちを隠そうともせずに舌打ちをし、セレーナは首輪へ指を這わせる。
「…時間に正確ね。意外に勤勉なのかしら?こっちの用事はまだ終わってないから、もうしばらくのんびりしてていいわよ」
胸元に視線を向けながら、精一杯の皮肉を口にするが、無自覚に未練がましい物になってしまったことに更なる苛立ちが沸く。
自身に向けられた皮肉を意にも介さず、ユーゼスはクク、と耳障りな笑い声を挟んで続けた。
「いや全く惜しいところだった。約束の三人まであと一人だったというのにな」
「―――あと一人?私は一人しか…」
咄嗟に言い返そうとして、セレーナは思い出した。
参加者全員が集められた部屋でこの主催者の語った、このゲームのルール。その中の、機体の乗り換えに関するルールを。
機体の持ち主が既に殺害されていて、機体の損傷が運用に支障無しの場合、
元の機体へ戻ることを禁止する代わり、機体の乗り換えを可能とする。
「おや。優秀なサポート役に囲まれて、単純な計算の仕方も忘れてしまったのかね?君は二人の参加者をその手にかけたではないか。
私の取引に応じて、チームジェルバの仇の情報を手に入れるためにな」
嘲るようなユーゼスの口調に、セレーナは顔を歪めて歯を噛み締めた。
昨夜、あの機体と交戦したとき、私は確かにそのパイロットを殺していたのだ。
その後、私が放置した悪魔のような機体を見つけた他の参加者が、
いかなる手段を用いたかは解らないがその損傷を修復し、機体を乗り換えた。
それが、一度撃墜したはずの相手が再び活動していたという謎の正体。
「君は良く頑張ってくれたよ。幾人かは一般人も混じっているが、参加者の多くは歴戦の勇士と称えられた者達だ。
その中にあっては三人どころか、一人殺すことが出来るかどうかだと思っていたというのに、君は二名を殺害した。
実に素晴らしい戦果だ、ゲームの進行に一役買ってくれたことに、心からの礼を述べよう」
「…あんたなんかに、礼を言われたくないわ」
ついて出たのは、なんの捻りも無い、真っ直ぐな敵意。
首輪に触れている指に自然と力がこもる。叶うならば、今すぐ引きちぎってやりたいとさえ思う。
こいつは、知っていたのだ。
知っていて、私が焦燥に駆られ、あわやゲームに乗っていない参加者を襲いそうになるのを、手を叩いて眺めていたに違いない。
「これは手厳しい。まぁ、約束は約束だ。果たせなかった以上、チーム・ジェルバの仇を教えるわけにはいかんな」
変わらぬおどけた口調で、仮面の男は更に彼女の神経を逆なでする。
「では、さらばだ。引き続き、快適な殺し合いを楽しんでくれたまえ」
怒りに震え、無言で歯を食い縛っていたセレーナに構うことなく、ユーゼスはそう言って一方的に通信を断った。
直後に、彼女は握り締めた拳に行き場の無くなった怒りを込めて振り下ろす。
派手な音を立て計器にぶつかった拳に痛みが走った。皮膚に爪が食い込んでいくのを自覚する。
それでも込めた力を緩めることはせず、セレーナはその体制のまま俯き続けていた。
「…セレーナさん」
舞い降りた沈黙の中、やがていたたまれなくなったのか、エルマがセレーナに呼びかける。
答えは無い。
だが、顔を上げたセレーナの瞳に、確かな意志が宿っているのをエルマは見た。
「―――エルマ、アル」
その眼差しと同じく、セレーナは意志の篭った声で傍らに浮かぶ相棒と、
自らの命を預ける機体に組み込まれた、新たな相棒の名を呼ぶ。
「このゲームを、潰すわ」
「セレーナさん…!」
あの主催者が、本当に仇の情報を知っているのかはわからない。
だけど、ずっと追い続けて、それでも何も掴めなくて。
そして、ようやく辿り着いた手掛かりなのだ。
諦めることなんか、出来るものか。
何があっても、どんなことをしても。
必ず、この手に掴んでみせる―――!
「あいつとの取引がおじゃんになった以上、仇の情報を手に入れるには、直接あいつを問い詰めるしかない。
その為にこのゲームをぶち壊して、なんとしてももう一度あいつに会うわよ」
「わかりました!行こう、アル!」
<ラージャ>
傍らの相棒の嬉しそうな声と、新たな相棒の変わらぬ機会音声がコクピットに響く。
その二つの返事を確かめると、セレーナは操縦桿を握りなおした。
恐らく、この会話も盗聴されていることだろう。
だが、構うものか。これ以上、あのいけ好かない仮面野郎のいいように使われるのは願い下げだ。
待っていなさい、ユーゼス・ゴッツォ。
あんたの好きにはさせない。このゲームをぶち壊し、必ず仇の情報を聞き出してみせる。
見渡す限りの平原の中、復讐者の駆るアーバレストは、その目的を新たに地を蹴って走り出した。
「…クク」
上空から悠然と参加者達を見下ろすヘルモーズのブリッジで、モニターを見つめたままユーゼスは低い笑い声を上げた。
モニターには、たった今まで通信をしていたセレーナの操るアーバレストが大地を駆ける姿が映されている。
「素晴らしい、実に素晴らしい。セレーナ・レシタール、君はどこまでも私を楽しませてくれる」
雄々しく疾駆するその姿を見つめながら、仮面の下に隠された口元を歪め、そう呟いて席を立つ。
「ついてこい、W17。お前を降下させる」
隣に座すラミアへ視線をくべる事もなく命じ、ユーゼスはモニターに背を向けて扉へと歩き出した。
「…私が降下するのは、次の放送の後だったのでは?」
肩越しにユーゼスの背を見遣り、ラミアが問いかける。
「そのつもりだったのだがね、気が変わった。頑張ってくれた彼女へのささやかなご褒美だよ。
次の放送まではまだ六時間、その間に彼女が命を失う可能性もある。
彼女の求める仇であるお前と、少しでも接触する可能性を高めてやろうではないか。それに…」
「…それに?」
歩みを止め、ユーゼスが振り返る。
「折角、私を守ってくれるというのだ。多少の便宜ははかってあげるべきだろう?」
心底楽しくて堪らないといった口調で、ユーゼスは言った。
だが、その言葉を向けられた当のラミアに、その意味を理解することは出来なかった。
たった今自らに反旗を翻した相手を捕まえて、危害を加えてくるならばまだしも、守るとは一体どういうことなのか。
「それは…一体、どういう?」
いくら考えても、その答えは出ない。
僅かに首を捻るようにして、ラミアは自らの主にその真意を尋ねた。
「彼女は、私から仇の情報を聞きだそうとしている。裏を返せば、情報を聞きだす前に私に死なれるのは困るのだ。
これから彼女はこのゲームを壊すための行動に移るだろうが、それはイコール私の殺害ではない。
むしろ、私の生命を脅かすような脅威が発生すれば、率先して排除してくれるだろう。―――本人に、そのつもりがなくともな」
言い終えて、ユーゼスは肩を震わせる。
ゲームを壊す為に動きながらも、その主催者たる自分を殺すことは出来ない。
そんな無情な現実の中で彼女の奏でる痛烈な調べに想いを馳せ、ユーゼスは堪えきれない笑みを漏らした。
例え反旗を翻そうと、結局は、自分の掌で踊るだけ。
むしろ、この仮面の主催者にとってはそれさえも愉悦の一つでしかないのだ。
「質問は以上かね?では行くぞ」
ひとしきり肩を震わせて笑った後、ユーゼスはそう言って返事も聞かずに踵を返した。
それに付き従い、ラミアもまた席を立ちユーゼスを追う。
二人が扉から出て行き、無人となった室内に見る者のなくなったモニターが移動を再開したアーバレストを映し続ける。
段々と遠ざかっていく足音が、仮面の主催者の掌で踊り続ける哀れな復讐者を嘲るかのように響いていた。
しばしの時間を経て、二人はヘルモーズ内の格納庫を訪れていた。
格納庫とは言っても、参加者達に機体を支給した格納庫ではなく、その規模はかなり小さい。
大小様々とはいえ、60を越える数の機動兵器を並べていたあの格納庫と比べ、
こちらの格納庫は小型の機体であれば精々5、6機、大型の機体ならば2機もあれば目一杯になってしまうだろう。
それに加え、そこかしこに様々な機材や設備が配置されており、それが更なるスペースを奪っている。
恐らくは、格納庫というよりなんらかの実験施設として利用していたのだろう。
部屋の壁際に中ほどの高さで設けられた通路から、ラミアは部屋の奥へ目を向ける。
そこには、一機の巨人―――否、巨神が佇んでいた。
穢れを知らぬ純白にその身を彩り、まるで翼のようにも見えるパーツで顔を翳るその姿は、天使を模した神像のようだ。
このように無粋な格納庫でなければ、それは一つの完成された彫刻のような美しささえ感じさせたことだろう。
「ユーゼス様、これは…?」
「かつて無数に広がる世界の一つを、その歌声で人々が描く理想へと導いた、神の卵より生まれし雛鳥だ」
傍らのラミアから投げ掛けられた疑問に、巨神を見上げたままユーゼスは答えた。
ついで、その視線を降ろすとかぶりを振って言葉を続ける。
「尤も、ここにあるのはレプリカだがな。私の頭脳をもってしても、真似られたのは器のみ。
やはり奏者なくしては調律など不可能ということか…」
ユーゼスの語る言葉が、段々と自らの知らぬ単語を交えた専門的な話に摩り替わっていくことにラミアは眉を顰めた。
だが、当のユーゼスはそのようなことに気付くこともなく、
しばし独り言のように専門的な用語を交えた言葉を発すると、不意にラミアへと向き直る。
「とは言え、機動兵器として高い性能を持つことに変わりは無い。参加者も既に半数近くが消えた。
これからはゲームの進行も停滞するだろう。W17、これをお前に与える。これを使い、円滑にゲームを進行させろ」
「了解いたしましたわ、ユーゼス様。それで、降下後の行動は?」
恭しく頭を垂れ、ラミアはその後の指示を仰ぐ。
「任せる。お前の判断で動くがいい」
その姿を確かめ、ユーゼスは踵を返した。そして背を向けたまま、僅かに肩越しにラミアを見やる。
「私が何を求めているか―――解っているな?」
「勿論でございますですわ」
即座に返ってきたラミアの言葉に、ユーゼスは満足そうに頷いた。
「ならば良い。期待しているぞ、W17」
「お任せくださいませ、ユーゼス様」
歩み去るユーゼスの姿を見送り、ラミアは改めて部屋の奥へと視線を向けた。
目を細め、そこに悠然と佇む巨神―――自らに与えられた、新たな機体を観察する。
ああは言ったものの、正直な話、自らの主が何を思ってこのようなゲームを開催したのかは彼女自身にもわからない。
わかっているのは、主が参加者達の織り成す、悲痛な想いに酔いしれていることだけだ。
そして、主は言った。ゲームを円滑に進行させろ、と。
それが今の私に課せられた唯一つの使命であり、そして同時に唯一つの存在理由。
そこに、主の思惑などは存在しない。
主が何を思っていようと、この身はただ無心のその命をこなすのみ。
不意に、神像から一条の光が放たれた。
自らに飛来するその光をラミアは臆することなく―――むしろ、迎え入れるかのように両腕を広げ受け入れる。
私が自ら手を下すのは簡単だ。だが、それでは主の言う、彼らの想いが奏でる狂想曲には至らない。
主が求めている物。それは、彼らが主の手の上で足掻き、這いずり、
虚空へと伸ばした手に絶望だけを握り締めて朽ちていく、死という名の旋律だ。
ならば、私は役割は彼らの奏でる旋律を主が求める方向へと紡ぎ導くことだけ。
―――だが、その前に一つやらねばならないことがある。
光が自分を包んだと思った次の瞬間、彼女は神像の中にいた。
一面に水面が広がり、その中から突き出すようにして存在する、
あたかも自らの操者を両の手のひらで捧げ持つかのような形状の座席へと降り立つ。
自らの中に、膨大な情報が流れ込んでくるのをラミアは感じた。
この機体の名。武装。そして、操縦の方法。
まるで乾いた砂地が、零れた水を吸うかの如く、頭の中に直接叩きつけられる、
やもすれば情報の暴力とも取れるその全てを、彼女は飲み干し、刻み付ける。
それまで静寂のみが支配していた格納庫に、ごぅん、と重い音が響いた。
続く機械の駆動音とともに、格納庫の天井が展開していく。
顔を覆っていた翼が開き、神像がゆっくりとその身を浮かび上がらせた。
それは、まさに幼い雛鳥が自らを戒める殻を破り、その翼を自由にはためかせるかのように。
「さぁ…歌いなさい、ラーゼフォン。お前の歌を…禁じられた、その歌を―――!」
天へと開くように展開した天井から、神の像はその姿を大空へ羽ばたかせた。
最終更新:2007年08月26日 23:53