The Game Must Go on(2)
荒廃した廃墟の中を、ゆっくりと慎重に進みながら、ガルド・ゴア・ボーマンはその落ち着いた表情とは裏腹に焦燥に駆られていた。
ガイキングとの戦闘の後、残りエネルギーの乏しくなっていた乗機の為に補給を済ませるべく、彼は廃墟を徘徊していた。
入り組んだ廃墟の地形に辟易しながらも補給ポイントを発見し、補給を済ませた後、
ゲーム開始時から探し続けているイサムの姿を求めて廃墟の捜索を続けている。
明け方に入った主催者からの放送。
その放送で語られた死亡者の中に、彼の探すイサム・ダイソンの名は無かった。
だが、放送が流されて既に六時間が過ぎた。
この狂った殺戮の舞台において、人が一人死ぬのには十分すぎる時間だ。
考えるほどに押し殺しきれなかった焦りが頭をもたげ、ガルドは一人コクピットで奥歯をかみ締める。
―――いっそ、空から捜索するべきだろうか。
脳裏を掠めた考えを、すぐさま首を振って否定する。
危険過ぎる。
確かに捜索の効率は上がるだろうが、これほど遮蔽物―――身を潜めることの出来る場所に溢れた所で、
無防備に機体を曝け出すわけにはいかない。先程の機体がまだ周辺に潜んでいる可能性もある。
既にこの機体は装甲をパージして、戦力も機動力も落ちているのだ。
もう一度戦ったとして、逃げ切れる保障など何処にもありはしない。
それに、別れたままのプレシア達も気掛かりだ。
海中から救出されたチーフも気絶していたようだし、機体もあの損傷では戦闘は厳しいだろう。
プレシア自身も、機体こそ強力ではあるが本人が争いを嫌っている。
そして、あの木原マサキと言う少年。
プレシアの意思を重んじて同行を許したものの、果たして信用に値する人物なのか。
既に別れてしまった今の自分に、それを確かめる術は無い。
出来ることは、彼女達の無事を祈ることだけだ。
なんとしてもイサムと―――そして、プレシアを生還させるのが、自分に課せられた役目。
そう。その為に、自らの身に破滅が訪れようとも、成し遂げねばならない使命なのだ。
だからこそ、この身はまだこんなところで死ぬわけにはいかない。
たとえどれだけ手間を食おうと、今は安全を最優先に考えなければならないのだ。
半ば自らに言い聞かせるように、ガルドはその考えを反芻する。
だが―――。
(ええい、くそ…ッ!)
―――募る焦りは、彼の心に重く降り積もっていくばかりだった。
そして、彼が逸る気持ちを抑えられずに心持ち機体の速度を上げた、その瞬間。
「…なんだ!?」
エステバリスの前方に突如として光が集まり、そして、その光の中から全身を鈍い色に染め上げた無骨な機体が現れた。
突然ガルドの眼前に出現した機体は、まるで戸惑うように辺りを見回して、
急停止したエステバリスに気付くと、その不自然に巨大な両の腕を上げ身構える。
「く…!」
それを見たガルドは、謎の機体と距離をとるべく素早く機体を後方に退避させた。
余計な時間を食っている暇はない。このまま離脱しよう。そう考えて、機体を加速させる。
だが、次の瞬間ガルドの耳に飛び込んで来たのは、思いがけない言葉だった。
「待て!俺は無益な戦いをするつもりは無い。それよりも、ここの座標を教えて欲しい。情報を交換しないか?」
見れば、鉛色の機体は両腕を下ろして構えを解き、こちらへとその機械の眼を向けていた。
出現したときの様子から判断すれば、あの機体の主はここが何処であるか、わかっていない様子だった。
構えを取ったのは、咄嗟の警戒心からだったのだろうか。
判断はつかない。
そういった素振りを見せることで、こちらの油断を誘っている可能性も、充分にある。だが、情報が欲しいのはこちらも同じだ。
ガルドはエステバリスを停止させると、緊張を解かぬまま、通信に応じるべく通信機のスイッチを入れた。
「悪いが、イサムという名にも、プレシアという名にも心当たりはない」
「…そうか」
モニターに写る赤い機体の主は、俺の言葉にそれだけ言って、沈黙した。
そして改めて、鉛色の機体を操る男―――イングラム・プリスケンは自らの身に何が起こったのかを振り返る。
ユーゼスによる二回目の放送が流れた後、彼は僅かな休息をはさんで、
再びクォヴレー達と出会う直前まで探索をしていた地下通路の探索を再開していた。
そして、その奥で彼が見つけたのは、蒼い粒子の舞う渦のようなものだった。
いぶかしんだイングラムがメガデウスの腕をその渦に触れさせた瞬間、彼は機体ごとその渦に引きずり込まれ、
気が付いたときには暗く狭い地下ではなく、瓦礫の散乱するこの廃墟へと放り出されていた。
直後に出会ったこの赤い機体に乗る男の言葉によれば、ここは地図でいうE-1に当たる区画らしい。
地図を広げて確認すると、四方を湖に囲まれた島のようだ。
まさかいきなりこんな場所に飛ばされるとは予想だにしていなかったが、この偶然はむしろ有難い。
自らに支給されたメガデウスは、重装甲と高火力を有する強力な機体ではあるが、その機密性は低く、飛行も出来ない。
その為、湖に隔てられたこの島を探索することは半ば諦めていたが、偶然に助けられたとはいえ、どうにか湖を越えることが出来た。
二回目の放送が流されてなお禁止エリアに指定されないこの地域に、
捜し求める空間操作装置がある可能性は高くは無いが、同時に0ではない。
島から脱出するときのことを考えれば頭は痛いが、その事を悔やんだとて始まらない。
せめて、空間操作装置の手がかりでも見つけられれば良いのだが。
「…情報を交換するのではなかったのか?そちらに聞きたい事がないのなら、俺はもう行かせてもらうぞ」
イングラムがそこまで考えたところで、赤い機体から通信が入った。
「いや、待ってくれ。こちらも探している人物がいる。クォヴレー・ゴードンという、車を支給された参加者だ。心当たりは無いか?」
去ろうとする赤い機体を腕を上げて制し、昨夜遭遇した知らぬはずの、だが、既知感を覚える名を告げる。
「…クォヴレー?」
「知っているのか?」
その名を鸚鵡返しに呟き、赤い機体が動きを止めた。
僅かな期待を込めて、イングラムが続きを促す。
だが、赤い機体からの返答はない。
「どうした?心当たりがあるのなら、話してくれ」
「…聞き覚えは、ある。だが、どこで聞いたのか…それが思い出せん」
口元に手をやり、ガルドは言葉を選んで慎重に答えを返した。
クォヴレー。
その名前を、ガルドは知っていた。
脳裏に、マサキと遭遇したとき、彼が言った言葉が蘇る。
(信用させるようなことを言ってきて、信頼して降りたら機体を奪うために襲われたんだ!
クォヴレーとトウマ、それにイングラムとかいう三人組だった!)
その三人に襲われ、彼が連れていた美久という少女は負傷したと言っていた。
この男の言葉を信じるなら、クォヴレーという男が支給された機体は車らしい。
たしかに、そのような機体と呼ぶのもおこがましい物を支給されれば、他の人間の機体を奪おうと考えてもおかしくは無い。
そんな相手を探しているということは、この男、あの時マサキの言った三人組の一人だろうか。
モニターに映る鉛色の機体は、無言のままじっとこちらを見据えていた。
「…すまん。あと少しで思い出せそうではあるんだが…ええと?」
答えを保留させたまま、ガルドはそういってわざと言葉を濁してみせた。
「…イングラム・プリスケンだ」
僅かな間を挟み、男はマサキの言った三人組の一人と同じ名を名乗る。
やはり。
それを聞き、ガルドは唾を飲み込み、いつでも機体を動かせるよう警戒を強める。
見たところ、相手の機体は機動性が高いようには思えない。隙を突いて離脱すれば、撒くのはそう難しいことではないはずだ。
それに、こいつから引き出すべき情報はもう引き出した。こんな所でグズグズしている暇はない。
「俺は、ガルド・ゴア・ボーマンだ。すまないが、ちょっと思い出せそうにない」
「…そうか」
俺の言葉に、通信機から短い返事が返ってくる。あまり落胆した様子は見受けられなかった。
「それはそうとして…ちょっと、いいか?」
「なんだ」
タイミングをはかって、そう切り出す。変わらぬ短い返事を確かめて、言葉を続けた。
「俺は、このゲームを止めて、あの主催者を倒すために動いている」
勿論そんな事は出鱈目だ。あんな主催者の事など知った事ではない。
だが、マサキが言うにはこの男はこちらを信用させるようなことを言って、油断した所を襲ってきたらしい。
ならば、それを逆手にとってこちらから友好的な態度を見せて、逆に油断を誘おう。
「あんたも、ゲームに乗っていないんなら、俺たちと一緒に―――」
「やめておけ。そうやって反抗を企てても、奴には届かない」
だが、そうやって隙を伺おうとしていたガルドの言葉を遮り、イングラムは予想だにしなかった言葉を吐く。
「…なに?」
「無駄だと言ったんだ。自分から命を捨てるような真似はよせ」
思いがけない言葉を受けて眉を顰めたガルドに、イングラムは更に言葉を募らせた。
…どういうことだ。
口元に手を添えて、ガルドは目の前の相手の真意を読み取ろうとする。
向こうからすれば、この提案は渡りに船のはずだ。
了承こそすれ、断るどころかまるでこちらを突き放すような言い方をされるとは思ってもみなかった。
この男はゲームに乗っていて、それで他の参加者の機体を奪おうとしているのではなかったのか。
「…ならば、どうしろと言うんだ。奴は言った。最後の一人になるまで、殺し合いを続けてもらうと。
その最後の一人を目指し、自分以外の全てを殺して回れとでも?」
頭の中で様々な推測を巡らせても、答えは出ない。氷解しない疑問を抱えたまま、その真意を探り出すべく問いかけた。
「そうは言っていない。ただ、奴に叛旗を翻すな、と言っている。何度も言うが、奴を倒そうなど考えない事だ。
余計な事はしようとしないで、何処か安全な場所を見つけて隠れていろ」
僅かな間さえ挟むことなく、イングラムは言い切った。
わからない。
この男は、一体何を目的に動いているのか。
彼の言い分は、まるで負け犬のそれだ。
自分から何をするでもなく、ただ与えられた状況を享受し、抗う事も、足掻く事もしないでただ危険が去るのを待つだけ。
そんな物は、既に死んでいるのと同じだ。動いているか、そうでないかの違いでしかない。
…だというのに、言葉の端々に浮かぶ、この男の覇気は何なのか。
この男の眼が見据えているものは、一体何なのか。
「…では、ゲームに乗った殺戮者の影に怯え、あの戦艦を見上げながらただ逃げ惑えと?」
「そうだ。無用な犠牲は必要ない。俺が奴を倒して、このゲームを止める」
「…何だと?」
思わず聞き返したガルドに、イングラムは静かに応えた。
内に秘める怒りと闘志。そして、二度と曲がること無い確かな覚悟を宿して。
「奴は、俺が殺す。それが、俺の役目だ」
メガデウスが右手を胸の前で堅く握り、その傷ついた眼がまっすぐにエステバリスを射抜く。
けして変化することの無いその白い眼に、曇りの無い確かな決意が宿っているのをガルドは見た。
「…たった一人で、か?」
「人数など関係無い。この世界に奴がいて、そして、俺がいる。ならば俺の選ぶ道は一つだ」
その言葉に、迷いは無い。
握り締めた拳の力強さに、ガルドはこの男にもまた、その命を掛けてでも譲れない想いがあるのだという事を知る。
この男は、諦めていたのではなかった。それどころか、立ち向かっていたのだ。
誰に頼ることもなく、誰に知られることもなく。ただ一人で。
彼の選んだ道は、その終わりまで果てなく遠く、前に進むことさえ困難な茨の道だ。
だが、たとえその棘に我が身を切り裂かれようと、それでもこの男は敢えてその道を歩むのだろう。
脇目も振らず、ただ前だけを見据えて。
そうして流れる血こそが、この男にとっての涙なのだ。
(―――あぁ、そうか)
そして、ガルドは気付く。
その姿が、自らの良く知っているものと似ている事に。
イングラムの背負う覚悟を知り、ガルドはゆっくりと瞳を閉じた。
そうして、二人の間に沈黙が降りる。
「…木原マサキという少年を知っているな?頭部にキャノピーで遮られたコクピットを持つ、青い機体に乗っている少年だ」
やがてその沈黙を破り、瞳を開いたガルドが先程遭遇した―――目の前の男に襲われたという、少年の名を告げる。
「…あいつか。名は知らんが、その青い機体とは、昨夜に他の参加者を襲おうとしているのを止めるために交戦した」
やはり、そうか。
マサキの言い分と大きく食い違う目の前の男の言葉に、ガルドは目を細める。
あの少年と、目の前の男。つまりは、どちらかが嘘をついているのだ。
そのどちらを信じるべきか。今のガルドに、迷う余地はなかった。
「気をつけた方が良い。奴は、あんたの悪評を振りまいている。
そのクォヴレーとかいう男と、もう一人トウマという人物と共に、あんたに襲われて機体を奪われそうになったといっていた」
「…成る程。奴のやりそうな事だ。クォヴレーの名に反応したのも、奴から聞かされていたからか」
ガルドの口から紡がれたあの少年の行動に、イングラムは忌々しそうに吐き捨てた。
既に降ろしていたメガデウスの拳が、再び音を立てて握り締められる。
「しかし…何故、俺にその事を?」
だが、直ぐに気持ちを切り替えたのか、イングラムがガルドにそう問いかけてきた。
変わらずこちらを見詰めるメガデウスの眼に視線を返しながら、唇を僅かに歪めてガルドは答える。
「あんたが、そんな器用な立ち回りを出来る人間とは思えん」
通信機越しに、イングラムの戸惑う様子が伝わってきた。
流石に、こんな理由は予想していなかったのだろう。
真偽を判断する根拠としては、心許ないどころの騒ぎではない。殆どカンといっているようなものだ。
俺とて、同じ状況でこんな事を言われれば戸惑うに決まっている。
だが、俺にとって、それは信ずるに値する理由だ。
口の端に浮かべた笑みを強め、ガルドは呟く。
「―――俺も、同じだからな」
そうだ。この男は、俺に似ているのだ。
親友に借りを返すため、我が身すらも犠牲にしようとする自分と、
たった一人、誰の助けを必要とせずただ自分だけが傷つく道を歩む、この男。
俺とこの男の掲げる想いに、果たしてどれだけの違いがあるというのだろうか。
「…随分な言い草だ」
やがて、目の前の機体から呟きが発せられる。
「事実だろう。人からよく不器用だと言われないか?俺は、よく言われる」
昔、イサムからお前は不器用だとよくからかわれた。
あの時は否定していたが、今の自分を省みれば頷かざるを得ない。
「…そうだな。そうかもしれん」
しばしの間をおいて、男もそれを肯定した。
かすかな笑みを含んで紡がれたその言葉に、ガルドの唇もまた綻ぶ。
再び舞い降りた沈黙の中、二人は、互いの背負う物の重さを確かめ合う。
「悪いが、野暮用が出来た。俺はもう行かせてもらう」
そして、再び沈黙を破ったのはやはりガルドだった。
それだけ言って、エステバリスを反転させる。
あのマサキという少年が、ゲームに乗っているのはこれではっきりした。
だとすれば―――プレシアが危ない。
俺の言った事に従っているのならば、彼女達はA-1の市街地に向かったはず。
だが、彼女達と別れてから、既に数時間。
間に合うのか。
自身を支配しかけたその思いを、すぐさまガルドは首を振って打ち消した。
間に合うかどうか、じゃない。必ず、間に合わせてみせる。
「待て」
そうして振り返ったガルドを、イングラムが呼び止めた。
首を巡らせ、エステバリスが振り返る。
「そのマサキという少年の乗る機体だが、もしも、それが青い光を纏う事があれば気をつけろ。
見た目からは大した火力を持つように見えないが、あの光を纏った時の奴は危険だ。
機動性が数段跳ね上がり、そのまま体当たりを仕掛けてくる。この腕も、それにやられた」
そう言って、メガデウスの左腕をかざしてみせる。
重層な装甲が無残に抉られたその傷跡を、ガルドは無言のまま見詰めた。
俺の成そうとしていることを、察してくれたのか。
同じようにこちらを見詰めるこの男の不器用な心遣いに、ガルドは心の中で静かに礼を言う。
「解った、覚えておく。イングラム・プリスケン、だったな。また会おう」
「…あぁ」
そうして、二人は背を向ける。
例えその瞳に映るものが違っても、自分達の進む道がいつか交わることを信じながら、二人はそれぞれの道へと足を踏み出した。
イングラムとガルドが別れた頃。セレーナは、E-2にある湖のほとりにいた。
ゲームの破壊を目的と定めた彼女が先ずしようとした事は、仲間を集める事。
いきなりこんな殺し合いに巻き込まれて、素直に言う事を聞く人間がそう多いとは思えない。
この会場の何処かに、自分と同じ目的を持つ人間がいるはずだ。
仇の情報を手に入れるために人を殺す覚悟を決めていたセレーナに対して、
人を救う覚悟を自らの身で持って証明した、リュウセイのように。
そして、そのリュウセイを守るため、振り返る事もせずただ一人で茨の道を往くことを決めたイングラムのように。
まだ彼らの名前は放送で呼ばれていない。
つまり、彼らは今もこの会場の何処かで、同じ目的の為にそれぞれが違う道を歩んでいるはずだ。
その二人との合流。
セレーナは、それを目標の一つと定めた。
そして、もう一つ。主催者への反抗を企てる上で、避ける事の出来ない問題がある。
首に巻かれた、首輪の存在。
あの主催者の気分一つで爆発するこの首輪を装着している限り、反抗など夢のまた夢。
この首輪を解析、解除しない限り、例え何をしたとしてもそれはユーゼスの手の内だ。
だが、こちらに関しても彼女に心当たりがあった。
今朝遭遇した、白銀の機体とバイクの二人組。
彼らが首輪の解析を推し進めている事は、会話を傍受して知っている。
長い時間を共にいたわけではないが、あの二人は信用できると考えていいだろう。
向こうは、彼女が会話を傍受していたことを知らない。そんな状況で、わざわざゲームに乗っていない演技をする必要などないからだ。
会話の中で、彼らは解析を進めるために、G-6の基地へ向かうと言っていた。
彼らと合流し協力体制を敷くためにも、彼らを追って基地へ行こう。
そうして当面の目標を決めたセレーナは、基地への道中でリュウセイとイングラム、
若しくは、まだ見ぬ彼ら以外の主催者打倒を掲げる参加者を求めて、人の集まるであろうE-1の廃墟へと向かうことにした。
地図の上では正反対だが、昨日、イングラム達と遭遇してからラウ・ル・クルーゼ操るディス・アストラナガンと交戦するまで、
彼女は一度あの光の壁を通過している。
地図と地図の端同士を繋ぐあの光の壁を通り抜ければ、さほど遠回りというわけでもない。
相手の向かう場所はわかっているのだ、それに、ついてすぐに解析が完了してしまうわけでもない。
多少の寄り道ならば、問題ないだろう。
「戻ってきたわね…。私たちが、降下した場所に」
湖の向こうに霞む廃墟を眺めて、セレーナが呟く。
「今のところ、周辺に機体の反応はありませんね。あの廃墟に誰かいるのなら、もう少し近づけば補足できると思います」
「OK。それじゃ行きましょうか。策敵だけは続けておいてね」
周辺の策敵をしていたエルマの報告に、セレーナはそう言って湖を沿うように再びアーバレストを発進させようとする。
彼女は湖を迂回し、陸地と小島の距離が近い、D-1とD-2の境目にある突き出た地形から廃墟へと向かうつもりでいた。
ECSは、作動中機体に水に触れると、電磁スパークが発生して使い物にならなくなる。
それに、この機体は水中での活動を前提に作られたわけでもない。出来る限り無用な危険は避けるべきという判断だ。
「あ…!?待ってください!六時方向に、機影を確認しました!」
<かなりのスピードです。真っ直ぐこちらに向かってきます>
そうして足を踏み出した瞬間、エルマが一つの機影を捉えたことを伝え、アルも続けて情報を補足する。
すぐさま、セレーナはアーバレストを振り返らせた。
彼方の空に、白く輝く小さな機影が見える。エルマとアルが捕捉した機体だ。
距離が遠く、大まかなシルエットしかわからないが、
その機体は頭部についた羽のようなものを羽ばたかせる度に加速し、凄まじいスピードで接近してくる。
アルに映像を拡大させ、その姿を確かめる。モニターに、その身を純白に彩られた、天使を思わせるような機体が映し出された。
その翼がはためくたび、どういう理屈かわからないが、辺りに羽根が舞い散る様子さえ確認できる。
出来の悪い冗談だ。その姿をみて、セレーナはそう思った。
天使を彷彿とさせるその姿は、余りにもこの殺し合いの場に似つかわしくない。
それとも、あの天使は今までこのゲームの中で散った、多くの参加者の魂を迎えにでも来たというのだろうか。
だとすれば、そんな物は天使などではない。
それは天使の顔をした死神―――ジョーカーだ。
ふとそんな取り止めの無い思考に陥りかけた頭を切り替えて、セレーナはエルマとアルに指示を飛ばす。
「アル、ECSを切って。話し合いをするわ。エルマ、通信、開いて」
「ラジャ!」
セレーナの言葉に続いて、ECSを解除したアーバレストがその姿を現した。
もしもの時の為にすぐ動けるようにしながら、接近してくる機体へ通信を試みる。
「そこの機体、聞こえる?私はセレーナ・レシタール。戦闘の意思は無いわ、話し合いに応じてもらえるかしら?」
通信機へ向けて、そう告げる。だが、相手の機体からの返事は無かった。
それどころか、速度を落とす気配すら見られない。
「聞こえなかった?もう一度言うわ。こちらに戦闘の意思は無い。話し合いをしたいの。機体を止めて、話を聞いてくれない?」
どんどん近づいてくる白い機体への警戒を強め、幾分高くなったトーンで再度呼びかける。
返答は、やはり無言。
その様子に小さく舌打ちをして、すぐに戦闘体制に移行できるよう、アーバレストの手を単分子カッターと散弾銃へと伸ばした。
そしてもう一度呼びかけるために口を開こうとして、通信機から漏れた微かな音を聞きとがめ、
セレーナは即座に抜き放った散弾銃を構えさせる。
天使の顔をした死神―――ラーゼフォンは、もう目の前だった。
だが、その引き金を引くよりも早く、白い機体は全く速度を落とすことなく、
掠めるようにしてアーバレストのすぐ上を通り過ぎて行く。
刹那の時間を置いて、余波がアーバレストを襲った。
咄嗟に腕で顔を庇うようにして、吹き付けられる風に耐える。
それが収まり、セレーナがアーバレストを振り返らせた頃には、白い機体は既に遥か後方へと遠ざかっていた。
「…行っちゃいましたね」
「………」
「…セレーナさん?どうかしたんですか?」
段々と遠ざかっていく白い機体の後ろ姿を険しい顔つきで見詰めるセレーナに気付き、エルマが呼びかける。
「…ううん、なんでもないわ。行きましょう」
そう言っていつものように笑みを浮かべると、セレーナは改めてアーバレストを発進させた。
だが、その視線はモニターの隅に映る白い機体を捕らえて離さない。
やがて死神を乗せた天使が、遠くに霞む廃墟へと消えていくのを見届ける。
それでもなお、セレーナの視線が白い機体の降りていった廃墟から外れる事は無かった。
―――あいつ、笑っていた。
あの時、彼女が通信機から聞いたのは、微かな笑い声。
それも、まるで嘲るような、嫌悪感を抱かせる声だった。
あの機体に乗っているのは、一体どんな人物なのだろうか。
そして、確かに聞いた微かな嘲笑は、一体なんのつもりだったのだろうか。
考えたとて、答えは出るはずも無い。
ただ―――。
(あの機体のパイロット―――どうにも、好きになれそうに無いわね)
―――何故だか漠然と、セレーナの中をそんな予感だけが支配していた。
最終更新:2007年08月26日 23:56