1982年:レーシングカートからレーサーデビュー(10歳)
1984年:レラントンフF3にステップアップ、LF3史上最年少デビュー(12歳)
1988年:国際F2にステップアップ(16歳)
1991年:F1世界選手権レギュラーシート獲得(ヒル・ケンヘルマッチ)、フル参戦ドライバー史上当時最年少ないしF1史上初のレラントンフ人ドライバーとしてデビュー、同年初勝利(19歳)
1992年:F1参戦(マドックス→セラム)およびインターナショナル
IRLデビュー(20歳)
1993年:F1参戦(セラム)、ドライバーズランク2位(21歳)
1994年:F1参戦(セラム)およびル・マン24時間レース参戦(ベルドラン)(22歳)
1995年:F1参戦(セラム)、初ドライバーズタイトル&コンストラクターズタイトルを獲得(23歳)
1996年:F1参戦(RM
ロックフォート)(24歳)
1997年:F1参戦(RMロックフォート)、二度目のドライバーズタイトルとコンストラクターズタイトル獲得(25歳)
1998年:F1参戦(RMロックフォート)(26歳)
1999年:F1参戦(RMロックフォート)、最終戦で生命に関わる瀕死の重傷を負うも、ドライバーズタイトルを死守(27歳)
2002年:F1復帰(RMロックフォート)、第10戦セシリアGPでリアウィング脱落によりクラッシュ、負傷し再度休養(30歳)
2003年:F1復帰(RMロックフォート)、第11戦
シュリフコスカGPでエアボーンクラッシュ、フェンスに激突、重度の脳震盪と全身強打により瀕死の重傷を負う(31歳)
2004年:第4戦の地元戦よりF1復帰(RMロックフォート)(32歳)
2005年:F1参戦(RMロックフォート)参戦(33歳)
2006年:F1参戦(RMロックフォート)およびル・マン24時間シリーズ最終戦スポット参戦(レグラント)(34歳)
2007年:F1参戦(RMロックフォート)(35歳)
2008年:F1参戦(RMロックフォート)(36歳)
2009年:F1参戦(RMロックフォート)およびWRC(第8戦・エストラル・ウェンリストベルク・ヒルクライム)スポット参戦(セラム)、ドライバーズランク3位(37歳)
2010年:F1参戦(RMロックフォート)(38歳)
2011年:F1参戦(RMロックフォート)(39歳)
2012年:F1参戦(セラム)、G.ドゥパイエとの熾烈なレースを繰り広げ、四度目のドライバーズタイトル獲得(40歳)
2013年:F1参戦(セラム)、五度目のドライバーズタイトル獲得で、F1史上最年長ドライバーズタイトル争い二連覇達成(41歳)
2014年:F1参戦(セラム)(42歳)
2015年:F1参戦(セラム)、六度目のドライバーズタイトル獲得(43歳)
2016年:F1参戦(マドックス)(44歳)
2017年:F1参戦(マドックス)、七度目のドライバーズタイトル獲得でF1史上最多戴冠ドライバーに(45歳)
2018年:F1参戦(マドックス)(46歳)
2019年:F1参戦(マドックス)、第4戦の地元戦で大事故、下半身不随でレギュラードライバー無期限休養へ(47歳)
2025年:F1の開幕前の合同テストでリハビリを兼ねたテスト走行プログラム103周を完走(バックウォード)、GP2チーム設立(オスト・アンダーソン)(53歳)
2026年:テストドライバーとしてF1参戦継続(バックウォード)、GP2チーム運営2年目で初のダブル戴冠(オスト・アンダーソン)(54歳)
2027年:F1にサードドライバーとして参戦(マドックス)、最終戦で同チームから復帰レース、2位表彰台(55歳)
2028年:F1参戦(マドックス)序盤で躓くも8度目の世界王者、数多くの最年長記録を更新しダブルタイトル獲得、引退を表明し、レースドライバー人生に幕を下ろす(56歳)
2029年:GP2チームをF1に昇格させて参戦(アンダーソン)、初年度ながら戦えることを証明するも中盤戦以降はよく知られた理由で失速も、初年度コンストラクターズタイトルを獲得(57歳)
2030年:前年型マシンを改良し、セラムとの熾烈なタイトル争いを繰り広げるも、ランキング2位(58歳)
2031年:エースドライバーのP.グルイヤールが移籍するも戦えるチームであることを証明することを誓う(59歳)