『無題』(仮)
  Author:◆vLN9sBRUZc


121 : ◆vLN9sBRUZc :2008/10/06(月) 12:45:06 ID:+YHwypRv

1/ ヘルマン

 やあ、お目覚めかい? 良い夕方だね。
 何が起こったかって不思議そうな顔をしているけれど――なるほど、今の君には説明が
必要かも知れないが……そもそも君は、今日が何日で、何がある日か覚えているのか?
 ああ、そうだ。我らが高杜学園で、陸上競技会が開かれた日だね。
 クラス対抗戦だった……過去形なのはもう終わったからだよ。たっぷり寝ていたね。

 今日の昼下がりだ、僕が屋上からグラウンドを眺めていると、君の声が聞こえたんだよ。
 僕は人の台詞を忘れないから、一言一句違わずに再現してあげよう。

「あー、あー、マイクテス、マイクテス」
 まあ、おきまりの台詞で、放送席の君は職務を始めた訳だ。

「…………よぉっし。皆さん、お昼ご飯は確り食べましたかあ? んー……返事が小さいですよ?
……てうるさいな! そこまで大声出さなく立って聞こえます!」
 古典的なボケ方だった。
 ウケもそんなに良くなかっただろうから、今度からは一捻り利かせると良い。

「ちなみにうちの姉ちゃんは重箱弁当平らげました、ドカベン女子高生がツボって人は両手を挙げて?
……はーい、今手を挙げた皆さんは明日必ず、病院で見て貰って下さいっと!」
 客をいじるのを此処で止めたのは正解だった。
 ――まあもっとも、この時点で君は既に、放送部員としての職分から、些かはみ出していたんだろう、
というのが僕の正直な感想だったがね

「なお、実況はワタクシ、放送部所属の一年生ヘルマンがお送りいたし、ま、うー!」
 僕から放送席は見えなかったが、多分君はこの前テレビに出ていた芸人のまねを為たんだろう?
こうやって右手を蟀谷の辺りに……図星か。

「第○○回目のクラス対抗陸上競技会、午後の部の一発目はクラス代表によるよる800mリレーです」
 何回目だったか覚えていないのは許して欲しいね、僕は数字が苦手なんだ。800mリレーというのは、
プログラムに書いてあったから知っているんだよ。

「一人二週で四人! それでは全選手の入場ですよ、アーユーレディトゥ刮目ぅ!?」
 それから君は、リレーに出る全員の紹介を、僕には不可能なくらいの早口でやったわけだけど、
実際の所はあれだ――

「六組アンカー、三年、ミヤジショウコ! お宮の地面から飛翔する女の子で宮地翔子でござんすが、
"翔"をカケルと読みまして、小学校時の渾名を"カケッコ"と言います、しかもまんま陸上部!」 
 ――彼女の紹介をするためだけで、他はおまけだったんだろう?







2/ カケッコ


「ついでになんと、ワタクシの姉でございます! ――いやあ、睨んでます、カケッコさんがワタクシを、
氷のような目で睨んでおりますよう!」
 相手にして欲しいのかも知れないけど、肉親をからかうのはほめられた事じゃないね、
宮地嶽男君――たしか、名前が一見して"地獄男"に見えるから"ヘルマン"だったのかな?

 それから君はハイテンションのまま、選手の紹介を終えて、そしてリレーが始まったわけだけれど、
忘れた訳じゃなくて、正直に言って聞こえなかったから内容は話せない。
 高杜学園高等部、殆ど全員の歓声だったからね。

 僕が聞いた君の台詞は、こうだ。
「六組は大きく遅れておりますが、六組の皆さん安心して下さい、そして他のクラスは恐れおののけ!
学園長のドロップ一粒で三百メートル走れるアンカー。姉! 宮地翔子は恐らく、高杜学園最速の
二足歩行動物です!」
 僕がここから聴き取る事の出来たのは、君の声が大きくなったからだよ、タケオ君。

 え……ヘルマンの方がいいのかい?

「おおっと、姉ちゃん早い、姉上早い、お姉様――速いです! 二位を大きく引き離し、
そのさ2馬身から3馬身、その姿はまさに! 高杜の雌豹と呼ぶにふさわしい!」
 じゃあヘルマン君に率直に言うけれど、自分の姉を畜生扱いする君は――それがほめ言葉だったとしてもだよ?
僕の友人達からは仕方のない人扱いされたって、やむなしと言うところだろうね。

 君のお姉さんが速い、と言う事に関しては、口を挟む余地もない事だけれど。

「ですがアレでしょうか、雌豹のポーズも似合いそうなあの胸は、彼女にとってハンデに過ぎないの
でしょうか、あるいは出っ張った感じが空気抵抗を上手い事軽減しているのでしょうか、
とか言っている間にぶっちぎりでゴぉぉぉーーール!」
 ――した君のお姉さんが速度を落とさないまま走り続けたのが、今日、僕の見た君のお姉さんの最後だ。
 見えなくなった状況の説明は、君が為てくれた。

「そして! 姉は旗も取らずに! 本部席のワタクシ目がけて迫っております! 般若の形相です……よって皆様、
ワタクシの実況は此処までです。それでは、無事でしたらばのまた明日! ――撤収うぅぅ!」
 それが、僕の聞いた君の放送の最後だよ。

 ……何か不服そうだね。
 うん、確かにその場面までじゃあ君が此処で寝ていて、しかも前後不詳に陥っている理由にも、
僕が此処にいる理由にもならないね。

 それはまあ説明するとなんてこともなくて、僕が居た屋上に、君が逃げて来たからなんだ――







3/ コダマ

 グラウンドの方が静まりかえったものだから、屋上で君の冥福を祈っていると、
ドアを開け放してとうの君自身が逃げ込んできた。

 第一印象は……気を悪くしないでくれ、予想以上に小さいな、だったよ。
 けれどすぐに君と分かった。
 他に、屋上のドアを用心棒で閉めてまで逃げる必要のある人なんて思いつかなかったからね。

「一分待つわ、開けなさい」
 締め切ったドアの向こうから聞こえたのは、静かな声だった。
 静かで、でも、何の変哲もない屋上のドアが魔女の大鍋の蓋に変わったかのようだった。

 君は僕の事も眼に入らないくらい慌てていたけど、まだ余裕があって、何かを探していた。
「後は――此処に隠したロープで、ラペリング――ハァ。するだけだ、それが最後のノープロブレム!」
 君の英語の成績が忍ばれるが、どうでもいいことだね。
 息は切れていたけれど、意気は軒昂だったよ。

 もっともその余裕も、給水塔の真裏を漁って居る君の、
「な……無い!? 一時間もかけて此処に隠しておいたのに!」
 隠したはずの切り札が、更に誰かに隠されている、なんて驚愕の事実に気づくまでだったけど。

「ふっ……アンタの場合、時間をかけるほど出来が悪くなるんだって、どうして理解できないのかしら!」
 じゃーん、じゃーん、じゃーん。
「げえっ、コダマ!」
 君がすぐさま犯人を特定したのは……それもさだめと言う物か。
 誰かの声がしたのも予想外だったけど、直後に学校で銅鑼の音を聞くなんて思っても居なかったよ。

「ど……何処だ!」
 きょろきょろとする君を僕は見ていたけど、彼女も見ていた――高みの見物をしていたんだね。

「上を見なさい……此処よ!」
 そう、偉く年季の入ったおちびさんが、給水塔に立っていた。
 年季の入ったっていうのは、あれだよ、普通あの身長で過ごすのは長くて二年くらいの物だからね。
 高いところに立ちたがる気持ちは、納得できなくもないと思ったさ。

「十分で隠してたら、流石の私でも探し出せなかったでしょうにね!」
 彼女より頭半分しか大きくない男子は高等部に君しか居ないだろうし、
君より頭半分小さいのは女子にも彼女しか居ないだろう。
 まあ似たもの同士なんだね、サイズ的な意味で。

「とおっ!」
 彼女はスカートを押さえて、給水塔から飛び降りた。身長に比例して、なのかな? 一回転して
着地した様子は、殆ど体重のない幽霊みたいだったよ。そうやって、僕と君との間に降り立った。
 腰に懸かるまでのばした黒髪が、風に揺られていたよ。

「ろ……ロープは!?」君が聞いて、「捨てた――!」と彼女が答えた。
 へなへなと膝から崩れ落ちた君の前で彼女――コダマ君かな?――は薄っぺらい胸を反らして、
あれは多分勝ち誇っていたんだね。

「嘘よ、隠してあるだけ。出して欲しかったら交換条件ね、これから一年、週一でマクガフィン!」
「断る! それなら姉ちゃんの奴隷にでもなった方がましだ!」
 君の抵抗なんて、彼女はお見通しだったんだろう。

「駄目、そんな程度の根性じゃ、私の心に響かないわ。ってなわけで時間切れぇ――」
 あっさり引き下がった彼女はそう言って一歩、君との距離をおいた。

「お姉さんにきつぅく、お灸を据えて貰いなさい」
「一分――」
 ドアの向こうから、まるで地獄のそこから聞こえてくるようだったけど、声が聞こえた。
 それから、二回、音がしたんだよ。
 一回目の打撃音で、ドアがショットガンを喰らったみたいにひしゃげて、用心棒がへし折れた。
 二回目には、蝶番をぶらぶらさせながらドアが吹っ飛んだ。

 多分、彼女の誤算は、君のお姉さんのパワーを読み違えた事だろう。
 蹴り飛ばされたドアはとどまるところを知らず、君たちの間を勢いよく転がって――風を起こした。
 コダマさんの着ていたのは女子の制服だったから、つまり、翻るところがあるよね?

 ん、君は今、言葉にならない"ときめき"のような物を感じたのだろうけれど、これは回想なんだ。
済まないが、僕は見えなかった、君には見えていただろう――それはもうばっちりとね。
 ……そう、残念そうな顔をするなって。

「み……見た?」
 と彼女が聞いて、
「縦縞って――ありえねーだろ……」
 きみは頷いた。うん、今君がしているような、幻滅した顔だった。

「この……愚弟があぁぁぁ――!」
 ドア枠の向こうにいるのが君のお姉さんだと分かったのは、君の修飾と形容が全く正しかったからだ。
 三年の体操着で、長身で、胸が出ていて――般若の形相をした女子が、ヤクザキックの体勢で立っていた。
 今も身震いが止まらないほど怖かった。漏らしてないか気になったくらいだよ、本当に。

「ヘルマン――」
 だが、君のお姉さんすら無視して、彼女――コダマ君は君のみみたぶをひっつかみ、
大きく息を吸い込んだ。何をするかが分かった僕は耳を塞ごうとして、間に合わなかった。
 彼女は君の耳元に口を寄せて、叫んだ。

「記憶を……無くせえぇぇーーー!!」

 ……鼓膜、破けるかと思ったよ。







4/ シバ

「……というお話だったのさ」
「はあ、そうすか――」
 コダマの怪音波を間近に浴びた所為で記憶が飛んだらしい、とヘルマンが知ったのは、
日の入り前、保健室での事だった。

「ああ――! っていう事は俺、姉ちゃんをからかった記憶はないのに、どつかれるのか!」
「そうかな? 僕は違うと思うけどね」
「え……?」
「コダマ君の近くに、お姉さんも居たということさ。やっぱり君と似たり寄ったりの
状況になっていたから、今日の事は覚えていないだろうね。明日、なぜだか周りから
笑われるかも知れないのは、僕の責任ではないさ」
 はは、と、その三年生らしき男子は笑った。

「ちなみにコダマ君は、君のお姉さんを送っていって、僕が此処に残されたというわけだ」
「あ、そりゃあ迷惑かけました」
「迷惑は――お姉さんに謝る事だね。コダマ君、という名前は珍しい気がするね」
「ああ、それなら」
 男子の疑問に思い当たって、ヘルマンは説明を施す。

「コダマの本名は、マコトダニサエってんです。本人は"真実の谷に住まう冴えた女!"って
お笑いな事言ってますけどね」
「真谷冴――なるほど、谷の牙で谺(こだま)か……」
 小さいから、声がキンキンよく響くんです。と付け加えるのも忘れない。

「さて、僕はもう行かなくちゃいけないんだけど、君はもう少し休んでいた方が良い。
多分、三半規管が相当ダメージを被っているから、ね」
「あい……」
 さっきから体をまっすぐ起こしておくのが大変だった事に、得心のいくヘルマン。

「それじゃあ……」
「あ、待って下さい!」
 赤く染まった廊下に消えていこうとする影――立ち上がって分かる長身だった――に、
手を伸ばして呼び止める。

「先輩、名前聞かせて貰っても良いですか?」
「芝崎――君たちのような素敵な由来は持たないから、頭二文字で普通にシバ、で良いよ」
「分かりました、じゃあ……シバ先輩」
「うん、さようなら」
 軽い挨拶を残して、シバは夕焼けを受ける学園の空気に、そっと溶けていった。









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最終更新:2008年10月06日 22:56