232 :ノクターン ◆26fvVAiDE. :2008/10/19(日) 18:21:33 ID:oDXOb6EJ
0/ I and You.
事前の連絡もなく彼女――田野倉空はやってきた。
「ま、相変わらずだね、この部屋」
唐突な来訪者は玄関口に立って、挨拶もそぞろに散らかった部屋に対して感想を述べる。
「少しは片付けた方が良くないか? この剣幕じゃ男だって連れ込めない」
玄関で脱いだパンプスを揃えながら、「ああ、アンタが連れ込むなら女か」などと付け加える事を忘れずに上がり框を踏み上がった。
無精をして玄関で出迎える事をしなかった私は、寝そべっていたソファから跳ね起きてコイコイっと手招きをする。
緩慢な動作で足の踏み場が出来る程度に散らかっている本やCD、DVDのケースを端に寄せ、答えた。
「前もって連絡してくれたら片付けついでに模様替えだってしたのですけどね」
空はその間にウナギの寝床みたいに狭い我が家の廊下をすり抜けて、リビングに足を踏み入れる。
「私好みのパステル調にしてくれるならメールで知らせたよ」
「それは無理ですね。私、色盲だから色彩のセンスありませんし」
手をヒラヒラ振って答え、クッションを投げ渡して座るように促すと、空は座りもせずに部屋の片付けを始める。
彼女――田野倉空は数少ない私の友人だ。
長い黒髪が良く似合う和風な美人で、切れ長の目が特徴的。
だけど外見が醸し出す雰囲気とは裏腹に、物言い、言動共に男っぽく、はそのミスマッチが好きで、昔からずっと彼女を見つめていた。
彼女はそれを知っいる。そして、私が男嫌いの女好きである事も知っているだろう。
――多分、ひょっとしたらですけれども。
◇
窓を開けると涼しい風――、どちらかと言うと肌寒い風が入ってくる。
澱が沈んだ埃っぽい空気は嫌いだ。口を尖らせて文句を言う友人兼家主――木下槙を尻目に私は片付けを始める。
散らかってる本や雑誌を整理しながらカラーボックスに入れ、CDやDVDをケースに入れておよそ実用的ではない外見重視のラックに並べる。
ちゃぶ台代わりのテーブルの上の使用済みの食器類をキッチンに運ぶと、水分が抜けてパリパリに乾いた台布巾らしきモノに気付いた。
全く、と呆れながら蛇口を捻り、水で絞って再びリビングへ。
槙は相変わらずやる気なさげにゴミをまとめている。
「少しは分別しろよ。ゴミだって資源だ」
「そう言えば空ってエコの国の人でしたね」
私は槙の言葉に反応せずに、テーブルを綺麗に拭く。
乾いてこびりついた訳の判らない汚れをゴシゴシと綺麗に落とす。
さっきまで真っ白だった台布巾はすぐに真っ黒くなり、私は何度も洗う羽目になる。
三度ばかり往復すると、テーブルも綺麗になり、槙の方も粗方カタがついたみたいだ。
「なあ、掃除機は?」
私は汚くなった台布巾を丁寧に洗いながら尋ねた。
「掃除機は――その辺に」
指差した先には、この部屋の中でそれだけ綺麗でピカピカな掃除機がある。
「使ってないだろ、コレ」
見た感じ使った形跡が見られないソレを手にして私は呆れる。
口ごもりながらも反論しようとする空を無視して、私は掃除機をかけた。
ウィィィィィンッ、と調子良く掃除機はゴミを吸う。こんな良い物を使わないなんて宝の持ち腐れだ。
ケーブルが絡まない様に気を付けながら、テーブルをどかして隅から隅まで。
クッションをはたいて埃を飛ばす。
掃除機の頭を変えてタンスの上や本棚代わりのカラーボックス、埃が溜まっている所を綺麗にする。
槙は部屋の一角に置かれたパイプベッドの上に避難して寝転がっている。
その姿はまるで――猫だ。
色素が薄くて内巻きのクセっ毛で、毛先を揃えないショートボブ。
黒目がちな大きな瞳で、飽きる事なく私をじーっと見ている。
――今も、昔も。
◇
部屋が綺麗になると、空はようやく腰を落ち着けて座わった。
もぞもぞとポケットから何かを――タバコを取り出して、口にくわえると、灰皿を探してキョロキョロと見回した。
「ウチは禁煙なんですけどね、ホントは」
喫煙という習慣がない私の家には灰皿がある訳もなく、仕方なく私は先程分別した燃えないゴミ袋からコーヒーの空き缶を取り出して手渡した。
「悪いね」
火を着けて一息吸うと、私を慮ってか窓の方に向かって煙を口から吐き出した。
彼女はタバコのフィルターを噛むクセがあるらしく、口にしていた部分が凹んでいる。
「アンタ……気になる? 吸ってみる?」
「遠慮しておきます。タバコを吸うとお酒の味が判らなくなりますし」
彼女はふーん、と相槌を打ち、タバコを消して改まって私を見つめてきた。
「あのさ、アンタ……私と同居しない?」
同居。同じ部屋に一緒に住む事。――同棲?
私の心臓の鼓動がレッドゾーンまで跳ね上がる。
「同居……いつもいきなりですね、貴女は」
空は悪びれもせずに私の反応を窺っている。私にできる事は、努めて平静をよそおう事だけだ。
「まーね。ウチのアパート、取り壊しが決まってさ……行く当てがないんだわ」
二本目のタバコに火を着け、今度は輪っかみたいな煙を吐き出した。
「実家に帰っても邪魔者扱いされるしさ、頼むよ」
彼女の乱雑に物言いは、およそ人に物を頼むそれではない。どちらかと言えば私をからかうものに近い。
それでも、私は――。
「家賃と光熱費を折半なら。ああ、新しいベッドは私が買いましょう。二人で寝れるくらい大きいのを」
頭の中でパシパシと算盤を弾く。ダブルベッドは買える。家具類を一揃えするには貯金を卸せばどうにかなる。
ただでさえ狭い我が家が狭くなるけどそれは仕方ない。
「ん、まあ、アンタが揃えてくれるなら我が儘は言わないけど……センスが良いのを選んでくれよ」
――それはもちろんですとも。二人の愛の巣になるのですから。
◇
槙の反応は面白い。百面相みたいにコロコロと表情を変えながら、頭の中で何かを考えている。
多分真面目さ30%いかがわしさ70%ぐらいな割合だろうと、槙の性癖を知っている私は推測する。
仲間内では彼女の同性愛を知らない人間はいない。
まあ、無理を言って同居を頼み込んだ私としては、多少の事は受け入れるべきなんだろう。
――例えば、身体をくれてやるくらいの覚悟はある。
槙は高校時代に友達は少なかった。その原因は彼女の嗜好によるところが大きい。
「では、詳しい話はおいおいするとして、今夜は飲みません?」
彼女はぎくしゃくとした動作でキッチンに行き、ジンのボトルとグラス、ロックアイスを手にして戻ってきた。
「本当だったら氷にも凝りたかったんですけどね」
そう言いつつロックアイスをグラスに入れて、ジンをグラスに注ぐ。
ジンは緑のボトルが特徴的なタンカレー。王道のビーフィーターよりもクセの強いこちらの方が好みだ、とは槙の弁だ。
手つきは馴れたもので、さっきまでの不自然な動きは消えている。
「ストレート? ちょっとキツくないか?」
「あいにくと割る物を切らしていまして」
水割りにするくらいならストレート。それが槙の信条らしい。まあ、確かにジンは水で割って美味い代物でもない。
「ツマミは?」
「チョコレートくらいなら。お煎餅がありますけどジンには合いませんし」
酒に拘る彼女はツマミにも拘る。なければないで気にしないクセに、合わないものはトコトン嫌う。
キューっと一杯一息で飲み干した彼女は、顔を朱に染める。決して弱くないけど、顔に出やすい質だ。
空になったグラスを私に向けて振り、カラカラと音を立てる。
「わかったよ、飲めってんだろ」
促されて私もグラスを煽る。フルーティな香り、クセのある味が私の喉を伝って胃の腑に落ちていく。
冷たいクセに熱くてキツい、そんな味だ。
◇
飲めば飲むほどぐだぐだになっていく。私も空もアルコールに強い方ではなし、ツマミもチョコレートだけだから尚更だ。
チョコレートの甘くてほろ苦い味は、ジンに合わないでもない。だけど、そんなに多く食べれる物でもないから、空きっ腹にお酒が入る事になる。
潰れる前に、自然とささやかな宴会はお開きになる。
「お冷やでも飲みます?」
私はジンの空き瓶を片付けがてら空に尋ねる。
空は暑いのか胸元を弛めてパタパタと手を団扇代りにして扇いでいた。
「ん、飲んどく」
見えそうで見えない胸元にどぎまぎしながら、お冷やを用意してトン、と差し出すと、彼女はぐいっと飲み干した。
「それで、どうします?」
「どうするって何を?」
私はそれとなく、自然に空の隣に座った。そして、寄りかかる。
「これからの事、ですけど」
彼女は私を見る。まるで風景でも眺めるみたいに、無関心に。
「ああ、これからの事は明日考える。今はそこまで頭が回らない」
そう口にした空は、寄りかかった私を拒絶もしないし、受け入れてもいない。
押すべきか、引くべきか。悩むけれど、どちらかと言えば臆病な私はつい、引いてしまう。
「そう……ですか。それじゃあ、明日の昼にでも話をします?」
明日は講義は午前中だけ。たしか、彼女もそうだった筈だ。
マクガフィンで軽食を摂りながら話をするのが妥当な線だろう。
「それでも良いけど……ごめん、今日は泊めて」
本日二回目。私の心臓のリズムは16ビートになる。
「私は構いませんけれど……良いんですか?」
私はゴクリと生唾を飲み込んだ。彼女は私の気持ちを判っている筈だ。
それでも泊まりたいと言うのなら、私には止める術がない。
「良いさ。後に回すより早い方が良い――お互いの為にも」
彼女の吐息が私の髪を揺らす。お酒とタバコの匂いがするけれど、ゾクゾクするほど心地良い。
「それはつまり――私の気持ちを受け入れてくれると考えて良いんですね」
顔がやけに熱くなり、涙で瞳が潤むのが判る。感情を抑えたつもりでも、声が上ずってしまう。
「期待には答えるさ。私だって興味がない訳じゃないしね」
淡々とした彼女の答はなんだか無機質だ。興味本位での言葉であり、私が視界に入っていない。
急激に酔いが覚める。まるで冷や水をかけられた感じに近い。
冷めてしまった心と身体は、彼女から距離をおこうとした。
――私にだってそれなりのプライドと言うものがあります。
◇
感じていた槙の体温が感じられなくなった。温かくて気持ち良かったのに、何故だろう。
視界の端に拗ねたような槙の顔がある。その姿はまるでツンとすました子猫だ。
誰が飼い主でもない、と言外に語っている。
多分、私の物言いが気に障ったのだろう。
「怒ってるの、槙」
「知りません。たとえ知っていても教えてあげません」
一旦拗れると槙は機嫌を直さない。それは槙の持つ沢山の短所の内の一つだ。
でも、慣れてしまえばそれは可愛くもある。
「まあ、別に良いけどね」
私はそう言い捨てると槙をそのままにして服を脱ぎ始める。コットンシャツを脱ぎ、ジーンズを脱ぐ。
脱いだ物を丁寧に畳んで、そのままベッドに入る。
シーツに染み付いた槙の体臭で頭がくらくらする。それは、酔ったのが原因じゃない。
――さて、どうしたものか。
◇
空はベッドに入った。私は所在なく、ただそれを見つめていた。
スタイルの良い彼女の下着姿は眼福モノだけれど、私はそれに対してさほど感慨は起きなかった。
ただ、空の物言いが淋しかった。
「――槙、一緒に寝よう」
同禽を誘う空の声は私を通り抜けるだけだ。でも、私の中で変な感情が沸き起こってくる。
――否定されたら、肯定するように躾れば良いじゃない。
まあ、それはそうだ。最初は誰だって興味本意、禁断の味を知ってしまえば病み付きになる。
むしろ、病み付きになるようにしてしまえ。
「――電気消すから待って下さい」
私はゆっくりと立ち上がり、履いていたスウェットを脱いで電気を消す。
カーテン越しに街頭の光が入るから完全な暗闇にはならず、目を凝らせばどうにか見える程度の暗さだ。
「布団は一枚で大丈夫?」
「身体を寄せ合えば寒くはないかと」
私はベッドに入ると空に背中を向けてジリジリと近付く。
ゆっくりと、危機感を持たせない様に近付く。
間近に空の体温を感じた時、いきなりぎゅっと抱き締められた。
「ひぇっ!」
突然機先を取られた私は、間の抜けた悲鳴を上げてしまう。
「槙って柔らかくて気持ち良いね」
「そ、そうですか?」
しどももどろになりながら答えると、空は腕の力を強くしてきた。
リアルに、ダイレクトに感じる空の体温、息づかい、匂い。
それらは私の思考を麻痺させるには十分なほど凶悪だ。
「うん。なんだかこうしてると安心する。槙はどう?」
私は頭がグルグルして答えられない。
お酒のせいなのか、それとも空の柔らかさ、体温のせいなのか。
私は空の微熱帯びた身体を感じながら意識を手放し、気がついた時には朝だった。
――折角のチャンスだったのに、私のばか。
――To be continued .
最終更新:2008年10月20日 23:25