『高杜学園高等部二年・早川明の談』
          Author:◆U4jQgFN8e



343 :『高杜学園高等部二年・早川明の談』 ◆U4jQgFN8e. :2008/09/11(木) 23:01:55 ID:YpJDQa3z


以下の文章は、
高杜学園高等部二年・早川明の談話を
新聞部員・東雲蔵人がまとめた第一稿である。



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 大した話じゃなくて本当に申し訳ないのですが……。
 これは三年前、ぼくが中等部二年生の頃の話です。

 ぼくは陸上部に入っていました。短距離の選手です。
 しかし二年生の四月に交通事故で脚を骨折し、一ヶ月入院することになりまして。
 陸上に心から打ち込んでいたぼくにとっては、本当につらいことでした。入院中、鬱々
とした気持ちになったかと思えば、次の瞬間は「いや大丈夫だ、すぐに取り戻してみせる」
と明るい気持ちになり、かと思えばまた次の瞬間にはどん底に突き落とされたような気持
ちになる……、そんなふうに両極端を行ったり来たりしていました。
 退院後もしばらくは松葉杖で学校に通うことになります。もどかしくはありましたが、
着実に復帰に向かっているんだという喜びの気持ちが強くなってきて、心の状態は少しず
つ安定してきました。
 放課後が来ると、ぼくは校庭のすみの石段に座り込み、松葉杖を横に置いて、部活に励
む人たちを眺めました。目立たない場所を選んで座っていましたし、ぼくの様子が妙に切
なげに見えたのでしょう、みんな気を遣ったのか、話しかけてくる人はいませんでした。
 それが何日か続きました。

 そんなある日のことです。
 同じように校庭を眺めているとき、ふと横を見ると、いつのまにか隣に女子生徒が立っ
ています。見たことのない顔でした。その子はぼくがさっきからそうしていたように、校
庭を見ているのです。
 彼女は最初なんということもない、ぼんやりと無表情な顔をしていましたが、ぼくのほ
うを見て、かすかに笑いました。そしてぼくに確認をとると、すぐ近くに腰をおろしまし
た。
 見知らぬ人間が突然そばに来たことの不思議さと、もともと女の子に免疫がないことが
理由で、ぼくは緊張するばかりでした。
 話しかけたのは、彼女からでした。
「脚、折っちゃったんですか」
「はあ、情けないことに」
「歩くの大変でしょう」
「ええ」
「いつ治りそうですか」
「あと何週間かかかりそうです」
 こういった会話のあと、彼女はまた校庭をじっと見つめ、無表情に黙ってしまうのでし
た。ぼくはなんとなく声をかけてはいけないような気がして、一緒に校庭を眺めました。
野球部やサッカー部、陸上部のみんなの声が、どこか非現実的な感じで聞こえてくるのみ
でした。時間がゆっくりと流れていきます。
「行かなくちゃ。それじゃ、また」
 彼女は突然そう言って立ち上がり、軽くぼくに手を振ると向こうへ歩き出しました。
 いつのまにか当初の緊張感がなくなってすっかり気を抜いていたぼくは、きちんとした
別れの挨拶をする暇もありませんでした。彼女が校門を出て見えなくなるまで、ぼくはそ
の後ろ姿をただ見ていました。

 次の日の放課後も、彼女は現れました。ぼくの脚に関してのわずかな会話を交わした後、
また二人して校庭を眺める……、前日とまったく同じでした。そうしてまた彼女は唐突に
去ってゆくのです。
 そしてその次の日も。
 またその次の日も。

 ぼくはだんだん彼女に妙な友情を感じてきました。
 最初は「もしかして彼女はぼくのことを好きなのかな」などと考えもしましたが、様子
を見ているとどうも違うようでした。根拠らしい根拠はありませんでしたが、なぜだかそ
う思えたのです。
 そして一方、ぼくのほうも彼女に恋心を抱くということはありませんでした。確かに可
愛い子だったけれど、そういう感じではなかったんです。
 お互いに名前すら聞かなかったし、話題はぼくの脚のことや入院生活のことばかりだっ
たけれど、こういった感じの淡々としたつきあいは妙に新鮮だったので、それはそれでま
ったく構わなかったんです。不思議な子だなあと思ったものの、ただ一緒にいるだけで落
ち着きました。

 ある放課後、また当然のように彼女はぼくのところにやってきました。
 そのとき、ぼくは無性に彼女のことが知りたくなったのです。お互いに名前すら知らな
いのはおかしいぞ、と。もっと早くそう思うのが普通なのでしょうけれど。
 彼女がそばに腰を下ろしたのを見計らって軽く挨拶をし、「そういえば」と切り出しま
した。「まだ自己紹介していませんでしたね」
「ああ……そうですね」彼女は小さくうなずきました。
「ぼくは二年五組の早川です」
「三年の加藤です」彼女は微笑んで答えました。
 ここを皮切りに少しずつさぐりを入れていくのが普通なんでしょうけれど、今日はこれ
くらいでいいかなとぼくは思い、「暑いですねえ」などと言いながらまた校庭に目をやる
のでした。

 そしてまた休日を挟み、翌週の放課後。
 自分は陸上部ですが加藤さんは部活をやっていますか、と訊きました。していないとの
ことでした。では何か趣味はと訊くと、特にないとのこと。
 この日はこれだけで終わりました。

 さらに次の日。
 ぼくは教師たちのことを話題に出しました。好きな教師・嫌いな教師について、なるべ
く笑えるものになるように気をつけながら話しました。加藤さんはこれ以上ないほど素晴
らしい聞き手でした。こちらを見る柔らかな表情・絶妙な相槌・的を射た質問。ぼくは気
分よく話し続けました。
 ぼく達の感性は非常に似かよっているようでした。笑いを意図した箇所では、その通り
に彼女は笑いました。つくったものではなく、ごく自然な笑顔で。
 別におかしくもないところでやたら笑う人がときどきいますが、彼女はそういうことも
ありませんでした。とにかく、ぼくの理想の聞き手だったのです。

 また次の日。
 ぼくは自分の友人達のことを話題に出しました。加藤さんは彼らのことを知りませんが、
それでも楽しめるように話すことができたと思います。
 ひと段落ついたあと、「加藤さんはどうですか、誰か面白い友達いますか」ぼくはそう
切り出しました。
「いやあ、どうでしょう。いないかな。うーん」
「面白くなくてもいいですよ。なにか、ごくごく普通のことでも。考えてみたらぼくが話
しているばっかりで、悪いなと思いますし」
「いえ、全然悪くないですよ」
 加藤さんはあまり話す気がないようでした。
 でもぼくはふざけながら、なんとか話をしてもらおうと促しました。そんなやりとりが
数回あったあと、「仕方ないなあ」という表情で、加藤さんは話し始めました。やっと初
めて加藤さんの個人的な話を聞くことができたのです。

 Kさん、Mさん、Uさん。それが加藤さんが特別親しくしている友達の名前でした。K
さんは男子、MさんとUさんは女子で、みなクラスこそ違うものの、仲がいいそうです。
 彼女が語る話は確かに特別なものではなく、どれもありふれた日常生活の一部といった
感じでした。しかし三人の性格・癖・小さなエピソードなどの描写がとても上手で、思わ
ず引き込まれてしまいました。

「さて」話し終えた彼女が立ち上がりました。「それじゃあまた」
「あ、はい、それじゃあ」
 足早に立ち去る彼女の後ろ姿を見ながら、ぼくは思いました。松葉杖がいらなくなった
ら一緒に帰りたいな、帰り道が同じ方向だったらいいな、と。
 そしてふと、あの不思議な女性は普段どんな様子で過ごしているんだろうか、という好
奇心が湧いてきました。

 翌日、ぼくは早速行動を起こしました。
 昼休みに三年生の教室を一組から順に訪問し、「女子の加藤さんって方はいらっしゃい
ますか」と尋ねてまわったのです。
 彼女がどのクラスかをあらかじめ聞いておかなかったのが悔やまれました。しかし、む
しろそのほうが向こうの驚きも大きいだろうからまあいいか、という気もしました。
 早めに加藤さんを見つけることができればいいけれどと思いながら、一組、二組、三組
……、と入っていきましたが、なかなか彼女は見つかりません。
 結果、ぼくは一時間を目いっぱい使い、すべてのクラスをまわりました。
 学年に加藤という女子は四名いました。そのいずれもが、ぼくの探していた加藤さんで
はありませんでした。
 そしてその日以来、加藤さんはぱったりと姿を見せなくなったのです。

 ぼくはそれからも毎日、放課後になると一人で石段に座り込んでいました。
 何がなんだかわかりませんでした。

 ぼくは後日、念のため一年生と二年生の教室をも一通りまわりました。松葉杖に頼る身
には少々大変でしたが。
 しかしやはりあの女性はいません。
 彼女はいったい誰だったんでしょうか。
 今に至るまで、ぼくは彼女と再会していません。

 ……これでぼくの話は終わりです。
 気の利いたお話なら、ここでそれなりの理由がついてしかるべきだと思います。でも本
当にこれで終わりなんです。

 後日、それなりに調べたこともあります。
 例えば、突然彼女が引っ越してしまったのではないか、とか。……でも、そんな人はい
ませんでした。
 あるいは、なぜかはわからないけれども彼女は偽名を使っており、あのあとも普通に学
校に通っていたんじゃないか、とか。……でも、部活の先輩が中等部を卒業する際にアル
バムを見せてもらったんですが、彼女の写真はありませんでした。そればかりではなく、
自分の卒業アルバムもしっかり確認しました。また、考えにくいですけれど、あのころ彼
女は一年生だったのかとも思い、後輩のアルバムも穴の空くほど見せてもらいました。い
まから数ヶ月前のことです。しかし、やはりそこにも彼女はいませんでした。
 オカルトじみた考え方もしてみました。彼女は幽霊だったんじゃないか、と。遡って調
べてみれば、若くして亡くなった人は学園内にいくらかいたでしょうし。しかし、あんな
にはっきりと話したのに、まさか幽霊であるはずがありません。
 あるいは、他校の生徒がわざわざうちの学校の制服を着て、遊びに来ていたんでしょう
か。でも何のために?
 いろんな理由を考えたものの、どれひとつとして納得できるものはありませんでした。

 そういえば、彼女が話していた友達、Kさん、Mさん、Uさんに関してですが。
 その三人は実際にいらっしゃいました。彼女の言ったとおりみなさん三年生で、クラス
はばらばらです。彼女が話していた三人の性格・癖・エピソードもすべて正しいものでし
た。
 しかし、たったひとつだけ違っていた点があります。その三人は仲良しグループでもな
んでもありませんでした。何の交流もなかったのです。一切、です。
 また、ぼくが加藤さんのことを説明しても、そんな人は知らないと言われるのみです。
かなり食い下がって質問したのですが、本人たちも周りの人たちも嘘をついている様子は
ありません。ただただ気味悪がるだけでした。
 僕自身も気味が悪かった。加藤さんがその三人のことを話したからには、何かしら共通
点があるはずなのです。しかしそれはどうしても見つからなかった。彼女は一体どのよう
にして三人の情報を知ったのでしょう。なぜその三人が選ばれたのでしょう。

 ぼくはどうしても納得できる理由がほしかったので、何人かの友達にこの話をしました。
しかし、なにも得られるものはありません。

 彼女が幽霊だろうと妖精だろうと幻だろうと普通の人間だろうと、唯一確かなのは「彼
女は嘘をついていた」ということです。しかしなぜあんな無意味な嘘をつき、そして屈託
なくぼくと話していたのでしょうか。そのすべてがなんだかとても非現実的で不思議なこ
とに思えるんです。

 そして今でもときどき考えてしまうんです。ぼくが自分から彼女に会いに行こうとしな
ければ、彼女はずっとあの場所に来てくれたのだろうか、と。ぼくは何か、守らなければ
いけないルールを破ってしまったのでしょうか?

 ……ぼくの話が記事になるんですよね。もしかしたら記事を読む人の中に、真相を知る
人がいるのかもしれませんね。
 何か知っている人がいたら何でもいいから教えてほしい、とは思うんですが、それと同
時に、もういいかなという気持ちもあるんです。この謎は解かなくてもいいんじゃないか、
と。

 うん、そうですね、いまふと思ったんですが……。この事件には、真相なんてないのか
もしれません。裏側には何ら特別な理由や秘密など隠されてはいないのかもしれません。
ぼくの体験したことがこの事件のすべてであり、ただそれだけの話なのかもしれません。

 以上でぼくの話は終わりです。ありがとうございました。

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[了]




350 : ◆U4jQgFN8e. :2008/09/11(木) 23:09:48 ID:YpJDQa3z
◆IXTcNublQI さんの『高杜学園たぶろいど!』より、
新聞部員・東雲蔵人の名前をお借りしました。





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最終更新:2008年09月12日 00:43