1942年5月24日、後楽園球場での大洋×名古屋戦は午後2時40分、プレイボールがかけられた。これが午後6時27分、日没となったため、延長28回4対4で引き分けに終わる、いまだに破られていない延長戦の世界記録になろうとは、誰も思わなかった。この試合を一人で投げ切ったのが大洋の野口二郎と名古屋の西沢道夫だった。投球数は野口344球、西沢311球、試合時間は3時間47分。
しかも野口は前日、朝日戦でも完封勝ち。それも9回1死までノーヒットノーランだったから驚く。さらに付け加えればその2日前にも阪神に完封勝ちしていた。当時の投手は連投が当たり前だったとはいえ、信じられないタフさである。これが「鉄腕」の異名を取ったゆえんである。
もう一つ驚異的なのは、野口はこの42年、66試合に登板して40勝17敗、19完封をマークしたことだ。40勝は
スタルヒン、稲尾の42勝に次ぐ記録で、19完封は
藤本英雄と並ぶ日本記録だ。
質権名古屋市出身。兄に明(セネタース)、弟に昇(阪神)、渉(南海)がいて、野口4兄弟と呼ばれた。中京商時代は37年夏の甲子園で優勝投手に。決勝の相手が川上-吉原のバッテリーを擁した熊本工だった。
その後、法大を中退して39年、兄・明が捕手を務めるセネタース入り。1年目から69試合に登板して33勝。40年は翼で33勝、41年は大洋で25勝。
野口は打者としても優秀だった。戦後、阪急に在籍して投手と内野手を兼任、46年8月29日から10月26日まで記録した31試合連続安打は、71年、阪急・長池の32試合に更新されるまで最高記録(79年、高橋慶彦が33試合で更新)。また、投手として48年に残したシーズン最多無四死球試合13は現在も日本記録だ。
野口はのち阪急、近鉄で投手コーチ、二軍監督などを歴任。1989年に殿堂入りした。
【参考資料】
「プロ野球を創った名選手・異色選手400人」
最終更新:2010年04月21日 17:15