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武智文雄

近鉄がバファローからバファローズとなるさらに以前、「パールス」だった時代の主力投手。アンダースローからキレのある直球とシュートを武器として、Bクラス常連時代の近鉄において、主戦として100勝を挙げたその実力は相当のもの。結婚して武智に改姓する前、「田中文雄」の名だった1954年には、シーズン26勝で最多勝のタイトルを獲得し、セ・パ分裂以来ひたすら最下位を走ってきたチームを4位に押し上げる原動力となった。

その武智が完全試合を達成したのは1955年6月19日、大阪球場での大映スターズ戦。ただ、この日はダブルヘッダーの第2試合で、相手野手に疲れがあったことは想像に難くない。また当時の大映はパ・リーグ加盟直前からの度重なる改組の影響もあり、チーム力自体が低く、同年シーズンでは首位の西鉄に46ゲーム離された7位に終わっている。よって武智の実績から考えれば、藤本英雄と同様、なるべくしてなった完全試合と言えそうだ。

そもそも武智自身が大映とは特に相性が良かったようで、同年8月にも9回1死までパーフェクトに抑えている。プロ入り初勝利も大映戦といった具合で、何かと縁が深かった。


【参考資料】
「プロ野球60years 剛球&魔球 投手の怪物伝説」

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最終更新:2010年04月23日 11:22
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