くちびるがそっと触れ合った。
 何かを確かめるように何度も触れるだけのキスを繰り返して、茜の細い身体を抱きしめた。
 小さく身を震わせた茜は、定位置を決めかねるようにもぞもぞと動く。
 構わずに、舌を差し入れようとするものの、そのくちびるはぴったりと閉じて開く気配がない。
 仕方なく、くちびるをぺろりと舐めた。
 腕の中でその身体がぴくりと震え、総一郎の身体を引き離すように両手が胸を押し返す。

 驚いて茜の顔を見やると、眼鏡のない茶色い瞳を幾度か瞬かせて、ゆっくりと総一郎を見上げた。
「な、なに?」
「……あー……なんでもない」
「どうしたの?」
「ああ、ちょっと……」
 そう言ったきりうつむいてしまった茜の白い頬を見つめた。
 湿り気を帯びた黒い髪が、頬に影を落としている。
 先程から鼻腔をくすぐる、ふわりとした甘い香りは彼女のシャンプーだろうか。
 いつもの香水とは違うが、これもいい。こんなものにもときめいている。
 そもそも待ちに待った今日という日に、何日も前からドキドキしていたのだ。

 センセイ、と呼びかける代わりに、華奢な手首を握った。
 また驚いたように腕を引いた茜が、どんどんと深くうつむいていってしまう。
「……センセイ?」
「あ、ああ、すまない……」
「どうかした? まさか、またお預け?」
「いいや、そうじゃない」
 茜が首を左右に振ると、またふわりとシャンプーの香りが漂う。

 今まで散々、焦らされてきたのにまたここで生殺しか、とふと思う。
 そうなったらどうしよう。

 ほう、と大きく息をついた茜が、その頬を総一郎の胸に摺り寄せた。
 部屋着を、ぎゅっと握られてドキリとした。両手の位置を定められないまま、茜が低く呟く。
「白状しよう、ちょっとビビッている。……ちょっとじゃなくて、かなり」
 ビビる。
 また珍しい言葉がこのくちから飛び出したものだ。
 わが道を淡々と進む、が、このひとの持ち味ではなかったか。
 
 だけどからかう気にはなれなかった。
 ほかならぬ自分自身も、かなりビビっている。
「…………俺も、ビビってますけど」
「うん、知っている。さっきから妙な空気だ」
「ですよね。で、何をビビってるの?」
「その、ほんとうにこれでいいのか、とか。まだ浅尾は教え子だ」
「うーん、まぁいいんじゃないですか。何とかなるって」
「軽いな。あとは、まぁ、どんなもんだったか思い出せない」
「何が?」
「セックス。優しくフォローを、と思ってみたものの、自信がない」
「そんなの、俺のほうが自信ないですけど」
「君はいいんだ。まだ若いし、初心者なんだから。私がいい年して純情ぶってみたところで得るものはなにもない」

 見栄っぱり。
 ふと出てきた言葉はそれだった。
 くだらないプライドのように思えた。
 しかしそもそもプライドとは弱い自分を隠して守るためのものだ。……現国の例題文の受け売りだが。
 彼女は、10も歳が上だからというコンプレックスを、総一郎を振り回すかのように自分のペースに持ち込むことで覆い隠してきたのかもしれない。
 だからどんなにくだらなくても、否定だけはしちゃいけないと何となく思った。

「ちゃんとできないと、なんか困る?」
「君が自信喪失でトラウマにならないか心配だ」
「ああ、そう……そりゃどうも」
 でも、と低く呟きながら、居場所を決めかねていた両腕を茜の背に回して抱き締めた。
「いつものセンセイのほうが、いいな」
「いつも?」
「ドSでヘンタイで、天邪鬼でうそつきでクールなセンセイ」
「ドS……そんな風に思っていたのか。ものすごい悪人に聞こえるな」
 総一郎の好きな、指どおりのいい黒髪を弄んでさらさらと撫でた。
 茜はくすぐったそうに肩をすくめたが、大人しくされるがままになっている。
 猫みたいだ、と思った。

「だってそうじゃん。迫る方が好きとか言ってキスも、エロいキスもセンセイからだったし」
「……言わせてもらえば、愛の告白は君からだ。勝手に手を握ったり抱き締めたり、結構自由にやってるじゃないか」
「嫌がられないもん」
「む」
「俺が18になったらってのも一人で決めちゃうし」
「…………まぁ、そうだ。謝ろう」
「いや、別に謝ってくれなくていいです。だから、そういう風に我が道をいってるセンセイが、いいなって思うわけですよ。今日のセンセイ無理してる感じするし」
「無理ぐらいはする。……だが……この、『さあ致しましょう』という空気はちょっと辛い。こう、何となく始まるのが一番盛り上がる」
「…………経験談ですか?」
「あー、トップシークレット。ともかく、明確に時間を区切りすぎた感があるな。……身構えてしまってどうにも」
 今日はよく口ごもるな、と場違いに感じた。
 普段は大抵の場面においてよどみなく淡々と滑るその口が、今は言葉を選びながら、慎重に発言をしている。

「別に、また後日でもいいですよ? そしたらなんとなく始められるじゃん。今日は一番におめでとうって言ってもらったし」
 それで充分、と続けようとしたら、腕の中の茜が急に起き上がった。
 キレイな眉を中央に寄せて、面白くなさそうな顔をしている。
「そう言われては立つ瀬がない」
 天邪鬼め。
 折角、ものすごい決意で身を引く宣言をしたのに。
 この人はこうやって自分で自分を追い詰めるに違いない。

「そうか、柄にもなく君に身を任せようなどと殊勝なことを考えたのがこの居心地の悪さを招いたのだな」
「は?」
 ドSの目が輝いてきた。
 するりと総一郎の腕から抜け出すと、彼の足の間に膝を立てて上から見下ろす。つややかに湿気を含んだ黒髪が、さらりと白い頬に影を落とした。
 ひんやりとした白い手が、前髪をかきあげて額を撫でた。
 突然の出来事に、ぼんやりと茜を見上げるしかない総一郎に向かって、くちびるの端を素敵に歪めた。

「私に、君の童貞を奪わせてくれ」
 絶句した。
 セクハラだ。心外だ。
 これこそトラウマになりかねない。
 しかしそこには揶揄の含みは一切なく、単純に嬉しくて仕方ない、といったような、柔らかくてくすぐったそうな茜の表情がだけがある。

 ……元気が出たなら、それで、いいか。

 つくづく自分は、茜に甘い。
 ほれた弱みだから仕方ない。

 覚悟を決めて、初夜の花嫁のような面持ちで、うやうやしく告げた。
「………………………………優しく、してください」
「努力しよう」
 頷くと同時に頬を両手で挟まれて、くちびるが落ちてきた。
 ああ、あのエロいキスかな、と身を引き締めたが、予想とは裏腹に、すぐに離れて額へと触れる。

 ちゅ、と軽い音を立てて離れた後、こめかみとまぶたを掠めて、耳へと落ちる。
 茜の柔らかいくちびるが耳の端をかぷりと噛んで、生暖かい舌が触れる。
 びくり、と身体を振るわせたその耳に、小さな笑い声と熱い息が落ちてまた背中がぞわぞわした。

 耳たぶまで丁寧にねっとりと這った舌は、ついに耳の穴にまで入り込み、頬を撫でていた手のひらはいつの間にかくびすじを伝って鎖骨に触れている。
「……っ、ふ……セン、セイ」
 変な声が漏れそうになるのを何とか抑えて、途切れ途切れに呼ぶ。
 呼ばれた茜はそれはそれは楽しそうに、喉の奥をで小さく笑いながら、なんだ、と答えた。

「質問」
「どうぞ」
「今日は、触っていいんですか」
「……………………どうぞ」
 いつもの心地よいアルトがすぐ耳元で響いて、理性を奪った。
 部屋着の上からまるい肩に触れる。
 柔らかい二の腕をなぞって、ひじ、手首と順番に撫で、総一郎の好きな白い手の甲に、自分の手を重ねた。
 さてこれからどうしようか、と思いあぐねているうちに、茜のくちびるが頬に軽く触れ、そして総一郎のくちびるのすぐ端に音を立てて落ちた。

 焦らす動きについに耐えかねて、茜の顎に軽く指を添えてくちびるを塞いだ。
 今度は薄く開いた隙間から舌を差し入れると、彼女の熱い舌がゆっくりと絡まる。
 時間をかけて、味わいつくすようにゆるゆると舌を絡めあう。
 時折くちびるを離して目を合わせれば、茜が嬉しそうに目を細めた。

 熱い、と思った。
 茜の指が、くちびるが、手のひらが触れた場所すべてが熱くて、茜に触れた自分の指先も、ぶつかり合った膝も、まだ触れられていないはずの胸も熱かった。

 なぜか泣き出したいような気分になって、細い背に手を回した。
「センセイ、」
「ん?」
「………………好き、です。すっげー好き。ワケわかんないぐらい、好き」
 何か伝えたいのに、何を伝えればいいのか判らなくて、なんのひねりもないこんな言葉しか出てこない自分がちょっと情けなくなった。

 いつか、こういうときに気の利いたことが言えるようになるのかな。
 ぼんやりと見上げた茜は、ちょっと困ったような顔をしていた。
 違う、これは困ってるんじゃなくて、照れているんだ。
 暗いから、顔の色が判らないだけで、たぶん正解。
「…………浅尾は、可愛いな」
「センセイは? 俺のこと、好き?」
「うん、ちゃんと好きだ。安心してほしい」
 よかった、と笑ったくちびるを、また塞がれた。
 ああ、今日もセンセイは男前だ。さっきからセリフも行動も、男女逆転をしている。

 茜の細い手が、部屋着のすそから入り込んで背中を撫でた。
 今日は手が冷たくないんだな、となんとなく不思議に思った。
 同じように、茜の服のすそから手を入れる。直に触れた肌はびっくりするほど柔らかい。

 ぴくり、とその細い腰が揺れた。
 揺れたものの、総一郎の手のことは無視を決め込んだらしく、くびすじに、ほとんど噛み付くように歯を立てて、ぺろりと舐めながらシャツを捲くる。
 これは高等技術だ、真似できない、などと考えているうちに、鮮やかな手際で脱がされてしまった。
 別に鍛えているわけでもないその胸に、茜は満足そうに頬を摺り寄せて、撫で回す。
 左の乳首の辺りで手を止めて、くすくすと笑った。
「すごいな、心拍数が異常に高い」
「興奮、してます」
「そうか」
 同じように、滑らかな腹を撫でて手を這わすと、総一郎にはない柔らかなふくらみにたどり着く。

 初めて直に触れるその柔らかさに心底感激をして、恐る恐る揉んでみた。
 力の入れ具合が判らなくて、おっかなびっくり、といった手つきになってしまう。
 だけど指の腹に、どくんという確かな鼓動が伝わり嬉しくなる。
 茜も、自分と一緒で興奮している。
 それを与えているのは、紛れもない自分。

 指先が突起に触れると、とうとう無視をしきれなくなったのか、飛びのくように茜が身を起こした。
「っ、」
「……センセイも、脱いで」
 つん、と服のすそを引っ張ると、茜が少し嫌そうな顔をした。
「む」
「……俺だけ脱がしといて」
「脱ぐとも。脱ぐけど、あー……あまり見ないでほしい」
「なんで? ずるいじゃん」
「……貧相だ。君の期待には答えられそうにない」
 ……まだ巨乳好き疑惑をもたれていたのか。
 否定を受け入れてくれたと思っていたのに、本当に筋金入りのマイナス思考だ。

「判った、努力します。けど見えちゃうのは仕方ないですよね?」
「ああ、うん。目隠しプレイは今後に取っておきたい」
 そんなプレイをする予定があるのか。
 ちょっと恐ろしくなった。
「……ていうかセンセイ、ノーブラだし」
「どうせ脱ぐ」
「アレ外すの、夢だったのに」
「それは申し訳ない。次回は気をつけよう」

 とりあえず、次回がその目隠しプレイじゃないといい、と希望を抱きつつ、寝間着のボタンを丁寧に一つずつ外す。
 茜は俯いて、大人しくその様子をじっと見詰めている。
 大きなボタンを、1つ、2つ、と脳内でカウントしながらすべてを外して、そっとはだけた隙間に手を差し込んで、右手でふくらみにふれた。
「…………っ、」
 茜が小さく息を呑んだ。
 先端を指の先で軽く引っかくと、ビクリと大きく肩が震えて茜の腰が引けた。
 へー、と思いながら、両方の肩から寝間着を滑らす。一瞬だけ手首に絡まったそれを、茜は優雅に脱ぎ捨てた。
 ウエストのゴムに細い指がかかる。腰を浮かせて、逆らわずに脱がされた。
 お返し、とばかりに、茜の華奢な腰に手を伸ばして、下着ごとヒップを滑らせて脱がせてしまう。

 白い裸体が、薄闇に浮かび上がる。
 確かに、本人の宣言どおり細すぎる、と思った。食が細いせいだ。
 胸の大きさは、まぁ、大きくはないよな、と言ったところか。片手にぴったりと収まってしまうだろう。
 でもちゃんと柔らかさを持っているし、揉むこともできるし、充分だ。
 だからあまり気にはならないが、それよりも健康が心配になる。これからはもっと食べてもらわなくては。

 じっと見つめていると、咎めるような声音で茜が浅尾、と呼んだ。
 慌てて顔を上げると、すぐにくちびるを塞がれた。
 とっさに目を閉じて、キスを堪能する。
 ああ、ちょうどいい目隠しだ。

 茜の手のひらが、くびすじから胸と腹を撫でて、下肢へと伸びた。
 十分に張り詰めて立ち上がったそこを、ふわりと撫でられてまた身体が震える。
 自分で触れるのとはまるで違う、くすぐったいような、じれったいような、それでいて背筋を駆け抜ける強烈な快感に抗えず、熱い息を漏らす。
 触れられているだけなのに、これはヤバイ。

 あんまり見てはいけないが、触るのはいいはずだ。
 茜の腕をかいくぐって、すべすべの腹を撫でて、もう一度胸へと触れる。
 全体で包み込むように持ち上げて、先端に指を置いた。
 ぴくり、と小さく身体が揺れて、総一郎から手を引いた。

「センセイ、お願い……触らせて」
「………………、うん」
 掠れたため息のような返事を何とか聞き取って、両手でその胸に触れる。
 ずっと、触りたくて仕方なかった。
 想像より数倍も柔らかくて、魅力的なそれに夢中になる。
 つんと尖った蕾を指で挟むと、茜の熱い吐息がこめかみに落ちてきた。
「……浅尾、」
 何か言われる前に、背筋を伸ばしてそれを口に含んだ。
「っ!」
 逃れようと引けた腰を抱きこんで、ぺろぺろと嘗め回す。
 総一郎の肩に乗せた手に、引き離そうとするように力がこもるが気にしない。
 舐めているが、見てはない。近すぎて何も見えない。
 茜がキスのときにそうするように、くちびるではさんで吸い上げるととうとう引き結んだその口から、高い声が漏れる。
「…………んっ」
 聞いたこともないような甘い声に、またくらくらした。
「……あさ、お……くすぐったい……」
 途切れ途切れのささやきが頭上から落ちてきて、思わずくちびるを離して茜を見上げた。
 いつもはクールな瞳が、うっすらと潤んでいる。
 ぎゅっと目をつぶって、ほう、と息を吐くと総一郎の後頭部をゆるやかに撫でた。
 
 まるであやされているような気分だ。
 
 くすぐったいような嬉しいような、ちょっと情けないような複雑な気分のまま手を滑らせて、下肢へと伸ばす。
 太ももを撫でて手を止めると、茜が不思議そうに小首をかしげる。
「触って、いい?」
「…………いちいち、聞かなくていい。その、君の、好きに触ってほしい」
 また萌え殺された。
 このヒトは何度自分を殺せば気が済むのだろう。
 これから、何度こうやって悶絶させてくれるのだろう。

 茂みの奥へと指を滑らすと、そこはぬるぬるとした湿り気を帯びていて驚いた。
「……なんかぬるってする」
「言わなくても、いい、そんなこと……」
 低く怒られた。
 そうか、これが濡れるってことか、と一人納得をする。
 その、ぬるりとした水分を指に絡めるように溝をなぞると、茜の身体がびくびくと震えた。
「……っあ」
 漏れた声があまりに切なげなので、驚いて手を止める。
「あ、ごめん、大丈夫?」
「うん、もう少し、ゆっくり……」
「う、うん」
 ゆっくりと、まるで傷口に触れるかのように軽く撫でる。
 くちゅ、と卑猥な音が響いた。
 幾度か往復させて、茜の反応をうかがう。
「……こう?」
「う、ん……っ」
 指が突起に引っかかるたびに肩が揺れる。
 息がどんどん荒くなり、とうとう総一郎の肩にすがり付いて、くびの根元に額を埋めてしまった。
「……っは、ん……んん、……」
 押し殺したような引きつった声が漏れ聞こえる。
 指に絡まる水分はどんどんとその量を増やし、ねちゃねちゃと耳に届く音が大きくなっていく。

 茜の身体が熱い。心配になるほど熱い。
 辞めたほうがいいのかな、と茜を見やるが、あいにく顔が見えない。
 嫌がってる様子はないし、だめならだめって言うだろう、と結論付けて、愛撫を続行する。
 彼女の荒い呼吸が、胸にあたってくすぐったい。

 そういえば穴ってどこだろう、と指を少し大きくスライドさせると、入り口は案外簡単に見つかった。
「ぅ、あ、さお……」
 甘い声音と共に肩を握る手に力が入る。
 ここに自身を埋めるのだ、と思ったらとてつもなく興奮した。
 人差し指をぐいと押し入れる。
 意外と簡単に指が滑り込んだその中は、茜のものとは思えないぐらい熱かった。

「ああっ、ん……」
 背中がゆるく反れて、茜が熱い吐息で、浅尾、と途切れ途切れに何度も繰り返す。
 その声に、総一郎の身体もますます熱くなった。

 一気に奥まで押し入れた。
「あ、いやだ、まっ……あッ、んんっ!」
 好奇心たっぷりに、2・3度ぐるりとかき回すと、盛大に背中が反れていっそう高い声が響いた。
 まて、と言われたのはなんとなく聞き取れたので、大人しく手を止める。
 腕の中の茜は、荒い呼吸を繰り返しながらぐったりと力なく総一郎に体重を預けている。
 空いた手で背中に触れるとうっすらと汗がにじんでいた。
 す、と撫で上げたら、またその背中がぴくりと震えた。
「大丈夫?」
「…………不覚だ……」
 まだ整わない息でそんなことを呟く。
「な、なにが?」
「…………いい、いつか言う」
 気だるげに髪をかき上げながら顔を持ち上げると、目を合わせて薄く笑った。
 ちょっと、嫌な予感がした。
「次は、君の番だな」
 ああ、はい、と力なく呟いたくちびるを軽く塞がれた。
 腰を引いてずるりと総一郎の指から逃れると、すぐにくちびるを離す。

 総一郎の脇をすり抜けて、枕もとへと手を伸ばす。
 振り返った茜の手には、避妊具が握られていた。
「……あの」
「ん?」
「センセイが、買ってきたの?」
「あ、ああ、まぁ。ないと困るのはお互い様だ。言っておくがないときはしない」
 茜の鉄の理性はよく知っている。鉄壁のバリケードも。
 彼女が流されることは、たぶん、ないんだろう。

 いや、2度ほど茜のぷっつんに遭遇した。
 自分ではその暴走を止められない。
 困るのはお互い様、には全面的に同意なので、せめて、いつ彼女が理性を飛ばしてもいいようにこれを切らさないようしようと密かに誓う。
 誓うけど、なんだか釈然としない。

「女の人が買うもんじゃないと思うんですけど」
「そうか?」
「そうです。俺も、買ってきたのに」
「…………ああ、あ、そうか、それは、余計な気を回した。次回から君に頼むことにする」
「うん」
 そんなところまで男前に振舞われては、今度はこちらの立つ瀬がない。
 これこそくだらないプライドだが、なんでもかんでも茜に甘えっぱなしには、どうしてもなりたくなかった。

 ふと、その男前を見やると、彼女は薄闇の中で懸命に目を凝らしてそのビニールを眺めていた。
「なにしてるの?」
「裏表がわからない」
 ひょいとそれを奪って確認する。
 こっちが表、と差し出そうとして、別に差し出す必要はないと気がついた。
 勝手に袋を破って取り出すと、茜がむ、と唸った。
「なに?」
「やらせて欲しい」
「なんで!」
「興味本位だ」
 出来たらそんな変な興味を抱かないで欲しい。
 でもきっとそれは無理な相談なんだろう。じゃなければ実験好きになどならないはずだ。
 しぶしぶ手渡したそれを茜が受け取って、身をかがめる。
 吐息のかかる距離で凝視され、耐え難い恥辱を覚えた。

「…………近いです」
「見えないから」
 そうか、眼鏡がないんだった。
 だけどそれにしたって近いだろう。
 見慣れた自分のものと、茜のきれいな顔の夢の2ショットにくらりとする。
 ――酷く、エロい。

 細い指に握りこまれて、どく、と脈打ったその反応に茜が小さく笑う。
 笑うと、また熱い息がかかって、腰がぞくぞくとする。
 先端から滴る液を興味深そうに指で掬って擦り付けたかと思うと、柔らかく揉まれて身体が震えた。
 襲い来る射精感を、必死で堪えて声を絞り出す。
「…………センセイ、やめて……ヤバイんですけど」
 情けない自己申告に、茜はうんと答えると、するすると薄いゴムをすべり下ろして、滞りなく装着を完了した。
 身を起こして腰にまたがると、総一郎の首に片腕を回してふわりと笑った。
 
 その笑顔に見とれた。
 今まで見た中で、一番好きな笑顔だった。

 触れ合ったくちびるから、茜の含み笑いが漏れた。
 あれ、この体勢? と思った次の瞬間、先端が柔らかい肉壁に埋まってぞわりとする。
「……う、わっ」
 へんな声が漏れた。
 目の前の茜は、眉根を寄せてちょっと苦しげに、でも満足そうに微笑むと探るようにゆっくりと腰を落としていく。
 ぎゅうと絞めながら奥へと奥へと熱い内部へ誘い込まれて、総一郎の目の前が白く濁る。
 時折、あ、とか、ん、とか、音にならない息をもらしながら、どんどんと総一郎を咥え込んでいった。

 とうとうすべてを飲み込んでしまうと、添えていた手も総一郎の肩に回して口づける。
 吐息と唾液が混じって漏れる。
 細い背中に手を回して、ぎゅっと抱きしめた。
 肩に置かれた手が震えている、と思ったけれど、強烈な快感に支配されて気遣う余裕はなくなっていた。
 もっとこの快楽をむさぼりたくて、茜を見上げる。

 もう、焦らさないでほしい、どうにかなってしまう。

 しかし彼女の顔からも笑みが消えている。きつく眉根を寄せて、苦しげに息を吐く。

「……ちょっと、ごめん」
「え?」
 茜の背を抱いて繋がったまま押し倒す。
 マーベラス、本能。
 どさり、と大げさな音がして、白い身体がベッドに沈んだ。
 痛かったかな、とどこかで思ったが、どうかする余裕も知恵もなくて、ただ刺激が欲しくて腰をゆすった。

「あ、んんっ……!」
 乱暴とも思える動きで、茜を突き上げる。
 一つ動くたびに切なげな声が聞こえて、ますます夢中になった。
 キスがしたい、と思ったがどうやったら出来るのか判らなかった。
 やっと手に入れた主導権、とも脳裏をよぎったが、意地悪を仕返す余裕もなかった。
 ただ、本能のままに身体をぶつけて、快楽をむさぼった。


 程なくして、堪えていたたがが外れる。
 中に埋め込んだものがびくびくと震え、薄いゴムの中に精を吐き出した。
 ベッドについた両ひじも、肩も、背中も、腰も、がくがくと震える。

 茜の胸の上に倒れこんで、荒い呼吸を繰り返した。

 すごい、と、額に流れる汗を感じながら思った。
 今まで感じたことのない充足感だった。
 満たされている、とこんなにも強く思ったのは初めてだ。
 よく耳にする「一つになる」の意味が、やっとわかった気がした。

 やがて息が整うころ、ぽん、と優しく背中を叩かれた。
「あ、ごめん……重い?」
「いいや、大丈夫。それよりも、そろそろ抜いて欲しい。収縮が始まると思われる。中身がこぼれてはせっかくの避妊の意味がない」
 淀みなく喋られて、ちょっとげんなりしながら身体を起こした。

 ふと見下ろした茜と目が合った。
 どうしよう、というように瞳を揺らして、顔をぷいと背けてしまう。
 照れてるのかな、と顔を近づけると、こちらを向いてくちびるを受け入れる。
 火照った吐息が混ざり合って、またちょっと変な気分になってきた。

 名残惜しみながら身体を離し、ずるりと自身を引き抜いた。
 茜も腰をぴく、と震わせて、上体を起こす。
 枕元のサイドランプをつけた茜に差し出されたティッシュを受け取りながら、下半身を眺めた。
 先端にたっぷりと白濁液が溜まっている。
 卑猥、というか、なんというか。表現に困る光景だ。
 中身が零れないようにそろそろと外す。ちょっと情けないような、くすぐったいような、妙な感じだ。

 茜は、といえば、さっさと下肢を拭うとごろんとうつぶせに寝転んで、避妊具の箱からうすっぺらい紙を取り出して懸命に眺めている。
 総一郎の視線に気がつくと、くちびるを軽く歪めてひらひらとその紙を振ってみせた。
「5.射精後は、すみやかにコンドームを抑えながら、ゆっくりと膣外へ抜き出してください。
 6.使用したコンドームは水洗トイレに流さず、各自治体の処分方法に従ってください……だ、そうだ」
 朗々と読み上げないで欲しい。
 余韻、とか、そういうのを楽しもうという気がこのひとにはないんだろうか。
「事前に読んだか?」
「…………ちゃんと読みました」
「うむ、偉いな」

 家に帰るまでが遠足です。
 片づけまでが実験です。
 後始末までがセックスです。

 どうでもいい標語が浮かんできた。どこに応募しろと言うのだ。
「で、自治体に従うとどうなるんですか?」
「さぁ、どうだろう。精液は体液だから可燃で間違いないはずだが、問題はゴムの成分だな。今度燃焼実験を」
「しません」
「…………そうだな、さすがにそれは、マズい」
 口を縛ってティッシュにくるんだそれを、ぽいとゴミ箱へとほおり捨てて茜に覆いかぶさった。
 まだ余韻を残してうっすらと火照った肌が触れ合って、気持ちいい。

「シャワーは? このまま眠るか?」
「うん、ごめん、眠い、です。センセイは? 眠くない?」
「かなり眠い。明日は絶対に起きられない」
「いいじゃん、休みだし……」
 寝間着に手を伸ばした茜を、ぎゅっと腕の中に抱き込んだ。
「気持ちいいから、もうちょっとこのまま」
「寝てしまうぞ?」
「俺、湯たんぽだから大丈夫……」
 言いながらうとうととしてきた。

 すごく気持ちよかった、とか、朝起きたら約束どおりコーヒー入れさせて、とか、前よりももっともっとセンセイが好きで仕方ない、とか。
 話したいことはたくさんあるのに、どんどんとまぶたが重くなって逆らえない。
 起きたら話そう、と心に決めて、なんとか掛け布団を引き寄せる。

「あ、も一回だけ、キスさせて……」
「おやすみのキスか」
「そう、それ」
 くすぐったそうに笑った茜のくちびるに軽く触れて、舌を差し入れようとした矢先に睡魔に襲われた。

 充足と、安心と、ぬくもりとを感じながら、気だるい心地よさのなか眠りへと落ちていった。


*

 二度目に目が覚めたら当然朝だった。ちらりと時計を見やる。
 茜が起きるまで、たぶんあと30分。いい時間だ。
 夜中に寒気を覚えて起きた時のことを思い出す。
 これ着よう、と言って差し出した寝間着を、眠りながら羽織った茜はさすがだとひっそり笑った。
 羽織るだけ羽織って、ボタンをたった一つだけ止めてまた寝てしまった。
 相変わらずそれ以外が外れているのがなんだか可笑しい。
 以前弟によくそうしてやったように、昨夜両手で外したそれをまた丁寧に嵌めていく。

 ほんとうに、時々子供みたいだ。
 だけどそれが嬉しい。必要とされているような気がする。
 もっと無防備になってほしい。
 昨夜身体を預けてくれたように。

 寝顔を見つめながら15分程まどろんで、そっと布団を抜け出す。
 いつか望んだ夜明けのコーヒーを入れる日が、やっと来た。
 幸せだ。
 
 電気ケトルで湯を沸かす。
 豆は冷凍庫、フィルタは引出しの二番目、ドリッパとサーバは食器棚。
 ちゃんと覚えた。
 豆はスプーン2杯、フィルタをドリッパに密着させるように少し湯を注いで蒸らす。
「ろ紙とろう斗をそうするように」
 茜がそう教えてくれた。
 家でも実験しているような気になる。
 ああ、コーヒーの抽出は実験に似ているかもしれない。
 だから茜はコーヒーを入れる役目を、なかなか譲ってくれないのか。

 温めたお揃いのマグカップに、湯気のたつコーヒーを注いで、部屋へと戻る。
 ベッドの上で、コーヒーの香りに誘われた茜が極限にぼんやりとした顔をで身体を起こしていた。
「センセイ、おはよう」
「……おはよう…………」
 あくび混じりの声で、目を閉じてしまいそうになりながら答える。
「コーヒー、飲む?」
「ん、ありがとう……」
 ベッドから這い出した茜にマグを手渡す。
 やはり、あつ、と言いながらそのまま啜った。

 熱いコーヒーは、茜の体温を確かに上げてくれたようで、定まらなかった焦点が徐々に普段の色を取り戻し始める。

 目が覚めたような彼女に、今日はどうする、と聞いたら、意外にも買い物に付き合ってほしい、と言われた。
 物欲がなさそうな茜が食べ物以外の何かを買うところなんて、滅多に見ない。
「なに買うの?」
「コーヒーメーカ」
「なんで? ドリッパあるじゃん」
「…………二人分なら、あったほうが楽かと思って。その、君がたまに淹れてくれるのなら」
 ずっと考えていたんだと茜が柔らかく笑う。

 確かなものを受け取った気がした。
 最高の誕生日プレゼントだ。

 たまにではなく、本当は毎日でも淹れてあげたい、と思った。
 だけど今は無理だ。
 18程度ではまだ子供だ。
 昨日までは18になってしまえば、と考えていたのに、実際になってみれば
どうしてあと5年早く、いやせめて3年早く生まれてこなかったのかと歯がゆくなる。

 早く大人になりたい、と、泣きそうな幸せの中でそれだけが切なく残った。
 


 その日二人で選んだ白いコーヒーメーカは、ずいぶんと長い間活躍をすることになるが、
それはまだ、誰も知らない、未来の話。








2007/11
最終更新:2008年12月31日 15:52