出来るだけ航と二人っきりにならないように注意を払っていたのだ。
だって二人になると、挙動不審になってしまうから。
そんな自分を見られたくないから。
そして、そんな態度をとり続けていたら、いつかばれてしまうと怯えているから。
「あの、ちょっとお話が」
そう言われて、ダイニングの椅子に腰を下ろしたけれど落ち着かない。
ちらちらと航の顔を窺いつつその話とやらが始まるのを待った。
時計の音がやけに大きくダイニングに響く。
たっぷり3分後に、航が意を決したように話し出す。
「あの、修の事、どう、思ってます?」
「どう、とは?」
「いや、なんていうか、どういう人間だと思ってるのかな、と」
「修さん……は、ちょっと困ったところも多いけど、
 仕事に一生懸命で、すごい人だと、思っています」
「じゃあ、陽は?」
「えっと……何考えてるかわかんなくて可愛げないなーと思うけど、
 家族思いで、あ、たまには可愛いところもあったりして」
ああ、もう何言ってるか全然判らない。
どうして航は、こんなこと急に聞くんだろう。
なんで急に個人面談みたいな事が始まったんだろう。
「そう、そうなんですよ。
 あいつら好き嫌いが激しいからちょっと心配してたんですけど、あなたには話しやすいみたいで。
 我侭が過ぎている部分もあるんですが、
 なんだかんだで心開いている証拠というか、なんというか……」
「……は、はぁ」
「えー、じゃあ智は……?」
「智さん?」
「最近、仲、いいみたいだから……」
仲がいい? 
誰と誰が?
話の流れから行くと、智と自分?
そんなことあるはずない。
でも、航と二人っきりにならないようにしてると、ついつい智と一緒になる事が多いかもしれない。
だって智は意地悪は言うけれど、修のように無理難題を吹っかけたりしない。
陽と二人きりになるのは航とそうなるより息苦しい。
それに、一生懸命働いている三人を、智と二人でサポートするのは楽しい、と最近気がついた。
だから智と過ごす時間が増えているかもしれない。
もちろん、自覚も特別な意味もない。
それを、誤解されてる?
でもなんでそんなことを気にするんだろう?
返答に困るような質問をしないで欲しい。
そんなこと聞くのだったら、いっそ「僕の事は」って聞いてくれればいいのに。
いまなら勢いで「好き」って言えそうなのに。
頭のてっぺんから指の先まですごく熱い。
顔はきっとトマトよりも真っ赤になってる。
思わず両手で頬を包むと、予想通り熱を持っていた。
きっと今の体温は40度だ。
「なんで、そんなこと聞くんですか……っ」
「それは、」
もうこれ以上は耐えられない。
航の返事を聞かず、勢いよく立ち上がってキッチンに逃げようとしたら、脱げかけたスリッパが足に絡まり派手に転んだ。
黒いカウンターにまるでコメディのように頭から突っ込んで、額をしたたかに打ちつけた。
「……い、ったぁ……」
「だ、大丈夫ですか?」
慌てて航が駆け寄ってくる。
今近寄られたら、年甲斐もなくばくばくと高鳴る心臓の音を聞かれてしまう。
大丈夫です、と叫んで立ち上がったら、大理石で出来たカウンターの天板にまた思いっきり脳天をぶつけた。
今度は痛みの余り声も出ない。
頭を抱えて座り込んだ。
「あの……」
いつの間にか航が隣にしゃがみこんでいる。
恥ずかしい。
恥ずかしすぎる。
早く逃げたい。
「だ、大丈夫です」
「すごく、いい音がしましたけど」
「そうですか、」
「失礼」
ふわりと航の手が伸びて、夏世の頭をそっと撫でた。
まるで大事なものを扱うようにゆっくり、ゆっくり丁寧に撫でられて、ますます身体が熱くなる。
「たんこぶ」
航が楽しそうに笑う。
「……できてます?」
「ええ、大きなのが。……ここも、赤くなってる」
前髪をなで上げられて、顔を覗き込まれた。
眩暈がする。
なに、これ何の拷問?
今「好きです」って言ったらこの拷問から逃れられるだろうか?
いやダメだ、それじゃ蟻地獄だ。
「痛い?」
「だだ大丈夫! 舐めときゃ治ります!!」
「……どうやって?」
「あっ」
またベタな問答をしたもんだ。
己を恨んだところで、航の顔が近づいて、やわらかいくちびるが額に触れた。
ちゅ、と軽い音がして航が離れる。
――いいい、今の何!? 白昼夢!?
「航、さんっ、あの、私、」
もうダメだ。
言うか逃げるかしか道はない。
そして後者は、出来そうにない。
いつの間にか航の腕に抱きこまれているのだから。
突き飛ばす事なんて出来ない。
「私、わたし……っ」
今なら高血圧で死ねそうだ。
でも死ぬわけには行かない。
言うだけ、「す」と「き」の文字を勢いで言うだけだ、頑張れ自分!!
「航さんが、」
ピーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!
キッチンで笛吹きケトルがけたたましく鳴った。
驚いて航を突き飛ばす。
さっき、「そんなこと出来ない」と考えた事実はなかった事になった。
キッチンへダッシュしてガスのスイッチを切った。
ケトルを恨みがましい目で見つめるが、彼は悪くない。
己の仕事をまっとうしただけだ。
「お茶を! 淹れます! 何がいいですか!」
気恥ずかしさを隠すために絶叫した。

*

「コーヒーを」
声音だけはどうにか冷静を保てた。
今、顔を見られたらとんでもなく恥ずかしい。
手のひらに大量の汗をかいている。
緊張した。
勢いとはいえ、彼女に触れて、抱きしめて、額に、キ、キスを。
額で、良かったのか悪かったのか。
「あぁ」
声が漏れた。
――なんで、そんなこと聞くんですか……っ
顔を真っ赤にして、涙目でそう尋ねた彼女を思い出す。
顰蹙を承知で言うが、可愛かった。
もう一度脳内のフィルムを巻き戻して再生する。
――なんで、そんなこと……
「なんでって」
それは、君が逃げてしまったから言えなかったけど、多分、
「嫉妬、してるから、かな…………」
その呟きは、誰にも届くことはなく掻き消えた。


はずだった。

*

「どう?」
「……………………………………………………」
どう、と言われても。
見られていたのだ。
陽に一部始終見られていたのだ。
今すぐここから逃げたくなった。
「この、名前は、」
「まだ決まってないから仮名」
「この、キャラクターは」
「現代ものを書くに当たって、身近な人を参考にすればとのあなたのアドバイスにしたがってみたけど?」
「…………そう、ですか。この、ヒロインの心理描写は?」
「想像。その感想も聞きたいんだけど」
大変よく出来てると思います。
まるで心が読めるかのよう。
「智さんは、ご覧になりました?」
「見たよ。みんなで一応ミーティングするから」
「何て言ってた?」
「これぞ少女漫画だ、って」
「修さんは?」
「すばらし~い、ってさ」
「航、さんは?」
「………………面白かった」
何が、どう、面白かったのか詳細に説明してもらいたい。
でも自分はそんなこと言える立場じゃないのだ。
「口止め料、もらうからね」
何か言う前に、前髪を陽が乱暴に払って額にくちびるを落とす。
ごちんと音がしそうな勢いでくちびるがぶつかって、すぐに離れた。
「うーん、こんなのが楽しいんだ……やっぱりよく判んないや。
 それ、ちゃんと見ておいてよね」
言い放ってさっさと陽はどこかへ言ってしまう。
「セクハラっ」
はっとして叫んだが彼は知らんぷりだ。
ため息をついて、手元のシナリオ原稿をまじまじと見返す。
この主人公は中学生。
自分は中学生並みの恋愛偏差値らしい。
いやいや、最近の中学生は進んでますよねー、って彼に話しかけたらいいのだろうか。
だめだ、口実になんてならない。
このシナリオのおかげでますます航の顔が見られない。
でも最後の「嫉妬してるから」の意味が知りたい。
知りたいけど、航と二人っきりになるのは心臓に悪いから、とても聞けない。

編集長、編集長。
私が、月刊チャーミー用新連載のために払ったダメージは計り知れないです。
せめて、せめて特別ボーナスでもいただけないでしょうか…………!!

心の絶叫は誰にも届くことはなく。
ギクシャクとした関係を当分続けようと覚悟をきめた彼女の未来に幸多かれ。









++でこちゅう++
070224
最終更新:2008年12月31日 15:33