「野梨子の男嫌いは重症ですね」

「だから何ですの、清四郎」
 つん、と顔をそむけ、毅然と置かれた碁石は確かに清四郎を追いつめた。
 そんな彼女に苦笑を向けながら、黒石を指の間に挟み、ふむ、と漏らす。
「白鹿流を継ぐ身のあなたを心配しているんです」
「大きなお世話」
「一度男と付き合ってみればいい。案外悪くないかもしれませんよ」
「清四郎まで、美童みたいなこと言うんですのね」
「可憐のようになれとは言わないけどね」
「……まだ、続けますの?」
 ぱちん、とよどみなく置かれる碁石は、明らかに白石の優勢だ。これ以上続けても形勢の逆転は有り得ない。
 清四郎ならもっと早く気がつくはずなのに。
「いいえ。参りました」
「珍しいですわね。なにか、考えごと?」
 那智黒の石を丁寧に一つつまみあげて、清四郎の顔を見ないまま片手で弄ぶ。ひんやりとした滑らかな石が、小春日和に心地いい。
「幼馴染どのの、将来をね」
 ば、と顔をあげると、意地悪く口元を歪めた清四郎の、端正な顔がそこにある。
 こんな会話を幾度繰り返したか、数えるのも馬鹿らしい。
 清四郎なら嫌味ったらしく32回、と言うかもしれない。
 いつも清四郎が野梨子を怒らせて、会話が終わるのに彼は何度も同じ話題を口にする。
 野梨子が誰とも付き合わないほんとうの理由を、清四郎はきっと知っているはずなのに。

「……わたくし、男に生まれたかったわ」
「男でも、結婚をしないと社会的に認められないのは同じだよ」
「あら、男なら、お飾りの邪魔にならない女性をそばに置いておけばいいでしょう?」
「じゃあ野梨子も、お飾りの男性をそばに置いおくといい」
「わたくし、清四郎とは違いますもの」
 細い指先で黒石をどけて、白い石のみを丁寧に集める。淡い牡丹雪のようなそれを。
 意地悪な清四郎など、雪のように消えてしまえばいいと思った。
 昔はもっと優しかった。ほかの誰よりも野梨子を大事にしていた。
 誰かの処へ行けなどと、絶対に言わなかった。
 いつの間にかできていた高い壁の中に、自分はいたはずなのに、気がついたら外側にいた。
 悠理や魅録たちと、同じ場所に。

 清四郎の手が伸びてきた。空手のせいで筋張ってはいるが、細くて長くて、神経質で完璧主義な彼の性格をきちんと表している。きれいな手だ。
 野梨子はこの手が好きだった。
 那智黒の、素晴らしい光沢の碁石を集める様子を見ようと、一瞬ぼんやりとした。
 その手は碁石に触れずに、野梨子の細い手首を握った。
「心外だな。野梨子にそんな風に言われるなんて」
「あら、だってほんとうでしょう? 手を、放してくださらない?」
「野梨子は男嫌いなのに、僕は殴らないんですね」
「……清四郎は、兄妹のようなものですもの。それに、魅録も美童も、殴りませんわよ?」
「兄妹、ね」
 顔を見上げる。清四郎が碁盤に手を添えて、床を滑らした。す、と薄い音がした。
 こんな所作まで清四郎は完璧だ。悠理のような大きな音を、決して立てない。
「清四郎?」
 言い切る前に腕を引かれた。
 ぐらり、と上体が揺れて、清四郎の胸に倒れこむ。
 身体を離す前に、彼の腕が背中に回る。肺いっぱいに、懐かしい、清四郎の香りが入り込んだ。
「いつまでも兄妹でなんて、いられませんよ」
 知っていると思うけれど。低い清四郎の声が耳元で響く。くすぐったい。

 ――野梨子はブラコンなのよ。
 いつか可憐にそう言われた。
 ――清四郎よりいい男じゃないとだめなのね。でもあいつより完璧な男なんて、いるはずないじゃない。
 現実を見なさいよ、と友人は呆れたように言い放った。その時も大きなお世話、と自分は顔を背けた。現実から、顔を背けた。

 ――清四郎は、野梨子じゃだめなんだよな。
 美童がそう言った。
 ――もっと、ずるいひとじゃないと。それかもっと馬鹿。悠理みたいな。
 自分は充分ずるい人間だと思っていた。清四郎の隣にいていいぐらい。
 魅録はちょっと同情するような眼で野梨子を見ていた。そんな眼はいやだ。
 悠理はばかで悪かったな、と美童に喰いついていた。悠理はやっぱり馬鹿だ。反論すべきはそこじゃない。


「…………清四郎?」
 顔を上げる。清四郎の長いまつげが目に入る。知的で無機質なその顔が、誰か知らないひとのような気がして、ぞわりと背筋が冷えた。
「放して、くださらない?」
 精一杯の毅然とした声は、だけど語尾がかすかに震えた。
 いやだ、と背けた顎を掴まれて、彼のくちびるがそっと重なった。
 驚いて見開いた両眼に、閉じた瞼が写りこむ。
 くちびるを軽く噛まれた。
 びくりと震えた肩を、清四郎がますます強く抱いた。
 何か言わなくては、と薄く開いたくちびるの隙間から、熱くぬめるものが侵入を果たす。
 舌だ、と理解した瞬間には、自分のそれにねっとりと絡んでいた。
 腰がぞわぞわする。
 身体が震える。
 逃れようと身を捩っても、清四郎に適うはずなんてない。
 知っていても、重なったくちびるが息苦しくて呼吸を求めて顔を振る。
 意外にもあっさりと、清四郎の顔が離れた。
「なに、なさるの……」
 くちびるから漏れる荒い呼吸が我ながらはしたない。頭の隅でそんなことを思った。
「女の悦び、というものが、あると思いますよ」

 何を言われたのかとっさに理解できなかった。
 両眼を見開いた。
 背に腕をからませたまま、器用に清四郎は野梨子の細い体を畳の上に押し倒す。
「せ、清四郎……、んっ」
 またくちびるが重なった。
 驚いて震わせた肩を、白いほほを、濡羽色の髪を、あつい額を、小さな耳を、清四郎の固い指がそっと撫でる。
 まるで、愛しくて仕方がない、とでもいうように、そっと。
 絡めた舌を強く吸われて、意識が溶けた。
 身体中から力が抜けていく。
 溶かされていく。

 気が付いてしまう。
 ずっと、ずっと、清四郎にこうされたくて仕方がなかった自分に。
 浅ましいその欲望を否定して、男になんて興味がないと振舞わないと、清四郎に縋りついてしまいそうだった。
 飲み下せなかった唾液が、顎を伝った。

 惜しむようにくちびるが離れる。
 ほう、と深い息をついて、うっすらと清四郎を見上げる。
 彼はいつもの鉄面皮を保っていた。
 彼の息は乱れてもいなかった。
 彼の眼は、愛しいものを見る目ではなかった。
 
 眉根をきつく寄せて、顔を背けた。
 こんな清四郎は知らない。
「いや、いやですわ……冗談も大概になさいませ……」
 相変わらず震える声に、清四郎が嘲笑するように息を吐いた。
「一度男を知ってから嫌いだと言うべきなんだ」
 くちびるが、耳朶を噛んだ。
 ぴちゃり、と水音が脳内に響いた。あ、と信じられないほど高い声が己の口から洩れた。
「いや……っ」
「本当に嫌なら、」
 低い声が、直接脳髄を刺激する。
 もっと聞いていたい。だけど続きは聞きたくない。
「ちゃんと逃げればいい。野梨子の平手は結構効きます」
 のけ反ったくびすじに、ほとんど噛みつくように清四郎がくちづけた。
 ぺろりと舐めあげられて、野梨子の長いまつげが震えた。
 吐息が揺れる。みっともなく、清四郎を欲しがっている。
 いつの間にか制服の裾から入り込んだあの手が、野梨子の大きさの足りない乳房を下着の上から揉んでいる。
「清四郎、清四郎……!」
「なに?」
「やめて、こんなところで……誰か、来ますわ」
「……こんなところじゃなかったら、いいんですか?」
 じっと見下ろされて、言葉を失った。
 その通りだ。確かに身体は清四郎を欲しがっている。
 3度、瞬きを繰り返した清四郎のくちびるが、再び近づいてくる。
 恐る恐る、目を閉て、従順に受け入れた。
 ぷちんと軽い音がした。
 制服のボタンが外された音だ。
 デザイン性の飛んだ複雑な形の制服を脱がす術を、清四郎は知っている。
 前がはだけられた。
 下着姿の薄い身体が、午後の柔らかなの陽ざしの中にあらわになる。
 恥ずかしさに背けたほほを、清四郎のくちびるがかすめた。
 下着のホックが外された。
 肩ひもが腕を滑る。
 くすぐったくて肩がすくんだ。
 剥き出しになった二つの蕾が、自分でもわかるほどつんと立ち上がってますます羞恥を強くする。
 目を細めた清四郎が、片方を指の先でつまんで、もう片方を口に含んだ。
「んんっ! あっ、いや、ん!」
 自分がこんなにねだるような甘い声が出せるなんて、知らなかった。
 ぞわぞわする。
 清四郎の手が動くたびに、身体の奥から信じられない熱が沸いてきて野梨子をむしばむ。
 清四郎、とうわごとのように高く繰り返した。

 清四郎の手が、太ももをなでる。
 内側に触れられるとくすぐったくて、思わず閉じた膝を強い力でぐいと開かされた。
 下着の上から、敏感な秘部に触れられて背筋が反れる。
「あっ、そんなところ……!」
「大丈夫、力を抜いて」
 それはとても無理だ。
 子供のように首を左右に振って、清四郎の制服の胸を握る。
 まだ彼は脱いでもいないのだと目を見開く。
 自分はこんなにも乱されているのに。
 野梨子の視線に気がついたような清四郎が、くちびるの端を少し歪めて襟元に指を延ばした。
 優雅な手つきで上着とシャツを脱ぎ捨てる。
 そんなものにも野梨子は見とれた。
 鍛え上げた裸の肌が、野梨子の胸に触れた。
 気持ちいい。
 人肌とはこんなにも心地いいものだったのか。知らなかった。
 くちびるを突き出してキスをねだる。
 きちんと重ねられて、また身体が熱くなる。
 下着の中に入り込んだ清四郎の指が、性器に触れた。
 ますますびくびくと全身が震えた。
「ちゃんと、濡れてますよ」
 言葉の意味は判らなかったが、揶揄をするようなニュアンスから恥ずかしいことなのだと思った。
 くちゃり、と湿った音が響いた。
「あっ」
 腰が揺れた。
 逃げるようにも誘うようにも見える。
 どうしていいか判らないでいるうちに、あっという間にスカートと下着も脱がされた。
「せ、清四郎……わたくし、あ、いや……」
 固い指を秘壺に差し入れられて、痛みに顔が歪んだ。
 痛い、と言いかけてくちびるを引き結んだ。屈伏するのは嫌だった。
 入口を抜き差しされるたびに痛みは軽減し、くちを塞いでいた拳はいつの間にか清四郎の肩に取りすがっていた。
 ねちゃ、という粘っこい音が耳に五月蠅い。もっと五月蠅いのは自分の声だ。
 訳が判らなくてもういやだ、と言葉にしかけた瞬間に、その指は引き抜かれた。
 茫然と天井を見つめる。
 荒い息が整わない。
 かちゃ、という金属音と、ファスナを下げる音が遠くで響いたが、身体が動かなかった。
 膝裏をぐいと抱えあげられて初めて、全身がこわばる。
 熱い塊が直接触れられて、身を捩る。
 だけど無情にもそれはずぶりと野梨子の細い身体を貫いた。
「きゃあっ、いた、い……っ!」
 ついに悲鳴が漏れた口を、清四郎が塞いだ。
 力、もっと抜いて。吐息のかかる距離でそう言われても、身体が思うようにならずにただ首を振る。
「やめて、やっ、……いやっ!」
 野梨子の拒否など気にも留めず、清四郎は律動を開始する。

 清四郎はもっと優しかったはずだ。
 野梨子を傷つけたり、怖がらせたりなど絶対にしなかった。
 いつの間に、変わってしまったのだろう。
 彼も、自分も。

 ぱん、と身体がぶつかるたびに、抱えあげられた肉の薄い足が人形のように揺れる。
 中途半端に残された黒いくつしたが、白い肌に妙にくっきりと浮かんでいた。


*

 清四郎の髪が乱れている。
 いつも完璧に撫でつけているのに、珍しいことだ。
 ぐったりと全身から力を抜いて、その顔から眼をそらした。
 身体が痛い。
 息が苦しい。
 胸が苦しい。
「野梨子」
 呼ばれたが振り向かず、ぼんやりと窓の外を眺めた。
 溜息を洩らした清四郎が、唐突に顎を掴んでくちびるを重ねる。
 生ぬるい液体を流し込まれて、半分は顎を伝ったが半分は思わず飲み込んだ。喉を、液体と一緒に個体も通過する。
 げほ、と苦しげに咳き込んだ野梨子に、清四郎は鉄面皮に申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「……何ですの?」
「アフターピル。避妊薬です」
 眉根を寄せた野梨子の額を、清四郎が優しく撫でて顔を覗き込む。
 判らない。
 清四郎が判らない。誰よりもよく知っていたはずなのに。
「…………嫌いですわ」
 掠れた声を絞り出す。
 清四郎が眉をあげた。
 兄妹や、幼馴染という関係を、彼は壊したかったのだと何となく理解はしている。
 このままでは二人とも、前にも後ろにも進めない。
 でも理解はしても、とてもとても受け入れられない。

「嫌い。男なんて」
 知っている。嫌いなのは男じゃなくて清四郎以外の男だ。
 彼だけはずっと自分を守ってくれると信じていた。

「……野梨子の男嫌いは、ほんとうに重症ですね」

「こんな酷いことをされて。一生治りませんわよ」
 覚悟なさって、とくちびるを寄せた。
 それを受け入れた清四郎の真意がどこにあるのか、男を知ろうとしない野梨子には判らない。








++ふたたびに とらわれる++
2007/10/21
最終更新:2008年12月31日 15:41