穏やかなグリーンの香りを含んだ風が、晃彦の頬を撫でて黒く染めなおした髪が揺れた。
真新しいスーツ。真新しい革靴、真新しい鞄。しなれないネクタイ、着慣れないワイシャツ。それだけでもう窮屈だったのに、今日から始まる仕事に対する情熱や期待、なんてものはあまり持っていなかったおかげで、ホームに滑り込んできた電車の混雑具合にげんなりした。げんなりしたが乗らないわけには行かない。ホームにいる人間をちらりと確認して、こんなにひとが乗れるのかと不思議に思うが、降りるべき人間と乗るべき人間が入れ替われば不思議と電車の中にすべて収まってしまう。車内は、満員というほどすし詰めでもなく、隣に立つ女性と肩が触れるか触れないか、という程度だ。これなら携帯電話の操作も可能だし、本も読めるだろう。
通勤の暇つぶしは音楽一辺倒にならずにすみそうだ、と電話を取り出す。陽菜子にメールを送って、ついでにゲームを起動させる。
目の前の女がちいさく、あ、と言った。
顔を上げると、扉のふちに半身を預けた女が、携帯ゲームの画面に真剣に見入っていた。白い本体を握り締めて、白いペンをくちもとに当てて、いっそ悲愴とも言えそうに眉根を寄せていた。ひょいと画面を覗き込むと無情にも「GAME Over」の文字が瞬いている。たかがゲームでそんなに必死にならなくてもいいのに。
大人のクセにと、ちらりと顔を除き見る。女の年齢なんて確信は持てないが、たぶん
30ぐらい。セミロングの茶色い髪、ブルーのブラウス、ベージュのスプリングコート。目の下のくまが白い肌にちょっと目立つ。疲れていそうなひとだ、と晃彦は思った。
彼女はため息を一つつくと、面倒そうにゲームを再開させた。
何故か彼女のゲームを覗くのが日課になった。ゲームに慣れていないようで、なぜそんな、と疑問に抱くような行動をよくする。まずはメッセージをやたらじっくり読む。3回ぐらい読む。「ようこそ、小さな村へ! 遠いところよくいらっしゃいました」なんてメッセージも3回読んで、神妙に頷く。「次はあっちの村へ行こう」なんて説明も3回読む。もういいから次に進めてくれ、と晃彦がこっそり思っても、彼女は理解が追いつかないようだ。それによく全滅をする。戦闘中にアイテムを使わないせいだ。このゲームはシリーズの1作目しかやったことがないけれど、大体システムは似たり寄ったりのはずだ。そして、女の子の主人公「ショーコ」は絶対に逃げない。その姿勢は素晴らしいが、どうしてものっぴきならなくなったら逃げる選択も必要なのだ。人生においても、同じのはずだ。
1週間と3日後、とうとう声をかけてしまった。今にも死にそうになりながら健気にアタックを続けるモンスターが、可哀想になったからだ。
「アイテム選択して、傷薬、もってるでしょ?」
彼女は驚いたようにこちらを見上げた。丸い目がぱちくりと瞬いている。今日はくまがちょっと薄い、と晃彦は思った。
「使う、をこいつに選択」
頷いて、大慌てで指示に従う。瀕死のモンスターは見事回復を果たした。次は攻撃。その一撃で戦闘に勝利。レベルアップだ、おめでとう。
「……ちゃんと回復させてやらないと」
「戦闘中は、使えないと思ってたの」
小声で彼女が応えた。予想よりも低い声だった。ボリュームを絞っているせいかもしれない。ついでに逃走も出来ますよ、と教えるとまたびっくりしていた。
お金がなかなかたまらないの、と聞かれた質問に、たぶんと付け加えながら簡単に答える。
「家に帰ればお母さんが回復してくれるはずです。序盤は回復アイテムに金かけちゃだめだと思う」
お母さんがキズを治してくれる。このフレーズが思いのほか気に入った。母親とは素晴らしい。
「ありがとう、助かったわ」
「説明書、読みました?」
「ああ、そっか。読んでない。あんまり興味がないから覚えられないし」
「興味ないならなんで?」
「これ、二つセットで出たでしょ? 娘がどうしてもこっちをやれってうるさいから、仕方なく」
子持ちなのか、と驚いた。このひとはさっき偉大だと思った、母親なのか。
会えばおはようと笑いかけ、帰りもたまに一緒になれば意味もなく嬉しかった。この後どこに行けばいいの? と画面を差し出しながら聞かれたときのために、攻略情報を読みふけったりもした。
仕事は右も左も判らずちっとも面白くはなかったけどこんなものかと思っていたし、陽菜子との付き合いもマンネリなりに順調だった。日常とは、こんなもんだ。
「お願いがあるんだけど」
神妙に切り出すから何かと思えば、夕食に付き合って欲しい、と言われた。ちょっとどうしようか悩んでいると、いつも二人が降りる駅でショーコは立ち食いそばを指差して「一人で入れないから」と小さい声で言った。いいよと笑うと、ショーコははにかんだような笑顔を見せた。不覚にも見とれた。
ずっと食べてみたかった、という立ち食いそばにショーコは満足したようである。別にたいした味ではないと思うのだけど、この雰囲気が気に入ったらしい。また付き合ってくれる? と可愛いことを言われた。いいよ、とまた笑った。
でも二度と行かなかった。
ショーコはバツイチであるらしい。子供はナツミちゃんで、ショーコが働いている間は実家の両親に見てもらっている。何で別れたの、と口を滑らせてからしまった、と思った。ショーコは曖昧に微笑んで、いろいろ、とだけ言った。
ショーコは年齢不詳だ。何故か絶対に教えてくれない。何回聞いても、永遠のハタチ、などと言う。別に知ったからどうというわけでもないが、教えてもらえないと余計に気になる。ピンクレディー世代? と聞いたら嫌そうな顔をされた。
ショーコは大人のくせに、思春期のように純情だ。初めてキスをしたときに思った。前触れもなく紅の落ちたくちびるにかさかさのくちびるを重ねたら、顔を真っ赤にして固まってしまった。カマトトを通り越して、いっそすがすがしい。
ショーコは子持ちのくせに、処女みたいだった。ホテルに行こうと誘ったらいいよと言って付いてきたくせに、いざキスをすると急にぶるぶると震えだした。陽菜子も処女だったが、ここまでは緊張してなかった。つられてこっちまで緊張して、まるで童貞に戻ったかのようにぎこちなくショーコの柔らかい身体を抱きしめた。
「あの……やっぱり、」
何か言いかけたくちをさっさと塞いだ。柔らかいくちびるを食んで、舌を差し入れて、歯列をなぞって、口蓋をつついて、唾液を絡ませて。処女のようなショーコをびっくりさせないように丁寧に丁寧にキスをする。陽菜子ともこんなキスをしない。
ぼうっとなってしまったショーコをベッドに押し倒して、服の上から胸を揉んだ。晃彦の好みの大きさには、全然足りなかった。服を脱がせてどこを触っても、ショーコが感じている様子はなくてイライラした。乳首とか、性器とか、敏感な場所に触れるとびくりと身体を震わせるが、なかなか濡れては来なかった。例えばこれが陽菜子だったら、やめる、と聞くこともしただろう。だけど今日は、何が何でも射精してやる、と譲れなかった。ショーコには気を使う必要が感じられなかった。
くちびるを滑らせて、少したるんだ下腹を吸った。いやだ、と捩ろうとした身体を開かせて、足の付け根に強引に口付けて、そのまま性器に吸い付いた。
「なにっ」
泣きそうな声が聞こえた。押さえつけた身体が、凄い力で逃げようともがく。抑えていられなくなって、とうとうその身体を手放した。
「なに、なんでそんなことするの?」
半分泣きながら、ショーコが上体を起こした。結婚していたくせにそれはないだろう、とまじまじと彼女を見つめた。
「……なに?」
「舐められたことないの?」
「な、ないよ」
「ヘンなの」
「ヘンかな?」
「ヘンだよ。みんなやってるのに」
うそつきを見る目でショーコがこっちを見ていた。
「ほんとだって。いやだったらやめるから、ちょっと試してみない?」
ものすごくたっぷり悩んだあと小さく頷いたので、押し倒して腰を引き寄せた。がちがちに力が入って固まった両足を何とか開かせて、唾液で湿らせた指を這わせた。
「……んっ」
ぴくり、と腰が揺れた。
「力、抜いて」
「んー……むり、だめだめ、やっぱり恥ずかしい」
「大丈夫だって」
言いながら再び茂みに顔を寄せる。ふう、と息を吹きかけてから、唾液をたっぷりと溜めて吸い付いた。高い声が、ショーコの口から漏れた。
「う、んん、やだ、やだぁ……」
泣きそうな声を出しながら、太ももの力がどんどん抜けていく。やっぱりショーコは処女ではない。快楽をちゃんと知っている。
ぴちゃぴちゃと、わざと音を立てて舐め上げた。ひくひくとそこが蠢いて、唾液と蜜が混じって濡れそぼった。ショーコは10代の女の子のような、甘えた声を出して腰を揺らした。
「入れるよ?」
ちゃんとゴムをつけて、ぐったりとしていたショーコのそこに先端をあてがう。ぴく、と力が入った膝の裏を抱え上げて、大きく開かせた。ショーコが泣きそうな顔で晃彦を見上げている。
「ショーコさん」
こんなこと言うつもりはなかった。
でも言わなくてはいけない気がして、うっかり口を滑らせた。
「好きだよ」
両目を見開いたショーコに進入すると、彼女はすぐにぎゅっと目を閉じた。晃彦の手の上の足をばたつかせて、逃れようと上半身をずり上げる。
「いたい…………っ、むり!」
「大丈夫だから。力抜いてよ」
「むりむり、痛い、いたいー!」
「大丈夫大丈夫、動くよ」
「あ、やだ、待って……っ、痛いってば」
ここからナツキちゃんを出したくせに何を言う、俺はそんなに巨根じゃないぞ。腰を揺らしながら意地悪くそう思った。
ショーコは処女でもないくせにずり上がって頭をぶつけて、処女でもないくせにシーツを血で汚した。晃彦よりもショーコの方が驚いていた。
「セカンドバージンってあるんだね」
自分で言っておいて、照れたように顔を俯かせた。
「興味本位で聞いていい?」
「なぁに?」
「何年ぶり?」
素直に指折り数を数えていたショーコが、ますます顔を赤くして俯いた。ね、教えてよとわき腹をつつくと大げさに身を捩った。
「…………十年」
「十年?」
「そうね、気がついたら十年も経ってるみたい」
これから十年間禁欲を強いられたら自分はどうなるのか。ふと考えて、想像もつかないとさっさと諦めた。
男と女の性欲は違うものだし。
「つけなくていいよ」
3度目のセックスのときにそう言われて仰天した。心底仰天した。安全日だから、とでも言うつもりか。大人のくせに、オギノ式や外出しは避妊じゃないと知らないのか。それとも妊娠をねらって、俺に責任を取らせるつもりか。あいにくそこまでの思い入れはない。ドン引きだ。
晃彦の表情を読んだショーコが、慌てて両手を振った。
「違うの、違う。ピルを飲み始めたから。私、子供はナツキだけでいいしもう産むの苦しい年だし」
「何で、急に、ピル?」
「その、ゴムが、ひりひりして痛いし、避妊も完璧じゃないでしょ? 子供が出来たら絶対に困る」
ふわん、ぼやん、とした印象とは反対に、意思の強い目だった。ほんとうにショーコは子供が要らないんだ。コンドームの避妊率は86%だったか。43回すれば1回は子供が出来る。はやしてショーコと43回もセックスするのか疑問だが。
「私、22のときに結婚したの」
「早いね」
「そうでしょ。どうしてもって結婚して欲しいって言われたのよ。でも二度と結婚なんてしない。子供もナツキ一人で手一杯」
何があったのか聞くべきかな、とふと思った。でも面倒はごめんだから口をつぐんだ。ほんとうにショーコは子供が出来たら困るらしい。利害は一致している。
じゃあ、まあ、遠慮なく、と膜なしで入り込んだショーコの中は、熱くぬめっていて、溶けそうだった。おお、これが男の夢の生で中出し。うっかりそんなことを思った。案の定いつもより盛大に早く射精した。
痛くなかった、とショーコはくすぐったそうに笑った。目じりのしわが、ちょっと気になった。
生っていいよなぁ、と痛感するものの、だからってショーコと会う頻度が上がるわけでもなく。第一ショーコには家庭がある。夫がいなくても家族がいる。土日には会えない、当然だ。平日の仕事帰りに、あわただしく身体を重ねるのが精一杯だ。せいぜい月に2度か3度ぐらい。それで充分だ。ナツキちゃんを放り出して晃彦と会うようなショーコだったら、たぶんセックスしなかった。陽菜子とは相変わらずマンネリなりに順調だ。
「なんでメールくれないの?」
ある朝、眠たそうな目でそう言われた。一段とくまがひどい。そういえば昨日、夕飯を食べているときに「ゲームクリアしたよ」とかいうメールが来ていたが、返事を忘れていた。ショーコにはしょっちゅうメールを送り忘れる。陽菜子への返信は欠かさないのに。やっぱりショーコさんのこと好きじゃないのかな、とふと思うことがある。だけど会って話せば楽しいし、セックスすれば気持ちいい。
ホームに滑り込んでくる電車を、ぼんやりと眺めながら口を滑らす。考えなくてもさらさら言葉が出てしまう。
「ごめん、メール苦手で。毎日会えるから俺は結構満足なんだけど」
それ以上詰め寄ってこないのは、年上としてのプライドか。若い愛人に、みっともなく取りすがる女にはなりたくない、とか考えていそうだ。人の感情を察するなんて、愚行でしかないが。
ショーコはめったに晃彦の顔を見ない。話しているときも、電車で身体が密着したときも、キスの直前も。繋がっているときに、ようやく薄目でちら、と晃彦を見上げる。
なんで、と聞いたら、恥ずかしいから、と返ってきた。
「だって、カッコいいんだもん。まっすぐ見られない」
今どき高校生でも言わないだろう陳腐なセリフは、でもショーコが口にするととても柔らかく響いた。カッコイイ、なんてストレートに言われたのは久しぶりだ。別に自分は特別カッコイイほうではないと自覚していたが、少なくともショーコの目にはカッコよく映っているのだと信じられた。
「好きな人の顔は、恥ずかしくて見られない」
好きだったらいつまでも見ていたいけどな、と思ったが口には出さなかった。陽菜子の顔はいつまでも見ていたいけど、ショーコはそうでないからだ。うっかりしみやしわの数を数えてしまう。濃いくまも、乾燥気味に粉を吹く肌も、陽菜子のものとはまるで違う。それらを悪いとは言わないし、嫌いではないし、むしろそこがいいと思うときさえもあるのだが、きっと理解は得られないだろう。
「縛ってみて欲しい」
下着姿でそう言われて、ぎょっと目を見開いた。今日の下着はスカイブルー。若作り感が否めない。だけどちょっと焼けた肌と、ふわふわのセミロングに、それはよく似合っていた。セックスをするためだけの部屋に似つかわしいショーコの下着。赤と青のレゴのような布団と、毒々しいピンクの照明がその下着に反射して、晃彦をやる気にさせる。
「どうしたの、急に」
「最近、勉強してるの」
「なんの?」
「セックス。縛られてる女の人をみて、いいなぁと思ったからやってみたい」
一体なにでお勉強をしたのだと、聞いてみたかったが怖いからやめた。いつの間にか箍が外れたショーコは奔放だった。最初の、あの処女のようなおびえ方をしていた彼女はもうどこにもいなかった。子供みたいに素直に、あれがしたいこれをして、とねだる。
陽菜子は絶対にそんなはしたないこと言わない。はしたなくなってくれていいのに。上手くいかないけど、こんなもんだろう。
「いいよ。前と後どっちで縛ればいいの?」
ブラジャーの肩ひもをするりと腕から抜きながら、耳元で尋ねる。後、とショーコが小さく言った。
「ネクタイで、縛って」
うん、そのセリフは股間に直球だ。AVみたいで大変よろしい。
ショーコは晃彦のスーツ姿が好きなんだそうだ。闘っている男って感じがする、甘ったるい声でそう言った。その大好きな戦闘服の象徴、ネクタイで縛れと懇願されて、異様に興奮した。
後ろに回って、重ねた両手にぐるぐるとネクタイを巻きつける。
「痛くない?」
「うん」
そのまま、くびすじを舐めた。ん、と高い声が上がった。肩から徐々に舌をおろして、肩甲骨と背骨にも舌を這わせた。ショーコは背中が感じるらしい。両の肩をすくめて、くすぐったそうに熱い吐息を洩らす。ふにふにの身体に絡めた手で、胸を揉む。柔らかくて気持ちいい。このふくらみは偉大だと、晃彦は思う。
「ね、なんか大きくなった?」
「そう?」
くすぐったそうに笑ったくちびるを塞いだ。ついでに、ウエストも大きくなった気がしたが、言わないでおくことにする。ショーコと言い争う気は全くない。会っている間だけ、もっと言えばセックスの間だけ判りあえたらいいのだ。
反対側の肩を舐めながら、つんと立ち上がった蕾をきゅっとつねった。
「んっ、んんっ……」
切なそうに漏れた声に興奮する。色づいたそれを、執拗に捏ねまわすと身をよじってショーコが嫌がる。
「ついでに目隠しもする?」
「しない。顔見えないと嫌だから」
どうせ目をつぶるくせに? と耳元で聞いた。吐息を敏感に受け止めたショーコがくちびるを尖らせた。
「見ないとの見れないのはぜんぜん違う」
そんなもんか、と口を塞ぎ、胸と同じぐらい柔らかい下腹を撫でる。重なったくちびるのしたで、ショーコがくすぐったそうに笑った。手を滑らせて下肢に触れる。ブルーの下着をするりと脱がす。これどう、とよく聞かれるが下着には興味ない。あるのはその下だけ。もっと言えば入れることだけ。
足を開いて。低く言えば、彼女はとても従順に立てた膝を開いた。ショーコは太ももの内側と、足の付け根が好きみたいだ。焦らすように執拗に撫で回す。
「…………んん、触って……」
「どこを?」
「いじわる……下の、気持ちいいところ」
「ここ?」
望みどおり茂みをかきわけて、どろりと蜜をあふれさす割れ目に指を添える。すごい濡れ方だ。引くぐらい濡れている。
「あっ……そ、そこっ」
「ふぅん、ここ気持ちいいんだ?」
どこの安っぽい官能小説だ。笑いを堪えて、恥骨をぐいと押しやった。押しただけでビクビクとショーコが身を震わせた。まだ動かさない。焦れたようにショーコが腰をくねらす。
「いや、ね、それいや……」
「気持ちいいんでしょ?」
「ちがうの、そうじゃなくて、」
こう、と言ったかと思うと、ショーコが、腰を上下に揺らし始める。最初はゆっくり、徐々にたまらない、というようにぐいぐいと。晃彦の指に、ぷっくりと膨らんだ尖りを押し付けるように快感をむさぼっている。
「……ん、あっ、んんんっ……そこ、そこぉ!」
まるで人の手を使ってオナニーしているようだ。たぶんいつもこうやって一人で慰めているんだろう。腰を時折右に回したり緩急をつけたり、なかなかのテクだ。入れているときもこうやってくれたらいいのに。
「あっ、もうだめ、だめ、指、入れてぇ……!」
お望みどおり、べたべたのそこに指を差し入れる。人差し指と中指を同時に。ぐちゃぐちゃとかき回してやると、いっそう高い声が耳につく。ちょっとうるさい。だけどこっちも夢中になる。早く、早くいっちまえ。気持ちいいんだろ、そんな我を忘れて、恥ずかしくないのか。
「いや、いやっ! ……ああっ!」
盛大に身体をのけぞらせて、ショーコは達してしまった。はぁはぁと熱い吐息が赤いくちびるから漏れる。ぐったりと晃彦に預けた背中が、じっとりと汗ばんでいる。
「ショーコさん」
「……なぁに?」
「俺のも舐めて」
「うん……」
のろのろと身体を持ち上げて、ショーコが身体を離した隙に自分の下着を下ろした。
ぴょん、と飛び出しす張り詰めたそれを、ショーコは愛おしそうに目を細めて見つめる。舌なめずりをした赤い口に、ぱくりと咥えられて腰がぞわりとする。
おいし。またどこで覚えてきたのかショーコはそんなことを言う。かがめたショーコの腰の腕に、縛られた両手首が乗っている。エロイ。これはエロイ。不自由な両手の代わりに口と舌を使って、懸命にショーコが晃彦に快感を与える。キモチイイ。一生懸命にされるとキモチイイ。このまま出してしまいたい。
ぐい、とショーコの肩を持ち上げた。
「ショーコさん、もういいよ」
「なんで? 気持ちよくない?」
「気持ちいい。出ちゃいそうだから」
「出して」
「やだよ」
「飲んでみたい」
何で勉強をしたのか想像つくような気がした。
「飲むモンじゃないよ」
「どうして? 飲んだことあるの?」
「ないけど。身体に悪そうじゃん」
優しいのね、とショーコが笑った。優しさとは少し違う。どうせ出すなら中がいいだけだ。せっかくの生なんだし。
優しいね、押し倒してまたそう言われて、晃彦は申し訳ない気分になる。なったけどショーコの中にぐいと押し入ったらどうでもよくなった。ぎゅぎゅうと晃彦を締め付けて、包み込んで、放さない。ショーコさん。呻くように名前を呼ぶ。
「キスして」
言われるままにくちびるを重ねる。身体をぶつける音と、ぐちゃぐちゃと卑猥な水音が、卑猥な空間に響いてさらにエロイ気分になる。
ショーコさん。
膝裏を抱え上げたり閉じたり開かせたりしながら腰を揺する。律動に合わせてショーコの口から悲鳴ともつかない息が漏れる。もっと、ショーコが強請る。血の気が差して真っ赤に染まったくちびるで、さっき晃彦を咥えたくちびるで、おそらく昔、誓いのキスをしたそのくちびるで、晃彦を欲しがる。
頭の真っ白にして夢中で腰を振って、どくんと自身が脈打った。ついでどくどくと痙攣をして精がショーコの中に吐き出されて広がっていく。気持ちいい。この瞬間は最高だ。
「彼女いるんでしょ? いいの?」
「………………いないよ」
判りやすい沈黙を挟んでしまったが、マナーだと思ってうそをついた。ショーコはじっと晃彦の胸の辺りを見つめたが、何も言わなかった。ほっとした。何で最高に気分がいい今に、そんな話をするんだろう。
第一すごく今更だし。
「ショーコさんは俺とどうなりたいの?」
ずるい、と知りながら聞いてみた。たっぷりと悩んだ後、重苦しく返事をよこした。ちょっと恋人気分を味わいたい。だから彼女がいたほうが都合がいい。
ふぅん。些細過ぎる。ショーコはもっと貪欲な女だと思っていた。意外に控えめだ。縛って欲しいなんて言うくせに。
22歳のショーコに会ってみたかった。晃彦と同い年で、結婚をする前の彼女に。晃彦は時々、ショーコの過去に嫉妬する。ほんとうに時々。ショーコは晃彦の未来に嫉妬する。決して交わらない、未来の晃彦に会いたくて。
ずるりと自身を引き抜いた。ん、とくすぐったそうにショーコが高い声を漏らした。そこから、白濁液がどろりと垂れた。素敵に卑猥だ。これがあるから止められない。
別れは脈絡もなく訪れた。適当に始まった恋愛は、終わるのも適当だ。晃彦は異動になって、あの電車に乗らなくなった。会わなくなってしまえば、冷めるのはほんとうに早かった。ちょこっと楽しくなってきた仕事に追われて、ショーコのことを思い出さなくなっていた。
一度だけ電話があった。
「…………面倒になった?」
「……違うよ。ごめん、ちょっと忙しくて」
「いいよ、わかった。またね」
それだけ言って切れた。ツーと無機質な音が胸につんと響いた。泣かれるかと思った。ショーコはもっと面倒な女だと思っていた。欲張りでわがままで、もっと自分を好きでいてくれていると思っていた。結局、ショーコことは何も判っていなかったわけだ。面倒になったのは自分なのに、ショーコのことをそんなに好きじゃなかったのに、なんでぽっかり穴が開いたみたいになるんだろう。ショーコとの最後のセックスがどんな風だったかも思い出せない。あまり、気持ちいいと感じなくなっていたことだけは確かだ。ショーコは気持ちよかったのだろうか。
それ以来、電話もメールもなかった。ショーコは潔い。同年代の女とは違う。晃彦はショーコのアドレスを削除した。
ショーコという文字を最後に見た瞬間、そう言えばどんな字を書くかさえ知らないと気が付いてしまった。
陽菜子に縛っていい、と聞こうとして口をつぐんだ。いつかの自分みたいに、陽菜子にドン引きされたらたまらない。
ああ、と納得した。未来を交わらせたいから、うかつなことは言えないんだ。通り過ぎていく晃彦にだからこそ、ショーコは奔放に振舞えたんだ。ちょっと恋人気分、を、ショーコは堪能できただろうか。
また4月が近づいてきて。新人研修の準備とやらで本社に呼び出された晃彦はあの電車に乗ることになった。ショーコはまだあの車両のあの場所に、乗っているだろうか。
どきどきした。グレーのスカート、ベージュのコート。白いゲーム機。
ショーコはいた。
「ショーコさん」
声をかけるとショーコは目を見開いた。見開いた後、晃彦の顔をまじまじと見つめてにっこりと笑った。ほんとうに嬉しそうな顔で笑った。
「久しぶりね。元気だった?」
うん、と笑顔を返しながら、ショーコの丸い瞳が意外に茶色いと気がつく。どうしてずっと知らなかったんだろう。毎朝会っていたのに。
ショーコはぱたんとゲームを閉じた。クリアしたゲームの新しいシリーズだ。どんどん続きが出る。時間は止まらない。
あのころのようにたわいもない会話をして時間を潰す。仕事忙しい? とか、ナツキちゃん元気? とか。時間はあっという間に過ぎた。去年と同じように話しているはずなのに、妙な違和感を覚えていた。
ホームに足を下ろして、じゃあねと手を振るショーコに待って、と声をかけた。
「ショーコさん、ほんとはいくつなの?」
ショーコは晃彦の顔を見たまま目を細めた。目じりのしわが、少し増えてた。ああそうか。ショーコさんはもう俺のこと好きじゃないんだ。当たり前だけどそう知った。顔をまっすぐ見られてしまうんだ。
「ハタチよ、ハタチ」
もう一度ばいばいと清々しく手を振って、ショーコは人ごみに紛れてしまう。
いつか陽菜子も、自分の年をハタチだと嘯くようになるんだろうか。
爪をきれいに整えた、白魚のような手を握りながら考える。家事をするようになったら、生活を共にしたら、年齢を重ねたら、偉大な母親になったら、この手はどうなるんだろう。さらさらのロングヘア、しみ一つない白い頬、つるんとした目じり。細いウエスト、張り詰めた乳房。いつかなくなってしまうのだろうか。ショーコのように。
ショーコの股の間から、どろりと零れた白濁液を思い出す。もう一度、アレが見たい。
傷を癒す、家が欲しい。
「陽菜子」
「ん?」
「結婚しようか」
「………………いいよ。まずお金貯めてからね」
「いくら?」
「二人で300万、かなぁ」
なんだその数字は。どこから出てきた。妙にリアリティ溢れている。陽菜子はリアリストだ。ショーコは夢見る少女だった。恋に恋する女の子のように無邪気だった。バツイチで子持ちのくせに。無邪気に、晃彦との関係を楽しんでいた。陽菜子もいつか無邪気になってくれるだろうか。
「判った、俺200万ね」
「できるの?」
「できるよ、陽菜子と結婚したいもん」
ありがとう、と微笑む陽菜子の、目じりのしわが見たい。いろいろと動機は不純だが、陽菜子を好きだという気持ちに、嘘はない。
人生は、こんなもんだ。喜びの幅が少ないほど悲しみの幅も少なくて、淡々としていたほうが生きやすい。無邪気に人生を楽しんだほうが勝ちだと、陽菜子の暖かい手を握りながらひそかに思った。
こんなもんの人生で、十分じゃないか。
2008/05/25
最終更新:2008年12月31日 15:28