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お粥

「教科書、ノート、携帯、財布…、――忘れ物ないな」


窓から差し込む朝の光が薄暗い部屋をぼんやり照らしている。
聡は学生鞄の中身を一通りチェックすると、窓辺に行って鍵が掛かっているかを確認する。

「…――よしっ」

決して几帳面な性格ではない。
多分、年の近い姉が大雑把な性格である事が多少影響している。


カーテンを引くと、鞄を手に自室を後にした。




廊下に出ると同時に、隣の部屋のドアが開く。

聡「あっ、姉ちゃんおはよ」
律「おー、おはよ聡。…今日は何か冷えるなぁ」
聡「え、そう?…でもまあ、もう秋だしね」
「そだな」と律は欠伸をする。
聡(…おっきい口)

律「…――あ。聡ちょっとストップ」
聡「え?」

律が目の前までやって来る。
スッと伸びてきた手に思わず身構えた―――が、その手は聡の頭の上に移動すると、髪を優しく梳いた。

聡「なっ、なに?」
律「んー?…――寝癖。」

額に声がかかる。
指の感触がくすぐったい。
聡は妙に落ち着かない気持ちになったが、そのままじっとしていた。

(――てか姉ちゃん意外にいい匂いすんだよな…)


聡「………えっと、まだ?」
律「ん、こんなもんか」


律は一歩下がって聡を眺めると、「よしッ」と満足そうに頷いた。
律の髪はもちろんしっかりセットしてある。

自分は子供扱いされたのかもしれないと、聡は恥ずかしくなった。
つい、早口になる。

聡「おっ…、俺の事よりさ、姉ちゃん自分の部屋の窓ちゃんと閉めた?最近物騒なんだから、鍵くらいちゃんとしとけよなっ」
律「えー、大丈夫だろー」
聡「大丈夫なんて分かんないじゃんか。ほらっ」
律「あー…、分かった分かった」

律は面倒くさそうに自室に戻って行く。
その姿を見送って、ふと先程の感触を思い返す。


(…――姉ちゃんの指、何か熱かった気がする)




聡・律「いってきまーす」

二人同時に家を出ると、聡は玄関脇にある自転車に跨がった。

聡の中学は桜高とは逆方向だ。
「じゃあ」と一旦手を振ったが、先程の事が過ぎった。

聡「姉ちゃん」

呼び止められた律はきょとんとこちらを振り返る。

聡「姉ちゃんもしかして体調悪いんじゃないの?」

朝、母と話をする姉は至って普通だった。
いつもの聡なら、自分の気のせいだと済ませていたはずだ。

ただ昨日、
学校から帰って来た姉はどこか落ち込んでいたように思う。
関係ないかもしれないが、聡はそれも気掛かりだった。


律「え、何で?元気じゃん」
聡「本当?」
律「ホントだって。
もうすぐ学園祭だぞ?体壊してる暇なんてないって。私部長だし」
へへっと笑う。


自分は心配性なんだろうか。聡はそれ以上言うのはやめた。

聡「…ごめん何でもないや」
律「おう」


聡はもう一度手を振ると、くるりと前を向いて自転車を漕ぎ出した。




金田「おい田井中ッ。鈴木の奴新しいゲーム買ったんだって。帰り寄って行かね?」

ホームルームも終わり、生徒も疎らな教室。
帰り支度をしていると友人の金田が声を掛けてきた。

聡「おー行く行く!」
金田「よし、じゃあすぐ用意しろよ」
聡「おうっ」

聡は持っていた教科書を慌てて鞄に突っ込んだ。
閉める寸前、携帯のバイブが鳴った。

聡「あ、メールだ。誰だろ」
金田「…おい田井中、早くしろよなー」
聡「んー…」

鞄からは出さずにディスプレイで内容を確認する。


聡「…――――ごめん金田、俺やっぱ急用できたから帰るわ!」
金田「えっ、おい…」

聡は鞄を乱暴に掴むと教室を飛び出した。
メールは律からだった。







桜高への通学路途中にあるコンビニ。

その駐車場の隅で律はうずくまっていた。


聡「――――姉ちゃんっ!」


息を切らせて自転車から降りると、律は鞄に押しつけていた顔をゆっくり上げた。
顔色は悪い。

律「…おー聡ぃ…。
…ごめん、家まで持ちそうになくて…」
聡「大丈夫立てる?」
律「……うー…吐きそう…」
聡「何でもっと早くメールしないんだよ、馬鹿」
律「……馬鹿だもん…」
聡「姉ちゃん?」

律は顔を伏せてしまった。
聡はその腕からそっと鞄を抜き取ると、自転車の前カゴに入れた。

律は動かない。というより動けないのだろう。

少し迷って、その肩に触れる。

聡「姉ちゃん、いける?」

返事はないがそれに応えるように背中に腕が回ってくる。
聡は律の身体を支えて、何とか自転車の後ろに座らせた。




聡「…――じゃあ行くけど、いい?」
律「…うぃー…」


律の体重が背中に掛かる。
苦しそうな呼吸が聞こえる。

聡はゆっくりと慎重に、ペダルを漕ぎ始めた。


当たり前だけど、身内が弱ってるのを見るのはつらい。

姉は普段こそ軽口を叩いているが、本当のところ、あまり周りに自分の弱さを見せようとはしない。
我慢してしまうのだ。



聡はそれが、もどかしくて、少し寂しい。


(…――俺じゃ、やっぱり頼りになんないのかな)


――――ガタンッ


舗装の悪い道路にハンドルを取られそうになった。



翌日、律は学校を休んだ。

聡はホームルームが終わると、またもや金田の誘い断り、一直線に自宅へ向かう。

(…―やばい。俺完全にシスコンかも…)



自宅近くまで来て、門の前に立っている人物に気付く。
姉と同じ桜高の制服。
黒い真っ直ぐな髪が背中に落ちている。

あれは…。


聡「――澪姉ちゃん?」

自転車を降りて声を掛けると、インターホンをじっと睨んでいた澪は、はっとこちらを向いた。

澪「…あっ、聡。…お帰り」

気のせいか、やけに動揺している。

聡「…姉ちゃんの見舞いだよね?何で入らないの?」

澪の脇を抜けて、自転車を門の内側に留める。
玄関の戸を開けると、後ろを振り返った。

澪は先程と同じ場所に立っている。

聡「…もしかして、見舞いじゃなかった…?」
澪「えっ、いや、もちろん律の見舞いだ!」

澪は慌ててその場を離れた。





玄関の戸を閉めると、中はシンと静まりかえっていた。
電気も消えている。

聡「…あっれ?母さんいないのかなー…。…ま、いいや。上がってて」
澪「……………ボソボソ(お邪魔します)」
聡「――何で小声??」

聡はツッコミを入れつつ靴を脱ぐと、一人台所へと上がった。
ギシ、ギシ、と澪が二階へ上がっていく音がする。
冷蔵庫からお茶を取り出すと、コップに注いで、ぐいっと飲み干した。


…――なるほど。

何となく、合点がいった気がする。


コップを流し台に置くと、澪に続いて二階へと上がった。

律の部屋の前に立つと、中から姉の楽しげな声が聞こえた。


(……邪魔しない方がいいかな…)

聡はノックしかけた手を降ろすと、自室へ戻る事にした。





いつの間にか眠っていたらしい。
階段を降りる幾つかの足音に、聡は目を覚ました。


一階から「お邪魔しましたー」と言う元気な声と、母が対応する声が聞こえる。

(他にも誰か来てたのか…)

玄関の閉まる音がすると、聡はベッドから身体を起こした。

廊下へ出ると、意外にもそこに澪がいた。

聡「――あれ?もう帰ったのかと思った」
澪「ああ、今帰るとこ」
澪は開いていた律の部屋のドアをぱたんと閉める。

澪「律寝てるから、あとよろしく」
聡「うん、分かった」
澪「じゃあおやすみ」

聡「…――あっ、澪姉ちゃん」

思わず呼び止めてしまった。

澪は「どした?」と行き掛けた身体をこちらへ戻した。

聡「…あ、いや、えーとさ…。
ねっ、姉ちゃんって普段あんなだけどさ、ああ見えて無理し過ぎる所があるっていうか、あるんだけど、……、俺学校違うし、姉ちゃんの事見ててやれないし、…って偉そうか。――いやそうじゃなくて」

自分が何言ってるのか分からなくなってきた。
…―ていうか大きなお世話だろこれ。

澪「―――うん、分かった」
聡「え」

顔を上げる。




澪「……ていうか私の方が律を頼っちゃってる部分も多いんだけど。今回の事は私も悪かった、し…。――あ、いや、つまり…。
――聡にまで心配かけちゃってごめんな」

澪は所在なさそうに前髪をいじっている。
逆に謝られてしまった。

聡「えっ、違う、澪姉ちゃんは悪くないし―――ていうかごめん、今の忘れてッ」

出過ぎた真似をした自分が恥ずかしい。―――失敗した。


暫く間があって、ふいに澪が吹き出した。

澪「…―――聡は良い弟だな。律は幸せもんだ。
――――じゃあ、おやすみ」

澪はくるりと体を反転し、足早に階段を降りて行った。

ぽつんと廊下に取り残される。



(いい弟なのかな…俺)




…――ガチャッ。

律「…聡?」


部屋に入ると、芋虫みたいに丸まった布団の中から、律がもぞっと顔を出した。

聡「ごめん起こした?」

後ろ手にドアを閉めると、中央にあるテーブルまで歩いて行く。
手に持っていたお盆を置いた。

律「ううん、さっき起きた」
律の声はどこかすっきりとしている。

聡「これ、お粥。母さんが気分良くなったら食べろって」
律「おーさんきゅー」
聡「あ、今食べるんだったら熱いから気をつけろよ。火傷するかも。
あと、こっちが薬。食後三十分以内に飲めだって――――って、何?」

律がじっと見ている。

律「――いや、聡は将来いいお嫁さんになるなーって」
聡「なにそれ」
律「だって聡、女の子みたいに甲斐甲斐しいし」

―――むかっ。

聡「じゃあ、甲斐甲斐しくこれ食べさせてやろっか?」
律「…」
聡「…」
律「…」
聡「…――――――な、何ほんとに口開けてんのさっ」
律「え?食べさせてくれるんだろ?聡が今言ったじゃん」
聡「いや言ったけど」
律「おうおう、怖じ気付いたか。男のくせになっさけないのう」
聡「ぐ…っ」

悔しい。
聡はむんずとお粥の入った茶碗とスプーンを手に取った。



そのまま律の傍に行くと、腰を降ろす。

何となく、律の顔は見ない。

聡はお粥を軽く掻き回すと、少しすくって、息を吹きかける。
ふー、ふー、と音がする。


今更ながら、部屋がしんとしている事を意識した。

衣擦れやベッドの軋む音すら、やけに耳に大きく聞こえる。




―――何となく、何か、居心地が悪い。



律が見てる。
普通にしないと。
―――って今は普通じゃないのか?
いや普通だろ。


訳が分からなくなってきた。
聡は頑なに自分の手元だけを見る。

(落ち着け、俺)

内心を気取られないように、律の口元へスプーンを持って行く。

目が合った。



聡「――――――やっ、やっぱ自分で食べろっ。小学生じゃあるまいしっ。
てか姉ちゃん元気じゃんか」


寸での所で投げ出した。
恥かし過ぎる。


律「ははっ、ごめんごめん」
聡「俺もう寝るからっ。薬!忘れんなよっ!」

ずんずんとドアの前まで歩いて行って、ぴたっと足を止める。くるりと振り返った。

聡「―――何にやにやしてんの?」
律「いやあ、愛されてんなーって」

律は言葉通り、にやにや顔だ。




当たり前だろ、なんて悔しいので言わない。


聡「――姉ちゃん馬鹿だろっ」
律「あ、赤くなったー。照れちゃってー。
聡は分かりやすいのう」

聡「~~~っっおやすみっ」

聡は顔を真っ赤にしながらドアを開けると、ばたんと乱暴に閉めた。


聡「……。」

ドアを背に、はあーーっと息を吐く。


聡「…俺どんだけかっこ悪いの…」



※


律「…―――――――ほんと可愛いやつ。」

聡が出て行ったドアを見つめながら、律は思わず吹き出してしまう。

聡はいつも、確かな安心をくれるのだ。




「…―――――――だからつい、甘えちゃうんだよなー…」



照れくさいので本人には言わないが。


律はゆっくりと横たわると、優しい気持ちで瞼を閉じた。





おまけエピローグ

朝。聡の部屋。

律「なっさけないのう。男のくせに風邪ひくなんて」
聡「―――ちょっと待て、誰のせいだと…げほごほッ」
律「わ、大丈夫か聡?―――ごめん!私のせいです!」
聡「げほげほん、…いいよ別に」
律「ほんとごめんな…」
聡「いいってば。俺は、姉ちゃんが元気になってくれた方が嬉しいし」
律「……………っ。聡…ッ」
聡「うわっ、いきなし抱き付くなっ」
律「大好きだこんちきしょーっ」



おしまい
最終更新:2009年10月03日 18:27
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