ひまわりが咲いていた。
 花瓶に挿されたひまわりだ。
 土から離れてなお美しく咲くひまわりだ。
 油彩画の技とセンスを尽くして描かれたようなひまわりが無数に並んでいる。
 ひどく凡庸な構図と色使いなのに、ひどく心に焼き付く大輪の花。
 それを、私は――

「マスターさまはきっと凄い画家になれますよ」

 綺麗だと思った。
 きっと最初はそうだった。
 それは興味本位で調べた時に見た印象だったかもしれない。
 学校で美術の教科書を開いた時に思った感想だったかもしれない。
 もしかしたらきっかけなんて自分でも覚えていない、そのくらい何気ない日常の中での遭遇だったのかもしれない。 
 別に参考にしたり描き方を真似したりした訳じゃなかったけど。
 それでも彼…彼女の描く絵は私にとって憧れの的のひとつな事に違いはなくて。
 だけどそんな彼女を実際に、私は時の彼方から呼び出した。
 人類史の果てからやって来たこの子は私が知っているのよりずっと若くて、そもそも性別からして違っていて。
 そして私の絵を見た彼女が口にした言葉は。
 とても優しくて、肯定的だった。
 にへらと笑って彼女は言った。
 偉人として教科書やらテレビやらに取り上げられるようなものを描いておいて。
 …私のサーヴァントは言ったのだ。

「こんなに陰気でしょうもなくてどうしようもないわたしなんかよりも、ずっと」

 まともな教育を受けてまともな教養を備えた人間ならば。
 別に大人じゃなくたって、子供だって誰でも名前くらいは知っているだろう人が。
 私がいつか必ず乗り込んでみせると息巻いている世界では"人"の前に"偉"の一文字が添えられるような画伯が。
 私の絵を良いと言ってくれた。
 あなたはきっと良い画家になれると褒めてくれた。
 こんな自分なんかよりもずっと。
 凄い画家になれるだろうと祝福してくれた。
 その言葉に私が返した言葉は感謝でも謙遜でもなくて。

「…やめてよ。何それ」

 部屋の中に散らかした紙の一枚一枚。
 そのどれもに、私がこれまで描いてきたどの絵も霞むような習作を描きながら。
 時にはそれをゴミ箱に放り捨ててしまうこいつが。
 丸められたそれを広げて見つめる私のことなど知る由もないこいつが。
 さも自分はどうしようもない人間だという風に笑うこいつが。
 私なんかの事を本当だか嘘だか分からない言葉で褒めそやすこいつのことが――

「あんたに言われても、全然嬉しくないから」

 …私は。
 大嫌いだった。

    ◆ ◆ ◆

 聖杯戦争。
 私の日常は、そんな誰の都合とも分からない事態によって一変した。
 とはいえ何が変わったわけでもない。
 少なくとも今の所は。
 死にかけた事もなければ、私以外のマスターにもサーヴァントにも出会った試しはない。
 私は定時制に通うただの学生で。
 家に帰れば家族が居る。
 生意気な弟も――あいつも。
 私の夢を否定した、父親も。
 何も変わった所なんてない。
 私の部屋に居着いた陰気で卑屈な画家を除いては。

「…やっぱり全然似てないじゃん」

 引っ張り出してきた美術の教科書。
 本当は図書館に行ってみようとも思った。
 だけどやめた。
 あの根暗なサーヴァントに借りてきた伝記やら画集やらを見られるのが嫌だったからだ。
 アレが外に出ているのを確認してから、頁を捲る。
 目当ての頁はただ一つ。
 1880年代から始まるポスト印象派の時代。
 そこで主役のように描かれている肖像画の"彼"は、うちでジメジメしてるアレとは似ても似つかなくて。

「ゴッホが実は女でしたとか、売れない漫画かよっての」

 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ。
 それが私のサーヴァントの名前だ。
 彼ではなく彼女。
 史実に伝わっている自画像とはまず性別からして違うから、対面した瞬間真名がバレるって事は無いだろう。耳もちゃんと両方あるし。
 最初にその名前を聞いた時。
 もとい打ち明けられた時。
 私が思ったのは、これは何の皮肉だろう――という事だった。
 よりにもよって。
 よりにもよってゴッホだなんて。
 生前は酷評の憂き目に遭い続け。
 一方で後世では掌を返したように偉大な画家として称賛された画家。
 英霊の座とかいう大層な場所から私の許にやってきたサーヴァントが、それ。
 …ふざけろ、と思った。

“お前に”
“画家となれるだけの才能はない”

 あいつの言葉が脳裏をよぎる。
 何度もリフレインしてきた忌々しい言葉。
 それが認められなくて。
 受け入れられなくて、受け入れてやるつもりもなくて。
 そうしてずるずる生きてきた。
 そんな私の許にやってきた遅咲きの天才。
 今までは単に偉大な先人の一人としか思っていなかったその名前が。
 私には、嘲笑のように聞こえた。

 マスターさまはきっと凄い画家になれますよ。
 私のゴッホはいつだってそう言う。
 でもそれっていつのこと?
 死んでから偉大になれって、評価されろって言ってるの?
 絵を描いて誰かに見せるよりも。
 ちょっとアングルを工夫して撮影した自撮りの写真の方がウケを取れるような私には。
 急ぐんじゃなく自分のように"いつか"を目指せって、そういう事?

“…分かってるよ。悪いのは最初から私だけ”

 ひどい被害妄想だ。
 自分でもそう思う。
 素直に受け止めればいいだけなのに。
 教科書に載るような画家が、あのゴッホが。
 自分の絵を褒めてくれたんだ…って。
 嬉しく思いながらまた筆を執ればいいだけなのに。
 なのにそれができない。
 私はあいつの言葉に、ありもしない棘を見出してしまう。
 自分などよりよっぽど素敵だと。
 良い画家になれると言うあいつの言葉を。
 他でもない私が、拒絶していた。
 自分なんかよりとそう言うあいつが。
 丸めて放り捨てた画用紙に描いた落書きで、私が心血注いで描いた絵を平然と飛び越えていくあいつが。
 嫌いだから。
 いや。
 妬ましくて。
 妬ましくて妬ましくて仕方なくて。
 なんで私はああなれないのって。
 どうしてもそう思ってしまうから。
 その気持ちを隠し切れないから――

「いっそぼろくそに貶してくれれば良かったのに」

 なんでそんな性格なんだよ。
 なんでそんなに卑屈なのよ。
 それだけの腕があるのに。
 そんなに上手いのに。
 どうして自分を認めてあげないの。
 どうして――希望を持たせるような事を言うの。
 こっちはあんたの落書き一つで、ペンを投げ捨てたい気分になってるってのに。

「…はぁ」

 教科書を閉じて。
 引き出しの奥底にぶち込んだ。
 多分もう一度開くことはないだろう。
 少なくとも、この世界では。

「どうしよっかな。聖杯戦争」

 正攻法で勝ちに行くには手を汚す必要がある。
 誰かの命を背負って先に進む必要がある。
 それはやっぱり、できればしたくないことだった。
 たとえ命が懸かってるとしても…他の誰かの命を奪うっていうのは簡単な事じゃない。
 でもできないやれないと目を塞いでいたら待っているのはこの偽りの世界での死だ。
 本当に何にもなれないまま死ぬ。
 それはやっぱり嫌で、でも覚悟を決めるなんて簡単に言われてもすぐに決断する事なんてできなくて。
 今の今まで私の聖杯戦争はずっとその調子だ。
 どっちつかずの宙ぶらりん。
 頭を抱えたいのは私じゃなくむしろゴッホ…あの子の方かもしれない。

「あいつ――毎日毎日何処行ってんだろ」

 ゴッホは基本私の部屋に居る。
 私の嫌いな卑屈な笑顔を浮かべて何やらブツブツ言っている。
 でも時々ふらりと外に出て行く事があった。
 別に追いかける事はしなかったけども。
 それってやっぱり、マスターとして失格なのかな。
 偉人捕まえて八つ当たりして。
 本分も忘れて振り回して。

「…はは」

 私って。
 最低だなぁ。
 はぁ。

    ◆ ◆ ◆

「マスターさまはきっと凄い画家になれますよ。
 わたしなんかより…"ゴッホ"なんかよりずっと」

 夜の闇に蠢くものがあった。
 闇の中に消えていくものがあった。
 逃げ去るかつてマスターだった人間の背を見送りながら。
 ヴァン・ゴッホは電柱に背を委ねながら呟いていた。
 彼女はヴィンセント・ヴァン・ゴッホである。
 絵の道を志す者からそうでない者まで。
 誰も彼もが名前を知っている、その領域にまで辿り着いた傑物である。
 しかしこれはゴッホであってゴッホではない。
 そういう存在だった。
 そういうモノだった。
 東雲絵名が彼女に対して抱く嫌悪と忌避感はある意味では正しい。
 今此処に居る彼女は少なくとも。
 教科書に載っている"ヴァン・ゴッホ"ではないのだから。

「あぁ、かわいそうなマスターさま。よりによってこんなものを喚んでしまうだなんて。
 塗り潰すしか能のない怪物のわたしなんかより、もっとあなたに相応しいサーヴァントは居た筈なのに」

 画家たるゴッホの記憶と画才。
 あとは狂気のニンフとブラックボックス。
 神の悪意でぐちゃぐちゃにされたつぎはぎのサーヴァント。
 この世を塗り潰せと染め上げろと、そう仰せつかった呪われた魂。
 これはゴッホであってゴッホではない。
 少なくとも"ヴァン・ゴッホ"では。

「それでも…こんなゴッホをあなたが必要としてくださるなら……。
 生きるためでもそれ以外のためにでも、ゴッホにあなただけの価値を見出してくださるなら……。
 ウフフ、ウフフフ……わたしはこの小さく貧相な身を粉にしてでも、あなたに使われてみせましょう」

    ◆ ◆ ◆

 …最近よく見る夢がある。
 黄色い家が出てくる夢だ。
 その家はひどく絵の具臭くて。
 そしてひどく陰気で、視界に入れただけで気分がどんよりしてくるような家で。
 だけどそれを見ているとどうしてだか前に進みたくなる。
 そんな希望と絶望が渦巻いた、黄色い家。
 ヘット・ヒェーレ・ハイス。
 それを遠巻きに見つめながら。
 夢の中の私はいつまでも、足を止めていた。

【クラス】
フォーリナー

【真名】
ヴァン・ゴッホ@Fate/Grand Order

【ステータス】
筋力:E 耐久:B 敏捷:C 魔力:A 幸運:D 宝具A+

【属性】
混沌・悪

【クラススキル】
領域外の生命:A
外なる宇宙、虚空からの降臨者。
邪神に魅入られ、権能の先触れを身に宿して揮うもの。

狂気:C
不安と恐怖。
調和と摂理からの逸脱。
周囲精神の世界観にまで影響を及ぼす異質な思考。

【保有スキル】
道具作成:B-
魔力を帯びた器具を作成可能。

神性:B+
神霊適性を持つかどうか。
高いほどより物質的な神霊との混血とされる。
フォーリナーは外なる神が恣意的に作り出したつぎはぎの英霊である。

向日葵の呪い:A
陽光に焦がれた者を蝕む自罰の呪い。
彼女は自殺をすることができない。
不死身になるのではなく"死にたくても死ねない"スキル。

虚数美術:B+
虚数生まれのサーヴァントとしての特質と、独自の美術的視座を持ったゴッホの画才が融合したスキル。
虚数魔術と似て非なる独自理論体型の技術。

澪標の魂:EX
『つぎはぎ』された画家と妖精の魂が、『身を尽くす狂気』により共鳴し転じたスキル。
呪いという形で現れる狂気を己の力に変換する。

【宝具】
『星月夜(デ・ステーレンナフト)』
ランク:EX 種別:対人宝具 レンジ:1~5 最大捕捉:25人
第一宝具/対人宝具。
サン・ポール療養院の窓からの光景を想い描いた幻想的な絵。
その人智を超えた世界観がカンバスからあふれ、固有結界を形成し現実を侵食する。
晩年のゴッホは不可解な精神疾患の発作に苦しみつつ、信仰と善なるものを求めて絵筆を執り続けた。
その狂気じみた執念が外なるものどもに利用され、他者の霊基や精神構造を改変・神化させる禁断の宝具となった。

『黄色い家(ヘット・ヒェーレ・ハイス)』
ランク:A+ 種別:対軍宝具 レンジ:1~5 最大捕捉:8人
第二宝具。
ゴッホの才を開花させる転機となり、ゴッホの夢の破綻の舞台ともなった南仏アルルの居宅を絵で再現する。
敵に対しては南仏を苛む風・ミストラルの嵐を、味方に対しては手厚い加護を与えるが、一方で呪いも蔓延させてしまう。

【人物背景】
十九世紀ヨーロッパで活躍した画家。
作品は死後高い評価を受け、世界中に愛好家を持つ。
霊基の8割は狂気のニンフ。
霊基の1割5分は虚数由来のブラックボックス。
霊基の5分のみ、画家ゴッホの記憶と画才が占める。
外なる神が恣意的に作り出した、つぎはぎの英霊。

【願い】
「あの別離あの裏切りを覆して何になるのでしょう!」「ええ、いただけるなら喜んで。五個ぐらい」


【マスター】
東雲絵名@プロジェクトセカイ

【願い】
元の世界に帰りたい

【能力】
天才と称賛された画家の娘。
彼女自身も絵を描くことを好んでいる。
…たとえその道が茨の道であろうとも。

【人物背景】
承認欲求が人より強くSNS依存気味な少女。
父親は有名な画家で、自身も絵を描いて投稿していた。
コンプレックスと鬱屈を抱えながらそれでも彼女なりに前を向く。
そんな彼女が"天才"を召喚してしまったことは…果たして福音か呪縛か。

【方針】
元の世界に帰る手段を探したい。

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最終更新:2022年07月22日 23:43