アットウィキロゴ

始めの

 すうっと息を吸い込むと朝のキンと冷えた空気が肺を満たし、ぼんやりと霧がかっていた頭をハッキリとさせる。
 庭園の花は色とりどりに咲き乱れやわらかな春の香りを感じるものの、この時間に外を出歩くのはまだまだ寒い。
「もっと南に首都を置くべきだったのよ」
 ブルッと小さな体を震わせ、少女は呟いた。
 年のころは10代前半。短くはねた金髪に物憂げな深紫の瞳。華奢な上色白な肌は多少不健康さを感じさせたが、瞳にあわせた紫を基調とした衣服にはよく似合っていた。
「でもそれじゃあ、暖房器具が発展しなかったわね」
 虚空を見上げ吐いた言葉を聞くものは誰もいない。独り言である。
 庭師が手入れに来るのは数十分後だ。こんな早朝に庭師より早く庭園を訪れる者は自分の他にいないと、少女は知っていた。ここに入れる者は限られているので、男女の逢引に出くわし気まずい思いをする必要もない。
 もともと人付き合いが良いほうではなかったが近頃は更にそれが顕著となり、ここ数ヶ月において必要最低限の人との会話を絶っていた。どこへ行くのも人目を避け、なるべく一人で過ごす日々。
「まだ当分は上着が必要だわ。それと、部屋を出る前にお茶の準備」
 その結果がこれである。
 誰ともしれず言葉を口に出す。が、特別虚しいだとかの感情は抱いてはいない様子だった。
「帰りましょう」
 呟いて踵を返し入り口をみやり、しかし少女は歩みだすことなく体を強張らせた。
 広い庭園は四方を建造物に囲まれており所謂中庭であったのだが、隣接する廊下の壁は半分にガラス窓が埋められている。
 その窓からじっとこちらを見つめる男の姿があった。兵士の制服だ。白髪だが、まだ若く整った顔立ち。
 こちらが気づいたのに気づいてかニッコリと笑いかけてきた。
「普通兵士はこの廊下を通らない」
 だからここが好きなのにとまた誰ともなく呟く。とにかく人と会うのが億劫だった。知らぬふりをしてさっさと出て行けばよかったのだが、ここしばらくの習慣を破る虚に、多少ながら動揺してしまったのがいけなかった。男は豪奢な庭園のガラス戸を開け、真っ直ぐにこちらへ歩いてくる。
「おはよう、お嬢さん」
 男は目の前に来ると軽い会釈をしながら愛想よく挨拶をした。
 少女をじっと押し黙り、その顔を見あげる。ここしばらく会話という会話、というか人そのものを避けていた為、どう対処すべきか頭が真っ白になっていた。
「迷子かな?」
 にこりと笑って男はしゃがみこむ。そうしてやっと視線の高さが少女の顎程になり、目線をあわせやすくなった。と、同時に彼女は自分人を避けるようにしていた理由の一つを思い出した。部屋を出て人に出会うとすぐこれだ。そのやり取りが面倒で…
「違うわ。迷子になって入れる場所じゃない」
 久々なので、面倒くさがらずに答えてやる。底辺に出入りできる者は限られている。そういえば、一般兵はここに入れたのだったか?入る必要性がまずないとは思うので、恐らく入れないはずだ。ぼんやりとそんな思いを巡らせた。
「そうだねぇ。それにこんな時間じゃ、そもそも子供は城に入れない筈だしねぇ」
 男が笑っていった。人懐っこい笑顔。胡散臭い。そんな言葉を頭に浮かべる少女の頭につと伸ばされた手が乗せられる。嫌悪。また一つ単語が頭に浮かんだ。ついでに顔にも浮かべたが、男はにこにこと笑ったままだ。

「おい新入り、そこで何してる!」

 入り口の方から怒鳴り声。黒髪の男。メガネ。身に着けている鎧は騎士の物。
 少女は新入りと呼ばれた男に視線を戻す。ということはこの男も騎士なのか。
「げっ」
 寄ってきた黒髪の男が喉の奥から呻き声を上げた。
 ああ、知っているのか。
 面倒ごとが一つ解消されたと僅かに心が軽くなったが、同時に人を避けるもう一つの理由を思い出し、心はまた沈みこんだ。
「申し訳ありません、新入りがご無礼を!」
 黒髪の男は白髪の男の腕を払いのけると同時にその頭を半ば殴りつけるようにして下げさせた。男自身もキッチリと腰を折り礼をする。
「……無知は、罪じゃないから」
 そのまま動かずにいるので、短くそう言ってやるとやっと二人の顔が上がる。黒髪は緊張した表情だが、何故か白髪男は相変わらず笑みを浮かべている。
「監督不行き届きです。城内を案内していたらはぐれてしまって……。ほら、もう見学はいいだろ。顔合わせがあるんだからとっと行くぞ!」
「迷子はそっちだったのね……」
 無感情に呟く少女に、ずるずると引っ張られるようにして歩きだした白髪の男はつと振り返った。
「よければ今度ご案内していただけますか、魔女様」
「おま…っ、知ってて!」
 信じられないといった声をあげ、ガツンと黒髪が白髪の頭を殴りつける。
 少女はしばらく二人を見送っていたが、姿が消えると短く息を吐いた。
 近頃の若い者は変わっているのか、あの男が変わり者なのか。あの様子だと後者かなと首をかしげる。
 国就きの魔女となってから数十年、自分が誰か知りながらあのような態度をとった者は初めてであった。
「希少ね。関わりたくはないけど」
 騎士なら会うこともないわね、と呟いて彼女は歩き出した。ふわりと刺繍とレースのあしらわれたスカートが揺れる。
 思わぬ朝になったが、これからまたいつもの静かな日常に戻る。
 その考えがその日のうちから破られようとは、魔女はまだ思いもしなかった。
最終更新:2012年04月13日 06:44