- 469. 名無しモドキ 2011/09/18(日) 15:14:30
- {138様の大作の後、→422-→426の長い補足で気が引けますが・・。
- アステカの星 番外1 −小さき者の花園−
- 1937年5月12日 アメリカ合衆国カリフォルニア州サクラメント郊外、孤児院「小さき者の花園」
「ロジャー君、お座りなさい。」牧師の服を着た恰幅のよい60代半ばの院長がロジャーと呼んだ若者に言う。
「あの。一言いいですか。」めったに入ることのない院長室で若者は緊張していた。
「何でしょう。」院長はいつものように優しき聞いた。
「今日までの僕を慈しんでくださいましたこと、ありがとうございます。問題を起こしてもここから追い出すこともせず
いつでも受け入れてくださったおかげで今月の卒園式を迎えられます。それに、高校へ直談判をしてくださって出席不足
をなんとかしてくださいまして高校の卒業資格を得られました。なんとお礼をいっていいのかわかりません。」ロジャーは
院長に会ったら言おうと思っていたこと急いでしゃべった。
「ここは孤児院ですからあなたを保護して、あなたが誰かに必要とされる人間になれるように手助けするのはあたりまえで
す。高校のことも、規定通りに補充授業と追試をあなたが頑張ったからです。何の不正もありません。堂々としていなさい。」
院長の言葉も目も優しかった。
「あの、僕に話というのは?」ロジャーの緊張と不安は声に出ていた。
「まず、あなたはどのような人間として社会に出ていきたいと考えていますか?」
「できれば、あの人たちのように、バックナーさんのようにここに恩返しができる人間になりたいと思っています。」
ロジャーは壁に掛かっている後援者たちの写真の一つを見て答えた。
「ロジャー君、ここを出てからの自分に不安はありませんか?」院長はかぶりを振ると聞いた。
「はい、正直あります。また、病気が出たらどうしようかと思います。ですから、病気を抑えるために地方周りのセールス
マンになります。」ロジャーは自信なく答えた。
「貴方と私の仲です。はっきり言います。貴方の放浪癖は克己心でかなりコントロールできるようになりました。しかし、
完全にコントロールするにはまだ時間がかかりそうですね。」院長はロジャーの心を見透かすように言った。
「なんとかやってみます。」ロジャーはますます自信なさそうに言った。
「ロジャー、貴方は7才の時に三日行方不明になって以来、合計で495日間、ここ抜け出して放浪しました。ここはある意味
隔離された場所です。大概の子はここを出てから、はじめてアメリカ社会の真実の姿に向き合うことになります。しかし、
貴方は少しばかりその姿を知ってますね。」院長の言葉は少し険しかった。ロジャーは頷いた。
「美しい世界ですか?」院長よりやさしい口調で聞いた。
「この国はとてつもなく広大で美しいです。」少し考えてロジャーは答えた。
「人々は優しいですか?」院長の口調は平生にもどった。
「優しくしてくれる人もいました。」今度も間を開けてロジャーが答えた。
「優しくない人もいますね。園内の者で心配な者がいますか。」院長はゆっくり聞いた。
「はい、チャーリーとステラです。」ロジャーは勇んで答えた。
「何故ですか。あの子ら成績優秀で性格も素直だ。誰からも好かれていますよ。」答えを知っているように院長は聞いた。
「黒人だからです。黒人というだけで一纏めに見る人間は大勢います。ここを出て白人と黒人を分けて考える人を大勢み
ました。いや、同じにように扱う人間は本当に少ないです。カリフォルニアはまだましです。ここではいざとなれば園の
仲間がだまっちゃいない。ですから、差別に対して免疫のないチャーリーたちが心配です。それに・・。」院長が手で
制止しなければロジャーはいつまでもしゃべり続けただろう。
「そのことについてはチャーリーたちには話を話をしています。少なくともわたしは彼らに苦労をかける職場を照会しま
せん。」院長はウインクして言った。
「ありがとうございます。でも、南部では血が逆流するような場面に出会ったことがあります。」ロジャーの口調はその
場面を思い出したのか少しばかり怒りが感じられた。
「そうですね。正義感を出したあなたは警察に拘束された。おかげで居場所がわかって迎えにいきましたね。おっと、謝
ることはありません。大勢の考えが常に正しいわけではありません。主イエスを十字架に架けたのは大勢の意見だったの
ですからね。」院長は立ち上がったロジャーに背を向けた。
}
- 470. 名無しモドキ 2011/09/18(日) 15:18:38
- 「アメリカが本当に美しい国になれるでしょうか。パパやママが死ななければいけなかったような、いや殺されたような事件
が起こらない国になれますか。僕は時々、アメリカが一度潰れて新しく生まれ変わなければと思ってしまします。」
院長はロジャーの放浪癖が5才の時に体験したことが原因でないかと疑っていた。
「貴方の心の傷が癒えることを祈っています。そうすれば、あなたが自身が抱える問題もなんとかなるかもしれませんね。」
院長はロジャーの方へ向き直った。
「先生、わたしを呼んだ理由はなんですか。」院長の目を見てロジャーは聞いた。
「貴方を雇いたいという人がいるのですよ。明日、尋ねなさい。」院長はスカイブルーの名刺をロジャーに渡した。
翌日、ロジャーは名刺にあるサクラメントのダウンタウンの一角にある「ゴス会計事務所」というオフィスを訪ねた。来訪
の目的を告げると秘書はすぐに所長へ取り次いだ。
「ロジャー君ですな。ゴスです。ビル・ゴス。公認会計士です。」ゴスは肥満気味の温厚な感じの初老男だった。
「わたしを雇いたいということですが。」ロジャーは単刀直入に聞いた。
「あなたは地方巡りのセールスマンになるそうですが、会社に指定された目的の町に着く前にどこかの駅におりないことを我慢
できますか。目的地は全て指定されているはずです。それは放浪とはいいません。でも、大概が気の向くままでいいならできる
かもしれませんね。そしてあなたにしてもらいたい仕事こそそれに当てはまります。」
「どんな仕事でしょう。」ロジャーは怪訝そうに聞いた。
「放浪です。」怖いくらいに真剣な顔でゴスが言った。
「放浪が仕事ですか?」間を開けてロジャーが聞いた。
「そう意味がわかりませんよね。説明します。社会の動向を見張るのです。よくない兆候、例えば景気の後退などは社会的に
弱い部分から出始めます。放浪者は社会の最下層になりますから敏感に感じられるでしょう。統計数字になる以前にそれを捉
えられれば、わたしの仕事に大いに役立ちます。わたしは複数の企業のアドバイザーもしているのです。まだ、認知されるこ
との少ない仕事ですが、コンサルタントと呼ばれます。」ゴスは一気にまくし立てた。
「わたしは具体的に何をすればいいのですか。」ロジャーは更に裏がありそうだとは思ったが黙っていた。
「気ままに放浪して感じたことを報告してくれればいいのです。連絡は郵送してください。ただ、時々見て欲しいことがでます。
その時だけは我慢して指示に従ってください。」ゴスはウインクした。
「で、放浪中にどうやって指示を受けるんですか?」ロジャーはこの奇妙な仕事を受けることを決めた。
その日、ゴスは首尾をハッシュというコードネームの上司に連絡した。しばらくしてゴスは院長の推薦が正しかったことを
認識することになる。そして、ロジャーに昔の自分と兄である院長を投影した。そうかつて、中国で宣教師であった両親と疫病
のために死に別れ本国の親戚からも拒絶されて途方にくれていたときに、ある日本人に救われて日本の孤児院で何不自由なく育
てられた自分たち兄弟のことを・・。受けた恩は返すと誓った若い日の決意を。
対米工作組織「メインクーン」は20世紀初頭アメリカに進出した当時から、ある教会組織を隠れ蓑として幾つかの孤児院を
経営していた。これらの孤児院は洗脳が完成して解けないように十八才まで入所させた。ただ洗脳といっても「人種・民族的
な偏見の排除(そういった偏見への嫌悪)」「異文化(暗に日本)への理解」といったため、実施する方の心理的負担(正しい
ことをしているという達成感を持たせられる)も少ない。そして18才になるまでに資格を習得させてそこそこの企業に就職を
斡旋したり、大学で勉学を志す者には返済義務はあるが低利の奨学金を与えていた。
これらの孤児院の出身者は自分が意識しない「草」としてアメリカ社会に散らばっている。いたいけな子を洗脳して利用する。
やり方としてはまったく「悪の組織」の定番である。ただ、露骨なことは厳に避けられており一年に一回程度は孤児院の先生が
先輩の仕事に興味があるという孤児を連れて出身者を訪ね情報をそれとなく聞き出したり、同窓会を頻繁に開くなどである意図
を持って就職させた企業や役所の情報を集めていた。また、これという情報は孤児院時代に仕込まれた反射反応により口を滑ら
してくれた。 アメリカ社会への帰属意識が薄く(あるいは恨んでいる)有能だと目をつけられた極少数の出身者は対米諜報組織
「ビーグル」ないし「メインクーン」の下部組織が直接雇用する場合がある。
- 471. 名無しモドキ 2011/09/18(日) 15:22:46
- ロジャーはその一人である。ロジャーはその来歴からアメリカ社会を毛嫌いしていた。そこで放浪者を仕事としないかと持ち
かけたのである。いわば遊撃員である。「ビーグル」・「メインクーン」が何かを調べたい場合、取りあえず見たいものがあ
るとロジャーに指令を送りロジャーは見に行く。捕まっても放浪者として複数の逮捕歴があるためスパイと見なされず大概は
留置所どまりで釈放される。
孤児院の経営と協力者の養成は当初はかなりの出費であったが百年先の対米戦への投資だとされた。ただ、成功した孤児院
出身者たちによる多額の寄付と、地方政府の補助金で次第に孤児院自体で経営が成り立つようになっていた。国家百年の計と
はよくいったもので長期的なビジョンは結局安くつく例であろう。そして、この孤児院の母体は日本にあった。
−明治3年(1870年)3月15日「天保暦」 戸部町(現横浜市)の一角− 「横浜養育館」開所の日
真新しい杉の塀で囲んだ一町ばかりの敷地に、これも新築の二つの一部が二階建てになった寄宿舎、かつてここにあった
二階建ての商家を改造した学校にも見える建物。元来の敷地は塀の外にも及んでおり八重桜の古木が数本塀の上から名残の
花吹雪を散らせている。建物の正面玄関には「横浜養育館」のこれも真新しい看板が掲げてある。
今の小学校の運動場のように整備された広場に小さいながら式典用の台がしつらえられ、校舎のような建物の二階からは
長い二本の棒が斜めに突き出ており幅が一間ばかりの大きな日の丸がそれぞれの棒に掲げてある。
式典用の台の横には、教師や舎監、男女の三人の西洋人を含む舎監助手が並んでいる。その列と向かい合わせに世話係ら
しい女性達に背負われたり手を引かれた二つばかりから幼児から十歳ばかりの男女入り混じった子供まで五六十名ばかり緊張
した様子で整列している。後にハッシュのコードネーム知られるようになる男の母親である赤毛気味の髪と薄茶色の光彩を持
った豊松ステ(ステラ)は職員から生まれて初めて贈られた小さな(生活のためにある逆行者が生産を始めた)「縫いぐるみ」
式の市松人形を嬉しさのあまりに密かに胸元に隠してこの子供らの中にいた。
やがて来賓の大久保利通が式典用の壇上にあがる。前列の養育館関係者、子供達の後ろにいた近隣住民などの式出席者が一様
にどよめく。天下に隠れない明治政府の大立て者、参議大久保利通が子供に向かって深々と頭を下げているのだ。
「この中には、年端もいかぬのにも関わらず辛い思いをしてきた子が大勢いると聞いている。日本を統べる天子様を補佐すべき
身でありながら、この地、日本で生を受けた天子様の赤子でもある諸君を今までほっておいて申し訳ない。本当に申し訳ないこ
とをした。」そう言う大久保を子供達は黙って見ている。聡明な幾人かの式典出席者は、大久保の言葉は自分達に向けられてい
ることに気がついた。そして混血児を日本人と思っていなかった自分たちの不明を恥じた。
「寝るところ、寒さを防ぐ着る物、食べること。君たちはその心配をこれからしなくてよい。そして本来なら君らを慈しみ養う
父母の役を、ここにいる先生・舎監が相変わり勤める。それは真の父母には及ぶことはないかもしれない。しかし、君らは先生
舎監をこれから父母と思い、その教導と薫陶に従い、また君らの思いのたけを遠慮することなく伝えて欲しい。このことについ
ては、先生・舎監の人らともよく話し合っている。真に遠慮することなく今日からここが君たちの家と思い健やかに育って欲
しい。」大久保はこのあとあまり長くない挨拶を終えた。
「俺は今日、初めて御維新とはどういうことかわかった気がする。」大久保の挨拶の取材に来ていた「日々新聞」の記者が知人
に呟いた。この記者の新政府とはどのような弱者にも手を差し伸べ一様に国民として平等に扱うことで、士族だけではない、国
民全てが国家を担う新しき国を建設しようとしているのだという感慨は当たっており、当っていない。
横浜養育館は収容されている孤児の過半が、外国人船員と当時ラシャメンという名で蔑まれていた外国人相手の娼婦との混血
児である。史実になかった横浜養育館の建設運営は大久保の私的顧問の献策による。史実では差別の果てに大岡川の弁天橋建設
時に人柱にされた混血児達に救いの手を差し伸べる人道的理由だけではない。間引きや捨て子が横行する時代に混血児達に救い
の手を出した動機は、後年、ベタな悪の組織とその行状をなぞるような夢幻会に相通じている。
- 472. 名無しモドキ 2011/09/18(日) 15:26:53
- その私的顧問は説いた。今は欧米の文物やその人間までも優れた物をして持ち上げる風潮、幕末には夷敵と理由もなく根拠
のない日本人優位意識から欧米を卑下していた極端から極端に走る国民性を正して民度向上なくして百年先の欧米との戦争に
勝つことはできないと。清国人、韓国人を容姿から無条件に我国の味方と考える手合いもいる。日本人とは容姿の区分ではな
くその帰属意識、共通文化を持つ者であり、容姿が混血児、欧米人であっても同胞として迎え入れる国民を涵養すべし、そし
て、欧米風の容姿の者を結婚させいずれ、欧米の地において日本の諜報のために役立つ子をなさしめよと。
大久保は迷ったあげくこの案を受け入れた。財政逼迫で教育制度もまだまだという時期に反発を恐れて予算は、自身を含め
海援隊などの民間寄付で賄った。もっとも政府の機密費も密かに投入された。将来の人材養成のために雇われたのが、執事や
女中頭などの経験がある英国人である。この人材は渡英していた商人(現在では逆行者と判明)に依頼して集めた者達である。
当時のイギリスは貴賤貧富の差が激しく、「まっとうな英語」が話せる中間層でも寸時に転落する者が大勢いた。これらを高給
で雇用したのだ。高給といっても「お雇外国人」の数分の一以下の給与で雇うことができ、彼らの数少くない者が居心地がよく
子供を指導教育する仕事という元中産階級のプライドも満足させてくれる仕事のために帰化した。
神戸、長崎に同種施設が建設され、更に多くのイギリス人(神戸はフランス・ドイツ人、長崎はロシア人も雇用された)が雇
われた。ただ、何故か渡英者が送り込んでくる中産階級出身の女中(メイド)経験者の名にエマという名が多く、英国人女性と
言えばエマという誤った知識が関係者に広がり、英国女性と見れば「エマさん」と声をかける手合もいた。
英国人を雇う目的は混血児のバイリンガル教育の為である。そして、ささやかだが本来の目的隠匿のために才能に目をつけた
非混血日本人孤児も収容されている。学校では日本語で子供らに授業が行われるが宿舎に帰って英国人舎監助手が子供らの世話
をしたり食事や掃除の指示をする日常生活は英語である。日本語と英語のバイリンガルとして子供ら養育する計画である。この
ために自然な英語のスピーカーになるように入寮者は、才能があると認められた者以外は原則として十歳以下の子供に限られて
いる。
それ以上の歳の混血男子(極めて少数であった)は陸軍が欧米の制度にならう格好で兵補身分の鼓手やラッパ手を勤める少年兵
(将来の下士官候補)として採用した。また混血女子は教育を与えて将来の伴侶を世話するという「誓約」を大久保にしたうえで
何人かの有力者(逆行者が多かった)がメイドとして(高い競争率の結果)雇い入れた。
隠れた国策「孤児院」は明治後半(ゴス兄弟がいた頃)には混血孤児が減少したため本来の目的から離れ優秀な孤児の養育施設
になり他の孤児院との統廃合が検討されていた。しかし第一次世界大戦によりフランスやベルギーを中心に多くの孤児が生まれた。
親が死んだ孤児ばかりではなく、占領地域につきものである敵兵と誼を持った女達の子である。日本政府は人道上の見地という
理由で、現地で忌み嫌われたそれらの孤児を引き取り国策「孤児院」で本来の存在意義であるで欧米人の容姿をもった日本人の
養育を実施した。1920年代(ペントンがいた頃
>>354
)にはロシア人孤児が主力になり、1930年代には東南アジア系の孤児を引き
受け、1940年代以降はアフリカ系を含めた旧アメリカ合衆国の孤児も養育することになる。
- 473. 名無しモドキ 2011/09/18(日) 15:29:12
- さて、この国策「孤児院」の当初の目的である十歳以下の混血児を諜報部員に育てる。または、混血児同士を結婚させて
より欧米人の容姿に近い諜報部員養成の種馬にしようという計画の実行寸前に大久保に苦言を呈してきた人物が居た。
西郷隆盛である。
「このような企ては好かん。子を道具のように育てることができると思っておるでごわすか。今まで辛い思いをして
きた子ばかりでごわす。人として愛惜の情をもって接してやらねばいかん。取らぬ狸である将来のことなど考えて
おっては子は曲がって育つばかりで人間として育たん。損得無く子らを慈しむでごわす。そん中で、ある子が語学
を生かして学問に進みたければ学を与えてやる。語学を生かして商売をしたければその方法を教えてやる。御国の
ために語学と容姿を生かして身を粉にして働きたいと言えばそれをかなえてやればよい。それが本当の日本の為の
人材を得ることでごわす。」
西郷の言葉に計画の立案者である大久保の私的顧問はひれ伏して自分の浅慮と人を人とも思わぬ行状を詫びた。
大久保利通の京都時代から勝手に付きまとい、彼の政治的勝利に貢献したこの顧問の名は伝わっていない。
大久保が逆行者の存在を認知していないこの時期、弁舌と未来を予測するような言動だけで大久保に信頼され
ていた男はやはり逆行者である可能性が高い。その男は更に賢き知識のある者の意見を聞いて日本を導いて欲しい。
浅はかな自分は市井の一角から日本の行く末を見守りたいと大久保に告げて去った。大久保もその男がどのような
人物であったかを終生明かすことはなかった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−お わ り−−−−−−−−−−−−
-
最終更新:2012年02月08日 04:10