- 123. 名無しモドキ 2011/04/24(日) 16:18:21
- {調子に乗って、こりずに長い話になってしまいました。説明がくどくてearth様の設置、構想とは相容れない恐れが
ありますので、数ある「憂鬱世界」の一つの平行世界のつもりで見ていただくようお願いします。せっかく、名無
し三流様がいいお話を掲載された直後なのに、嫌な話ですみません。
アステカの星 「シエラマドレの虜」
納屋の扉が開いて、高原特有の朝の冷気が吹き込んできた。ジョン・ベーシロン二等兵は思わず粗末な毛布に首を
引っ込める。
「グリンゴ(アメリカ人への蔑称)、朝だ。一仕事したらメシを持ってくる。」えらく、使い込んだ旧式のエンフィー
ルド小銃を肩にかけた男が声をかける。かれこれ、一年近く、くり返される朝の光景だ。ジョン・ベーシロン二等兵は、
ごそごそ起き出す。石造りの小さな納屋の前は、半エーカーほどの、トウモロコシとジャガイモを植えた畑がある。そこ
が、ジョン・ベーシロン二等兵の働き場で、彼の食い扶持を育てる場所でもあった。最初は不慣れだった、農耕用シャベ
ルも、ようやくここいらの農夫と同じように扱えるようになってきた。
以前は、作業に出るときは、植民地時代から使われていたような、三十ポンドはありそうな錆びた鉄球のついた足かせ
がジョン・ベーシロン二等兵に装着された。彼は足首を痛めたり、傷つけないように移動するときは手で鉄球を移動させ
ながら、農作業をしていた。今は、その頃と比べると本当に朝飯前の気楽な作業である。
二時間ほどで急に気温が上がってくる。再び納屋に戻る。暫くすると、先ほどの男がトウモロコシパンである、トルテ
ィーヤを二つばかり持ってくる。昼にも二枚のトルティーヤと山羊のミルクなどが与えられた。昼からは、たいてい家畜
の放牧地を区切る石積の囲いなどの補修の仕事があった。
最近は、片言のスペイン語も覚えて、結構、村人と会話を楽しめるようになってきた。特に、メルベルという、娘は、
彼に好意的で、軍服を繕ってくれたりした。最近は、よく、一緒に地のコーヒーを飲むのが日課である。マリベルは少し
もどかしそうであるが、狭い村で監視されているジョン・ベーシロン二等兵には、それで十分であった。
彼は、昼食のトルティーヤ半枚を残して、おやつに食べるのが日課である。夕方には、また、二枚のトルティーヤ、そ
れに、彼が育てた塩味のゆでたジャガイモや、小さな野生種に近いトマトなど野菜、まれに、小さな肉片が入ったスープ
が出た。後は、自家製のタバコをくゆらして、昼間の仕事が終わったあとに、時々村人が差し入れてくれる地酒のメスカ
ルを飲んで満天の星空を眺める。乾いて澄んだ空気は、流れ星さえ直ぐ近くに感じさせる。そして、ジョン・ベーシロン
二等兵は、納屋にもどり心地く熟睡する。
ある夜、同じようにほろ酔いで、ひょとしたら、俺はこの村で、ずっと暮らすのかな。それも、いいかもしれないと考
えながら納屋に戻ってくると、戸口の蔭に人影が見えた。星明かりでも、それが、はにかんで下を向いているマリベルだ
とわかった。
二年前に、ジョン・ベーシロンは食べていくために海兵隊へ入隊した。ところが、メキシコとの戦争、否、政府の発表
では内政混乱により、在留アメリカ人とその資産を保護するための一時的にアメリカ軍を治安維持のために派遣したされた。
後には、誰の目にも明らかな、傀儡政権である臨時政府の要請に答えたアメリカ軍の駐留であると発表していた。
そのアメリカ軍の任務内容も治安維持とは、ほど遠いメキシコ正規軍との本格的な戦闘だった。機動力と兵器に勝るアメ
リカ軍はメキシコ軍を圧倒したが、それなりの戦死者と数倍の戦傷者は出ていた。そのため、当初のもくろみの二倍近い部隊
がメキシコに派遣された。これで、寝床と、整備兵になり手に職をつけるために入隊したジョン・ベーシロンのもくみは外れ
て、訓練もそこそこに、歩兵大隊所属の二等兵として、メキシコ駐留軍に送られた。
ジョン・ベーシロン二等兵の任地は、最初はチワワ近郊の警備部隊だった。ここで、彼の部隊は、近郊の農地接収任務に駆
り出された。メキシコは曲がりなりにも、民主主義体制であったため、アメリカに圧殺された政権は、国民の支持で選ばれた
政権である。また、歴史的にアメリカに、テキサスやカリフォルニアなどの領土を奪われ続けたメキシコは概して、反米意識
が強く、民族意識も高い。アメリカ軍が現政権を倒したと言っても、まっとうな議会における反政府勢力が、親米政権の母体
にはならなかった。
}
- 124. 名無しモドキ 2011/04/24(日) 16:23:34
- このため、アメリカ政府は、旧地主勢力に頼った。メキシコでは20世紀初頭の、メキシコ革命以来、不十分な形で
あるが農地改革が行われていた。この時に、農地を強制的に農地を買い上げられた旧地主層の協力をえるために、不
等な私有財産接収を正すという餌で、アメリカは、メキシコ内で支持勢力を確保して臨時政府を立ち上げた。
しかし、農民が農地を得てからすでに一世代ほどの時間が過ぎた中での農地の再接収は困難を極めた。早い話、
武力行使以外には手段がなかった。アメリカに移住した旧地主層まで取り込んでいた臨時政府は、メキシコ軍を動か
そすことができなかった。メキシコ軍は、南米では例外的に、真の意味で愛国的で腐敗の度合いも少なかった。皮肉
にも、これもアメリカという潜在的な脅威のなせることであった。不承不承、臨時政府の傘下入ったメキシコ軍であ
るが、国土防衛以外の任務、すなわち一部勢力の私的な利権確保のために動くことを拒否していた。
このため、臨時政府は浮浪者や犯罪者を臨時に雇用して接収部隊を編成したが、武装農民の排除は困難であった上
に臨時政府への憎悪が燃え上がっていた。このため、19世紀的な社会の認識と、目先の利益しか見えていない臨時政
府はアメリカに泣きついたのである。アメリカ軍によって農地を接収して欲しいと。アメリカ軍自身は反対したが、
メキシコで、他の支持勢力を持たないアメリカ政府はこの要請を受け入れた。
広大な土地が旧地主に接収されたが、旧地主の行動は大きく二つに分かれた、現在でもある程度、小作農による経営
を行っていた地主は、農地は接収するが、小作料を徴収することで農民自体に耕作を任せた。もう一つは農業経営から
離れて一世代という旧地主で、彼らは、ただ徒に農民を追い出して無住の広大な土地を所有することで満足していた。
アメリカ軍は派遣されるのは、このような旧地主の要請によるもので大半であった。ジョン・ベーシロン二等兵は、
旧地主による農地接収のために農村に派遣された。銃で脅かして強制的に農民を排除していく、アメリカ軍が農民を村
の一角に集めると、旧地主とされた男が連れてきた、いかにも無法者といった連中が農民達が持ち出した荷物を奪いだ
した。不当に占拠した農地から得た財産を、正当な地主へ返還するというのが理由であった。地主に雇われた男達の
乱暴に泣き叫んで抵抗する農民、それを、銃をかざして取り囲むアメリカ軍。
その時、トラックに分譲したメキシコ正規軍があらわれた。緊張が走った。荷物を強奪しようとしていた男帯も、
抵抗する農民も、そして、アメリカ軍も凍り付いた。
メキシコ軍の指揮官は、アメリカ軍の指揮官と暫く話し込んでいた。最後にアメリカ軍の指揮官は、首をたてに
ふった。メキシコ軍はすぐさま、農民から荷物を奪ったいる男たちの排除を始めた。そして、農民たちをトラックに
乗せ、備蓄したあった食物と家畜を集めて整然と去っていった。農地接収は、政府の命令であるが、国民である農民
いや土地を失った難民の保護は軍の責務であるというのがメキシコ軍の行動理由だった。ただ、メキシコ軍にしても
農民が持ち出した食糧で食いつないで僅かばかりの耕作ができような無住の荒れ地に移動させるか、都市の近くに
移動させることしかできなしなかった。このため、アメリカ政府発表で数十万、実際は、数百万に達する難民がアメ
リカ国境に向かい、実際に何割かがアメリカに入り込んでいた。
ロング大統領の難民への強硬策にも拘わらず、現実に難民の越境を阻止するためには、国境沿いに難民キャンプを
設置して、それをコントロールする必要があり、アメリカ軍の負担は増大していた。組織的ではないが、アメリカ軍
へのテロ行為は頻発し、メキシコの広大な山岳部では、正規軍からの脱走兵、土地を失い、家族を旧地主に惨殺され
た農民、少数民族を主体にしたゲリラ活動が活発化していた。こうのようなゲリラは旧地主階層を標的していたため
広範囲な地域に分散する旧地主層を保護するためにアメリカ軍が動員された。そのアメリカ軍とて少数とみればゲリ
ラが襲撃してくるためにため更に多くのアメリカ軍が動員された。そして、大義名分なき外征軍に付き物の「規律の
紊乱」が目に余ってきていた。
日米戦争の直前には、メキシコ国内だけで30万のアメリカ兵が動員されており、国内の後方支援部隊までを含め
ると50万の兵力が動員されていた。これに、メキシコ国境沿いに州が動員している難民対策の州兵が加わった。
そして、アメリカ軍はゲリラの根絶の為には、更に30万の兵力が必要と考えていた。このような出費のために、得
られるのは、当時は、まだ少量の生産しかなかったメキシコ油田の利権だけあった。
- 125. 名無しモドキ 2011/04/24(日) 16:27:23
- むしろ、メキシコ国民が困窮化したために、それなりにメキシコで市場を得ていたアメリカ製工業品は需用は急減した。
更に、地主層への課税をほとんど廃止、すなわち税収が激減した臨時政府を支援するために、返済の当てのない借款まで
必要であった。この借款も、メキシコの前政権で、それなりに有能であった官僚を追い出して情実で採用された人間が臨
時政府の実務を行っていたため、底なし沼に金をつぎ込んでいるような状態であった。
経済的な支配を行っても、国境紛争でもある程度、メキシコへの侵攻を自制してきた、歴代アメリカ政府の政策に反して
そして、老獪なベテラン政治家達の諫言に目を瞑って、自らの人気取りのために大規模なメキシコへの介入を行ったロング
大統領と、アメリカ国民の払うツケは大きくなる一方であった。このため、民主党の中からも、メキシコで早期に選挙を
実施して、まっとうな政府を立ち上げてから撤兵して再度の侵攻をちらつかせながらコントロールしてはという意見もあった。
しかし、共産主義的な左翼政権を排除して、民主主義勢力を援助し現メキシコ臨時政府を立ち上げたことを掲げている
ロング大統領は、今後、外地、特に中国での事情から、外地での友好勢力獲得のためにも一度支持した勢力を簡単に切り
離す政策を選択することはできなかった。また、あまりに時代錯誤なメキシコ臨時政府の政策への介入も、臨時政府がア
メリカからの借款を、アメリカ議会でのロビー活動に当てていたため、「独立国であるメキシコ政府の政策に口を出すべ
きでない」という恐ろしく皮肉である理由で議会で強固に主張する勢力があった。
現在では、当時は必死で国民の目をそらそうとしていた経済的な理由からも、ロング大統領は「戦争を持って戦争を
養う」歴史上、度々くり返されたこの愚行を選択したとされる。決定的な理由ではないが、(ただメキシコ侵攻がなけ
れば選択する可能性が低かった)メキシコでの戦争を養うためにも、東アジアでより大きな利権を得る必要があり、日本
との戦争を欲したのであると言われる。
さて、話はジョン・ベーシロン二等兵にもどる。彼がメキシコ、シエラマドレ山脈山中の寒村にいるのには以下のよう
な事情があった。
彼の部隊は、輸送任務のために数台のトラックと、ジープで移動中に一台のトラックが故障した。アメリカから来たば
かりの新米少尉は、故障したトラックの護衛のために、ジョン・ベーシロン二等兵を含む五人の兵隊に帰路に拾いにくる
まで止まっているように命じた。「いいか、ここを離れるなよ。無断で離れた場合は、脱走とみなす。」少尉はそう釘を
さすと去っていった。
ジョン・ベーシロン二等兵は、指揮を任された伍長に、トラックから離れて丘の上で見張りにつくよう命じられた。
彼が丘の上で見張りを始めて、小一時間たった頃、トラックの方で激しい銃撃音が聞こえてきた。彼といた丘の反対方向
から二十人ばかりのゲリラが攻撃をしていた。すでに、トラックの近くには二人のアメリカ兵が倒れている。ジョン・ベ
ーシロン二等兵は、ゲリラ兵の方へ小銃の照準を合わせた。すると、後頭部をなにかかがつついた。振り返ると、十四五
の少年が小銃で狙っている。静かに、ジョン・ベーシロン二等兵は自分の小銃を脇に置いた。
暫く、凍ったように動けなかったジョン・ベーシロン二等兵は、少年が震えていることに気づいた。小銃も、自分の体
とは別の方向を向いている。ジョン・ベーシロン二等兵はとっさに少年の小銃を掴むと力任せに放り投げた。そして、丘を
トラックとは反対方向へ全速力で走り出した。しばらくして、発砲音がして頭上を弾がかすめた。
腰を屈めて、ブッシュの中を駆け回っていると突然、道路に飛び出してしまった。そして、そこには、先ほどの少年を含
めて、五人ばかりのゲリラがジョン・ベーシロン二等兵を小銃で狙っていた。こうして、ジョン・ベーシロン二等兵は捕虜
になった。後の兵隊は全員殺されていた。四十ばかりのゲリラのリーダーは、トラックから利用出来そうなものを運び出す
と、ジョン・ベーシロン二等兵を連れて山岳部へ移動を命じた。その手際のよさは、もと軍人かとも思えた。
6日間、二十人ばかりのゲリラと山岳部を歩いて、現在のロドリコ村に到着した。ゲリラのリーダーは、村長と何事か話
すと、ジョン・ベーシロン二等兵を村に残したままゲリラを率いて去っていった。後で、聞いたことだが、ジョン・ベーシ
ロン二等兵が殺されなかったのは仲間の釈放のための取引材料に、ゲリラがアメリカ人捕虜を集めていたからであった。そ
して、足手まといになる、ジョン・ベーシロン二等兵をシンパの村に預けたのである。
- 126. 名無しモドキ 2011/04/24(日) 16:30:36
- こうして、ジョン・ベーシロン二等兵の捕虜生活が始まった。最初は、厳重に監視されたが、やがて足かせを付けて
農作業に駆り出された。もっとも、ジョン・ベーシロン二等兵の脱走への意欲は低かった。友軍に辿り着いても、脱走
もしくは敵前逃亡と見なされることを恐れていたのである。
彼が捕虜になる二週間ほど前に、彼の属する大隊で敵前逃亡事件があった。戦闘中に、孤立した新兵が、パニックに
なって銃を捨てて逃げ出したのである。規律低下を恐れる軍は、問答無用で、重罪もあり得る軍法会議にこの新兵を送
った。上官の命令を守らずに、現地を離れたジョン・ベーシロン二等兵も同様の罪に問われることを恐れたのである。
このようなジョン・ベーシロン二等兵の、気持ち、様子から次第に村人も警戒を解いて、次第に彼を自由にするよに
なった。村長も、彼が逃げ出しても、ゲリラに脅されて捕虜を預かったが厚遇したと言い訳を考えていた。後で考えれ
ば、村長はアメリカ軍、いや追い詰められたアメリカ軍をなめていたことになるが・・。
ある日、ジョン・ベーシロン二等兵は、薪を集めて来て欲しいとロバをあてがわれた。三日ほど前に、アメリカで大
きな災厄があったらしいこと、メキシコ各地でアメリカ軍に対して蜂起が起こっていることが伝わってきた。村の男た
ちの何人がゲリラに合流するために村を離れたことで男手が不足していたからである。流石に、いつも彼の見張り役に
なっているエンフィールド小銃を肩にかけた男が同行する。
二時間ほど離れた山の中で、薪を集めて村野方へ戻ってくると家が燃える煙、人々の悲鳴、銃声が聞こえてきた。
ジョン・ベーシロン二等兵とエンフィールド小銃を肩にかけた男は、岩陰から様子を見ると、小隊規模のアメリカ軍が
村を襲撃している。すでに、村人の大半は両手を挙げて一カ所に集められている。そして、何人かの村人は、倒れたま
ま動かない。
「ゲリラ狩りだ。まさか、こんな村まで襲うとは。」エンフィールド小銃の男は、ジョン・ベーシロン二等兵の服を引っ
張ると村とは反対の方向へ走り出した。ジョン・ベーシロン二等兵も必死でついて行く。暫く走って、少し尾根の開けた
場所に出た。すると、そこには、小銃を構えた二人のアメリカ兵がいた。エンフィールド小銃の男はとっっさに銃を向け
るが二発の弾丸が彼を貫通した。
「隊長がいったことは本当だったな。逃げ出すやるがいるとすればここだって。よーし、手を挙げろ。お前で三人目だ。」
ジョン・ベーシロン二等兵は言われるままに手をあげた。(三人目、先に逃げてきた村人がいるのか?)ジョン・ベーシロ
ン二等兵が考えていると兵隊が彼の姿をまじまじ眺めて誰何した。
「おや、お前、アメリカ人か。」
「アメリカ兵だ。捕虜になっていた。」ジョン・ベーシロン二等兵は言ってから後悔した。あの村で自分が捕虜であったと
なれば、村人に余計な災難が降りかかるかもしれない。
「おい、どうした。」近くの茂みから、もう一人、兵隊が出てきた。
「こいつ、アメリカ兵だってよ。」
「そうか、お前にも、いい目さしてやるんだったな。俺で終わりだと思ってたかな。もう、二度と動かなくなっちまったよ。
それとも、お前さんは、その方がいいかい。本当だ、認識票は本物だ。」茂みから出てきた兵隊が、ジョン・ベーシロン二
等兵の首にかかっていた認識票を、手に取って見ながら下品に笑う。ジョン・ベーシロン二等兵は、ゆっくり、茂みの方へ
恐る恐る近づいた。見慣れた、スカートが見える。そして、目を開けたまま倒れているのは、マリベル!
ジョン・ベーシロン二等兵は、無意識で落ちているエンフィールド小銃を無意識で拾い上げた。そして、十秒に満たない
間に全ての弾丸を撃った。暫くして、大勢の近づく気配がした。ジョン・ベーシロン二等兵は、我に戻ると、三人のアメリ
カ兵の死体を一別し、一人の銃と装備を急いで外して足音とは反対の方へ逃げ出した。
こうして、ジョン・ベーシロン二等兵自身は逃避行、同時代や後世の民衆からは、メキシコからアメリカ西海岸、中西部
を舞台にした「アステカの星」と呼ばれる男の冒険談が始まった。
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最終更新:2012年02月08日 04:03