309 :yukikaze:2012/02/12(日) 21:30:32
では投下します。
社会秩序維持局の職員であるハイドリッヒ・ラングにとって、
上層部の喧騒は笑止の沙汰であったと言える。
彼からしてみれば、上層部はのるかそるかの大博打をしたのだ。
当然、どのような目が出ようとも、覚悟を決めておかねばならない。
だが、蓋を開けてみれば、彼らは覚悟を決めるどころか、むしろ
右往左往しているというのが現実である。
(しかしまぁ・・・よくやるねぇ。あの爺様)
ラングは彼の老人が書いたシナリオの中身に苦笑を浮かべた。
百戦錬磨の彼がそんな思いを抱くほど、老人のシナリオは辛辣を極めた。
まず彼が最初に流した噂は、今回の流産が仕組まれたものであり、社会秩序維持局
がその捜査に乗り出すであろうというものであった。
この噂については、社会秩序維持局でも問題にされなかった。
何しろ彼ら自身がそういう噂を流していたのだ。
実の所、ラングですら、当初は見落としていたほどである。
そして次の噂が、犯人であると言われたブラウンシュバイク・リッテンハイム両家が
合同で犯人捜索を行うことを奏上するであろうというものであった。
これについてもあり得る話なので、誰も問題視はしていなかった。
そして第三の噂である。
今回の一件で、社会秩序局はブラウンシュバイク・リッテンハイム両家に貸を作るため
裏で手打ちをしているという話が、まことしやかに流れたのである。
最初、この話に社会秩序維持局は鼻で笑っていたのだが、それも社会秩序局が、
リッテンハイム家やブラウンシュバイク家の不満分子と接触している映像が
皇太子に渡り、皇太子が社会秩序局を疑っているという噂が流れるまでであった。
猜疑心が強く、かつ今回の一件で後ろ暗いところがある皇太子にしてみれば、
社会秩序維持局が自分を切り捨てて、両大貴族側に向かったのではと考えるのは
十分にありえることであった。
社会秩序局側は、この噂の出所を調べるとともに、万が一の為に、前内務尚書を通じて
皇太子に疑念を抱かないよう手をうとうとした。
だが、彼らが取り掛かるのと同じころ、今度は皇太子が社会秩序局もろとも両大貴族を
葬り去ろうと考えているという噂が流れたのである。
この情報に、社会秩序局上層部は疑心暗鬼に捉われた。
何しろ皇太子はこういった点について前科があるのである。
前内務尚書が結果的に失脚したのも、皇太子の軽はずみな発言が元でもあった。
社会秩序維持局は、とにかく噂による内部混乱を防ぐために、前内務尚書との情報連携を
緊密にしたのだが、今度はそのことについて、前内務尚書と社会秩序維持局が結託して
自分を庇わなかった、前内務尚書のグループの重鎮たちを嵌めようとしているという
噂が流れたのである。
310 :yukikaze:2012/02/12(日) 21:32:43
もうここまで来ては、流産事件の取り調べも何もなかった。
ここで下手に流産事件の取り調べ担当を主張すればするほど、
自分達に疑いの目がかけられるのである。
一部の人間は、この噂を逆手にとって、前内務相グループの重鎮達への
優位性を獲得しようと動くのだが、今度はその動きをリークされ、
噂に信憑性を付け加えてしまうという悪循環を産み出してしまった。
結果として、今回の流産事件については、社会秩序維持局は、
気づいてみれば全方位からの不信を抱かれるだけに終わり、
政治的な失墜は免れない状況に追い込まれていた。
(全く見事だよ。噂一つで組織を崩壊させるとはね。伊達に
皇子2人を破滅に追いやっていないか)
日向ぼっこしながら居眠りをする老人を思い浮かべ、ラングは心中、
称賛の声を上げていた。
謀略の世界では、嵌める相手よりも嵌められた相手の方が愚かなのである。
そしてあの老人は、社会秩序局上層部や前内務尚書が描いたシナリオの更に
上を行ったのだ。流石と言ってよいであろう。
(さて・・・これで、社会秩序維持局は不祥事による再編は免れず、
前内務尚書は有用なコマを失うことになった。
謀略家にとって、情報を失うことほど痛いものはない。
それを分からぬ前内務尚書ではあるまい)
そう。これで前内務尚書の力はさらに減少することになった。
勿論、彼は情報網の再構築に取り組むだろうが、帝国でも有数の諜報組織である
社会秩序維持局の穴は、そう簡単には埋まることはないだろう。
第一、彼が情報網を再構築するまでの時間を相手が与えるかどうか。
(では・・・そろそろ私も動くか。演劇も楽しめたしな)
そう不敵な笑顔を浮かべたラングは、かつてある世界においてこう呼ばれていた。
『極東で最も危険な男』土肥原賢二として。
最終更新:2012年02月15日 19:38