408 :グアンタナモの人:2012/03/06(火) 21:46:40



 イスパニョーラ島西部、ポルトープランス。
 フランス語で〝王子の港〟を意味するこの街は、かつてフランス植民地随一の利益を誇っていた仏領サン=ドマングの玄関口として栄えた街だ。
 また同時にスペイン、フランス、ハイチ、アメリカと支配者が次々に移り変わった街でもある。
 そして現在、ポルトープランスは大西洋津波でそうした過去を洗い流し、大英帝国という新しい支配者を迎えて久しい時が流れている。
 その大英帝国が築いた新市街地から少しばかり離れた場所。
 半ば忘れ去られた旧市街地の古い桟橋に、ブラックラグーン号は身を寄せていた。

「あら、遅かったじゃない」

 桟橋の上でブラックラグーン号の到着を待っていた一団。
 そのうちの一人であるキャリアウーマン然とした妙齢の美女――バラライカが甲板に姿を見せたダッチに言葉を投げかけた。

「ハリウッド顔負けのハプニングにぶつかってきたところだ。フィルムが残ってたら一稼ぎできたかもしれん。残念だよ」

 桟橋と艇とを係留用のロープで結びながら、何処か疲れた声色で答えるダッチ。
 かなり珍しい彼の様子に、バラライカは少しばかり興味を惹かれた。

「哨戒艇にでも見つかったの?」

「いや、あちらさん、気合十分なことに何処かから攻撃ヘリを持ち出してきてね。そいつに追い掛け回されたんだよ」

「……まだ残ってたのね」

「なにか言ったか?」

「いえ、別に」

 ダッチの言い様を信じるなら、彼らは彼女達が狩り逃してしまったEO社の航空戦力に襲われたのだろう。
 彼女達はウィンドワード海峡を襲撃できる距離にあるEO社施設を監視下に収め、動きがあった場合は破壊工作を加えていた。
 だが、折り悪くそれを生き残った戦力がいたようだ。
 何せEO社は東米系の民間軍事企業の中では、かつて最大手だった存在である。
 民間軍事企業は、広大な勢力圏の防衛を国軍だけで行なうことに限界を感じ始めた列強――ただ日本だけは巧みに戦力を捻出、配置していたが――へ呼応するかの如く、急速にその数を増やした。
 EO社はその最初期で一気に勢力を伸ばした企業であり、保有する戦力はかなりのものだ。
 故にカリブ海にも欧州列強の契約に則った相応の数が展開しており、監視漏れがあった可能性を否定できない。
 今回はそれが最悪の事態に繋がらなかったものの、後で絶対に改善せねばならない点であろう。

 ちなみに彼らEO社の戦力は、これでも最盛期に比べれば新興民間軍事企業との競合で大きく減じている。
 それが朝日重工との結託。延いては今回の暴挙に繋がったらしい。
 どちらにせよ、彼らの企業生命は今日明日で終わりだろう。
 マカオ条約に反しているという明確な証拠が得られた以上、列強諸国の圧力を嫌う東米も動かざるを得ない。
 最悪、勇名を馳せる大日本帝国軍が直々にEO社施設への〝報復〟を行なう可能性すらあるのだから。

409 :グアンタナモの人:2012/03/06(火) 21:47:21

「それでどうやって切り抜けたのかしら? 見たところ、ほとんど無傷のように見えるけど」

 閑話休題。
 バラライカはそう訊ねながら、ブラックラグーン号をちらりと横目見た。
 艇内からこちらを窺っている見知った顔を二つと見知らぬ顔を一つ見咎めたが、気がつかなかったことにする。
 その視線はおそらくバラライカではなく、〝彼女の後ろに立つ一団〟の方に向けられているのだろうから。

「それはロック……おっと、ジャパニーズのおかげ様だよ」

 続けて、ダッチはロックの機転で状況を脱したことを説明する。
 彼が行なった説明の最中、バラライカの鷲のような目がわずかに細められた。
 もっともあまりに微細過ぎる変化であり、目敏いダッチですら気がつくことはなかった。
 そして、それは彼女の後ろに立つ一団の一人が目を細めたことも同様であった。

「とにかく無事なようで何よりね……それじゃ、後は〝貴方達〟に任せるわ」

 そう言いながら、バラライカが一歩横に退く。
 すると、彼女の後ろに立つ一団から二人の人物が前に進み出てきた。
 壮年の男と、若い男だ。一体何処の誰なのかは、訊くまでもないだろう。

「……なあ、バラライカよ。本当にどういう魔法を使ったんだ? 西ロシアとは縁が遠いはずだろう?」

「世の中にはいろいろあるのよ」

 ダッチの問いを、バラライカは慣れた様子でいなす。
 表向きにはブーゲンビリア貿易を装っている〝ホテル・モスクワ〟だが、裏向きには軍閥上がりの西露系マフィア、ということになっている。
 それは〝ホテル・モスクワ〟が発足当初、対西露諜報を専門とする外局であった〝実〟に〝虚〟を織り交ぜたが故の結果だ。
 彼女達の本当の顔。すなわち裏の裏までを知る者は、グアンタナモ周辺では〝同業者〟しかいない。
 だからこそ、ダッチがバラライカと、進み出てきた二人の人物との繋がりを知る由はない。

「どうも」

 たった一言。それだけでダッチの背中に嫌な汗が伝う。

「大日本帝国情報局の竹中だ」

「大日本帝国マイアミ総領事館の岡島です」

 そんな反応を本能的に催させるだけの存在が、そこに居たのだから。


(続け)

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最終更新:2012年03月06日 22:05