602 :グアンタナモの人:2012/02/21(火) 11:22:51



「ほー、ちょこまかと上手に逃げ回るもんだ」

 <ヤクトフント>の兵装手席で海上を逃げ回る魚雷艇を見ながら、一人の男が喜悦の表情を浮かべた。
 東アメリカ共和国――東米の傭兵派遣企業、エクストラ・オーダー社で傭兵部隊の指揮官を務めている男だ。
 彼の属するEO社は、傭兵派遣が主産業の東米の中でも指折りの〝仕事熱心〟な会社である。
 西ロシアにアフリカ、中東。
 幸か不幸か、今の地位まで上るために必要な武勲を立てる戦場には不自由しなかった。

「それじゃあ、次行ってみようか?」

 そして、彼の〝欲〟を満たすために必要な場所にも。

 指揮官の男の意を酌んだのか、操縦手が<ヤクトフント>を魚雷艇に近づける。
 這うような低空。操縦手もまた、西ロシア帰りの腕利きだ。
 これくらいならば、造作もなくできる。
 しかも今回の目標には、対空機関砲の一つも備わっていない。
 終始花火大会で、なおかつ魔女の釜底だったと断言できる西ロシアとは比べるのもおこがましい。
 そんな操縦手が的確に動かす<ヤクトフント>の機首三〇ミリ機関砲の砲口が、魚雷艇へと向けられる。
 弾種は通常弾だが、戦車ですら吹き飛ばせる威力を前にすれば、たかだか魚雷艇など問題にはならない。
 指揮官の男は口笛を吹きながら照準を微調整し〝当たらない〟ように努める。

 憎き連邦時代の残滓に乗った、憎きイエローデビルを同時に甚振れる。
 これほど東米人が希(こいねが)う機会は、そうそうお目に掛かれないだろう。
 心の底から、楽しまなくては。
 そう男が思った刹那、<ヤクトフント>の機内に金属音が響いた。

「!」

 銃撃。
 戦場で養われたパブロフの犬――後天的条件反射――に従い、<ヤクトフント>の操縦手は回避行動を取る。
 ぐぉっと機首が傾き、魚雷艇から<ヤクトフント>が離れていく。

「おいおい、ちょっとぉ! 良いところだったのになんてことするんだ!」

「反撃がありました。念のために回避行動を」

「かーっ、判ってないな! ほら、あれ見てみろ! ただの拳銃だよ! あれくらいじゃコイツは落ちない!」

 指揮官の男が示す先には、魚雷艇のハッチから身を乗り出した、白いワイシャツにネクタイ姿の人影。
 拳銃らしきものを構えており、こちらに必死の抵抗を試みている。
 力量の差を知る者から見れば、なかなかどうして涙を誘う光景だ。

「……まあ、いいさ。そろそろ変化が欲しかったところだ。あいつの頭だけをロビンフッドよろしく吹き飛ばしてみるか。ほら、もう一度だ」

 上官の命令には逆らえないため、操縦手は改めて<ヤクトフント>を魚雷艇に向ける。
 またもや海面を擦らんばかりの低空だ。
 そんな<ヤクトフント>目掛けて、断続的に拳銃弾が飛来する。
 だが、当たれど当たれど装甲に弾かれる虚しい音が響くばかりで、<ヤクトフント>はびくともしない。

「それじゃ、今度はこっちの番だな」

 三〇ミリ機関砲がゆっくりと動く。
 哀れな抵抗者の頭蓋を林檎のように吹き飛ばすために。

 そして男が引き金を引こうとした時、轟音と共に〝彼の世界〟は引っくり返った。

603 :グアンタナモの人:2012/02/21(火) 11:26:39
「今だ、レヴィ!」

「オーライ!」

 拳銃で相手の注意を惹き付けていたロックの合図で、レヴィは甲板に出るハッチから飛び出した。
 手には銛撃ち銃。その銛先には艤装に用いる細い鋼線が結びつけられていた。

「〝羽〟をもいでやる」

 それを瞬時に構え、撃つ。
 ドシュ、っという普通の銃とは異なる射出音と共に銛が放たれる。
 放たれた銛に合わせ、結びつけられた鋼線も宙を駆け抜けた。
 狙いは装甲の薄い操縦席……ではない。

 つんざくくような異音。何かがひしゃげる激しい金属音。少し遅れて、<ヤクトフント>が傾く。
 特徴的な双ローターの右片方が、ぐるぐると絡みついた〝鋼線〟でその回転を止めてしまったためだ。
 双ローターという構造上、片側のローターが止まった<ヤクトフント>の運命はただ一つ。
 未だに回っている左ローターの影響をもろに受け、機体が空中で一回転。
 操縦席には慌てに慌てるEO社傭兵の指揮官と、絶望を顔に貼りつけた操縦手の姿が見て取れた。

「さようなら、ベイビー」

 そう親指を下に繰り出しながら喜ぶレヴィの目の前で、<ヤクトフント>は海面に勢いよく叩きつけられた。
 大きな水柱が、さながら墓標のように立ち昇った。

「……助かった」

 その光景を見て力が抜けたのか、ハッチから艇内にずるずると滑り落ちるロック。

「……ジャパニーズってのは、皆〝こう〟なのか?」

『僕は彼らの今がある理由を垣間見た気がするよ』

 脱力しているロックの後ろで、ダッチとベニーが無線越しに感想を述べ合う。
 二人はこれまでになく噛み締めていた。
 彼らのような人間の間で細々と語り継がれている、長生きの秘訣を。

 ドイツ人には隙を見せるな、英国人とは交渉するな。
 そして、日本人とは係わるな。

 とはいえ、時既に遅し。
 最早、否応無しに巻き込まれていくしか道が残されていないことを、彼らはもうじき理解する。

(続け)

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最終更新:2012年02月25日 23:21