○9年前○
「パパ!」
柔らかな光差し込む一戸建て住宅のリビングにて、幼い女の子が200字詰めの原稿用紙を元気よく差し出した。
その原稿用紙の1行目には「わたしのしょうらいのゆめ」と、丸く拙い字で書かれている。
「ふふふ、学校の課題ですか?」
虎柄のハイセンスな1人掛けソファーに深く腰掛けたまま、差し出された原稿用紙を丁寧に両手で受け取った成人男性。
その男性の腕と腕の隙間をスルリとくぐり、そこが定位置であるかのように彼の足の間に座った女の子。
二人は揃って原稿用紙に目を落とす。
「はやく! はやく読んでみてください!」
可愛い娘に急かされ、男は音読をはじめた。
『わたしのしょうらいのゆめ 1ねん1くみ■■■ ■■■
わたしのしょうらいのゆめはけいさつかんになることです。
おとうさんのようなかっこいいけいさつかんになりたいです。
おとうさんはわたしとおかあさんをまもってくれるのでかっこいいです。
けいさつかんのふくもかっこいいです。
ひげはちょっときらいだけどがまんです。』
作文を読み終わり、小さく男は笑った。
夢という主題からややズレた作文の内容も、それに対する「すてきなおとうさんですね!」という担任の投げやりなコメントと花まるも、娘が自分を慕ってくれているという事実も、何もかもが微笑ましかったのだ。
―――――魔人犯罪者達が名を耳にすることすら忌避する鬼の魔人公安■■■■。
この男、公安組織を武力面から支える精鋭魔人衆“五行五色”の一角に名を連ねし“炎の赤”は、この時この場においてのみ、どこにでもいるありふれた“幸せな父”であった。
「そうですか、■■さんは警察官になりたいのですね。」
「えへへへ。」
照れくさそうに幼女は頭上に位置する父の顎を手の甲で撫でる。
シャリシャリと髭と手とが擦れ、音を立てる。
「……フゥーム、しかし。
警察官はあまりオススメできるお仕事ではないのですが、考え直してはいただけないでしょうか?」
髭を擦られながら、神妙な面持ちで男は言う。
「えー! なんでです!?」
「警察官というのは豚にも劣る下種共を……っと。」
不治の病のように心に深く根付いた魔人犯罪者達への憎悪をポロリと口にしかけて、娘の情操教育上良くないと男は言葉を選びなおす。
「―――――そうですね、警察官というのは“悪い方”達を相手にするお仕事なのです。
“悪い方”は当然“悪いこと”をしますし、それを成そうする手段は多くの場合暴力に寄ります。
私は、■■さんに危ない目に遭って欲しくないのですよ。」
その経験から来る真摯な忠告を受け、幼女の大きな瞳がしぱしぱと瞬く。
きょとんと、首を後ろに大きく反らして見上げる幼女の視線と、優しく見下ろす男の視線が交わる。
少しおいて、心底不思議そうな声色で彼女はこう言った。
―――――あぶなくなっても、パパがまもってくれるから大丈夫ですよ?
○ハルマゲドン開戦日○
数時間後に迫った番長グループとの対決に向けて賑わう“武装生徒会室”。
東西2棟に分かれた校舎の西棟、その4階から5階までを占める生徒会領、通称“生徒会城”の最奥最上部に位置する“生徒会天守閣”こと“武装生徒会室”。
そこに集うは精鋭の生徒会役員、上納金で雇われた臨時戦闘員、メカ、アキカン、触手、全裸など、個性豊かな総勢二十余名の魔人達。
粛清・処刑という大義名分の元、己が力を知らしめんとする者、爆発の末に果てたいという願望を胸に秘める怪人、戦いの中で福祉の真理を極めんとするヘルパー、各々が決戦へ向けやる気に満ち溢れている。
室内に蓄積され続け、今か今かと外へと飛び出す機会を伺う熱気が、これから始まるであろう全力の大闘争を否が応でも想起させる。
そんな中、酷くおどおどとした振る舞いの少女が、虎のような奇天烈な出で立ちをした“大親友”におずおずと遠慮がちに話しかけた。
彼女の名は“十薬シブキ”。
高校生活初日、極端に内気な彼女に話しかけてくれたその虎のような少女に対し、愛情よりも深い“友情”を抱いている盲目一途な魔人だ。
彼女は“大親友”の為ならば、たとえ火の中水の中、いつでも命を投げうつ覚悟を持つ。
ちょっとだけ、想いがヘヴィーだ。
「い、痛そう…。 “ココ”ちゃん、それ……大丈夫?」
“ココ”と呼ばれた少女の頬には、ごく最近できたであろうことが伺える青痣があった。
「ふふふ、よくぞ聞いて下さいました。
これは特訓の勲章でガゥ☆」
軽妙に答えたココこと“虎子(とらこ)”。
特殊語尾の「ガゥ☆」に合わせてネコのようなあざといポーズをとる。
彼女は食客参謀として生徒会に囲われた無所属魔人であり、萌え萌えキュンなテイストが過ぎて思わず殴りたくなるような痛々しい虎のコスプレからくる馬鹿っぽいイメージに反し、大変切れる頭脳とナイフ格闘術を有している。
その彼女曰く、本日のハルマゲドンに向けて魔人公安である父と二人で、攻撃力を上げるための秘密特訓を行っていたのだという。
また、その過程で青痣ができてしまったのだと。
「攻撃力を10から2上げることで、しゃらくさくステメタ制約対策に防御力に振っているアタッカーを命中判定で躓くことなく確殺できるのです! …じゃなかった!できる『ガゥ☆』」というメタ的な特訓解説に、シブキは「よく分からないけどスゴい」と思った。
「―――――………でも、」
「ガゥ?」
シブキの小さな手が、おそるおそる青痣の上に添えられる。
「い、痛そうなことに……変わりない…。」
傷を刺激しないように細心の注意を払いつつ、やわやわと頬を撫でるシブキ。
まるで幼子に対する「痛いの痛いの飛んで行け」というおまじないのように。
その行為に意味は無い。
シブキは癒しの魔人能力など持っていない。
それでも彼女は、傷んだ“大親友”を前に何かせずにはいられなかったのだ。
「くすぐったいガゥ☆」
そのような優しさに触れて、虎子ははにかむ。
―――――しかし、
和やかな表情に反して、その瞳は暗く冷たく濁っていた。
○ハルマゲドン開戦前日○
「あっ あっ モットモ あっ カンタッ…カンタ あっ あっ あっ あっ
あっ あああっ ッァアアアアアアーーーーーーーーーーーーッ!!!」
遮光カーテンで閉ざされた一戸建て住宅のリビングに、枯れた低い男の声が響く。
昼間だというのに室内は薄暗く、部屋の中央に置かれた52インチの薄型テレビのみが光源となっている。
テレビの前のくたびれた虎柄のハイセンスな1人掛けソファーに、脱力した様子で体を預ける男性が1人。
奇声の発生源であるその男は、ソファーと同様にくたびれている。
年齢は40代後半といったところであろうか。
そしてその背後に虎のような奇天烈な出で立ちをした少女が1人。
「パパ、わたし………。
ハルマゲドンに行ってくるガゥ☆」
奇声と奇声の合間を縫って、少女は告げた。
「―――――ィイイイイイイーーーッ!! イチイ…イチチチチチ……!
イチガ…イチガ……ワル…カタネ……。」
その言葉に対する反応は男から得られない。
変わらず意味不明の奇声を上げるのみである。
その様子を「いつものこと」と受け止め、少女は視界を遮らないよう背後から男性に寄り添い、静々と彼の上着のボタンに手をかけた。
「オッ…レガ……サンニン………ブッ…ンッ…。」
呟きこそ止まないものの、抵抗することなく男はそれを受け入れる。
上着を慣れた手つきで脱がせた少女は人肌の温かさの濡れタオルで男性の体を拭きつつ、粘り強く言葉をかける。
「ハルマゲドンは生徒会と番長グループの魔人達による一大抗争ガゥ☆
生きて戻れるか分からないガゥ☆」
「ケキャキャッ! オレオレオレレデナッキャ! ンノガシチャウネェーーーーッ!!」
噛み合わない会話を気にすることなく体を拭き終わった少女は替えの清潔な上着を手慣れた様子で着せる。
「それで、暫く家を空けるガゥ☆」
ぷすりと、的確に点滴の針を男の腕へと挿入しながら彼女は言った。
チューブの先は栄養剤へとつながっている。
これで最低1週間は衰弱死の心配がない。
「もしわたしが戻らなかったら、その時は親切な人が迎えに来てくれる手筈を整えておいたガゥ☆」
一定時間操作をしなかった場合、自動で魔人精神病院(※精神を病んだ魔人を収容する専用の病院)に出動要請のメールが送信されるよう、簡単な命令式が虎子のノートパソコンには設定されていた。
万が一虎子の身に何かあっても、これで男の生は確保される。
これにて、出発の準備は整った。
いや、整って“しまった”。
今生の別れかもしれないというのに、あまりにあっけなさすぎる。
「パパ………」
依然奇声をあげ続ける父の背後で、特殊語尾も忘れ、少女は悲しげな表情を浮かべた。
○回想○
―――――物心ついた時から■■は父に恋をしていた。
明確にそれを自覚したのは9年前、■■が小等部1年生の頃。
◇
授業にて「私の将来の夢」というテーマで作文を書く機会があり、そこで文章化を通して、わたしは父への愛を明確に自覚した……ような気がする。
9年も前のことだ、鮮明には記憶していない。
テーマに反して「父ラブ!」な内容で埋め尽くしてしまった作文は、今思い返すと少し恥ずかしい。
中等部に上がった頃に、父の書斎にて大切にファイリングされていたそれを見つけた時は顔から火が出るかと思った。
誠実で何に対しても真剣だった父は、わたしの「警察官になりたい」という戯言に真剣につきあってくれた。
「警察官になりたい」というのは件の作文の内容であったのだが、本音を言ってしまえば、そこまでなりたかったわけではない。
ただ、「父のようになりたい」「父に近づきたい」という想いは本物で、その発露がそれであっただけだ。
作文を読んだ日から、ナイフ格闘術の名手だった父は、小等部1年生という幼年のわたしに、そのスキルを伝授しはじめた。
「母さんは『可愛い娘に何をさせるんですか』と怒り心頭だったが、『護身術にもなるから』とナントカ言いくるめた。」と、父の手記にはあった。
今にして思えば、母の怒りは当然だったと思う。
幼気な6歳児に殺人スキルを与えるなど、控え目にいってもどうかしている。
しかし、当の私には楽しかった記憶しか残っていない。
父との訓練は、遊んでいるような感覚だった。
よほど父の指導技術が素晴らしいものであったのだろう。
そのスキルの伝授は6年にも渡った。
父が“まともだった”最後の頃の手記によれば「今日の訓練で■■に戦闘面で教えることはもう何もないと感じた。あと1年も鍛えれば、私をすんなりと追い越すことだろう。恐ろしい才能、流石は私の自慢の娘だ。」だそうだ。
やめて欲しい、照れてしまう。
◇
―――――4年前。
夫婦喧嘩。
◇
父が“こうなってしまう”前兆として、思い返せば様々なことがあったのだが、私が記憶している限り最古のものは4年前の冬の“アレ”ではないかと思う。
当時わたしは小等部の6年生であった。
わたしの両親は近所でも評判のおしどり夫婦であった。
父を助け、父に愛され、父に欲される母を同性として「羨ましい」と思うことが当時からしばしばあったのだが……まぁ、それは今は本筋ではない。
ともかく二人は大変に愛し合っていた。
しかし、その日は様子が違った。
深夜のことだったと思う。
父と母の怒鳴り声でわたしは目を覚ました。
温厚な父と大和撫子の見本のような母が声を荒げるのを聞いたのはそれがはじめてだった。
悪い夢だと思った。醒めろ醒めろと願った。
わたしはベッドに潜り込んで布団を頭から被り、ブルブルと震えていた。
「5点!」
「教科書!」
「ローゼン!」
何を言い争っているのかは分からなかったが、そんな単語は覚えている。
後に父の手記にて当時の記述を見つけた。
大抵、理論立って分かり易く当時のことが書かれている父の手記であるのだが、その日の記述は短く、少々乱暴な印象を受ける。
「ローゼンクロイツも知らない馬鹿女だったとは失望した。ローゼンクロイツは教科書レベルの有名な人物だろう?常識を疑う。」
◇
―――――3年前。
食生活の乱れ。
◇
中等部1年の7月7日。
父の食生活が激変した。
魔人警官という職業上、父は人一倍健康に気を使っていた。
常日頃「肉の三倍野菜を食べる」という健康目標の元、それほど好きではなかったはずの緑黄色野菜を我慢して食べていたようだったし、母がスポーツトレーナーも真っ青な栄養管理をしていたような記憶がある。
しかし、ある日を境に父はカップ麺しか口にしなくなった。
母がどんなに手を変え品を変え豪勢な料理を作っても、一切手をつけることはなかった。
そしてある日、父の健康を気遣ってカップ麺に野菜や肉を足そうとした母に対し
「シャラクセエエエエエエ!!!」
と出来立てのカップ麺の中身を浴びせる家庭内暴力を起こした。
母はひどいやけどを負った。
当時の父の手記には連日「ウメェ―ウメェ―」としか記されていない。
もうこの頃から正気を失っていたのだと、わたしは確信する。
◇
―――――3年前。
不倫と離婚。
◇
中等部1年の12月15日。
父の不倫が発覚した。
相手はマノという男性だった。
父はソリノという偽名でニューハーフの副業をやっていたのだそうだ。
意味が分からない。
母は心労で倒れた。
無理もない。
その決定的な事件に至るまでも、父は明らかに異常で、小さな問題を連日起こし続けていたのである。
その尻拭いの度に母の心が擦り切れていくのを、わたしは見ていた。
そこにきての不倫、しかも男性相手である。
倒れるなという方が無理な話であるし、離婚も当然の帰結だと思う。
………しかし、この時。
これは墓まで持っていくつもりだが…。
不謹慎ながら、わたしはほんの少しだけ喜んでしまった。
母のことは大好きだった。
その母が倒れたことも悲しかった。
しかし、それ以上に父と二人になれたことが嬉しかったのだ。
間もなく、父とわたしの二人暮らしがはじまった。
なお、この頃になるともう手記に新たな記述は無い。
◇
―――――2年前。
映画。
◇
中等部1年の2月26日。
父と二人で、とあるアニメの映画を見に行った。
その頃の父はかなり弱っていたものの、時折正気を取り戻すことがあった。
仕事も不定期だが、調子のいい日は出勤していた。
しかし、基本的に父の異常言動や行動は絶えず、わたしは常々昔のような優しくて聡明な父に戻って欲しいと思っていたし、その為の方策を打ち続けていた。
目ぼしい精神医には全て診せたし、父の仕事のツテを利用して回復能力を持つ魔人とも接触した。
家でも父がストレス無く過ごせるよう最善を尽くしていた。
まともだった頃、父は虎が好きだった。
「仕事を引退したら退職金で虎を1匹飼うのが私の夢です。」
などと言って、母さんに笑われていた。
正気を失っている時でも、父は虎のモチーフにだけは反応を示した。
父が暴れた時、はじめは虎のぬいぐるみであやしていたのだが、繰り返すうちやがて効果は薄れていった。
そこで試しにわたし自身に虎の耳をつけて父に向き合ってみたところ、非常に良好な反応が返ってきた。
しかし、それも日が経つにつれ効果は薄れていった。
では次は虎尻尾、その次は虎グローブ。
虎ブーツ、猛虎猛進のロゴTシャツ、虎の字の入った偽名、特殊語尾の「ガゥ☆」。
父が飽きる度に虎化はエスカレートしていき、それに伴いはじめは虎の格好を恥じらっていたわたしの羞恥に関する感性も薄れていった。
そのような父の正気を取り戻すための方策の一環として、その日私は父を映画へと連れだしたのだ。
そのアニメ映画は父が好きだった漫画を原作とした映画で、「良い作品を見せることでリハビリになれば」とわたしは考えていた。
―――――今にして思えば前情報の無い公開初日に行ったのは最悪の一手だったと思えるが、当時のわたしは不安定な父との毎日に悪戦苦闘しており、そこまで考える余裕が無かった。
前売り券をテレビ台の上において「(これでパパが正気を取り戻すといいな~♪)」などと、公開日を指折り数えて楽しみにしていた自分を縊り殺したい。
映画の次の日、仕事場で父は生意気な同僚を「シャラクセエエエエエエ!!!」と言って刺した……らしい。
幸いその同僚は一命をとりとめた。
また、いままでの輝かしい功績のおかげでその件は公安内部で揉み消され、父が犯罪者として魔人監獄に収監されることは無かったのだが、ひとつのケジメとして公安組織を退職する運びとなった。
この時、父は完全な廃人になった。
◇
―――――2年前。
父の異常の理由。
◇
勘違いしてほしくないのだが、あの映画が父を発狂させたわけではない。
確かに最後の致命傷を与えたのはあのひどい出来の映画だったかもしれない。
しかし、それ以前から兆候はあって、遅かれ早かれ父は狂う定めだったとわたしは思う。
「Q.父が狂ってしまった根本的な理由は何か?」
父が廃人になった以降のある日、私は父の書斎で膨大な量の手記を見つけた。
父はマメだった。
母と結婚するよりも遥か前、14歳の頃から30年近く、毎日欠かさずその日あったことを書き留めていたようだ。
わたしはそれを寝食を忘れて読み耽った。
大好きな父の心に触れられるのが嬉しかったし、あわよくば父を正気に戻すヒントを掴めるかもしれないと思ったのだ。
14歳の頃の父の“ぼくのかんがえたさいきょうののうりょく”の妄想はなかなか心躍ったし、大学時代の母との甘く切ないラブストーリーも興味深かった。
官僚コースで公安組織に就職した後も順風満帆といった風の毎日が続いていた。
しかし、公安組織の対魔人部署に配属された後の手記は見るにたえなかった。
はじめてそれを読んだ時、わたしは嘔吐した。
もう読み進めたくないと強く思った。
自分が文字を理解できることを呪ったし、一行読み進める毎に心が1mmずつ刻まれるようだった。
数日かけて、泣きながら、吐きながら、わたしはそれを読み終えた。
そして理解した。
「A.父の心は魔人に壊された」
その手記はもはや紙を媒介とした呪いと言っても過言では無い代物だった。
まともだった頃の父が一切わたし(むすめ)には話さなかった、父の仕事に関する記述。
力を持った元人間、“魔人”が力無き者に何をするのか。
決して詳細に報道されることの無い、魔人犯罪者達の悪行。
今でも信じられないのだが、筆舌に尽くしがたい魔人による凄惨な事件の発生スパンは週刊少年ジャンプの発売スパンより短いのだ。
毎週父は家でジャンプを読んでいたが、その裏でその倍から3倍は凄惨な事件の後処理や解決にあたっていたのだという。
そのような果てなき闘争の中で、清廉潔白だった父の心が歪んでいくのが手記から痛いほど伝わってきた。
はじめは義憤の炎を燃やして事件にあたっていた父も、次第に擦れ、精神を消耗し、魔人への憎しみだけが凝縮された歪な結晶となっていった。
憎しみはやがて魔人犯罪者だけでなく、同僚である魔人警官達に向かい、無害な魔人達に向かい、母に向かい、最後は自分自身に向かった。
傍若無人で、嫌らしく、卑猥で、暴力的で、性根が腐っている。
そんなdangerous(危険)世界の住人達、すなわち魔人達に触れて彼の心は砕けたのだ。
魔人警官は正しい心を持った人間がなるべき職業ではない。
歪んだ人間にしか続かない。
しかし父は、その真面目さ故に逃げ出すこともできず、投げ出すこともできず、dangerous(危険)に向き合い続けたのだ。
廃人となった今が、ある意味父の正しいゴールだとも思える。
父は昔わたしに言った。
「……フゥーム、しかし。
警察官はあまりオススメできるお仕事ではないのですが、考え直してはいただけないでしょうか?」
今ならその真意も、それが心からの言葉だというのも分かる。
◇
―――――現在。
◇
わたしは今でも父が好きだ。
しかし、すこし疲れた。
たかだか3年父を支えただけだ。
介護疲れというには早すぎる。
根性なしと罵ってくれてもいい。
肉体的な疲れはそれほどでもないのだが、ただただ、心が疲れた。
治る見込みの無い父に「もしかしたら」と希望を抱いてしまう自分の懲りなさに疲れた。
まともだった頃の父を夢に見て、目覚めたとき泣くのに疲れた。
父を想うあまり父の嫌いな魔人に覚醒してしまった自分の馬鹿さ加減に疲れた。
能力を使って一時の幸福を得た後の虚無感に疲れた。
父の退職金が尽きてからあの手この手で生活費を捻出するのに疲れた。
奇声を叱りに来る近隣住民に謝り疲れた。
父が憎んだ魔人達の中で送る学校生活に疲れた。
―――――すこし疲れた。
まだまだ戦えるような気もするが、もうダメかもしれないとも思える。
何か機会があればわたしは父を、そしてわたしを自身諦めるかもしれない。
父のゴールが廃人だったように、私のゴールはそこなのではないかと、最近はよく考えている。
◇
○ハルマゲドン開戦前日○
「パパ………」
依然奇声をあげ続ける父の背後で、特殊語尾も忘れ、少女は悲しげな表情を浮かべた。
その直後、意を決した面持ちでこれが最後の別れと、彼女は禁を破った。
「―――――パパ!」
巨大なテレビ画面と父の間に、彼女は割って入ったのだ。
これは、2年近く虎子が侵さなかったタブー中のタブー。
その画面に上映されているのは、その男にトドメを刺した、とある漫画原作のアニメ映画だった。
その映画を見ている時のみ、何故か彼の異常行動は沈静化する。
「ア?」
画面を遮られ、男がのそりと立ち上がる。
180cmオーバーの長身。威圧的!
「ア?」
焦点の定まっていない瞳が虎子を捕える。
一瞬、表情筋に力が入り、全盛期のような凛々しい表情が構成される。
その表情を見て、虎子の気持ちが激しく揺れる。
―――――(パパが、正気を取り戻した…?)
―――――(ハルマゲドンに行かんとするわたしを引き留めてくれるの…?)
『私は、■■さんに危ない目に遭って欲しくないのですよ。』
虎子の脳内に、優しかった頃の父の台詞がリフレインする。
直後、男の両の眼球がグリンとあさっての方を向き、
「シャラクセエエエエエエエエエ!!!!」
拳が振るわれた。
無防備だった虎子は頬にそれをもらい、容赦なく壁面に叩きつけられる。
飾ってあった写真がいくつか落ちた。
「……がっ…… ガゥ☆ ガゥ☆」
「こうなるのはわかっていた。傷ついてなどいない」と自分に言い聞かせて虎子はヘラヘラと笑い、立ち上がる。
そして鼻息荒くソファーへと座り直し、映画鑑賞に戻った父の背後へと寄り添う。
今虎子を殴ったことで外れてしまった点滴を刺しなおすのだ。
それが済み、ふとズキンと痛んだ頬を押さえた時、虎子は自らの異変に気付いた。
抑えた右手が濡れたのだ。
(これは、涙……? 泣いているのは……わたし…?)
「ガゥ☆ ガゥ☆」
虎子は笑った。
その時彼女の中で何かが、決定的な何かが音を立てて切れた。
「行って来るガゥ☆」
その声は男に届いていないだろう。
しかし、虎子の迷いは晴れた。
死の戦に向かって足取り軽やかに虎子は歩み出す。
生徒会も番長グループも暴力と自己顕示のことしか頭にない虎子が嫌いな集団だ。
属するのはどちらでも良い。
コネクションはどちらにもあり、どちらからも呼び声がかかっている。
(―――――そうね…弱い方に加担するとしましょう)
自らの軍団指揮能力で弱きを助け、戦力図を拮抗させ、なるべく多くの被害が出るように謀ろうと虎子は考えた。
害悪な魔人達が沢山死ぬのは良いことだ。
そしてその果てに自分も死ねれば万々歳だ。
「ガゥ☆ ガゥ☆」
暗く冷たく濁った生気の無い瞳が楽しげに歪んだ。
【魔人名 『虎子』】
【真名 『偽原 都子』】
【魔人能力 『傷んだ赤の白昼夢 (ファントム・スカー・レッド)』】
―――――出陣。
■虎子プロローグSS■
※このプロローグSSはフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。特定のダンゲロスプレーヤーを中傷する意図はございません。