手野造船株式会社
手野造船株式会社は、2020年、手野重工業の造船部門が独立して設立された。
日本や海外のあちこちに造船所を持ち、うち国内の造船所のいくつかは手野武装警備あるいは海上自衛隊等の軍事用の艦船を建造している。
なお、必要によっては、
テック・カバナー総合軍事会社、
アマーダン防衛会社もしくはグッディ子爵記念学院の艦船、他社からの依頼による船舶の建造も行う。
目次
総論
2020年までは手野重工業の一部門であった。
戦前から手野武装警備のほか、他社の船などを建造していおり、今なお航行しているものは多い。
また、英国アマーダン、米国カバナー湾などで記念船があり、それぞれで稼働状態を保っている。
1700年代前半、
砂賀藩が作成した絹布類を江戸の地へ輸送するために、陸路から海路を選択することとなった。
これは、移動の煩雑化とともに、道中にかかる維持費を削るためと言われているが、理由は定かではない。
それにともない、岡山藩と交渉し、泊地を1つ作り、そこに商船を2艘配備した。
なお、このときに
砂賀藩からこの泊地までの間の街道を砂賀街道と称していたが、これは
砂賀鉄道の本線を構成している。
この泊地はのちに、砂賀造船所となり、さらに明治時代には手野財閥の手野財閥岡山造船所となった。
ただし、江戸時代に造船業を始めた時の名前は弁天屋という屋号を使っていた。
この名前にあやかり、現在でも岡山造船所についてだけは、弁天屋の屋号を使っている。
手野武装社や日本海軍からの依頼や発注によって、岡山造船所だけではさばけなくなった。
そこで手野財閥は手野重工業の一部門として造船業を開始、岡山造船所は完全子会社としていたがこれを吸収し手野重工業岡山造船所としてスタートすることになる。
さらに当然であるが全国の必要な場所に造船所を建設することとなり、はじめは高松市に高松造船事業所、千葉県木更津造船事業所、大阪府大阪第一造船所、大阪第二造船所、堺造船事業所を立て続けに竣工させた。
特に有名なのは大阪第一造船所、第二造船所で第一では空母や戦艦、巡洋艦のような中大型の艦艇を、第二では駆逐艦や潜水艦、水雷艦といった小型艦艇をそれぞれ分割して建造していた。
大正時代の造船業の隆盛に伴い、さらに手野財閥は造船所を拡張することにした。
また、各造船所や事業所によって担当する艦船艇を設定することにより、おおよそ東日本、西日本でそれぞれ建造できる艦船艇の級でほとんど同数になるようにした。
本社・支社
本社は大阪本社、東京本社の2本社制をとる
また、総合支社として準本社級の扱いを受ける今治総合支社、テックカバナー総合支社、アマーダン総合支社がある。
これらとは別に支社が置かれており、事業所を含め管理を行っている。
手野造船では、以下の本社・支社がある。
| 種別 |
名称 |
所在地 |
| 本社 |
大阪本社 |
大阪府手野市 |
| 東京本社 |
東京都千代田区 |
| 総合支社 |
今治総合支社 |
愛媛県今治市 |
| テックカバナー総合支社 |
米国マサチューセッツ州カバナー市 |
| アマーダン総合支社 |
英国ダンディー州アマーダン |
| 支社 |
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事業所
事業所は、造船あるいは整備を行うドックを管理する部門である。
歴史的経緯から造船所と呼ばれるところもある。
手野造船の中心であり、現業部門とも呼ばれる。
各事業所は1から多いところで6つ以上のドックを持ち、それぞれのドックの大きさや種類によって建造できる船種が決まっている。
なお、本社から直轄を受ける総合事業所と、総合支社あるいは支社によって差配される事業所の2つに大別されている。
事業所のなかには造船のみを行うものがあり、これは名称は造船所となる。この造船所についても、事業所の一類型とされているため、名称で区別している。
事業所は以下のものがある。
建造
最終更新:2023年06月06日 21:04