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秋風

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tfei

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執筆日 2008年10月13日
備考 頭文字D短編。スランプから抜け出すためのトレーニング。



 秋風が、吹いていた。

 冷え込みが一気に厳しくなった11月。北関東、栃木県日光いろは坂。
 そのスタート地点の山頂で、彼、橘祐一はひとりガードレールに腰掛け、お気に入りのマイセンに火を灯した。
 今頃はどのヘアピンを回っているだろう。祐一がそう考えるたびに、標高の高い山の寒さが身に染みる。もう一枚、何か羽織ってくれば良かったと祐一は思った。
 ああ、もし文太が事故ればオレもまた、渋川には帰れないのだ。そう気付いて、祐一は文太をバトルに送り出したことを少しだけ後悔した。
 その時は、小柏がオレ達を送り届けてくれるだろうか?いや、彼のMR2は2人乗りだったはずだ。畜生、使えないな、と祐一は悪態をつき、短くなった煙草を右足で踏み潰した。ちょうど、シフトダウンでヒール・アンド・トゥを決めるように。

 その頃、いろは坂中間地点。
 2対のリトラクタブルライトが、真っ暗な夜道を照らし出していた。
 腕利きの2人の走り屋と2つの4A-Gエンジン。まるでそれは兄弟のように、持てるポテンシャルを目一杯まで使って命懸けのランデヴーを繰り広げている。
 前を行くのはモノクロカラーのスプリンタートレノ、通称ハチロク。この3年間で、北関東で勝ち続けてきたバトルは数知れず。今のエンジンは2機目だ。ブローしたのが配達の帰りで本当に良かったと、このハチロクを駆る藤原文太は思い返す。そしてまた、右ヘアピンコーナーの手前で思い切りブレーキを踏みつけ、ギアをファーストに落としてクラッチを切ったままサイドブレーキを引く。フロントタイヤを軸足にするかのように、文太のハチロクはくるりと時計回りに180度、そのライトの照らす向きを変え再び加速していった。

 ハチロクの後ろに続くのは、夜に溶けるような紺色のMR2。ハチロクと同じエンジンを積んではいるが、ミッドシップレイアウトによる回頭性の高さと、ハチロクにはないスーパーチャージャーによって、右コーナーをクイックに立ち上がりハチロクのテールにぴたりと貼り付く。自分の腕できっちりとトラクションをかけて、相手を追い詰める感触がたまらないと、愛車に鞭を入れながら小柏健は思う。絶対馬力だけが立ち上がり加速ではない。要はいかにしてそのパワーを使うかなのだ。いろは坂最速のために小柏健が選んだ最高のマシン、それがこのMR2だった。
 同じ4A-Gでもここまで走りが違うものか、と文太はバックミラーに視線をやりながら呟いた。自分はガードレールギリギリの大回りで立ち上がり速度を稼いでいるというのに、苦もなく小柏は自分に食らいついてくる。勝つどころか、負けない保証すらないのだ。

 序盤からずっとそうだ。何度も何度も、小柏は自分の斜め後ろからノーズを差し込もうとしている。何とか次のヘアピンまで主導権を握り続けているから追い抜かれはしないものの、一度でも立ち上がりがもたついたらもう後はない。ヘタすりゃ何か仕掛けてくるな、と文太は一人ごちて、左ヘアピンカーブをまた攻めていく。

 煙草が切れてしまい手持ち無沙汰の祐一は、20メートル離れたところにたむろする小柏の仲間達の一団へ近寄った。元々顔見知りの面々である。いざという時には彼らに送り届けてもらおう。そう企みつつも、祐一は一団の中へ声をかけた。
「今、どうなってる?」
「ああ……藤原のハチロクがまだ逃げてる。ただ小柏もぴったりケツにくっついてるらしい」
「そうか……」
「今ちょうど真ん中あたりだ。Rの緩い左を抜けたって」
「分かった。ありがとよ」

 文太は、多分逃げ切れないだろう、と祐一は思った。これが確かちょうど6回目のバトルだったはずだ。秋名で2回、いろは坂で2回、赤城山で1回。秋名と赤城では文太が勝っているものの、未だにいろは坂で文太が勝ったことはない。そして、小柏に負けて帰ってくるたびに癇癪を起こして機嫌斜めの文太をなだめ、朝早くから配達に送り出すのは、他でもなく祐一の役目なのだ。
 シビックにだってCR-Xにだって、文太は負けなかった。ターボ付きのRX-7やランサーだって蹴散らした。公道最強とうたわれた鉄仮面スカイラインだって競り勝った。WRCのラリーカーのようなセリカだって怖くなかった。でもこのMR2だけは別格。戦えば戦うほど、強くなってまたリベンジしてくる。負け犬が噛みついてくるのではない。一段と手強くなって帰ってくるのだ。

 だからこそ今度という今度、走り屋を5年間続けて引退を決めた小柏がラストマッチに選んだ相手がこの藤原文太なのだろう。仲間の目の前で自分が有終の美を飾るのにもっとも相応しい相手。
 世界中のどんなレーサーだって、今の文太と小柏より速くいろは坂を駆け下りることはきっとできない。それに、文太は文太で速くなっているだろうから、今までのような勝ち方は不可能だろう。しかし、だからこそ最後で最強のライバルに相応しいのだ。
 文太もまた、走り屋・小柏健の最期をこの目で見届け、それに立ち会えること自体は嬉しかった。何度も何度も競い合ってきたライバルの引退を誰よりも惜しんでいるのは、本当は文太なのだから。
 だからこそ文太は、最後に小柏に吠え面をかかせてやるとばかりに、毎日毎日秋名山を走り込んだ。普段使わないサイドブレーキでのドリフトも、屈辱だと思いつつ練習した。こうしないと小柏には勝てないと思ったら、プライドを捨ててでもモノにしようとした。

 これで負けたら、きっと文太の癇癪はかつてないほどになるだろうか。大抵のは自分が手綱を取って適度になだめすかしてやれば収まる。
 中学の頃に一度だけ機嫌を損ねられて、口八丁手八丁の祐一をもってしても3日間ほどむくれっぱなしの時があった。その時はスーパーカーの雑誌で釣ったような記憶がある。あっさりと機嫌を直し――しかし、それは祐一にしか分からないような表情の変化だったのだが――、次の日からは今までよりずっと――まあ、これも祐一にしか分からないような態度の変化だったのだが――テンションが高くなってしまったのだ。
 文太というのは気難しく見えて意外と単純な男で、要するに自分のイメージ通りに物事が運ばない、しかもそれが不可抗力な外的要因ではなく自分自身の未熟さゆえのものであると、大抵の場合、文太の怒りは行き場をなくして癇癪に変わるのだ。

 逆に、自分の責任でなくても物事が円滑に進まない、という事態になっても、文太は意外と怒らない。仕方ないだの、俺には関係ないだの言ってむくれたらそれで終わりだ。他人を自分の思う通りにコントロールしようという気など、文太の頭の中には最初からないのである。

 文太は焦っていた。
 今までの敗因から考えれば、立ち上がりで隙を与えて次のヘアピンでインを取られることのないように、コーナリングスピードを目一杯稼ぐのが定石。だというのに、自分がどんなに自身を生命の危険にさらして神経を擦り減らしても、このMR2は苦もなく自分に食い付いてくる。辛うじてイン側だけはキープしているものの、アンダーステアを出すことは絶対に許されない。
 逆に言えば、それさえ守れば、勝てないまでも抜かれることはない。そうだ、自分が前にいる限り、負けることはないのだ。それなら、もう少し余力を残したままでもコーナリングできる。文太はそう思った。

 その刹那。右ヘアピンの進入で、文太は小柏を見失ってしまう。抜けるだけのスペースはインにもアウトにも与えていないはず。今まで通りにアウトサイド目一杯、ガードレールから5センチまで車体を寄せて立ち上がる。
 その右斜め前方に、文太は見た。小柏のMR2が、空中を舞いながら自分を制しようとしているのを、文太は見てしまった。
 MR2は完全に姿勢を崩している。このままでは着地どころではない。それを理性ではなく本能で察知した文太は、とっさに右足をブレーキと踏み変える。小柏のMR2は、左ドアパネルから、漆黒のアスファルトに激突した。
 マシンが横転する。着地点から20メートルほど先の道路の中央で、もはや原型を留めていない紺色の鉄塊は動きを止めた。

「小柏!」
 文太はハチロクから飛び出し、自分の足で小柏のもとに駆け寄る。
 小柏は何とか自力でマシンから降りてきた。額からは流血が見える。
「藤原……」
「バカ野郎!」
 文太は右の拳で小柏を殴りつけた。呆気に取られた小柏は目を丸くして文太を見る。
「お前……就職を控えてる身で何しやがんだよ!」
「……すまん。焦ってたらしい……」
「今までせっかくお前もMR2も無事にやってきたってのに、なんで、なんでお前はそれを無駄にするようなことをやらかすんだよ!」
「……勝ちたかった。最後だから、悔いだけは残したくなかったんだ……。その結果がコレさ。俺は怪我して、クルマはオシャカだ」
「……」
「でもこれでいいんだ。やれるだけのことは全部やった。ジャンプだって出来ないって分かったんだ。それで充分さ」



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