関係あるとみられるもの
茨木華扇(東方茨歌仙)
宮古芳香(東方神霊廟)
住所
京都府京都市南区羅城門町花園児童公園内
近鉄京都線「東寺」より徒歩15分
京都市バス16, 18, 特18, 78, 202, 快速202, 208系統「羅城門」より徒歩すぐ
羅城門遺址
平安京を南北に貫く朱雀大路の南端にあった門。ここを境に都の内と外、すなわち洛中と洛外が分けられており、
この門を守る形で東西に東寺と西寺が置かれていた。西寺は現存しない。
天元3年(西暦980年)の暴風雨で倒壊した後は修理されることがなかったため荒廃し、
周囲の治安の悪化も伴って誰も近づかない場所となってしまった。
今昔物語集にはこの門の上階に引き取り手のない死体を捨てていくことが常態化していたとまで書かれている。
このことから様々な伝説が生まれるようになった。
この門に住みつき、のちに渡辺の綱と戦った鬼の伝説はのちの時代に能楽や歌舞伎、浮世絵などによって有名になった。
この鬼は
大江山を拠点に都を荒らしまわった鬼の一人、茨木童子とされることが多いが、
「羅城門の鬼」と「茨木童子」は別であったがのちに混同されたという説もある。
現在では児童公園内に石碑と看板が立っているだけである。
碑文は表に「羅城門遺址」、裏に「明治二十八年 京都市参(注:旧字体だが表示できないため新字置換)事會建立」と書かれている。
石碑の位置は羅城門があった場所の北西角と書かれている。
茨木華扇の元ネタが茨木童子であることが公式で明言されたことはないが、ここではそれを前提とする。
茨歌仙の第一話で華扇が人里の門の前で過去を回想し吟じた漢詩が
「水消えて波は旧苔の髪を洗う」
であった。
これは、安永10年(1780年)に刊行された「今昔百鬼拾遺」に描かれている次のようなエピソードと関連があるのではないか。
都良香らぜうもんを過て一句を吟じて曰く、「気霽風梳新柳髪」と。
その時鬼神一句をつぎていはく、「氷消波洗旧苔鬚」と。
後、渡辺綱がために腕をきられ、からきめ見たるもこの鬼神にや。
- 鳥山石燕 『百鬼夜行拾遺,雨』(妖怪画集) -
ここで登場する都良香(みやこのよしか)とは平安時代に実在した官人である。
特に漢詩に秀でていたとされ、菅原道真と一緒に登場する説話・逸話が見られる。
東方神霊廟において登場した宮古芳香とはその名前が似ていることのほか、東方求聞口授における描写などから
元ネタではないかという説がある。
このあたりの話は
ニコニコ大百科「茨木華扇」や
ピクシブ百科事典「都良香」に詳しく書かれている。
ここで、上記の百鬼夜行拾遺内で「ぜうもん」とされているのがこの羅城門だとされる。
最終更新:2015年08月10日 11:50