関係あるとみられるもの
比那名居天子(東方緋想天)
住所
茨城県鹿嶋市宮中2306-1
鹿島神宮
↑東日本大震災の際に大鳥居は倒壊したが、いまでは再建されている。
茨城県鹿島市にある常陸国一宮。
今でこそ「神宮」の名称で呼ばれる神社はいくつか存在するが、平安時代から神宮と呼ばれるのは伊勢の他には鹿島・香取の二社のみである。格が高い。
なお、鹿島神宮・
香取神宮・
息栖神社の三社を纏めて東国三社と呼ばれることがある。
「東国三社巡り」は、江戸時代に「お伊勢参りのみそぎの三社参り」と呼ばれるほど篤い信仰を集めた旅だった。現在でも勿論人気があり、雨天の日でも多くの参拝客が集まる。
三社の並びが二等辺三角形で、パワーがどうのとかは知らん
鹿島神宮に祀られてる主神は
建御雷之男神(タケミカヅチ)。日本神話最強の武神、勝利の神、雷神とされる。
神代の昔、天照大御神の命を受けた建御雷之男神は経津主大神と共に出雲へ向かい国譲りを成功させ、日本建国・建設を進めたとされている。ちなみに国譲りに関しては
こちらを読むと分かりやすいかと。
その後、神武天皇は東征において窮地に陥ったが、建御雷之男神の布都御魂剣の力によって救われたことに感謝し、鹿島の地に社が建てられることになった。
建御雷之男神と建御名方神
これはつよそう
前述の国譲りの際、建御名方神(タケミナカタノカミ)は建御雷之男神に反抗した。
だが建御雷之男神は強く、組み合った際に建御名方神の片腕を引きちぎったとされている。(古事記)
建御名方神は
諏訪へと逃げることになるが、この建御名方神こそが
諏訪大社の主神である。
そして諏訪に元から居る神…守屋神や手長、足長などを打ち負かし服従させたとされている。
なお、このエピソードは古事記にのみ記載されているもので、日本書紀などには記載されてない。
古事記が成立したのはちょうど藤原家が力を増していた頃で、建御雷之男神は藤原氏の氏神である。
そのため、創作された可能性があるという説がある。まぁ神話自体、創作みたいなものだが。
要石
鹿島神宮の敷地内には要石と呼ばれる石?を祀っている場所がある。
地震を起こす原因-大ナマズを押さえつけているとされ、
香取神宮にも存在する。(二つは地下で繋がっているともされる)
比那名居天子の要石といえば丸っこい石が頭に浮かぶが、鹿島神宮の要石はただの石ではなく地表に出ている部分は高さ15cm位・直径30cm位だが、地下の部分はとても深く引き抜くことはできないと言われる。
昔水戸黄門(徳川光圀)が家来に七日七夜掘り続けさせたが底が見える様子がなく、事故が相次いだ為、諦めたのだとか。現在なら科学の技術を用いれば地下の様子を調べることは不可能ではないと思うが、地下が判明するのは日本に神社が必要なくなった時であろう。
ところで、この石への信仰が有名になったのは江戸時代の安政の大地震の時で、「地震から家を守る札」が流行ったらしい。
東日本大震災以来地震が多いが、家屋や家具の安全を要石に祈ってみるのもいいのでは?
↑ 一の鳥居 水中に作られている。場所を調べておかないとなかなか見つけにくい。神宮橋からも見ることができる。(遠くからだけど)
江戸時代に歌川廣重の『六十余州名所図會』にも描かれ水上鳥居としてその景観が親しまれていた。
住所 鹿嶋市大船津2251 沖
最終更新:2015年08月09日 11:26