関係あるとみられるもの

豊聡耳神子(東方神霊廟)

住所

大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18

四天王寺


推古天皇元年(西暦593年)に聖徳太子によって建立された寺院。
救世観音菩薩を本尊とし、本格的な仏教寺院としては奈良の飛鳥寺と並んで日本最古のものである。
この付近は第二次世界大戦中の大阪大空襲で大きな被害を受けた地域であり、建物は創建当初の建築様式などを参考にして
戦後に再建されたものがほとんどとなっている。
日本書紀によると、蘇我氏と物部氏の合戦の際に蘇我氏側についた聖徳太子が自ら木に四天王の姿を彫り、
「この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」
     ---(四天王寺の歴史 - 四天王寺公式サイトより引用)
と誓願した。そのかいあって蘇我氏が勝利したことから、物部氏から接収した土地で四天王寺を建立したとされる。
しかしながら近年の聖徳太子虚構説なども含め、その起源や歴史にはさまざまな説がある。

金堂の現本尊は救世観音菩薩の半跏像であり、その仏壇四隅には四天王像が配置されている。
その四天王の中で多聞天は毘沙門天とも呼ばれ、右手に宝塔を持ち足元には邪鬼を踏みしめた姿をしている。
この邪鬼は仁王像や四天王像の足の下でよく踏まれている鬼であるが、多聞天(毘沙門天)に踏まれている鬼を
特に天邪鬼(あまのじゃく)と呼ぶ場合がある(出典:世界大百科事典 第2版)。
また、中国の民間信仰では毘沙門天は銀のネズミを持った姿で表されるらしい(Wikipediaソースなので要確認)。

四天王寺を西側に行くと、谷町筋を超えた後大きな高低差を下ることになる。これは上町断層帯による上町台地の一部で、
江戸時代初期ごろまではここが海岸線だったと考えられている。四天王寺の建立以降、海路と朝廷への陸路を結ぶ拠点として栄え、
その後徳川家康の大阪城攻めに至るまで宗教・軍事・交易上重要な土地となった。
また数々の文化人にも愛され、藤原隆家が夕日の美しさを歌ったことから「夕陽丘」という地名が付き、
江戸時代にあった料亭「浮瀬亭」には松尾芭蕉や与謝蕪村、滝沢馬琴などが訪れている。
今でも浮瀬亭跡には松尾芭蕉絶唱の地を示す石碑があり、「蕉蕪園」として整備されている。

ちなみにこの四天王寺近辺には天王寺高校、大阪星光学院高校、四天王寺高校という
いずれも京都大学現役二桁名合格の超進学校が集まっている。
超人的な天才伝説の多い聖徳太子はこの地に何か残したに違いない。

四天王寺の金堂の拝観には拝観料(個人大人300円)が必要。
蕉蕪園は大阪星光学院敷地内にあるため見学の際には事前に連絡が必要。
浮瀬亭跡を示す石碑は敷地内にあるが、敷地外の道路から見ることができるようになっている。



+ タグ編集
  • タグ:
  • 大阪
  • 四天王寺
  • 豊聡耳神子
最終更新:2015年09月20日 12:30