関係あるとみられるもの

博麗霊夢(ほぼ全作品)
祇園さま(東方儚月抄)

住所

玉山神社(鹿屋市)  鹿屋市笠之原町2124 JR各線「鹿児島中央駅」、JR日南線「志布志駅」より直行バスあり。「東笠之原」下車徒歩10分
           ※「国分駅」「都城駅」等からも鹿屋市までのバスがある模様。東笠之原には停まらないっぽい。

玉山神社

※集落方面の入り口

 大隅半島の中央西部、鹿児島県の鹿屋市(かのやし)に存在する神社。中心市街地にあり国道220号にも隣接するという、非常に恵まれた立地の都会派神社である。神社の正面は住宅街を向いているが、国道方面からも車ごと鳥居をくぐって境内の駐車場に入ることができるようになっている。「祇園さま」の名でも知られる素戔嗚尊(すさのおのみこと)を主祭神として祀るが、このようになった明治以降のことである。最初から素戔嗚尊を祀るために建てられたというわけではない。

 玉山神社の立つ一帯は、笠之原(かさのはら)と呼ばれる。この地に人々が住み始めたのは、薩摩藩の第20代当主島津綱貴(しまづつなたか。西暦1650-1704年)の発布した命令に端を発すると言われる。島津綱貴は江戸政府からの度重なる普請や金銭要求に苦しめられながらも産業振興で国力を高め、多難な藩政を切り盛りした人物である。その人柄は辛口の大名列伝として後世に伝わる『土芥寇讎記』中でも「慈悲深く、臣民に慕われ、行状も寛々悠々としている」とベッタベタに褒めそやされている。そんな慈悲深い藩主が、自身の最晩年にあたる宝永元年(西暦1704年)に、薩摩藩内の日置郡苗代川(現在の日置市東市来町美山)に住んでいた30余戸162名の人々を「笠之原」に移住させた。この政策にどんな意図があったのかはよくわからないが、この時苗代川から笠之原に移住した人々は元の故郷から氏神様を勧請し、同じ「玉山神社」の名を持つ神社を建立した。それが本項に記載する玉山神社の縁起である。

 ところで、この「島津綱貴(しまづつなたか)の命によって移住させられた人々」は、かつて豊臣秀吉らの朝鮮出兵によって朝鮮から日本に連れて来られた陶工や技術者を祖先に持つ人々だった。その陶工の一部がやがて苗代川に定着し、美しい山々に囲まれた風景に故郷の朝鮮を照らし合わせ「御山(みやま)」あるいは「美山(みやま)」と呼ぶようになった。そして玉山神社を建立し、檀君(だんくん)を祀った…という。「檀君」は13世紀に朝鮮半島で制作された『三国遺事』の中で初出する朝鮮国家の王(神)である。紀元前2333年頃に帝釈天(たいしゃくてん)の庶子の「桓雄(かんゆう)」と、熊女(ゆうじょ。野生の熊から修行によって人間の女になった者)の間に生まれ、その後1,500年にわたって朝鮮半島を統治したという伝説を持つことから朝鮮国家の祖として崇められる。しかし、檀君を朝鮮国家の祖として神格化する風潮自体が19世紀以後に発生した朝鮮の民族主義的国家観を反映するものであり、17世紀当時の人々が"愛国心"から檀君を祀り、崇拝していたかと言われれば正直「あり得ない」と断言せざるを得ない。はるかなる遠祖として檀君を認識していた可能性はあるにしても、玉山神社の本質については「朝鮮から来た人々の、故郷をしのぶ気持ちと祖霊への感謝を込めた氏神神社」であると捉えるのが最も誠実な理解ではなかろうか。形式や作法にとらわれず自然界のあまねく霊魂を敬う静かな祈りは、国家の枠を超えて東アジア人全般にわりと共通する美徳でもある、と勝手に思う。

 その後明治時代に入ると、玉山神社の主祭神は上述のように素戔嗚尊(すさのおのみこと)に改められる。なぜ、どうしてそのようになったのかはよくわからないが、当時の世相をかんがみて察するに「何の神社かわからんと色々都合悪いから、今日から素戔嗚尊を祀る神社ということにするやで。」みたいな感じでお上(おかみ)からちょっかいが出されたんじゃないかと思われる。この手の大きなお世話は神仏分離令の発布に前後して当時横行しており、本項の玉山神社に限らず全国で被害が多発している。例えば日本各地に点在する人里で「神明さま(神さまとほぼ同義)」と呼ばれ信仰を集めていた氏神さまたちの神社が「神明さまと言えば天照大神(あまてらすおおみかみ)の事を指すやで。今日からここは天照大神の神社やで。」と口出しされたり、古くより修験道の神と仏をまつっていた神社が「火の神と言えば火之迦具土大神(ひのかぐつち)やで。天狗なんぞ祀らんと火之迦具土大神メインにせないかんで。」と命令されたりすると言った具合で、国家神道に都合のいいように定義が書き換えられているのである(国家神道を責めてるわけじゃないよ。結果として守られた神社もあるだろうし)。ただ、何百年と受け継がれた伝統が一時の決めつけで喪失するとは限らないもので、玉山神社でも旧暦八月十四日に行われる「神降しの神事」で唱えられる秘伝の祓詞・御戸開・餅返・降神に和文ではない異国の言葉が使用されているなど(鹿児島県神社庁HP)、神社の本当の意味は現代まで生き延びているようである。一方で現存する玉山神社の社殿には素戔嗚尊のトレードマークである木瓜紋がきちんとかけられており、後からやって来た素戔嗚尊も強くリスペクトされている。境内には豊作や家内繁盛を願う保食神(お稲荷さま)のお社に見立てられたご神木や水害から身を守る水神さまの祠も存在し、土地の人々の安全と幸せがふんだんに願われている誠実な神社であることがうかがい知れる。

※木瓜紋のかかる社殿


以上、少し変わった経歴をもつものの、玉山神社はごく一般的な古き良きローカル神社である。
それがなぜ、どう東方projectと関わってるのかについては・・・まあ見てもらった方が早い

















うん・・・・・・まあ・・・











うん・・・(としか言いようがない。)












余談であるが、この「よく似てるようにも見える完全オリジナルのキャラクター」の案内板の上には、先代の御手水ガールの案内板も存在する。

























最初に遠目で見た時、お燐に見えた。
※やや年季の入った案内板なので確実に2008年以前に製造されています。


断っておくと、これを玉山神社さんの趣味だと断定できる要素は別段どこにも存在しない。
手作りの看板ならまだしも、普通広告代理店や看板屋に設計を依頼すると思われるので、そちらの方がそっちなのかもしれない。
量産品であれば、少なくとも鹿屋近辺の神社で同様の案内板が使用されていることも十分に考えられるだろう。

しかし編集者が玉山神社を来訪した際、外祭開催中につき留守にしますとの丁寧な書置き板があり、残念ながら詳しい事は特に聞けなかった。
気になる方は、ご迷惑にならないように十分配慮した上来訪されてみてはいかがだろうか。

※最近何かと話題のカップル鍵


※インターネット上にも電話番号が公開されていたが、本来は祈祷の予約などを受け付けるための番号だと思われる。
 お仕事に関係ないお問い合わせなどは控えるよう願いたい(カーナビ等で検索するために掲載します)。


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最終更新:2015年09月27日 01:30