関係あるとみられるもの

九十九八橋(東方輝針城)

住所

〒600-8491 下京区室町通綾小路上る西側

阪急京都線「烏丸」、地下鉄烏丸線「四条」、バス各線「四条烏丸」より徒歩3分

八橋検校道場の跡

江戸時代初期の盲人箏曲家である八橋検校が、寛文3年(1663年)に京都に戻ってから住んでいた場所。
八橋検校は九州で筑紫筝の古典を極め、そこへ創作を加えて新たな「八橋流」という流派を作った。これが近代筝曲のはじめとされる。


ここには「このあたり 八橋検校 道場の跡」と書かれた石碑があり、検校が暮らし、また門人に筝曲を教授していた場所を示している。
京都市の解説では、建立者は井筒八ツ橋本舗とウライ株式会社となっている。
定番のお土産として有名な「八ッ橋」の始まりは、八橋検校の死を偲んで筝の形をした菓子を作ったという説もあるが、各製造元がそれぞれ主張しているため定かではない。
井筒八ツ橋本舗は「八橋検校説」をとる会社のひとつである。
ウライ株式会社はこの碑が立つビルの所有者と思われる。

八橋検校について詳しくは金戒光明寺も参照。


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最終更新:2017年02月22日 08:07
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