住所
〒606-8414 京都府京都市左京区浄土寺真如町82
京阪鴨東線「出町柳」より徒歩20分
京都市バス5, 17,93, 102, 203, 204系統「錦林車庫前」または「真如堂前」より徒歩8分
自家用車駐車場は少数
紅葉期の注意事項は
真如堂公式HPを参照のこと
関係あるとみられるもの
八雲藍(東方妖々夢)
真如堂
正式には鈴聲山真正極楽寺という、天台宗の寺院。
紅葉の名所として、観光シーズンには多くの観光客が訪れる。
殺生石鎌倉地蔵
殺生石でできているとされる地蔵。
家内安全・福寿・延命などのご利益のほか、無実の罪を晴らしたり、心の病が治るなどのご利益が、信仰の深さに応じてあるとされる。
縁起によると
千三百年ほど前、中国で美女に変身して皇帝をだまし国を傾けた白面金毛九尾の狐がいた。やがてその正体を見破られると、日本へ逃げてきて
「玉藻前」という美女に変身し、鳥羽上皇の寵愛を受けた。しかし鳥羽上皇は病に伏してしまい原因もわからなかったが、安倍晴明の子孫である
陰陽師安倍泰親が玉藻前の正体を見破り、狐の姿で逃げていった。
その後、逃げた先でも悪さをしたという話を聞いた上皇は上総介と三浦介に妖狐の討伐命令を出し、退治された。
殺された狐の死体は石となり、悪霊となって近づく生き物たちを殺したので殺生石といわれるようになったが、
室町時代の僧である玄翁禅師がこれを柱杖で叩いて割り、成仏させた。
この時に殺生石は三つに割れて飛び散り、禅師はその一つを彫って地蔵を作り、鎌倉に小さなお堂を立てて祀っていた。
江戸時代にのはじめに甲良豊後守(日光東照宮などを造営した幕府作事方大棟梁職)の夢の中にこの地蔵が現れ、真如堂に移せと告げた。
鎌倉から移されたので鎌倉地蔵と呼ばれている。
とのことである。長い。
殺生石に関する伝説では「三つに割れた」とされることが多いが、「殺生石の破片が飛び散ってきたとされる場所」は全国各地にたくさんある。
Wikipediaの
殺生石のページで一言もこの地蔵に触れられない程度にはたくさんある。
最終更新:2015年12月22日 23:03