関係あるとみられるもの
秦こころ(東方心綺楼)
豊聡耳神子(東方神霊廟)
摩多羅隠岐奈(東方
天空璋)
住所
〒572-0015 大阪府寝屋川市川勝町2 (番地なし)
京阪「寝屋川市」から徒歩20分
京阪バス「寝屋川警察署前」から徒歩7分
京阪バス「観音橋」から徒歩5分
伝・秦河勝の墓
聖徳太子の側近であった秦河勝の墓とされる場所である。
もとは周辺は竹林だったが、現在は宅地造成に伴って十メートル四方ほどの土地に五輪塔と一対の石灯籠がある。
寝屋川市が設置した看板によると、五輪塔の地輪の部分には秦河勝の事跡や五輪塔建立の経緯などが刻まれているらしいが、判読は難しい。
碑文よると、以前は豪壮な五輪の石塔だったものの豊臣秀吉の命による淀川左岸の文禄堤建設の際に持ち去られ、
現在のものは慶安2年(西暦1649年)に再建されたものらしい。
この周辺には川勝、秦、太秦といった地名があり、
寝屋川市はこの墓を「市と秦氏の関係を考えるうえで重要な資料」としている。
しかしながら秦氏の本拠地は映画村で有名な京都の太秦周辺であったとする説が有力であり、また秦河勝の墓所に関しても
蘇我入鹿の迫害を受けて逃れた先の兵庫県赤穂市で没し、生島に祀られているとする説が有力である。詳しくは
大避神社を参照。
最終更新:2023年07月26日 16:30