関係あるとみられるもの
少名針妙丸(東方輝針城)
住所
〒572-0801 大阪府寝屋川市寝屋1丁目10-2
JR片町線(学研都市線)「星田」から徒歩15分
京阪バス「寝屋神社前」から徒歩5分
西蓮寺
浄土宗の寺院で、開祖や創建年代などは定かではないが、江戸時代初期には存在していたものと推測される。
山門を入って右手に観音堂があり、鉢かづき姫とその母親がこの観音をよく信仰していたと伝えられている。
鉢かづき
鉢かづきとは、古典の御伽草子の話のひとつである。
寝屋川市がサイクリングロードに設置していた看板には次のようなあらすじが書かれていた。
その昔、河内国の寝屋に藤原実高という大長者が住んでいました。たいそう裕福で、人々から
「寝屋長者」とよばれていましたが、ただひとつの悩みは子どもがないことでした。
それで毎日、大和国初瀬寺(長谷寺)の観音さまにお祈りしていましたが、お告げがあって、女
の子が生まれました。姫は観音さまにあやかって「初瀬」と名付けられました。
初瀬姫はとても愛らしく、一家は幸せに暮らしていました。けれども姫が十三才のとき母親が病
気で倒れ、観音さまのお告げどおりに、姫の頭に鉢をかぶせて息をひきとりました。
それから一年後、新しい母親は姫につらくあたり、ついには姫を殺そうとします。追手は逃げる
姫の首を切ったつもりでしたが、実は打上の四ツ辻の地蔵さまが身代りになったのです。
家を追い出された姫は、淀川に身を投げましたが、鉢が浮いて、沈むことさえできません。そこ
へ山陰三位中将という公家が通りかかり、姫を助け自分の屋敷に連れて帰りました。中将には四人
の息子がいましたが、四人目の宰相はまだ独身でした。
ある日、姫が宰相の湯殿番をしたとき、宰相は姫に優しく声をかけ、身の上をいろいろとたずね、
姫も今までのことをすべて話しました。二人は愛し合うようになります。
しかし、周囲の者は反対し「嫁くらべ」をして姫を屋敷から追い出そうとします。姫はみずか
ら屋敷を出ようとしますが、それをいさめるように、鉢が頭から落ちました。鉢のとれた姫の姿は
それは美しいものでした。そのうえ、鉢から牛車に積みきれないほどの宝物が出てきました。鉢は
ひらひらと蝶のように足元から舞い上がっていきました。
「嫁くらべ」にのぞんだ姫は、他のどの姫より美しく、姫のかなでる琴も見事でした。こうして
中将をはじめ周囲の者も、二人の仲を許し、その後、皆が幸せに暮らしたということです。
(「河内国交野郡寝屋長者鉢記」より)
簡単に言うとシンデレラである。
この物語の舞台は寝屋川市周辺であるという説が有力であり、市がマスコットキャラクターとして利用している。
特に鉢かづきには関係のない旧跡でも、案内板を持って佇んでいたりする。
伝・秦河勝の墓で案内板をもつ鉢かづき姫の石像。秦河勝と鉢かづきに関係はない。
針妙丸と鉢かづき姫の関係は、現在のところ特に明らかにはなっていない。
製品版発売前にジャケットのシルエットからラスボスを予想するのは恒例となっているが、輝針城発売前には
「お椀(?)をかぶってる + 輝針城 + 三頭身ぐらい =ロリ一寸法師」説が多数を占める中で、「お椀をかぶってるから鉢かづき」説もあった。
一寸法師と鉢かづき姫はともに「御伽草子」を出典としており、また一寸法師はお椀を船にしていただけであって被ってはいないにもかかわらず、
一般的な認知度の差から鉢かづき姫に光が当たることはなかった。
製品版が出てみれば「打ち出の小槌」や「小人」といった一寸法師とのつながりを示す設定が多かったが、「お椀をかぶっている姫」という点に関しては
鉢かづき姫が元ネタであるといえるだろう。
最終更新:2016年02月05日 01:19