関係あるとみられるもの

フランドール・スカーレット(東方紅魔郷ほか)

住所

かごめ唄の碑 千葉県野田市清水403付近 東武鉄道野田線「清水公園駅」下車徒歩1分
愛宕神社   千葉県野田市野田725地内 東武鉄道野田線「愛宕駅」下車徒歩5分

かごめ唄の碑

※かごめ歌の碑

 千葉県野田市のやや南部、東武鉄道野田線「清水公園駅」の西口を出てすぐの場所に立つ記念碑像。
童謡「かごめかごめ」の歌詞が刻まれた台座の上に、座り込んで両手で目かくしをした子どもの像が乗ったものと、
万歳をしているかのような子供の像が乗ったものとが存在する。つまり、似たようなのが2基ある。

この記念碑像は、童謡「かごめかごめ」が千葉県野田市から発祥したことを示すために置かれたものである。

※2基あった。

 なお、千葉県野田市の発祥だと言うためには、前記のように"童謡の"という補足を付けるのが無難だと思う。別にその方がスペカっぽいからとか、そんな理由ではなく。

 というのも、まず本来的に「かごめかごめ」は童謡ではなく、むしろわらべうたである。童謡とわらべうたの定義はともにゆらぎがあるので、両者の境界を明確に定義するのは難しいが、一般論的にざっくり分ければ、プロアマの作詞作曲家が子供たちのために制作した楽曲が「童謡」で、誰の口からとも知れず日常生活の中で生まれ、子どもたちの間で広まった楽曲が「わらべうた」だと言える。 ①作者が存在するか と ②自然発生的か の2点が、両者を分けるポイントだろう。童謡の例としては「ぞうさん」や「どんぐりころころ」が挙げられ、わらべうたの例としては「あんたがたどこさ」や「通りゃんせ」などが挙げられる。わらべうたはいつの時代、どこかで、誰かが生みだした始源の歌詞やメロディにとらわれない。普及の過程で口々に、自由にアレンジされ、様々なバリエーションを増殖させていく。現在までに最もよく広まり、あるいは最もよく保存されてきた形がオリジナルだという保証もない。この性質は都市伝説などにも共通するところがあると編集者は思う。

 原題に立ち返り「かごめかごめ」の成り立ちを考えてみる。変幻自在なわらべうたの性質にかんがみ、「かごめかごめ」を「かーごめかごめ かーごのなかの鳥は…という歌いだしで始まる歌」として類型してみると、実は江戸時代の後期ごろに関東一円で成立した文献においてすでに、「子どもたちがこんなん歌ってた。」ということで、多種多様な歌詞が記録されている。ゆえに「かごめかごめ」は本来、正しいメロディ、歌詞を持っていたわけではなく、この時点で「かごめかごめ」の真なる発生源を断定することはほぼ不可能だと言わざるを得ない。子ども好きの神さまが子供たちのために作ったとでも思っておけばよい(暴論)。

 しかしですね、先人達もそんなことは当然にご承知。その上で千葉県野田市が童謡「かごめかごめ」の発祥地だとされるのには理由があり、決して「言ったもん勝ち」でそうなっているわけではない。

 千葉県野田市が童謡「かごめかごめ」の発祥地だと言われる理由・・・。それは西暦1933年(昭和8年)、山中直治(やまなかなおじ)という教師・作曲家が、千葉県野田市で「かごめかごめ」の歌を採譜したからである。採譜とは、それまで口伝されていた歌を聞き取り、メロディを楽譜に起こし、歌詞を記録することである。さらに山中直治は、千葉県野田市で採譜した「かごめかごめ」を、『日本童謡民謡教集』という書籍(学校で使用される教本)に寄せた。すると以降、この書籍に載っていた「かごめかごめ」の態様が、次第に「かごめかごめ」の統一規格と化していった。すなわち決まったメロディ、歌詞という童謡の性質を得た「かごめかごめ」が浸透し、全国に群雄割拠していたであろう種々のわらべうた「かごめかごめ」たちを併呑、駆逐。今日に至るまでにほぼ天下統一を果たしたのである(比喩です)。こうして今の世に最も広く知れ渡り、「かごめかごめ」と言えば誰もが想起するのあのメロディ、あの歌詞は、千葉県野田市で山中直治によって見出されたものだから、千葉県野田市は定型的なメロディと歌詞をもった「かごめかごめ」、すなわち童謡的性質を備えた「かごめかごめ」の発祥の地として顕彰されるのは、然るべきことだろう。山中直治の採譜なくして、わらべうた「かごめかごめ」が現代まで生きのびた確証は無いのだから、まぎれもなく偉大な事蹟である。

※野田市内に存在する愛宕神社の本殿に刻まれた、子どもと籠と鶏の彫刻。「かごめかごめ」との関連も噂される。文政7年(西暦1824年)の作。

「かごめかごめ」の謎

天下統一を果たしたキリッとは比喩ったものの、なお全国には様々なバリエーションのわらべうた「かごめかごめ」が生き残っている。
しかしながら、その内容としてはおおむね次のとおりだろう。

かごめかごめ
かごのなかのとりは
いついつでやる
よあけのばんに(ん)
つるとかめが(と)すべった
うしろの正面(少年)だあれ?

意味:籠の中の鳥はいつ出られるのだろう。夜明けのばん(晩、番)に鶴と亀がすべった(滑った、統べった)。後ろにいるのは誰?

「他愛もない」と笑うはあまりに意味不明で、言いようのない不気味さを持つ歌詞は、古来多くの人々に"歌の真意"に関する興味をかきたててきた。そして「かごめかごめ」に魅入られた人々に、歌の成立に関する様々なバックストーリーやオカルト、果ては陰謀説まで、多くの空想をめぐらしめてきた。繰り返しになるが、わらべうたの性質からして、「かごめかごめ」にそもそも真意や深い意味なんぞがあるとは限らない。また、山中直治による採譜等によって今日まで保存されてきた「かごめかごめ」が、始源の「かごめかごめ」であるとも限らない。現在生き残っている「かごめかごめ」が、記録された時点ですでに改編されたり複数の歌が接合したものであったとするならば、その経緯を知らない人から見て内容が意味不明なのは、むしろ当たり前の話でもある。そして意味不明なものを不気味だと思うのも、至極当然の流れだと思う。

というわけで(急転直下)、「かごめかごめ」の真意について現在どんな仮説や空想(都市伝説)が飛び交っているかを、少しだけ付記しておく。

① 意味なんかないよ説

本来「かごめかごめ」には、歌全体を通した意味など大してないよ、とする説。フレーズの内外で目まぐるしく起こる言葉の意味の連想あるいは転換を、謎かけ的に楽しむ歌だよと考える。
例えば歌いだしの「かごめかごめ」という言葉は、一見すると意味不明であり、しかし聞き手に「"囲め"だろうか」「籠目では?」「籠女かも」など、複数の意味を連想させうるものだろう。
だがそうやって"一般的な"連想をさせておいた上で、第二フレーズで「かごめ=籠の中の鳥だ」という解が与えられる。これは多くの場合、予想の斜め上を行くような答えではないだろうか。
「かご=籠」はともかく「め=鳥」というのはやや強引だが、雀(すずめ)や燕(つばめ)のように、名前の終わりに「め」がつく鳥はそこそこいる。また、「かもめ」とも語感が似ている。
だからまあ、「かごめ=籠の中の鳥だ」という解を与えられても、聞き手はわりとギリギリのところで納得しうる。当てられにくく、また納得させられる絶妙なラインの解である。
すなわち「かごめかごめ」はフレーズ同士かけあったり矛盾を述べたりと、突拍子もない展開に対する驚きと納得を内包させて楽しむ児戯であり、全体の意味にこだわった歌ではない。

② 罪人説

罪人について歌ったものだという説。かごめとは籠目(かごめ)であり、罪人を輸送する籠、あるいは牢屋を意味するという。また籠の中の鳥とは、籠もしくは牢の中の罪人のことだという。
歌全体の意味としては、罪人のことを「いつ解放されるのだろう」と心配している、あるいは罪人自身が、夜明けの晩に(番人)鶴と亀がすべった隙に脱獄をはかった様子だと解釈できる。
自分の後ろに、正面(自分の方)を向いている番人と背面を向いている番人がいて、後ろの正面は誰だ、腕っぷしで押し通れる相手か、と思案しているのかも知れない。
さて、この罪人が誰であったかについても複数の説が言いたい放題言われている。中でも

  • 無実のお父つぁんが役人に連れていかれる様子を、「いつ帰って来られるだろう」と子が悲しむ歌だという解釈。目隠しをしたかごめかごめの鬼役の姿は、泣いている姿とよく似ている。
  • 決して出してはいけない狂気の殺人鬼。「殺人鬼が脱獄したらしいぞ」「マジかよ」「ところでお前の後ろにいるのは、どちら様?」「え?」というサイコスリリングな物語だという解釈。

が有力だろう。たぶん。


③ 悲しき遊女説

遊女について歌ったものだという説。かごめとは籠女(かごめ)であり、遊郭に入った女性を意味するという。また籠の中の鳥とは、遊郭で客をとる遊女を抒情的に表現したものだという。
ご存知の諸兄も多いと思うが、江戸時代の遊郭は人々の往来(道路)から格子ごしに遊女たちを物色できる造りになっている事が多かった。そこから「ひやかし」という言葉も生まれた。
フェミ的には許し難い歴史だと察せられるが、あたかもショーウィンドに並べられたかのような遊郭の女性達をもって「籠の中の鳥」と比喩することは、純粋に表現として美しいと思う。
さてもこの説に立って歌の意味を考える場合には、次のような意訳が仮説として唱えられている。

  • 遊郭に入れられてしまった少女は、いつ出てくることができるのだろう。夜が更けるまでツルとカメが滑った(性的サービスの暗喩)。ああ、また次のお客さんが来る…(涙)
  • 遊郭に入れられてしまった少女は、いつ出てくることができるのだろう。あれ?夜明けの番人(見張り役)のつるとかめ(あだ名または女性名)がヘマしてる。よっしゃ逃げたろ。

④ 水子説

生まれてくることができなかった赤ちゃんの歌だという説。かごめとは身籠(みごもった)った女、つまり妊婦を意味するという。また籠の中の鳥とは、そのお腹の中の子のことだという。
この説に立つと、歌の意味は次のようになる。

  • 幸せそうな妊婦さん。赤ちゃんはいつ産まれるのだろう。でもある夜明けの晩にツルっと転び、流産してしまいました。背ろにいるのは、だあれ?

この問いかけに対する回答としては、誰しも「赤ちゃんの亡霊」を想像するだろう。「どうして産んでくれなかったの?」と言わんばかりに、帰って来る赤ちゃんの亡霊。ぞっとしない話でである。
さらに話を膨らませ、母親はお金持ちの愛人だったとする場合もある。嫉妬や相続問題などが絡み、母親ともども殺されたお腹の赤ちゃん。その亡霊が復讐に現われるまでが歌になっているという。
ただ、いずれにしてもその大筋において「お前だー!」のオチで有名な現代の都市伝説「コインロッカーベビー」に何となく似ており、その背後に因果応報の原理が敷かれていると指摘できる。
こうして一本筋の通った展開は、かえって子どもらしい混沌が無く、つまり「わらべうた」らしくない。歌の中にちりばむ謎めいた語も、物語の構成上で整然と意味付与され、あまりに無駄がない。
以上のように、かごめかごめが「合理的で、知的な怪談」として歌い上げられたとする説は、某巨大掲示板で言及されることも多いから、わりと最近になってから普及したのではないかと思われる。

⑤ 徳川埋蔵金説

重大な秘密、具体的には徳川幕府の隠し財産(埋蔵金)の眠る場所について歌にしたものだと言う説。表に出せず、さりとて失われてはならない情報を、歌い継がせることで後世に残したと考える。
本説ではまず、かごめについて文字どおり籠(かご)の編み目のことを意味すると考える。また、その形を六芒星だとする(当然ながら、現実には六芒星の形でない籠の編み目も無数に存在する)。
さて、六芒星と言えばユダヤ教のシンボルマークとしてよく知られているが、その聖地エルサレムより直線距離で9000km以上離れた我が国でも、歴史上特別な意味をもって使用された痕跡がある。
例えば、古来四国地方に根を張る忌部氏という氏族は、六芒星を原型とした家紋を用いたとする説がある。また、諏訪神社や伊勢神宮へ続く道に、六芒星が刻まれた石灯籠が存在するとも言われる。
このように日本でも六芒星が用いられた理由には、ユダヤ教の影響だとか、日本で独自進化した陰陽五行道だとかの諸説がある。しかし、いずれの説も六芒星に結界機能が見出されていたと考える。
さらに日本人と六芒星との関係を見出そうとする立場からは、わが国では霊的な力をもつ宗教施設それ自体を六芒星に配置することで、結界機能を発生させる試みがされてきたとも主張されている。
例えば江戸時代初期頃に幕府が建てた主な寺院を線で結ぶと、江戸を中心に六芒星が浮かび上がると言う。六芒星に結界機能を見出す中では最大規模の仮説であり、「江戸結界説」とも呼ばれる。
ここまでを統合すると、「かごめかごめ」は、かごめ(すなわち六芒星形)状に配列された目印が作る結界の中に、籠の中の鳥(すなわち徳川埋蔵金)が眠る様相が歌にされたものだと捉えられる。
そしてこの説にたって歌の意味を読み解いた場合、徳川埋蔵金の隠し場所として候補に挙げられるのが日光東照宮である。歌を読み下すと、次のようになる。

かごめかごめ    = 徳川家ゆかりの六芒星(岐阜の恵那市明智町、京都の明智神社、静岡の浜松城、江戸城、天領(幕府直轄地)の佐渡金山、日光東照宮)に
かごの中の鳥は   =  隠された埋蔵金は
いついつ出会う   = いつ姿を現すのだろう
夜明けの晩に    = 夜明けの終わり、すなわち朝日がさす時間
鶴と亀がすべった  = 日光東照宮にある鶴と影の象から影がのびて、三猿を指す。三猿の見つめる方向に眠り猫の彫刻があり、その先に徳川家康の墓がある
後ろの正面だあれ  = 徳川家康の墓の背後に、次のような紋様がある


この図形は六芒星の上部を取り除いたものであり、「下がある」つまり「下に何かある」ことを暗示している。よって、「徳川埋蔵金の隠し場所は、ここだったんだΩΩΩ!」…ということになる。
以上がかごめかごめ=徳川埋蔵金の隠し場所伝承説に関する大体の全容であるが、編集者の意見を一言だけ付すならば、この仮説、苦しいってレベルじゃねーぞとだけはお伝えさせていただきたい。
出発点から光秀=天海説という怪しい都市伝説をミックスし、鶴と亀がすべるくだり以降は歌詞とはかけ離れた解釈が暴走。よしんばそこまでは許容しても、墓の下にあるものが埋蔵金だと、なぜ断言できようか。
と様々なツッコミ所を残しつつも、埋蔵金ロマンは時を超え人々を惹きつける。1990年代に実際に付近で発掘調査が行われたこともあるというから、魅力的な仮説であることに疑いはないだろう。

⑥ 南光坊天海の正体が明智光秀であったことを伝承している説

本能寺の変を起こし裏切者として散ったとされる明智光秀が実は生き延びており、南光坊天海と名乗って徳川幕府に出仕。対朝廷政策や宗教政策で暗躍して幕府の影の支配者となったとする説。
⑤の徳川埋蔵金説と同様に、かごめとは六芒星であり、結界であると考える。そして籠の中の鳥とは、明智光秀のことだとする。この説にたって「かごめかごめ」を読み解くと、次のようになる。

かごめかごめ    = 徳川家の作った六芒星(岐阜の恵那市明智町、京都の明智神社、駿府の浜松城、江戸城、佐渡金山(幕府津直轄天領)、日光東照宮)
かごの中の鳥は   = 徳川幕府に仕える明智光秀は(鳥は、土岐の暗喩だとも言われる。明智氏は土岐氏の支流。)
いついつ出会う   = いつ世に名声を馳せるのだろう
夜明けの晩に    = 夜明けの終わり、すなわち朝日がさす時間帯。本能寺の起こった時間帯あるいは日の出=日吉丸=豊臣秀吉の治世の晩(終わり)に
鶴と亀がすべった  = 鶴と亀は日光東照宮の暗喩。つまり徳川家が天下統一を果たした(統べた)
後ろの正面だあれ  = 徳川家康の背後にいる真の支配者は誰だろう(答え:明智光秀)

この説の補足としては、日光東照宮に徳川家の家紋である葵紋と並んでなぜか明智家の家紋である桔梗紋が多く残されていること、日光に「明智平」という地名が存在することなどが挙げられる。
さらには、「かごめかごめ」の段で語られる六芒星のうち、日光東照宮の背後(対角)にある建物が明智神社であること等も指摘される。明智神社は日光東照宮に対し正面を向いているともいう。
仮に本説が真実ならば、「かごめかごめ」の制作者は明智光秀本人か、あるいは歴史の真実を知る情報通の誰かということになるが、何のためにそんなことをしたんだ?という疑問符が付いてくる。
自らの成し遂げた大業を表沙汰にはできないが、それでもなおウキウキで「わらべうた」として残さずにはいられなかったのだろうか。ともすれば、明智光秀の性格面も透けて見えて面白いと思う。

⑦ 民間信仰説

謎めいた歌詞を歌いながら、目隠しをした鬼を囲って周回する遊び「かごめかごめ」は、本来は遊びとして生まれたものではなく、呪術的な儀式、あるいはトレーニング方法だったと考える説。
前述した①~⑥の説が「かごめかごめ」の歌詞に隠された真意の考察に注力するに対し、本説群では「かごめかごめ」について、その動作にまで、隠されたもしくは失われた意図があると考える。
いわばスピリチュアルな観点から「かごめかごめ」を読み解き、歌詞を儀式の一部(呪文)のようなものだと認識する説で、おおむね以下のようなバリエーションに分類できる。

 イ 通常の「かごめかごめ」は鬼役の周りを回りながら歌を歌う。しかしこの鬼役を置かずに「かごめかごめ」を行うと、輪の中心に本物の鬼(あるいは神霊)が宿るとする説
 ロ プレイヤーが一体となり、念をこめながら「かごめかごめ」を行うと、輪の中心にいる鬼役(あるいは、外輪のいずれかの者)に神や幽霊が憑依(降霊)するとする説
 ハ 黎明や幽玄など、陰陽が混淆する特殊条件下(夜明けの晩)に「かごめかごめ」を行うと、肉体(籠)と魂(鳥)が調和。心身の制御が自在になる(鶴と亀を統べる)とする説

イの説ではこっくりさん等に類似するオカルト、ロの説では近世まで巫女が担っていた神おろしの儀式、ハの説では密教的な修行として、「かごめかごめ」の発祥起源を説明することができる。
「かごめかごめ」が広まったと考えられる江戸時代中期~後期は、まさにこれら民間信仰の最盛期と重なることから、民俗学的な観点からは十分にその可能性を検討する余地のある仮説だと思う。
しかしながら一方で、その明確な論拠となり得る資料・文献を取りそろえることは、不可能に近いんじゃないかとも思われる。


東方projectにおける「カゴメカゴメ」

東方projectにおいては、『東方紅魔郷』EXステージに登場するフランドール・スカーレットが、スペルカード、禁忌「カゴメカゴメ」を使用する。
その全容について、『グリモワールオブマリサ』における著者、霧雨魔理沙さんの記述を引用すると、次のとおり。

後ろの正面は弾幕。弾幕で囲まれるスペルカード
囲いの弾幕を打ち破るように大きな弾幕を放つ。
弾幕と弾幕が干渉する珍しいタイプのスペルカードである。

実際、弾幕と弾幕が干渉しあうようにすると、制御不能になって遊びが成り立たなくなる恐れがあるのだが、
流石狂気の妹、そんな事おかまいなしである。

ちなみに余り強くない。遠慮したか。

制御不能の力を行使するのは、本来スペルカードによる決闘趣旨からは外れる。しかし、「そんなのおかまいなし」なので、フランちゃんは狂気の子だと強調されている。
しかし一方で「余り強くない」とされているのは、明らかに手加減しているからだろう。遠慮なのかは不明だが、少なくともフランちゃんは空気の読める子である。一応。
実際、禁忌「カゴメカゴメ」で大きな弾幕に干渉された囲いの弾幕は、落ちてくる速度が非常に遅く、当たり判定も小さいので、ぶっちゃけそんな脅威ではないしね。

それはさておき、このスペルカードが「カゴメカゴメ」と名づけられた理由は、弾幕で自機を囲い込む様子が鬼を囲い込んで遊ぶ「かごめかごめ」に似ているからだろう。
さらには囲い込まれた自機がランダムないし自機狙いの大玉によって「恐怖」が表現されていることから、フランちゃんの脳内(?)における「かごめかごめ」の趣旨は、
「囲まれ、動きの自由を制限される恐怖」であり、つまりは得体の知れないものに囲まれる側の鬼役の方が、一方的な弱者、被虐の対象だと認識されていることになる。
考えてみれば、目隠し状態時に背後に誰かがいたら、わりと怖いですものね。日本の遊戯「かごめかごめ」の話を聞いた時、フランちゃんもそう感じたのかもしれない。
まあ、封じ込めた鬼(鬼巫女、泥棒魔法使い)を「キャー!こわーい(笑)」とか言いながらぶちのめすという、高度なロリっ子ブリッ子プレイの体現かもしれんけど。
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最終更新:2016年10月12日 08:00