関係あるとみられるもの

茨木華扇(東方茨歌仙)
火焔猫燐(東方地霊殿)
小野塚小町(東方花映塚)
四季映姫・ヤマザナドゥ(東方花映塚)
矢田寺成美(東方天空璋)
戎瓔花(東方鬼形獣)


住所

青森県むつ市(青森県むつ市田名部字宇曽利山3-2 JR大湊線「下北駅」より徒歩4時間。路線バスがあるが、本数は少ない。)

恐山

青森県の下北半島北部にあるカルデラ。カルデラとは、火山噴火によって凹状にくぼんだ地形のことである。中心に直径約2キロの宇曽利湖(うそりこ)がある。
宇曽利湖を中心とする一帯は、とても古くから霊場として知られていた。伝承では、西暦865年ごろに最澄の弟子円仁(慈覚大師)によって開山されたという。
円仁がいかにして恐山にたどり着いたのかは、19世紀初頭に著された『奥州南部宇曽利山釜臥山菩提寺地蔵大士略縁起』の中で次のように記されている。

若き日の円仁が修行のために唐の時代の中国の長安に滞在していた時のこと。ある夜、不思議な夢をみた。
夢の中に伽羅陀山(きゃらだせん)の主(ぬし)と名乗る者が現れ、次のように円仁に命ずるのである。
「日本に帰れ。帰国後東方に30日ほど行けば霊山あるから、そこに地蔵(俺ら)の像を作って仏教を広めろ。」と。
伽羅陀山(きゃらだせん)は須弥山(しゅみせん)を囲む七金山のひとつで、地蔵菩薩の浄土とされる山である。
つまり伽羅陀山の主とは、地蔵菩薩たちのボスを意味していた。夢から覚めた円仁は、ただならぬ事であると察し、ただちに帰国の途についた。
日本に戻って来た円仁は、お告げのあったとおり、都の東方に霊山を探し廻った。ただ、「東方へ30日」というのはあまりにもざっくりしすぎていた。
円仁は、霊山を探して途方もなく各地をさまよった。このためだろうか、円仁が開基したとされる神社仏閣等は遠野郷の早池峰神社をはじめ、現在も数多く残る。

日本各地をうろちょろしながらついに本州の北端である下北半島までやってきた円仁は、この地に草木の茂らない灰色の山、恐山を発見した。
恐山を見た円仁は、「夢の中で伽羅陀山の主がおっしゃった光景と同じものが108つも見られる。」と驚嘆し、この地こそお告げの霊山に違いないと悟った。
円仁はさっそく、お告げのとおりに地蔵菩薩を彫って安置した。以後恐山は、現在にいたるまで延命地蔵菩薩を本尊としている。

なお、史実の円仁は、百余度にわたって唐政府に帰国請願を出したが拒否されたのち、西暦842年に起きた会昌の廃仏(道教に傾倒した皇帝が仏教等を弾圧した事件)によって、
中国国外に追放されるという形で帰国をかなえている。霊夢(神秘的な夢)を見たことが帰国請願の動機だったかは定かではないが、ただちに帰国できたわけではない。
縁起自体が近年編纂されたものであり、歴史の加上の疑惑もはらむ。故に、これらの伝承がどこまで正しいのかは仏のみぞ知る所だろう。まあ、伝承って大体そんなもんよ。

いずれにせよ霊場としての恐山はその成立時より地蔵菩薩を本尊とし、地獄に見立てられた地であった可能性が高いと言うことはできる。
霊場恐山はまず「正津川」に架る大きな赤い橋を渡ることによって入山するようになっているが、正津川とは、三途の川の別名である。
この正津川を唯一の流出河川とする宇曽利湖のほとりには「賽の河原」と呼ばれる場所も存在しており、神話(仏話?)のとおり積み石がされている。
正津川=三途の川を渡り、霊場恐山の総門及び山門を抜けると、イタコ小屋(現在は常駐していない)や温泉小屋が並ぶ個性的な境内と本殿が現れる。
かつてイタコらが詰めていたことからも、恐らく総門から本殿に至る境内は「現世」と「冥界」が重なり合う場所としてデザインされているのだと思われる。
これを東方project風に言えば"彼岸"と言えるのかもしれない。本殿は是非曲直庁に比定できるかもね。地蔵様いるし。
さらに本殿を進行方向左に抜け奥へ進むと、白色の火山岩と白砂からなる静謐な"地獄"が広がる。奇岩の合間より所々火山ガスや温泉が噴き出す箇所に、
「無限地獄」「重罪地」「血の池地獄」「金掘地獄」「女郎地獄」「法華地獄」「どうや地獄」「修羅王地獄」「塩谷地獄等」といった名前がつけられている。
これら地獄一帯を先に進むと、宇曽利湖のほとりが現れる。あたかも天上を思わせる美しい景観である。この場所は、「賽の河原」「極楽浜」と呼ばれる。
つまり恐山とは、死後の世界がいかなものかをビジュアル的に体感し、「生とは、死とは何ぞや」を見つめ直すため造られた庭園であると考えることも出来よう。

あえて語弊を恐れず今風に言えば、地獄と極楽をモチーフとしたテーマパークなのである。

なお、定められた順路の通りに進んだ場合、三途の川→総門→本殿を抜けた先に最初に現れるのは、地獄の最深部=無間地獄である。いきなり最深部が出てくるのである。
さらに順路を進むと、血の池地獄などややソフトな地獄が現れ、さらには極楽=極楽浜へとたどり着く。そうか、最底辺から徐々に上がっていくスタイルなんだな…
…と思ったら、復路ではまた賭博地獄や重罪地獄が出現する。上げて落とすスタイルである。
全ての地獄を見た後で浄土を見せる、というのが教材として理にかなっている気もするが、そこはまあ同じ道の行ったり来たりを防ぐための配慮なのだろう。
あるいは、「人生、苦を乗り越えて絶頂(極楽)へ至ったら、後は(地獄へ)下るだけなんだよ。」というありがたい教えが込められているのかもしれないが。

東方projectにおいては、地蔵から出世して閻魔にのぼったスーパーエリート官僚「四季映姫・ヤマザナドゥ」が登場する。
地蔵菩薩は地獄に落ちた人々を救済することを本願とし、閻魔は罪人を地獄へ落とすことを仕事とする。
『東方求聞史紀』において四季映姫・ヤマザナドゥが幻想郷の住民たちに有り難いお説教をして廻ることを趣味としているような描写が存在するが、
これは、色々とヤバそうな面々に対し、生きている内に業の深さを思い知らせ、地獄に落とさずとも済むよう予防しようとする「救済行動」とも考えられる。
ともすれば、映姫の行動はすべて、地蔵と閻魔の両方の矜持(信念)を果たそうとするものだと言い替えられよう。えらい。
地獄の恐怖を視覚的に伝え真摯に生きることの重要性を説く霊場恐山の教義と、映姫の崇高な信念には、通ずるところがあるのかもしれない。
また、三途の河を渡す彼岸の小役人「小野塚小町」も登場することから、恐山では普段こまっちゃんがどんな場所でサボ…働いているのか、想像を馳せる事もできる。

また、平成以降の調査により、恐山の温泉下には1トンあたり平均約400グラム、多い場所で6500グラムのを含有する鉱石が眠っていることが判明した。
その濃集密度と埋蔵量は世界でも屈指であり、掘り起こせば世界の金相場が崩れるほどの巨大な金鉱脈になるのではないかとまで言われている。
温泉下に眠る鉱山は温泉型鉱床とよばれるが、『東方茨歌仙第』第1巻「罪人の金鉱床」において幻想郷にも温泉型鉱床が存在する様子が描写されている。
ちなみに同作品同話中で、茨木華扇によって「温泉型鉱床から採掘される金は地獄に落ちた者=怨霊の欲望が溶け出したもの」であると説明されることから、
守矢神社のエネルギー研究ひいては火焔猫燐が引き起こした「東方地霊殿」の異変をきっかけとして、地上に噴出したものだとも考えられる。
加えて、同話では「温泉型鉱床から採掘される鉱石には、金の他に水銀やヒ素も多く含有されている。これもまた怨霊の欲望の結晶である」とされている。
恐山で採掘される鉱石も大量のヒ素が含むことが判明しており、採掘に伴う環境破壊への懸念から現代の技術では採掘は困難であると考えられている(青森県庁HP)。
以上のような類似点より、「東方茨歌仙」における幻想郷の温泉型鉱床等は、恐山の温泉型鉱床が着想の原型になっている可能性が考えられる。



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最終更新:2023年07月26日 15:48