関係あるとみられるもの

河城にとり(東方風神録ほか)

住所

カッパ淵  岩手県遠野市土淵町土淵8地割(JR釜石線「遠野駅」より徒歩1時間半)

カッパ淵


※カッパ漁が盛んな地域である

遠野市内にある常堅寺の裏手を流れる小川及び淵。かつて多くのかっぱが住みつき、人々に迷惑をかけたり時々手助けをしたりしたという伝説が残る。
清らかな水をたたえ鬱蒼とした茂みに覆われた現代のカッパ淵は、なお昔のまま「まさに河童が出てきそうな雰囲気」をかもし出している。
後述する『遠野物語』第五八段の舞台がこの場所ではないかと推測されていることから、現代でも「最もかっぱの生息可能性が高い水辺」の一つと考えられており、
かっぱとの邂逅を夢見るかっぱハンターたちが今日もキュウリを釣竿にぶらさげて淵に向かって投げ入れている・・・かもしれない。
ちなみにカッパ淵でかっぱ漁を行うためには、入漁権を購入する必要がある(年間200円)。密猟はやめましょう。

また、常堅寺は日本で唯一の「河童の狛犬」が鎮座するお寺であり(なんじゃそれと突っ込んだら負けだと思う)、淵の岸辺にはカッパ神を祀った祠もある。
これらもまた、かつてこの地で人と河童との間にあったとされる交流の伝承と趣を今に伝えるものである。

※カッパのほこら

なお『遠野物語』中において、かっぱは様々な地区の伝承の中で姿を現す。カッパ淵にのみ棲んでいたのではなく、遠野各地に分布していたようである。
カッパ淵は、かつての遠野郷における人間とかっぱとの関わりを現すシンボルの一つであると認識した方が、より実態に即しているだろう。

かっぱ

小烏瀬川の姥子淵の辺に、新屋の家という家あり。
ある日淵へ馬を冷やしに行き、馬曳きの子は外へ遊びに行きし間に、河童出でてその馬を引き込まんとし、かへりて馬に引きずられて厩の前に来たり、
馬槽(うまふね)に覆われてありき。家のもの馬槽(うまふね)の伏せてあるを怪しみて少しあけて見れば河童の手出でたり。
村中のもの集りて殺さんか宥さんかと評議せしが、今後は村中の馬に悪戯をせぬという堅き約束をさせてこれを放したり。
その川童は今は村を去りて相沢の滝の淵に住めりという。

超訳
小烏瀬川の姥子淵の辺に、新屋の家という家があった。
ある日、この家の馬番の子が、馬を姥子淵へと連れていき水浴びをさせた。馬が水を浴びている間、馬番の子はどこかへ遊びに行った。
するとかっぱが現れ、馬を水の中に引きずり込もうとした。アレの玉をとろうとしたのかもしれない。
しかし、馬の方が力強いので逆にかっぱをひきずり込み、馬屋の前まで引っぱって来た。そこでかっぱの上に馬の飼い葉おけがおおいかぶさってしまい、
身動きが出来なくなった。家の人が様子を見に来ると、桶がひっくり返っていたので不思議に思った。桶を少し上げてみると、河童の手が見えた。
緊急村議が開かれ、「かっぱの生殺与奪」が評議されたが、かっぱに「今後村中の馬に二度といたずらをしない」と固く約束させて解放することにした。
そのかっぱは今は村を去り、相沢の滝の淵に住んでいると言う。
『遠野物語』第五八段より


橋野の沢檜川の川下には、五郎兵衛淵という深い淵があった。
昔この淵の近くの大家の人が、馬を冷やしにそこへ行って、馬ばかり置いてちょっと家に帰っているうちに、淵の河童が馬を引き込もうとして、
馬はびっくりしてその河童を引きずったまま、厩(うまや)にはいり、自分の腰に手綱を結えつけて引っ張った。
河童はしかたがないので馬槽(うまふね)の下に隠れていた。家の人がヤダ(飼料)をやろうとして馬槽をひっくりかえすと、中に河童がいて大いにあやまった。
これからはけっしてもうこんな悪戯をせぬから許してくださいといって詫び証文を入れて淵へ帰っていったそうだ。その証文は今でも大家の家にあるという。

超訳
橋野の沢檜川の川下にある五郎兵衛淵という深い淵で、馬に水浴びをさせていた時のこと。
馬主が馬を置いて家に帰っている内に、かっぱが現れて馬を淵の中に引きずり込もうとした。ソレの血を取ろうとしたのかもしれない。
ところが、驚いた馬が逆にかっぱをひっぱりまわし、厠へと引きずりこんだ。身動きできなくなったかっぱは仕方なく、飼い葉桶をかぶって隠れていた。
しばらく後、家の人が馬に飼い葉をやるために桶をひっくり返すと、中からおびえたかっぱが出て来た。
かっぱはものすごく謝った。そして、「これからは決してもう悪戯をしないから許してください。」と泣きを入れた上、詫び状(誓約書)※を一筆書いた。
その証文は、今でもその人の家にあるという。
『遠野物語拾遺』第一七八段より
※このいわゆる「かっぱの詫び証文」という話については遠野に限ったものではなく、山形の高畠町などにも類似した話が伝わっている。
 妖怪が詫び証文を記すと言う話は、一説では熊野が大元となっているとされる。遠野伝承の中に他の地域の伝承が紛れ込んでいる一例と言えるかもしれない。



「遠野物語のかっぱ」と言えば上記の逸話が有名であり、「いたずら好きだが小心者」「憎めないやつ」といったユーモラスなキャラクターとして認識されることが
少なくないようにも思われる。しかし、これは遠野のかっぱの一側面でしかない。
『遠野物語』第五八段の前後にかけてかっぱに関する話題が連続するが、中には上述の伝承とは一味違う、人間とかっぱのダークな関係性も描写されている。


遠野物語第五五段
松崎村の川端家の女性が二代続けてかっぱの子を産んだ。その容姿は醜いものだった。生まれた子供は切り刻み、一升瓶に入れ地中に埋めた
なお川端家は村会議員を出すほどの名家であるとも書かれている。


遠野物語第五六段
上郷村のなにがしの家でかっぱの子が生まれた。体は真っ赤で、口が大きくたいへん醜かった。
忌々しいので捨てたが、見世物にすれば金になるかもしれないと思い直して拾いに戻った。しかし、すでに何者かに拾われた後で姿はなかった。


…ホラーである。人間が異種族と通じ子をなすという点では異類婚姻譚に系統づけられそうでもある。結婚はしてないけど。

この逸話を聞いて、「ほらみろ!やっぱりかっぱは実在したんや!」と思えた諸兄は、幻想郷に移住する資格を十分に備えていると思う
しかし、いみじくも現代科学主義に染まってしまった自称常識人の方々としては、上二段の伝承を聞いた時に、まず、
「人間が人間以外の子を産むなんて遺伝的にありえねーわ」「そもそもかっぱなんて実在するわけないがな」と考えてしまってしかるべきであろう。
その上で近代合理主義的にこれらの伝承を処理しようとした場合、次のような「邪推」が成り立つのではないかと思う。

①身分の卑しい者などと通じ生まれてしまった子を、「かっぱの子」ということにして殺したり捨てたりした説
②奇形児を「かっぱの子」ということにして殺したり捨てたりした説
③そもそも川端さんちや上郷村のなにがしさんちで、かっぱにせよ人間にせよ嬰児殺しなんて発生してなかった。周りがそういう噂をしていただけ説

なお、これらの推測の根底となるのは、「零落した神」というキーワードである。
すなわち、かっぱとは神であり妖怪であり、高貴であり醜いものでもある。いずれのパラメーターをとるにしても、
かっぱの子をなすことは「不可抗力」であり、故に生まれてしまった子を殺したとしても「倫理的にセーフである」、という考えである。

しかし、常識的に考えて「殺す」という最終的解決手段を用いる前に「どっかに養子に出す」とか「未熟児なので死んでしまったことにする」とか
「かっぱの子だから殺した」よりよっぽど倫理的に認容されそうな方法はいくらでもあるわけで、かなりの無理があると言わざるを得ない。
そもそも、3歳未満の乳幼児の死亡率をかんがみれば、いつどんな形で死んだって不自然はない。だからこそ七五三などという儀式が生まれたのである。
わざわざ「かっぱだから殺した」などと言いわけする必要がどこにあったのか、理解に苦しむところである。
また、③の推測が成り立つためには、いくら半人半妖だからと言って「醜いから殺す」ことが許容されうる倫理だったのかを、真摯に検証する必要があるだろう。
座敷童に愛想をつかされて家業が傾く話や調子こいて神や妖怪に取り殺される話など、幻想的な醜聞をお互いに噂しあっていた風土が遠野にあったことは疑いないが、
「あの人の家は嬰児殺しらしいよ」と人々に事実無根の噂をされて、さすがにその家の人たちは笑ってスルーができたのだろうか?

そんなこんなと伝承に事実や心情をあてはめようと試みる不毛な作業こそ民俗学の矜持ではあるものの、
いっそ「河童は実在したのだ」と推測してありのままの幻想に思いをはせる方が、最も豊かで誠実で、お手軽な楽しみ方のようにも思われる。


東方projectでは、「東方風神録」をはじめゲーム諸作品及び『東方茨歌仙』『東方鈴奈庵』等の書籍に「河城にとり」が登場する。
また書籍作品では、若干気が弱そうな黒髪おかっぱ頭のかっぱや、メガネっ娘のかっぱ、前髪のピンが印象的な外はね髪のかっぱもよく登場する(通称モブかっぱ)。
同一種族の妖怪集団としては、東方の作中でも最もよく活動の様子が描写されている一団のひとつであり、非常に優遇されていると言える。

しかしながら、東方projectにおけるかっぱ集団が『遠野物語』を原型として、あるいは同一の素をモチーフにデザインされているかどうかについては、直接的な論拠が乏しい。
東方projectで描写される「技術屋職の強いかっぱ」「徒党を組むかっぱ」「屋台で粗悪品を売りつけて開き直るかっぱ」といった風景は『遠野物語』中には一切登場せず、
少なくとも直接『遠野物語』を元ネタとしているとは考えにくい。第一、東方のかっぱは基本的に青い(オプティカル迷彩服)が、遠野のかっぱは赤い(物語第五九段)

一方で興味深いのが、日本が誇る大文豪芥川龍之介が、『遠野物語』のファンだったと言う事実である。
芥川龍之介は御年19歳(1910年)の時に、まだ出版されたばかりだった『遠野物語』と出会って読書し、非常な感銘を受けた。
それ以来芥川は、その生涯にわたって幾度となく、書籍や座談の中において柳田の著作について言及し誉めそやしているのである。

①「書簡1:52山本喜誉司 宛 明治43(1910)」、全集17巻、pp.43-44
 「此頃柳田国男氏の遠野語(ママ)と云ふをよみ大へん面白く感じ候」

②「澄江堂雑記」26家、全集10巻p290
 「なほ次手に広告すれば、早川氏の「三州横山話」は柳田国男氏の「遠野物語」以来、最も興味のある伝説集であらう。」

③「雑筆」水怪、全集7巻p120-121
 「河童の考証は柳田国男氏の山島民譚集に尽してゐる。」

④「河童」、全集14巻p129
 「(なにしろ河童の強敵に獺のいるなどということは「水虎考略」の著者はもちろん、「山島民譚集」の著者柳田国男さんさえ知らずにいたらしい新事実ですから。)」


河城にとりの登場する「東方風神録」3ステージボス戦の曲名は「芥川龍之介の河童」である。
芥川の『河童』の下敷きとなった、柳田国男の「河童」。その研究の一助となった『遠野物語』の河童は、間違いなく元ネタの元ネタであると言える。

最終更新:2015年12月16日 08:00
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