Q.子供たちは、完璧なルールがなくても幸せになれるか?





「驚いたな。まさか、まだ自分の人生に先があるとは思わなかった」

 目を開けた時、そこは異界の大地だった。
 自分の指先から微かに空中へと走ったノイズを見て、眞鍋瑚太郎はこれが今際の際に見る走馬灯などではないのだとその聡明な頭脳で瞬時に理解する。

 男には、全てが与えられていた。
 此処が何処で、自分は何をすればよいのか。その結果得られるものは何であるのか。逆に、何も得られないまま終わった場合にはどうなるのか。呈したい疑問の全てがいつの間にやら脳に詰め込まれている。
 妙な気分だったがすぐに順応する。それが出来る辺りが、この男の非凡さを物語っていた。

「要するに……また命を懸けて戦えというわけか。それで死んだばかりの人間に突き付ける命題としては、皮肉が利いてるな」

 命懸け(ワンヘッド)の戦い、それ自体は眞鍋にとって慣れた趣向だ。
 死んでいく者の顔は幾度となく見た。そしてつい今しがた、死んでいく者の気分も経験してきた。
 思っていたより悪いものではなかったし、残してきた生徒達のことを除けば未練らしい未練もなかったのだが、さしもの彼もまさか死んだ端からまた別なゲームに放り込まれるとは思わなかったらしい。


 “Holy Grail War”――聖杯戦争。


 あの『銀行』が用意してきた数々の悪趣味なゲームの中にさえ、これほどの規模と人数で行われる種目はなかった。
 何より異常なのはその景品だ。どんな願いも叶える、神の如き力を齎す願望器。現代社会における不変の法律をもねじ曲げ得るあの『ヘックスメダル』とすら比べ物にならないほど非現実的で馬鹿げている。

 誰も信じはしないだろう、証拠がなければ。
 確実に死んだ筈の人間を仮想世界に転移させ、そしてサーヴァントなる超常存在の召喚という不条理を現実に実行して証明してでもいなければ。
 逆に言えばそれを証明されてしまえば、疑いを掛ける理由は途端に消滅するのも事実だった。
 少なくとも今、眞鍋は聖杯戦争とそれに纏わる諸々の法理について根本的な疑義を抱いてはいない。

(大なり小なり裏はあるだろうが……な。全くの嘘ではないんだろう。
 此処が電脳空間上に再現された仮想世界で、人智を超えた存在の跋扈が当たり前に罷り通る“ゲーム盤”であることは、恐らく間違いない)

 『シヴァリング・ファイア』。
 世界の広さを見誤って敗北し、それを受け入れて死ぬ筈だった自分の身体に死の熱風が殺到するほんの寸前。
 そこで眞鍋は確かに、一枚の“黒い羽”を手にしていた。自分自身が絶対の檻だと信じてしまったが為に、本当にそうなってしまった棺桶の中にどういう訳か舞い落ちてきた羽毛。
 察するにあれが分水嶺だったのだろう。言うまでもなく、生と死の。

 一見するとこの世界は敗者へのボーナスタイムのようであり、地獄に垂らされた一筋の蜘蛛の糸のように思える。
 表向きは。しかしその救いらしき理屈を額面通りに受け取るのは危険だろうと、眞鍋は経験上そう確信していた。

 裏はあるものとして考える。重要なのは、それを如何に手中に収めて欺くか。

「……別に未練もないんだけどな。今更採点ミスを訴えて見苦しく足掻くのも教育に悪い。大人のやることじゃない」

 眞鍋は、己の辿った結末に納得している。
 全てを尽くして戦ったその末に、完膚なきまでの敗北を喫して死んだのだ。
 分かったのは自分が、世界という問題用紙の見方を間違えていたこと。人生というテストへの向き合い方を履き違えていたこと。
 最後にその間違いを知れる有意義なペケを貰えただけでも、十二分に満ち足りた最期だった。

 ただ一つ、ほんの一つだけ未練らしいものがあるとすれば――それは。

「ただ。晨に教えられた生き方で見つめる世界には――興味があるな」

 眞鍋瑚太郎を破った男。
 未熟な生徒だと思っていた彼の言葉が、今も耳を離れずにいることだ。

「人生が永遠に続くテストなら、得点は生きていくほどに増えていく……か。
 言われてみれば確かにそうだな。いつだって教え子の柔軟な発想というヤツには驚かされる」

 眞鍋はいつだって、他人にバツを付けて生きてきた。
 それで人の人生を評価して、無数の落第生を生み出してきた。
 その結果壊してきた人生の数は数十では利かない。これでは、教育災害の呼び名を不名誉だと憤る資格もないだろう。

 それでも眞鍋は、骨の髄まで、心の芯まで筋金入りの教育者だった。
 自分の教育に間違いがあったというのなら、それを正してみたくなる。

「……マルを数えて生きよう、か」

 新雪の降り積もった丘の上に大の字で寝転んで、呟いた。
 思えばその正しさは知っていた筈なのだ。少なくとも子供に対しては、自分はそれが出来ていた。
 勉強は出来ないが運動が出来る子。学芸会の主役にはなれなくても、クラスで一番キレイにアサガオを咲かせられた子。
 そんな小さな美点の尊さを鼻高に語っておいて、いざ学び舎を出て大人になった生徒に対してはそう出来ていなかった自分のダブルスタンダードに思わず笑いが零れる。

 成程、勝てないわけだ。
 あの男は自分よりも、もっと柔軟に世界を見ていたから。

「素敵な言葉ね。あなたが考えたの、先生?」
「いいや、僕は逆だった。バツを数えることばかり考えていたよ」

 そんな自分の顔を見下ろす相棒は、眞鍋の予想を超えて幼い人相をしていた。
 眞鍋が担当していたクラスの生徒達よりも一つ二つ大きいくらいだろうか。
 見た目ではそうとしか見えないからこそ、脳内にある彼女の情報に舌を巻く。
 人は見かけによらないと云うのは使い古された文句だが、どうやら神なる存在についてもそれは適用可能らしい。

「立派な大人を探していた。学び舎で授業を受けて巣立っていき、やがて新たな命が健やかに育つ社会の歯車になる彼らに輝きを求めた」

 夢と希望に溢れた子供達は時間と共に、それら熱を失った凡百の大人へと変わってしまう。
 かつてなら乗り越えられた筈のテストに落第し、間違いばかりを重ねて潰れていく姿をかつて眞鍋は忌み嫌った。
 合格者が自分一人だけの答案用紙を握り締めながら次は、次こそはと彷徨い続けて――いつしか目の前には死だけが残った。

「思えば単純な計算ミスだ。自分が正しいと思っている考えに取り憑かれ、それを貫こうと躍起になるあまりに散りばめられているヒントの悉くに気付かない。バツをもらう受験生の典型例だな」

 間違いだけを見ていたら、その人物の良いところになんて気付けない。
 十人十色の人生を評価しようと思うならば、その採点方法は最初から加点方式でやるべきだった。
 あれほど理想の教育者と自らを信じていながら、そんな単純なミスに最後まで気付けなかった事態に辟易と苦笑を禁じ得ない。
 そういう意味でも眞鍋はあの敗北を当然のものだと受け入れていたし、むしろ自分を成長させてくれた得難い経験の一つとして数えていた。

 ――マルを数えて生きよう。君達にはたくさんのマルがついてる。

「世の中、大人も子供も色んな人間がいる。
 素直なやつ、素直じゃないやつ。勉強ができるやつ、できないやつ。人付き合いが得意なやつ、苦手なやつ」
「そうね。人の心は、まるで綾模様のよう。みんな違ってみんないい、私もそう思うわ」
「それを一つの定規で測ろうとしたことが僕の間違いだった。一人一人の目を見て、人生を読んで……素晴らしいところを探してやればよかったんだ」

 考えてみれば当たり前のことだった。
 悪いことをしない人間はいない。失敗をしない人間もいないし、後ろ暗いところのない人間なんているわけがない。
 光があればそこには必ず影がある。その影を指差しあげつらって大上段から追試を言い渡すことに何の意味があったというのか。

「僕は……僕だけの百点満点を誇るのではなく、恥じるべきだったんだろうな。それは裸の王様と何ら変わらない、失敗の証拠だと」

 だからこそ、と眞鍋瑚太郎は思うのだ。
 人生の先を願うつもりなど毛頭ない。
 ましてや聖杯に託す個人的な願いなども存在しない。

 にも関わらず、この世界に希望らしいものを見出してしまうのは……気付けば銀行での勝負でそうだったように脳を回転させてしまっているのは、きっとまっさらな自由帳を前にした子供のように心を踊らせているからだ。

「不快にさせてしまったら申し訳ないが、僕が聖杯を欲しているかと言ったら微妙なところだ。
 恵まれない子供達の救済、より効率的でかつ有意義な教育体制の構築……その手の願いがないわけではないが、僕が求めているのはきっとそれじゃない」
「いいわ。許してあげるから、聞かせて頂戴? 私、あなたの想いが知りたいの。
 遥か遠い世界から……わざわざこんな幼い神を手繰り寄せてくれたんですもの。
 せめて私は、あなたの心を照らし寄り添う光でありたい。暖かな真昼の草原に吹くような、風でありたい。
 だからまずは――あなたのことを知りたいわ。そうすればきっとこの気持ちは、もっと強く大きくなっていくだろうから」
「……ふ。何だか妙な気分だな。君の見た目は子供そのものなのに、まるで親に悩みを吐露しているような気分だよ。新任の頃を思い出す」

 この世界には、一切のしがらみが存在しない。
 まさしく新天地だ。敗れて死んだ男に対する、贅沢すぎるほどおあつらえ向きなロスタイム。

 そして此処には、多くの人間がいる。
 聖杯戦争のために造られた命に始まり、聖杯戦争のために招かれた命に至るまで様々な人間の想いがこの世界のそこかしこで輝きを放っている。

「新しい教育をしたいんだ。かつて僕がやっていた教育は間違いだった――なら、教師として間違いは正さなければならないだろう?」

 教育者の血が疼く。
 かつては目を向けることもしなかった、いろいろなものをこの目で見てみたい。
 バツの影に隠れていた色とりどりのマルの数々に目を向けて、自分の今まで見ようとしてこなかった世界を知っていきたい。

 それが眞鍋瑚太郎の今の願いであり、聖杯に願うまでもなく叶えられる手近な欲望であった。

「より多くの人間を見たい。子供ならば守ろう。大人であればその幸せに寄り添おう。
 醜くても、失点が多くても……その歩みの中にあるマルの数を数えて、僕だけはそれを評価してやりたい」
「ふふ。あなたって、本当に骨の髄から“先生”なのね」
「こればかりは職業病さ。今更教育以外の生き方を見つけろと言われたら、僕は一日と保たず路頭に迷うだろうな」

 こうして改めて見つめてみれば、あんなに醜く思えた世界も何処までも澄み渡って見える。
 仮初めの吹けば飛ぶようなゲーム盤でさえこうなのだ。そこには価値があって、無限大の希望がある。

「世界は完璧なんかじゃなくて、たかが温度差の一つで壊れるような脆い硝子のドームでしかない」
「それも……誰かに教えてもらった言葉?」
「ああ。僕と違って世界を疑える、そんな生徒から教わった言葉さ」

 ――『鏡の中に君を助ける答えはない』。

 まさにその通り。世界とは、必ずしも答えの用意されている問題用紙ではない。
 そのことに気付けなかったからこそ、自分は今こうしてこの仮初めの大地に立っている。
 そこで幼い神と隣り合い、子供のように己が心中を吐露しているのだ。

「僕は、思いがけず信じていた世界の外へと出ることが出来た。だからこそその先を知りたいんだ」

 その言葉に――幼き神は、黙った。
 聖杯を積極的に望まないその姿勢を不快に感じたからではない。
 彼の口にした言葉が、自身の記憶の中に色褪せず残る“あの日”のことを思い起こさせたからだった。

「……私があなたに召喚された理由が、なんとなく分かった気がするわ」
「興味深いな。君も教育者だったのか? 幼き草神よ」
「まさか。私は、ただ……小さく狭い世界に囚われることの寂しさを、ちょっぴり知っているだけ」

 誰からも重んじられず、信仰を浴びることもなく。
 孤独の闇に胸を焼かれながら、ただひたすらに自分に当て嵌められた役割へと殉じていた。
 そういう時代が、この幼い神には確かにあった。より多くの学びと、それを以ってしての成長こそが使命であり存在の意義であるとそう信じて生きていた、そんな過去が彼女にはある。
 そしてその狭い苦しい、小さな世界が音を立てて弾け飛ぶ瞬間のことも――幼神は覚えていた。

「ねえ、先生。世界はとても広くて楽しいものよ。こんな成りでも神様だもの。私が、あなたに保証してあげる」

 男にとってそれはガラスのドームだった。
 神にとってそれは、知恵の邦の深淵だった。

 彼らは、世界が砕け散る音を知っている。
 閉塞と孤独が弾け飛ぶ、その瞬間を色褪せることない鮮明な記憶として覚えている。

「私はナヒーダ。スメールの草神、クラクサナリデビ。
 けれど今は先生、あなたの小さなサーヴァント。
 こういう台詞はあまり得意じゃないけれど、スメールの神の名の下にあなたと共に歩みましょう」

 世界は、決して完璧ではない。
 完全性を求めれば、それに呪われていたらキリがない。
 世界は案外と簡単に砕け散るもので、その先には更に果てしない新たな世界が広がっている。

 たとえそれが死の先に広がる仮初め、いつか終わることが確約されているロスタイムだとしても。
 その歩みに決して間違いも無駄もないのだと、彼らだけはそれを知っていた。
 彼らは誰よりも世界の殻を信じ、そしてその絶対が破れる瞬間を色濃く脳裏に焼き付けている者達だから。

「行きましょう、先生。あなたの誰より純粋な想いが、この世界の誰かに届きますように」

 ……その手を取るために手を伸ばす前に、人間は口を開いた。
 そして問い掛けた。かつて、自分を打ち負かしたギャンブラーに投げたのと全く同じ問いを。






 A.もちろんよ。なっちゃいけないなんてルールもないわ。






【クラス】
 キャスター

【真名】
 ナヒーダ@原神

【パラメーター】
 筋力E 耐久E 敏捷E 魔力A+ 幸運B 宝具EX

【属性】
 秩序・善

【クラススキル】
 陣地作成:A
 魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。
 “工房”を上回る“神殿”を形成することが可能。

【保有スキル】
 草神:A++
 俗世の七執政が一柱にして、スメールを統治する草神。
 未だ未熟ながらも弛まぬ努力と自負心を抱く、神性の象徴。
 神としての未熟さからそのランクはEXには達しない。
 しかし有し溜め込んだ知識の数は並大抵のそれではない。

 神性:A++
 神霊適性を持つかどうか。高いほどより物質的な神霊との混血とされる。
 スメールの建国神にして先代の草神・マハールッカデヴァータの転生体。
 神性の高さは極めて高く、それ故に存在強度は異次元の領域にある。

 無窮の神善:A
 孤独の闇の中にありて、しかしそのあり方を見失わなかった神の善意。
 精神攻撃に対する極めて強度な耐性。自らの存在の意味を忘れない、神の柱。

 所聞遍計:A
 草の元素を操るキャスターの権能。

【宝具】
『心景幻成』
 ランク:EX 種別:結界宝具 レンジ:1~100 最大補足:500人
 知恵の殿堂。夢想の殿堂、元素爆発。異なる世界の法理に照らし合わせるならば領域展開。
 植物園を模した極めて広範囲の元素エリア・『摩耶の宮殿』を展開する。

【人物背景】

 俗世の七執政が一柱にして、スメールを統治する草神。その二代目にして、国内では“クラクサナリデビ”の愛称で呼ばれる存在。
 手折られた、最も純粋なる枝。ある偉大な神の輪廻の果て。

 ――閉ざされた世界の中に佇み続けた、幼い神。

【サーヴァントとしての願い】
 聖杯は求めない。求めるのはマスターの幸福のみ。


【マスター】
 眞鍋瑚太郎@ジャンケットバンク

【マスターとしての願い】
 自分が得た答えを基に、新しい教育の眼で世界を見たい。

【能力・技能】
 極めて聡明な頭脳。
 社会の表と裏を問わずに猛者が集うギャンブラーの園で、最高ランクにまで上り詰められる聡明さと狡猾さを併せ持つ。
 そして彼は、それ以前に教師でもある。
 優秀でなおかつ教え子の心に寄り添った教育を行える、まさに教育の申し子とでも呼ぶべき聖職者。

【人物背景】

 眞鍋瑚太郎。職業、小学校教諭。裏の顔は『銀行』が主催する賭場のワンヘッドギャンブラー。
 『瞼無し(リッドレス)』。『教育災害』。

 世界の完璧を信じすぎるあまりに敗北し、最後にまた一つ成長して死に身を投じた男。

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最終更新:2023年09月22日 01:00