薔薇の季節過ぎたる今にして初めて知る。薔薇のつぼみの何たるかを。

 遅れ咲きの茎に輝けるただ一輪、千紫万紅をつぐないて余れり。


                                   ――ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ






 下赤塚。
 女児。
 ダンボール。






『人より数テンポ遅れて生きてて』
『何か覚えるには3回言わないといけないし』
『それもひと月すりゃ忘れる』
『いつも笑って、ごめんって』


『親父と相性最悪だった』






 下赤塚。
 女児。
 ダンボール。






『学校まで、取りに戻れ』






 男は、神にだってなれる筈だった。
 彼にはそれだけの才能があり、それを裏打ちするだけの実力もあった。

 だというのにその生涯は、決して世界に名を残しはしなかった。
 いや。名を残すことは出来ただろう。しかしそれは悪名だ。人類史上最悪のサイバー災害を引き起こした元凶の一人として、彼の名前は歴史に永遠に刻まれた。
 だからこそなのか。それとも、それとはまた違った宿命に左右された結果なのか。
 有馬小次郎は今、自身の手の及ばない――かつて確かに及んだ筈の世界に、一人のゲームプレイヤーとして立たされていた。


 頭を触る。
 ご丁寧にも、この世界での己は禿げていないことを知る。
 家族に、同僚に、後輩に舐められてはならないと人知れず装着していたカツラ。
 その存在をも見透かされた上でこの世界に招かれたことを、小次郎は自嘲せずにはいられなかった。

「……なんだ、これは?」

 そう言葉を漏らさずにはいられない。
 何故ならこれは、本来あり得ない筈の事態だからだ。

 有馬小次郎は神として、自身の功罪へと向き合った。
 『黒い鳥』。他でもない自身が作り出した、究極のAI。
 人間を死に至らしめ、世界の存続さえ脅かし得るそれを完膚なきまでに葬り去って。
 最期の最期にらしくもない感情のために自らを突き動かし、データの海に散った――その筈だった。

「……は。ははは、はははは」

 だというのに自身がまだ生きていること。
 ひいては、よりにもよってこんな世界に招かれている事実に失笑が堪えられない。

「まだ、求めるのか、私に……これ以上何を求めるというのだ。この出涸らしに、既に役目を終えた木偶人形に……!!」

 バーチャル世界もAI技術も、すべては科学の旗印の下に成り立っている。
 どんな不条理らしい事象も所詮はすべて0と1の間に生じる偶発の賜物であり、それ以上でも以下でもない。
 あの『黒い鳥』でさえ決してその例外ではなく、だからこそ自分はこの手であれを葬り去ることが出来たのだと――この時まではそう思っていた。

 だが、これは何だ。聖杯戦争。“Holy Grail War”。
 何もかもが未知。明らかに……自身が放棄したあの世界が生み出し得る可能性の範疇を超えている。

 巫山戯ているのか。
 有馬小次郎は、そう思った。 
 そうでもなければ説明がつかない。この事態そのものも、他でもない己がこの悪い冗談のような都市に招かれている事実もだ。
 この心を、生き様を。そしてあの無様な最期を嗤い、揶揄する意図を持った何者かでもない限りあり得ない事態だろうと乾いた笑いを漏らした。
 どうしろという。何を、どうしろというのだ。今更――この私に。こんな腐った男に、最悪のクソに。
 そんな中年の涙ぐましい煩悶はしかし、懐かしくも地毛が生え揃った頭を撫でる小さな感触を前にすべてが霧消した。


「お、さん」
「おと、さん」
「おとう、さん」
「おとうさん」


 ああ――駄目だ。やめてくれ。
 それだけは、駄目だ。駄目なんだ。それを言われたら、私は何があろうと逆らえない。
 生きる意味を失い、生きる場所を失って放逐された身でありながら小次郎は嘆いていた。そして、叫んでいた。
 気付けば泣き叫んでいた。そうせねばならない理由が、この冴えない男にはあった。

 彼はかつて――神だった。
 一つの世界を作り出し、そこに住まう架空の生命を無数に描き上げた造物主(デミウルゴス)。

 その頭脳は聡明の一言ではとても表しきれないほどに極まっていた。
 誰もが彼を敬愛し、尊敬し、時に崇拝し、そして彼の人間性を目の当たりにして離れていった。
 天才とは常に理解されないものだ。彼は、頭脳の代償に人間性に大きな欠陥を抱えて生まれてしまった。
 徹底した合理主義者。なまじ能力がありすぎるから、能力のない人間の気持ちや辛さが分からない。分かろうともしない。

 そんな男が妻を持ち、そして子を持てばどうなるかなど簡単に想像がつくだろう。
 歯車は緩やかに狂っていき、家庭内の溝は日に日に深まり、子供達は天才の子に生まれたが故の抑圧を受け続けた。

 男は知っていた。この世は強い人間だけが素晴らしく、能力のない人間とは語るに落ちる愚図ばかりだと知っていた。
 だから彼は子供達にも完璧を求めた。自分の理想の通りに生きることこそが幸福であり、そして自分の胤から生まれ落ちた以上はそうあるように努めることが養育される子供の義務だと信じていた。
 男は知らなかった。この世にはどうやっても物事がうまく出来ない、生きるのが下手な人間が居るのだと知らなかった。
 それでも彼は、平等に完璧を求めた。失敗するたびに叱責し、時には手をあげて折檻をした。愚図は愚図だと諦められれば利口だったのだろうが、それが出来ないこともまた彼の抱える病理の一つだったのだ。


 学校に連絡帳を忘れてきたことを、怯えた目で打ち明けた娘。
 何度も繰り返される失敗に、小次郎の堪忍袋の緒は容易く切れた。
 活火山からマグマが溢れ出すように噴き上がった怒りが、後に自分の人生を極寒の地獄に変える呼び水だったなんてその時男は知らなかった。


 彼はかつて、父親だった。
 一つの世界をすら作り出せる能力を持っていながら、一つ屋根の下で暮らす家族のことすら救えない愚かな大黒柱であった。


「泣かないで、おとうさん」


 息子に二度も殴られた情けない男が、神などであるものか。
 病んだ妻を救うことも出来ない甲斐性なしに、そう呼ばれる資格があるならこの世の宗教はすべてクズの見本市だ。
 娘を怒りのままに変態の餌にした馬鹿な男が。
 そこまでのことをしておきながら、未だに家族という存在を捨てる度胸もない軟弱者が。

 ――娘の顔をした“それ”を前に、ただ震えることしか出来ないようなクソが。

(神などで、あるものか)

 いわく聖杯とは、どんな願いも叶える願望器。
 手にした者に神の如き力を約束する聖遺物であるという。

 それを手にして、自分は何を願うつもりなのか。
 思案するまでもなく、決まっている。
 あの日壊れてしまった家族を、今度こそもう一度やり直す。
 仮想空間上に再現したAIなどではない、正真正銘の娘を死の運命ごとねじ曲げて蘇生させる。

 そうすれば、過ちなど何も生まれない。
 あの忌まわしき『黒い鳥』も、家族に消えない傷を刻み込んでしまった『プラネット』だって。
 虚飾と薄っぺらな罪悪感で出来たあの『一家』だって、生まれることはないだろう。
 有馬家はあるべき姿形のまま存続していく。今度こそ、家族みんなが幸せになれる世界が出来上がる。
 一家の大黒柱として、それだけは必ず成し遂げなければならないと――そう誓う一方で、愚かな男は自分に囁きかける呪いのような正論から耳を塞ぎ続けなければならなかった。


 『いつだって家族を壊すことしか出来ない男が、絆を望んでどうするんだ』

 『どうせ、お前が踏み躙るだけなのに』

 『いつだって、家族を泣かせるのはお前なのに』 

 『人を殺してまで、また繰り返すのか』


「黙れ!」

 叫んで、壁を殴り付けた。
 血が滲み、激痛が走り、拳が腫れて膨れるが気にはならない。
 むしろ都合が良くさえあった。こうしていれば、少しでも囁く声から意識を反らせるから。

「私は父親だ! 有馬家の家長なんだ! 壊れた家庭を直すのは当然の務めだろう!?
 病んだ妻! 私を蔑視する息子! もう沢山なんだ……! あの家は、あいつらは私をどこまで――」

 しかし、どうやったって有馬小次郎は逃げられない。
 自分自身からだけは、逃げられないのだ。

 喉の奥から出かけた言葉に、慌てて口を噤んだってどうにもならない。
 人間はそう簡単には変われない。そのことを、小次郎はよく知っている。

「綾……」

 “父”の狂態に驚き、怯えた表情を浮かべる娘の姿が視界に写る。
 その姿は、どこまでも……まるで切り取ってでもきたかのように、あの夜のままだった。

 下赤塚女児殺害事件。
 被害者の名前は、有馬綾。
 有馬小次郎の長女はあの日、家には帰って来なかった。
 その死体は、ダンボールの中に詰められて見つかった。

 有馬綾は死んでいる。
 生きてなどいる筈がない。
 “これ”は、綾ではない。

 父は誰よりもそれを理解していたが、しかし縋らずにはいられなかった。
 それを蔑ろに出来るほど彼が強かったなら、彼の名前が汚名として轟くようなことにはならなかったのだから。
 偽物だと分かっていても、これが自慰のような自己満足に満ちた贖罪の産物でしかないと分かっていても。
 かつてそれを望み、そして生み出した者として……“有馬綾”を一度殺した愚かな父親として、もう一度その存在を拒むことは出来なかった。






 『誰かの為の物語(ナーサリー・ライム)』。

 それは実在の英霊を意味しない。個人ではなく総称。マザー・グース。わらべうたの体系。
 物語である為に決まった形を持つことなく、マスターとなった人間の心を参照してその夢想に沿うサーヴァントを作り上げる。

 心を鏡に翳し、映し出されたモノを出力するいわば小さな願望器。
 有馬小次郎が召喚したのは、そういう存在だった。
 鏡は心を照らし出す。人は誰しも心の形までは偽れない。
 有馬小次郎の夢とは即ち、彼が犯した罪の記憶とイコールだ。
 あの日、一人で夜道に送り出してしまった娘。凄惨な死への片道切符を押し付けてしまった綾。
 世界の崩壊を前にしてようやく触れられたその“罪”の形が、そのまま小次郎の夢想となって此処に顕現した。


 ……しかし、不可解な点がひとつ。
 『黒い鳥』たるAIに触れて電子の海に消えた有馬小次郎が、その海中に偏在するどこかの世界に引き込まれたのだというのなら。

 彼が触れていた、娘の形を取ったAI――『黒い鳥』はどこへ消えたのか。






 愚かな男は、“父親”として家族の住む世界を去った。
 しかし、それは男に安らかな最期を確約するものではない。

 迷い込んだのは電脳の祭壇。
 願いと、無念が、ひしめき乱れて殺し合う蠱毒の壷中。
 熾天と呼ぶには弱すぎる。月と呼ぶには小さすぎる。
 か細い、切り捨てられたる者達の夢の集積場がかつての神を捕らえて逃さない。

 『誰かの為の物語(ナーサリー・ライム)』は此処にいる。
 そして彼と共にあの世界を去った『黒い鳥』も此処にいる。
 理想と夢想、二つの罪は統合された。故にそのクラスはエクストラクラス――二重存在(アルターエゴ)。


 有馬小次郎
 電脳世界の神、愚かなる父、人類の禁忌を殖やした男。

 彼に――安らかな眠り(グッド・ナイト)は、訪れない。



【クラス】
 アルターエゴ

【真名】
 ナーサリー・ライム@Fate/EXTRA、Grand Order

【パラメーター】
 筋力E~A 耐久E~A 敏捷E~A 魔力A 幸運D 宝具EX

【属性】
 混沌・中庸

【クラススキル】
 電脳存在:EX
 0と1の世界の存在。
 かつてある天才が開発した“究極のAI”。

 陣地作成:A
 アルターエゴはAI。ゲーム内を自由自在に翔び回る電脳存在。
 工房を上回る神殿の形成だってなんのその。

【保有スキル】
 変化:A+
 自己を自由自在に変化させる。
 アルターエゴの場合、ステータスも同時に変化する。

 自己改造:A
 自身の肉体にまったく別の肉体を付属・融合させる適性。
 このランクが上がれば上るほど正純の英雄から遠ざかっていく。

 一方その頃:A
 『おとうさん』

【宝具】
『誰かの為の物語(ナーサリー・ライム)』
 ランク:EX 種別:対人宝具 レンジ:0 最大捕捉:1人
 固有結界。サーヴァントの持つ能力が固有結界なのではなく、固有結界そのものがサーヴァントと化したもの。
 マスターの心を鏡のように映して、マスターが夢見た形の疑似サーヴァントとなって顕現する。
 本来は特定の名などなく『ナーサリー・ライム』という絵本のジャンル。結界の内容はマスターの心を映したものとなるため、有馬小次郎の罪と後悔の象徴である亡き娘『有馬綾』の姿と人格を再現している。
 しかし不可解。アルターエゴが持つ能力とその強さは、この宝具が読者に提供出来るレベルを大きく超えている。
 その正体は――

『黒い鳥』
 ランク:EX 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:-
 有馬小次郎が娘の幻影を追って開発した、究極にして最悪のAI。
 人の“感情”を喰らうことで活動し、成長する。
 数百万人分の数億通りものデータをリアルタイムで喰らい続ける必要がある為、ネットゲームのような毎日多くの人間が同時に接続する環境を格好の餌場にして肥え太る存在。
 戦闘能力は極めて高く、根本からの電脳存在なので電脳世界で振るえる能力の幅も広い。
 有馬小次郎がこの電脳世界に招来された際、彼が召喚した『誰かの為の物語』とその性質が共鳴し融合。変幻自在の物語であり、変幻自在のAIである一冊の黒い絵本へとあり方を自己改造した。

【人物背景】

 とある男の罪の結晶であり、後悔の写し身。

 そして――

【サーヴァントとしての願い】
 『おとうさん』


【マスター】
 有馬小次郎@グッド・ナイト・ワールド

【マスターとしての願い】
 有馬家を再生する

【能力・技能】
 プログラマーとしての天才的な才能と能力。
 自他共に認める天才であり、『黒い鳥』を創り出したのも元は彼。

 ネットゲーム『プラネット』と融合した現実世界から今回の聖杯戦争へと引き込まれている為、プラネット内で使用可能だった“マクロ”を用いて戦闘を行うことも出来る。
 トッププレイヤーの一角、最強ギルドの家長(リーダー)であったこともありかなりの強者。

【人物背景】

 天才であり、造物主であり、そしてこの上なく愚かな父親だった男。
 現実世界へ侵食した『黒い鳥』にコンピューターウイルスを打ち込んで崩壊させ、AI技術によって再現しようと目論んでいた娘・有馬綾と共に電子の海へと消えた。
 優秀だがひどい合理主義者で、偏執的。“出来ない”人間の心が分からない。

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最終更新:2023年09月25日 13:57