約束は守られてはじめて意味を成す。
いつか必ず、叶うと。契り、そう思う。
そう願い、時は過ぎ、その後に答えは生まれていく。
――――――だが。
その願いは成就するのか。しないのか。
行く末は誰も知らない。
「やだやだぁー! 行っちゃやだぁー!」
「ううーん、そんな事言われても……」
「ほら
アリスちゃん、○○ちゃんだって親が待ってるかもしれないのよ?」
「やだったらやだー!」
「困ったわね―……夢子ちゃん、何か良い案とか――」
「それがあったら二日前位には提案してますよ……アリスさんに知らせたのが一週間前で、それからずっと愚図っているんですから」
「う、それもそうよね。……どうしたらいいのかしら。○○ちゃん」
「……はぁ。あー、アリスおねーちゃん」
「……なによ」
「僕は一度帰らなきゃいけないんだ。でも、必ずここに帰ってくることがあったら――」
「帰ってこられたら……?」
「うん。その時は―――」
「ん……夢?」
魔法の森にあるとある洋館。そこに七色の人形遣い―アリス・マーガトロイドが住んでいる。
……彼女は今しがた起床したようだ。
洗面台に向かい、顔を洗い、服を着替える。自身で人形を操り、朝食の支度をさせる。
―――いつもと変わらない、朝。
「……昨日はブレッドだったから、今日はサンドイッチにしようかしら」
人形にサンドイッチを作らせる。レタスを水に浸し、茹で卵を作らせ、食パンの耳を取り除く。
「うん、今日も美味しいわね」
本来、魔法使いとなった者に食事も睡眠も本来は必要ないのだ。
未だに人間の習慣が忘れられないのは、彼女がなりたての魔法使いであるから。
――尤も、それは人それぞれ、なのだが。
「それにしても、もう十年以上になるのね……○○が郷を出て」
郷――幻想郷は時に外界の人間を“幻想郷を保つため”に必要としている。
妖怪の類が人里の人間を食べてしまっては、幻想郷そのもののバランスが崩壊してしまう。
そこで大妖怪――八雲紫は、外界から人間を誘い込むようにした。
その人間は、自身の存在が薄い者・生きる意味を見失った者・迷い込んだ者が多くを占め、幻想郷に放り込まれて妖怪の餌になるのだ。
運よく生き延びて人里の者に助けられれば、そこで自身の選択を迫られる。
ひとつは郷に残り、天命を全うする事。
ひとつは外界に戻る事。
前者は様変わりした世界で新たな人生を。後者は変わり映えの無い人生を送る事になる。が、大抵の者は残る事を選ぶのだ。
しかし、アリスの言う○○という少年は、過去に幻想郷からの帰還を望んだ。
尤も何年も前の話であり、幼かった彼には親の愛情が必要だった。故に帰還を望んだのだ。
そして別れ際にひとつの約束を交わしたのだ。
「もう一度この世界に来られた時に、自分と結婚をする」
――何とも可笑しな約束だ、とアリスは思い出し笑いをしてしまう。
それは○○が帰還の際、幼いアリスをなだめる為に言っただけであり、今のアリスもさして気にしてはいなかった。
(今思い出しても胸が高鳴るのは彼女だけの秘密だが)
「おおぉーい! アリスはいるかー?」
「いるわよ。そんな大声出さないで頂戴」
豪快に扉を開けて室内に入ってきたのは、彼女の友人である霧雨魔理沙。
白黒の衣装とトンガリ帽子をかぶった普通の魔法使いだ。
「よー、朝飯は食ったか? 着替えは済ませたか? 神社に行って宴会の準備手伝わされてへとへとになる心の準備は?」
「長いわよ。 へとへとになる心の準備以外は済ませたわ」
「そうか。じゃあ早速出発だな」
博麗神社に到着した二人は妙な光景を目にした。
博麗神社の巫女である
博麗霊夢、烏天狗の新聞記者である射命丸文が誰かを囲んでいた。
「ですから、何故か人間が妖怪の山の小さな滝で水浴びをしていてですね。これは変だと! スクープになりそうな予感がしまして!」
「いやいや、どう見ても普通の外来人でしょうに。御免なさいね。この天狗、色々と珍妙な記事書くから、余り喋らない方がいいわ」
「あややや、それでは私の仕事が妙に否定されている気がします!」
「……へぇ、不思議な所ですね。ここは」
外来人と思われる青年は背を
魔理沙達に向けているので顔が見えなかった。
「おーい霊夢! 何かあったのかー?」
「あら魔理沙。文が外来人拾って来たのよ」
「へぇ。まぁ珍しい事じゃないか。おーい! 早く来いよー!」
「はいはい、今行くわよー……え?」
正面を向いた青年の顔を見てアリスは呟いた。
「○、○……?」
「え……?」
青年は呆けた表情をした。何かを思い出したかのように、慌ててズボンのポケットの中をまさぐる
……ポケットから出されたその手に握られていたのは、見覚えのある青い――少々くたびれたリボン。
「……アリス、なのか……?」
気付けばアリスは、彼に近寄り――抱きついていた。
「本当に、○○なの……?」
「アリス、ねーさん……」
お姉ちゃん、と呼ばないのは彼が成長したからだろうか。それでも○○は名を呼んだ。アリスの名前を。
「○○っ! ○○! ○……!」
「アリスねーさん、……ただいま」
「うわぁぁぁぁぁぁん!! ○○ぅぅぅぅ!!」
人目も気にせず、アリスは彼に抱きついた。
「いやはや、アリスさんが人前であんな大声で泣くだなんて! しかも婚約者のおまけ付き! いやー良い記事になりそうです!」
「ちょ……っ! 何記事にしようとしてるのよ!」
慌ててアリスが記事にする事を止めにかかる。が
「あややや! こんな感動的なお話を記事にしない新聞記者はいないですよ! これで今回のネタはきまりですね!」
聞いていない。記事にされるのは回避できないようだ。
「う、あー、何か恥ずかしいわ……○○も何か言ってやってよ」
「いや……・良い言い訳が思い浮かばないなぁ」
「止める気ある?」 「そんなにない」 「○○は私と……結婚、したい?」
言うと○○は少しうつむいた。
「……もう、大切なものがアリスしかいなくなっちゃったから、さ」
「んな!!」 「あやややや!! 爆弾発言です!」 「よーし、今夜の宴会はアリスの婚約会見だな!」
「あー、その婚約会見を開く為にもさっさと準備はじめるわよ」
霊夢が準備に取り掛かるのと同時に、魔理沙や文も準備に向かう。その場に残されたのは、アリスと○○だけになった。
「全くあいつらー、人の話の聞かずに騒ぎ立てるなんて」
「凄くいい人に見えたよ、僕には。……その宴会っていつ行われるの?」
「今晩よ。……あー! 大勢の人の前で婚約会見だなんて、できる訳ないでしょ!? 恥ずかし過ぎるわよ……」
「……昔っから君は恥ずかしがり屋だな。加えて泣き虫。ついでに努力家」
「ついでにって、何よ……・まぁ、いいわ。とりあえず○○」
「魔界に帰らない?」
「ん? ……会う人でもいるの?」
「……ほら、私と一緒に居た人たちよ」
夢子――金髪のとても優れた技量を持つメイド。
そんな彼女たちを従えている、神綺――魔界の神様。
彼女達が待っているかもしれない、とアリスは言った。
「……そうか。そんな人たちも居たね」
「あいさつも兼ねた里帰りになるわね……さ、まずは私の家に行きましょう?
アリスが○○の手を引いて自宅に連れて帰ろうとする。
「あ! あんた宴会の準備は!?」
霊夢が呼び止める。
「私は忙しくなったのよ。宴会、私達の分まで楽しみなさいよー」
言い終えるとアリスは○○を担いで飛んで行ってしまった。
「あ! あんにゃろー、次会ったらスぺカの一枚でも食らわせてやるわ……!」
「おいおい霊夢、それは流石にやりすぎじゃ……」
「うっさい! あーもー、さっさと手伝いなさい魔理沙!」
「手伝うって! 手伝うからそのスぺカしまって下さい」
「夢子ちゃん」
紅茶を飲みながらくつろいでいた彼女は従者を呼んだ。
「はい神綺様。ここに」
従者――夢子は小さめのケーキを乗せたプレートをテーブルの上に乗せ、話に耳を傾ける。
「アリスちゃんがもうすぐ帰ってくるわ。……後」
「後……何かありましたか?」
「ううん、懐かしい感じね。もう何年になるのかしら」
「……?」
いまいち理解できていない夢子を主である彼女は屋敷の門へ向かわせた。
「久しぶりね……アリスちゃん、○○ちゃん」
彼女――神綺は、実に嬉しそうな表情だった。
数分後にあたふたとした感じで部屋に入ってくる夢子を見て、神綺はにやにやとしていた。
「きゃーん♪ アリスちゃん久しぶりーっ」
「あ、あの神綺様……く、くるじいぃぃぃ○○だずけでぇーー」
アリスは泡を吹き始めていた。
「まぁ、スキンシップは大事だから、止めないよ」
「そんなぁぁぁ」
「きゃーん♪ ○○ちゃんも大きくなっちゃってー!」
アリスにハグするのに飽きたのか、神綺は○○に抱きついた。
「……あの、苦しいんですが。後、何か柔らかいんですがね」
「神綺さまァ――――ッ!? 他人の婚約者にちょっかい出さないで下さい!!」
「いいじゃない、私の家族になるんだから、固い事言わないのアリスちゃーん」
顔を真っ赤に上気させたアリスが神綺をぽかぽかと殴っていた。
一方で○○は神綺の胸に圧迫されて白目を向いていたのだが、それは別のお話。
「ねぇ、○○ちゃん……本当にアリスちゃんでいいの?」
夜。神綺は自室に○○を呼びだした。
○○とアリスの婚約。それは昔の約束事で、まさか本当に婚約するとは思っていなかったのだ。
「そう……ですけど。あの、何か問題でも……?」
「ううん、○○ちゃんは本当にそれでいいの?よく考えた方が良いよ。結婚は神聖なもの。一生にそう何度もあるものじゃないわ。
人生の伴侶を決めるとても神聖で、重要な事なの。だから軽々しく決めちゃ駄目。――貴方がアリスちゃんを思ってくれているのは私にもわかる。
だからこそ、もっとよく考えてほしいの」
「僕は――彼女をずっと想っていました」
「――――そう」
神綺はその言葉を聞くと、暫く黙りこんだ。
「……あの、神綺様?」
「ううん、何でもないわ。……今日はもう疲れたでしょう? もう寝た方が良いわ」
○○は彼女の寝室から出て行った。
「―――○○ちゃん」
「おはようございます、○○……さん? 君の方が合ってるかな……?」
「おはよう、夢子さん。……じゃあ『君』でお願いします」
「あい了解。―――おはよ、○○君」
夢子さんもはじめて見た時と比べて性格が柔らかくなった気がする。
きつい性格の人だなー、と思っていた記憶が。でも優しい感じに変わっていた。
いや、いい事ではあるのだが。
「おはよう、○○ちゃん」
「おはようございます、神綺様」
「あ、おはようございます神綺さん」
いつもと変わらない笑顔の神綺さん。
「あ、アリス起こしてきますね」
そう言い残してアリスの部屋に向かう。
「……あらあら、早くも夫婦らしい感じになって―――神綺様?」
「―――え、そ……そうね。羨ましいなぁ」
神綺の眼は、どこか暗い感じがした。―――夢子は、それに気付けないでいた。
「あぁもう……何なのよこのモヤモヤ感は……」
この数カ月、神綺は原因不明の不快感に悩まされるようになった。
何故だか○○と再会するようになってから、それは実感できる様になっていた。
○○が自分の娘に等しいアリスと一緒に居る時には、それが苛立ちと共に現れて。
そうした時には○○に抱きつくと落ち着きを取り戻せる事も、彼女は理解していた。
―――尤も、その行動でアリスが嫌な顔をする事も。それを見て気持ちが晴れる事も。
そうする事でアリスに対し優越感を覚える事も、理解してしまっていた。
「……私って、最低ね」
夕食の時もそうだった。
仲良くべったりと。まるで夫婦の様に振舞う二人を見ていると正気でいられなくなる。
何故、自分は○○の事を考えているのだろうか。
何故、○○の隣にアリスが居ると苛立つのか。
「○○……ちゃん……っ」
考えるだけで、名前を声にするだけで身体が火照ってくる。胸が締め付けられる感触もする。
「おやすみなさい、○○君」
「おやすみー、夢子さん」
夢子に挨拶をし、与えられた部屋に向かう。
まだ使いなれない大きなベッド。
早々に潜り込み眠ろうとして―――気付いた。
「? 誰ですか?」
部屋の隅に誰か、居た。
「……○○ちゃん」
自分の事を「ちゃん」付けで呼ぶのは一人しかいない。
「……神綺さん?」
神綺は何も言わず、ベッドの方へ近づいてくる。
「―――隣、いいかな?」
「へ? あ、いいですけど……」
ベッドに腰掛けるのかと思っていた。
「よいしょ、っと」
「な、何をして……!?」
「……見て分からない? 添い寝よ。
○○ちゃんは『こういう事』は初めてかしら?」
「な、ななな!?」
一瞬で顔が赤くなるのが分かる。それを見て神綺は―――
「―――そう」
舌舐めずりをしていた。その表情は……。
「なら尚更、アリスちゃん―――あの女には渡せないわ」
「え……?」
「まだ綺麗なまんま、汚れを知らない○○ちゃんを魔法使いなんかになったあの恥知らずなんかには渡さない。
魔界人でいればまだ許せたけど、挙句に『人である事を捨てた』あれには渡せない。渡さない。
結婚なんかしたって意味ないもん。子を残せられないなら、ツガイになる意味もないわ。
でもね、○○ちゃん。私なら出来るんだよ? 私なら―――貴方の子を孕む事ができるの。あの女とは違うの。
ね? もう一度だけチャンスをあげる。―――よく考えて。○○ちゃんは私を選ぶの? それとも―――」
選択と言ってはいるが、神綺の眼光はアリスを選ぶ事をまるで信じていない。自分を選ぶ事を予見していた。
「ぼ、僕は……っ! アリスが好きなんだ!人だとか魔法使いだとか、そんな事はどうだっていい!
僕はアリスという一人の女の子を愛して―――」
言った瞬間、怖気が襲った。―――神綺の表情が一変していた。
「――――――そう、なの」
無表情。眼は何も映さず、ただ自分を見ている。
「なら、仕方ないわね」
○○は押し倒され、寝間着を破られていく。
「な、何をするんですか!?」
「大丈夫よ。全部上手くいくから……。だから今は、『私の言うとおりにしなさい』」
言葉を聞いた瞬間、意識は薄れていった。
―――そうなるまで何故思い出せなかったのだろう。彼女は、魔界を創った『神』だったというのに。
人の意識を弄ぶ事なんて、造作もない事なのに。
「おはよう、○○ちゃん」
「おはよう、神綺」
朝、朝食を食べようとした二人の挨拶。
何という事は無い、只の挨拶。仲のいい「只の夫婦」。
「あら、おはようございます神綺様。―――ゆうべは、おたのしみでしたね」
「―――っ! 夢子ちゃん!」
神綺は顔を真っ赤にしている。さながら茹で蛸のように。
「ふふふ、冗談です。カマかけただけですよ」
結果として図星だったのだか。
「ふぁー……神綺様、○○、おはよー」
「おはよう、アリス」
二人は普通に挨拶をする。
それは、ただ友人同士が行う様な、普通の挨拶。
―――かつての事など、忘れてしまったかのように。
自分達がつい昨日まで互いに愛し合っていた事など忘れ―――
それが、「普通」であるかのように。
最終更新:2024年12月05日 11:57