あの人の平等な優しさが
愛おしかった。
だけどそれは
苦痛でもあった。
平等だからこそ、私に向けらる優しさは……ほんの僅かな物だったから。
「○○……」
目覚める筈の無い時間、私の意識が手元にある。
夢に出てきたあの人が、あんな事を言わなければ。
布団の裾を掴み、ぎゅっと握り締める。
何かに、しがみ付いていたかったのかもしれない。
『お願いだ、紫……殺さないでくれ……』
恐怖に歪んだあの人の表情には、畏怖だけではなく。
憎悪に満ち、私に向けられていた筈の僅かな感情さえ――残ってはいなかった。
「そんな事……あなたにする訳が、ないでしょう……?」
枕に顔を埋めると、そのまま再び眠りに落ちようと、目を閉じる。
けれど、意識ははっきりとしたままで、結局眠る事は叶わなかった。
カシャン。
「……あら」
手から茶碗が落ちて、割れてしまう。
半分眠っているかのような表情のまま、紫は落ちた茶碗を眺めた。
「ちょっと紫、何やってんのよ」
霊夢が驚いた様に言う。
が、割れた欠片を機敏に片付け、奥から拭き物を瞬時に持ってきた姿勢からは、
そんな様子は微塵も感じられなかった。
「割れた茶碗の音も風情があるでしょう?」
そういって笑顔で答える。
「風情でうちの茶碗を全滅させるつもりじゃないでしょうね」
「そういう異変もそのうち起こるのかしら。怖いわね」
「あんたがやったんでしょーが!」
そんなやり取りを交わす中、そのうち誰かが見ている事に気付く。
「趣味かしら?○○」
「漫才は何時見ても飽きないけど、趣味としてはどうかな」
「覗きなら○○にはお似合いなんじゃない?」
そうして受け答えを交わすと、○○もまた会話に参加した。
結局その日は三人で、そのまま暇という時間を大いに満喫したのだった。
やがて話す事も無くなった頃、自然と解散する。
○○は何時ものように一人、何事も無く帰路につこうとする、が。
「○○」
紫が声を掛けた。
「……何かまだ面白い話でも?」
笑いかけるように答え、返事をする。
「偶にはエスコートの一つでもしていきなさい。それがあなたの為よ」
「…なに?」
少し驚くように反応したが、直ぐに表情を戻すと、紫と一緒に歩き始めた。
「スキマを使えば直ぐだろうに」
「あら、○○はスキマ妖怪だったの?それは初耳ね」
「俺は人間だよ……って、何でそんな反応が返ってくるんだ?」
「エスコートをするのが今のあなたの役目。
なら私のそれで移動してしまっては、何の意味も無いでしょう」
「確かにそうかもしれないが……ううむ」
唸る○○に対し、くすくすと紫が笑う。
「バカねぇ、それならわざわざ一緒に帰る意味がなくなってしまうでしょう」
「ん」
納得したような顔をして。
「それもそうか」
頷く様に、返事をした。
「で。家に着いたのは良いんだが」
「お菓子はお煎餅だけ……あらあら」
「何でお前まで家に上がってるんだ?しかも人の台所を勝手に漁るな」
「おかまいもできず、ごめんなさいね」
「それは俺の台詞だ!いや、違うか」
勢いのまま家に上がりこまれ、台所を荒らされて。
そして、結局お茶を入れさせられ。
そのまま数時間ほど、エスコートと言う名の暇潰しが終わる事は無かった。
流石に気に触ったのか、○○が口を開く。
「まさか夕飯まで食べてくつもり……じゃ?」
そう言おうとした○○の前に差し出されたのは料理だった。
特に何もおかしな所の無い、普通の、料理。
「そうねぇ、○○がどうしてもというのなら」
「いや、待て。この料理は何だ?」
相変わらずの調子で紫は言う。
「お気に召しません?毒でも入れておけば、あなたの食指を誘えたのかしら」
「誰もそんな事は言ってない」
「……食べないのかしら?」
そういった紫の目は、他人から見れば少し甘える様な、優しげな表情だった。
が、○○は気にした様子も無く、こんな言葉を返す。
「……これ、紫は食べたのか?」
疑うような視線が、其処にはあった。
「……食べたわ。それが何か?」
先程までの空気はいずこかへと消え、紫は唇を噛み締める。
「そうか。いや、ならいいんだが」
その返事を聞いた途端、料理を口に運ぶ○○を見ながら。
それから一週間程経った頃、○○は紫と妖夢という、
少し奇妙な組み合わせで外に出かけていた。
この前のお礼がしたい、という名目で。
「私とは二人きりになりたくないという○○の思惑……」
と、紫がそんな事を言い始める。
「え」
二人が声を合わせて、反応した。
「取って食べられる事を恐れて?
それとも、逢引に誘う程の度胸が無かったから」
「――どちらかしら?」
「後者だな」
即答する。
「あら、そうなの?」
「女性に恥をかかせるよりは、な」
普段と変わらない調子で。
そういうものなのですか?と、妖夢が口を挟んだが、
その話題はそれ以上進展しなかった。
用事を済ませ、今度は下山する。
「まさかあんな所に果樹園があるなんて……」
「果樹園って程のものでもないけどな。
時々様子を見に来て、世話をする。
殆ど自生してるようなものだよ。大したもんだろう?」
自分の事では無いのに、嬉しそうにそう言う。
「あの場所が好きなのね、○○」
「……そうかもな」
今度は少し考えて、そう言った。
直後。
落石。
崖崩れが、起きた。
「最強って言う割には大した事ないなぁ。
驕るのも妖精の特技の一つ、かしらね」
「う、うるさいっ!あたいはまだ負けた訳じゃない」
ヘロヘロと飛ぶ
チルノに、天子が興味無さそうに相手をする。
先程の落石はこの余波で起きたものの様だ。
「……っ!」
あの人の、声がする。
咄嗟に避けてはみたものの、全部は避け切れなかったらしい。
自然に起きた落石までは読めなかった。
落石をあの人に当てない様にする事で、手一杯だったから。
スキマから、外に出て、聞いたのは
「……むっ!妖夢!!大丈夫か!?」
あの人が、心配している声。
『それは私では無かったけれど』
「あ、はい……私は何とか。○○さんこそ……」
「俺の方はなんともないよ。運が良かったらしい」
そうして、私の方を振り向く。
「……あぁ紫、大丈夫か?まぁ、お前なら心配いらな――」
お前なら。
心配いらない。
なんでって
だって、強いじゃないか
○○がその時何と言ったのか、聞こえはしなかった
ただ、ただ。私には、そう 聞こえた
聞こえた、気がした
「最近、あいつの様子がおかしい気がするんだが」
「あいつって……紫の事?」
霊夢は煎餅を齧りながら、縁側で足をぶらぶらとさせている。
「ああ。やっぱり霊夢もそう思うか」
「んー。あいつがおかしいのはいつもの事じゃない」
特に気に留めている様子は無い。
○○は、やっぱり思い込みかねぇと呟くと、茶を啜った。
スキマの中で何処か遠くを見る様に、紫はそんな○○を見つめていた。
「風見、幽香――」
「珍しいお客ね」
傘を差したまま、お互いに目線も合わせぬまま、言葉を交わす。
「花を見に来たって訳でも無さそうだけど?」
今度は笑顔で返事をする。眩しいほどの、笑顔で。
「……あながちち間違いでもありません」
なぜなら
「私は、あなたの弾幕という花を見に来たのですから」
「……ふぅん」
幽香は、笑ったままだ。
「要するに、本気でいじめて欲しいって事ね?」
「いいえ」
「本気では足りないわ。
死ぬ気で、来なさい。
殺し合い、という言葉では生温い――
そんな戦いになる様に」
……。
神社を出て直ぐの帰路、○○は嫌な予感がした。
正確には、嫌な物を見たかもしれない、そんな感覚。
ふらり、ふらり、と此方に歩み寄ってくる人影が一つ。
こんな所で、妖怪だろうか?
場所が神社の近くだけに、妖怪を見ても別段おかしな気はしなかったが、
何処か妙な雰囲気がある。
はっきりとその人影が、視認出来る距離まで近付くと、
それが、見知った人物だと言う事に気付く。
紫だった。
真っ直ぐと○○を見据えている、紫だった。
ボロボロの服を纏ったまま、四肢が揃っていないのに
傘を差して ふらり ふらりと
○○の方へ、近づいて行く。
「こんな時間に 何処へ帰ろうっていうの?
○、○。
……ふふ」
「どうしたんだ、その怪我!」
○○が、駆け寄る。
「お前がこんなになるなんて……一体何をしてたんだ?」
驚いた、表情をしている。
「そうねぇ……私が凄い怪我をしたら、あなたは一体どんな反応をするのか。
それが見てみたかった、なんてどうかしら?」
自然と、本音が出た。
「紫にしては。つまらない冗談を言うんだな」
そう言いながら、体を支え。
「……そうね」
「お前なら、何時も気をつけてればこんな事にはならないだろう?」
心配そうな表情で、気遣って。
「つまらない冗談なんかで、俺を惑わせないでくれ。迷惑だよ」
「え……?」
そのコトバで、ワタシを。ツきハナした。
支えていたその手ごと、押しのける様に、○○を拒絶する。
体の痛みも同様に、何処かへといってしまったようだった。
気付けば私は、マヨヒガにも戻らずに――スキマの中で、閉じ篭った。
「紫……?久しぶりだな。もう、怪我は良いのか?」
「おい、聞いてるのか?
そういえば、この前あった事なんだが……」
「それで……どうした?
やっぱりまだ調子が悪いんじゃないのか?
無理しないで、まだ休んでたほ……」
ぎゅっ、と 締める。
「迷惑だから?」
簡単に、それは砕けてしまう。
だってこれは、夢の中の
私の中の、あなただから。
私があの人を愛おしいと思えたのは、何が理由だったのだろう。
思い出そうと手を伸ばした先は、まるで靄が掛かっているかのように、先が見えなくなっていた。
今も昔も、あの人は変わらずに。
変わらないままの存在で、今も其処に在るというのに。
分け隔てなく、人外とも接する事の出来る存在。
それでいて、何処か掴み所の無い――
可愛らしいと思った。
それだけだった。
だから、霊夢達と同じ様に接していた筈なのに
……独占したくなってしまったのは、何故なのか。
短い様で長く。あの人と一緒にいる内に、与えられた優しさが。
私の中の何処かに、ひっかかっている。
……むずがゆくて、邪魔なもの。
だから私は、これを取り除いてしまいたい。
○○――
「私を恐れるかしら?」
誰も居ない。返事を待たず、紫は喋る。
「でも私は、あなたが恐い」
そして仰ぐ様に手を上げると。
ぎゅっ、と握り締めた。
「あなたを好きでいられなくなりそうで。
愛してしまいそうで、恐いの」
「壊して、しまいそうで とっても」
「はぁい、霊夢、○○」
「いきなり出てくるな」
「つれないわねぇ。相変わらず」
「お互い様じゃないのか?」
何時もの様に現れた紫の態度はいつもと変わらない。
怪我をしていたという素振りさえ、何処にも無かった。
「もう体の方はいいのか?」
○○が気遣う様に言うと。
「ええ、大丈夫――よ」
「――っ?!」
その手を取り、自分の体に、押し当てるように触れさせた。
「な、何を」
「ほら、なんともないでしょう?」
確かめさせる様に、そう言いながら。
○○が慌てて振り解こうとするが、その手は強く握られていて離れない。
……痛くは無いのに、押し潰されるぐらいの強さで掴まれている様な、感覚。
「いつまでやってんのよ」
「あら」
霊夢の言葉と同時に、その手がぱっと離れた。
腕に痕は……残っていない。
「あんたでも鼻の下伸ばすのねぇ」
「いや、これは……」
誤解だ、と言おうとする○○の口は紫の指で塞がれていた。
いつもと変わらない態度で。
しかし、何かがおかしかった。
「今日もエスコートして頂けるかしら、○○」
あの日の様に、紫が言う。
「……あぁ」
○○も、断らなかった。
先程の事を聞く為に。
「急にどうしたって、顔してるわね」
「当たり前だろう」
二人きりで、家への道を歩いてゆく。
いつもよりも、静かな様に感じるのは気のせいなのだろうか。
「私がああする事が意外かしら?」
「……あ、あぁ。そういうの、興味ないって言うか」
そう言おうとする○○の口は再び塞がれる。
彼女の、唇で。
「ん――ぐっ!?」
慌てて後ろに下がり、よろけてしまう。
「今日は一体何なんだよ!!」
怒鳴る様に言うと、直ぐに『しまった』といった顔をした。
だが、紫はそれを気にした様子もなく、○○に微笑みかけている。
いつもと何も変わらない。
何も、変わらない。
……変わっていない、筈なのに。
「そうねぇ」
「無自覚に人の境界を犯す様に上がりこんで」
「自分の用件だけを済ませたら帰ってしまう」
「知らなかったでは済まさせない――
自分が何を与したかすら判っていないあなたが
何を、理解出来ると言うの?」
……加えて、言った。
『何も変わってないわ』と。
紫と別れ、○○は自分の家へと帰った。
何も言わずに。
あなたが欲しい。
他の誰でもない、あなたの口から
一言でいい、心の底から
私を想った、言葉が欲しい。
最終更新:2010年08月30日 23:56