朝、目が覚めた○○の部屋には紫が居た。
「いい夢は見られた?○○」
 それが当然の様に。
「何で俺の部屋に……とは、もう聞かない」
 息を落ち着ける。
「何が目的だ?」
 そう言われ、紫は答えた。微笑みながら。
「朝食をね?作ってみたの」

「食べて、下さるかしら」
 ○○の手は握られていた。


「は、離せっ」
 紫を押し退けようと、乱暴に手を振り解こうとする。

 が、振り解こうとした腕は動かせず、もう片方の腕も掴まれ、押し倒されてしまう。
「あらあら……」

「食べさせて欲しいのかしら?まぁ、子供っぽいのも悪くないか」
「誰もそんな事は頼んでない」
 そう言った○○の口調は、いつも通りではあったが、何処か震えた感じだった。
「此処で食べます?そうなら直ぐにでも」
「……いや、いい。着替えたら行く」
 紫は笑った。
 何時もの様に、掴み所の無い笑顔で。

「本当に……何も変わって居ないのか?」

 着替え終わりテーブルへと向かうと朝食が並べてある。
 以前よりも華やかな料理の数々には、見たことの無いものも混じっていた。
 朝からこの量は無いだろう、とため息をついてテーブルに座る。
「で……味見はしたのか?」
 その言葉に紫の表情は固まった。
 ……どうして?と、驚いたような、悲しそうな顔をして。
 が、直ぐにその表情は消えた。
「食べ……たわ」
「そっか」
 そして食べようとした○○を静止する。
「あ、え?どうしたんだ?」
「……待って」

「食べさせて欲しいんだったわよね?ほら……」
 そういって料理をスプーンで差し出した。
「いや……だから!」

「何で頼んでもいないのにそんな事するんだ?からかうのもいい加減にしてくれよ!!」
 逃げる様にして席を立つ。
 ○○は置いてあった財布やら何やらを手にすると、鍵も閉めずに飛び出していった。

「○、○……。

 何で     どうして     何が気に入らないの」
 紫は○○が出て行った扉を暫く見ていたが、台所に立つといそいそと何かを始めた。


(やっぱりあいつの様子は何処かおかしい)
 仕事へと向かうでもなく、○○は何処かの山の中へと入り込んでいた。
 この辺りには夜になっても、余り妖怪を見かける事は今まで無かったので、
 無意識の内に此処へ向かっていたのかもしれない、そう思った。
(あいつは何を企んでるんだ)
 紫にたばかられているとしか思う事が出来ず、○○は不安になる。
 何かあいつの気に触る事をしてしまって、それで――

 考えたくは無かった。
 いつも、くだらない話をして、一緒に居て、それで。
 ……結局頭を働かせても、悪い考えしか浮かぶ事は無く、○○は木陰に座り込んだ。

 ――そして両目を手で覆われた。

「 だ ー れ だ 」

「ッ!!」
 ビクリ、と体がそれに震えてしまう。
 両手が離れ、何とか後ろを振り向く。振り向こうと、する。

「朝食をダメにするは勿体無いでしょう?
 だから、持ってこれるだけ、お弁当に……」

「や、やめろ……」
「――え?」
「俺が悪かった。……この通りだ。だから」
「ちょ、ちょっと○○。私は、あなたがお腹が空いてると思って……」

「だから、お願いだ、紫……殺さないでくれ……

 お前にだけは殺されたくないんだ。お願いだから……」

 いつか夢で聞いた様な、見た様な気がする光景。
 ○○の表情は必死だった。

 紫は○○が何を考えているのか、何度考えても同じ答えしか出せなかった。

 ――この人は、私を恐れていた。だからもう、何をしても――


 気が付くと其処に紫の姿はなく。
 そして、○○が神社に顔を出しても、紫を探しても、見つける事は出来なかった。

 式達も彼女を探していた。
 何処へ行ってしまったのだろう。










 幻想郷の何処か、山の中。
 激しい豪雨が降り注いでいる。

 帽子も被らず、傘も差さず。
 紫はただただ、歩いていた。

 自問自答を繰り返しては、その答えに絶望する。
 ――私を想う、事は無い――


 ……人影が一つ。
 紫はそれよりも前からその存在に気が付いていたが、特に気にする事も無かった。
 人影はやがて此方に近づき、二つ。
 二人に、変わっていた。
「……紫様」

「紫様!」
 藍は何度も主人の名前を呼んだが、返事をする事は無く。
 橙が心配そうに、主人と、その主人の主人を交互に見るが、何の解決にもならなかった。

 二人の呼びかけに応える事無く、紫は見晴らしの良い崖へと辿り着いた。
 雨は今も降り続けている。
 藍と橙もまた、その雨に打たれていた。

 ――紫が口を開く。
「ねぇ、藍。
 ……私が恐い?」
 そう言った紫は振り向き、濡れた髪を靡かせた。
「そう、ですね」
 藍は、少し頭を垂れて言った。
「恐いです。貴方の力も、貴方の性格も。
 ですが、私は――

 今の貴方の方が、よっぽど恐ろしく思えます」

「何に置いても、です」
 そう答えた彼女の表情は、悲しげというよりは、何処か諦めにも似た表情だった。

 ――手遅れだった。
 そう言いたそうな顔で。

「もう遅い、と思っているのかしらね」

「……それは正解では無いわ。答えには近い、けれど正しくはないの」
 ゆらり、と手を伸ばすと。
「藍。私の式だから、というそれだけの理由でこの場所に居るのなら」
 ――空気が、重みを得た。

「その役目を……終わらせて差し上げます」
 その言葉には、何の感情も込められていなかった。

「……折角ですが」
 即答する。
「私が貴方の式で居る理由。貴方の方が良く御存知の筈」

「貴方の能力に惹かれ。
 私は貴方を選んだ。

 ……そんな単純な理由などで例えられるものではない。
 貴方だからこそ、選ばれて、受け入れられたのです」

「わっ、私も!」
 橙が必死に口を挟む。
「私だって藍様の式じゃなければいやです!
 だから藍様のご主人様も、紫様じゃなければ駄目なんです!!」
 段々と口調がどもってゆくが、感情は伝わった。
「だっ、だから。
 上手くいえないですけど……
 家族を心配するのは当たり前じゃないですか!!
 恐いとか、そんなの関係ありません!
 そ、それに藍様は八雲って姓を貰ってるし、それに……

 だから、そのっ……」


 ……紫の伸ばした手が、ゆっくりと橙を撫ぜた。
 ごつん、と。
「もう、いい」
 その目に光は無かった。
「もういいわ。もう、いいのよ」
 ゆっくりと、ゆっくりと橙の頭に触れた紫の手は。
「――ありがとう」 
 ……冷たかったが、弱々しさは感じられなかった。
 むしろ、触れられている橙の方が、震えていた。
「あ、ぁ、あ、ぁ……」

「ゆ、紫……様?」
 藍もその妙な空気を感じ取り、後ずさる。
 紫は、何処か遠くを見ている。

「家族に……家族なら、恐いのなんて関係無い……
 家族にさえ、なってしまえば……

 恐怖する事も。

 ふ、ふふ、うふっふふふ」
 ……普段聞かない様な声で、笑っている。
「ありがとう。藍、それに橙。
 貴方達が迎えに来てくれなければ、私は今頃は」
 そう言って何かを捨てる。

 ……それはスキマに飲まれ、何かは分からなくなった。
「楽しみだわ。”新しい家族”が増えるかもしれないのよ?」


 寝転がったまま、○○は溜息ばかり着いていた。
 紫の不審な行動の数々が、頭から離れなかった。

 俺は、紫に殺されてしまうかもしれない――

 ……彼女の力は知っている。
 霊夢や、彼女と対峙した者達ほどではないにせよ、それが強大な物だという事は。
 だから、今こうして考える時間があるのも実は彼女に踊らされているだけなのかもしれない。

 ……そう考えてしまうだけでも、○○の胸中が安らぐ事はなく。
 眠れぬ夜が続いていた。

 ――ふと。
      見慣れた天井が

             その姿を、変えた。

 ス キ マ だ。


 開かれたその空間から、紫が飛び降りるように○○に圧し掛かった。
「な、なっ!?」
 突然の事に○○の口から驚きの声が漏れる。
「○○……」

「ゆか、り……?」


 名前を呼ぶと、にこりと笑った。
「良かった……」

「まだ名前を呼んでくれるのね。
 あなたが私を嫌っていて、それで。
 ……もう口も利いてくれなかったらどうしよう。
 そんな事も考えたわ」
 ○○は隙を見て体を起こそうとするが、紫は完全に○○を押さえ付けていた。
「やっ、離せッ!離してくれ」
 無駄だった。顔を背ける事位なら、出来そうなのに、出来なかった。
「ねぇ○○。

 あなたが好き。
 私が愛する殿方は、あなただけですわ。

 だからね?
 恐がる必要なんて無いの。
 私は貴方を殺さないし、傷付けるつもりなんて、塵一つも可能性も存在しない」

「う、嘘だ。どうせそれもまた、何時もみたいに冗談なんだろう」
「嘘じゃないわ。本当よ」
「嘘だろ!?お前みたいな妖怪が、そんな事を言う筈……無いじゃ、ないか。
 頼む……俺に何かあるなら、出来る事なら、してやるから……

 これ以上そんな嘘をつくのは、もう……」


 ……私も馬鹿ね。
 こんな人、なんで選んだんだろう。

 ○○の態度は変わらない。 
 こうして告白してみても、なーんにも。
 何時も、何時でも、変わらない。
 他の妖怪を相手にしている時だってそうだった。

 それにしても、好きだとか、愛してるとか。
 言葉がこれほどまでに薄っぺらいものだとは、思わなかった。

 あぁ。
 もう後戻りは、出来ない。

 今この手を離したら、彼はもう二度と私と交わる事は無いだろう。


 ――早く。

 早く、○○を

「私の家族にしないとね……」





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最終更新:2010年08月30日 23:56