巫女と神社 前編
※原作の設定をいくつか無視してます。
- 博麗神社は妖怪で賑わっていない
- 紫が霊夢を顧みる描写がない
- 博麗神社と守矢神社が疎遠
主にこの三点ですが、表現の都合上他にもちょっとした原作との矛盾が散見されるかと思います。
「あら、こんな神社に参拝客?御利益は期待しないでね」
それきり彼女はこちらに視線もくれなくなった。箒で落ち葉を掃き続けている。
一般に参拝というのは、自分の中の人に見せない部分で神に祈りを捧げるのだから、こうした無関心はかえって心遣いになる。
しかし男の場合は違った。
霊夢の装束を見て巫女だと確信した彼は、お参りなど忘れてしまったかのように参道から外れ、境内のすみで掃除をしていた霊夢に向かって声をかけた。
「あのう」
「なによ。参拝する気がないんだったら帰ってちょうだい」
「この神社のご神体は何でしょうか」
「……あー。なんの御利益があるか知りたい人?言ったでしょ、期待しないでって」
「いえ、御利益は期待してませんが。ご神体に興味があるんです」
「知らないわ。何を祀っているか、どんな御利益を授けてくれる神なのか。もしかしたらご神体なんてないかも。悪いけど、多分あなたが訊きたいことは何にも知らないと思うわ」
「そうですか……。残念です」
肩を落とした男は、そのまま帰るのかと思いきや、境内をぶらぶらとし始めた。社に近づいたかと思えば、首を傾けたり屈んだり、いろんな角度から観察しているようだった。
また回り込んで社の横腹を覗き込んできたかと思えば、今度は鳥居を観察しだした。とにかく神社に使われている材木の一本でもいとおしそうな顔をして、食い入るように見詰めていた。
そんな彼に、今度は霊夢から声をかけた。
「ちょっと。あなた参拝客じゃないの?そうでないなら、帰ってちょうだい」
男は遠慮がちに、
「すいません。神社が好きなもので。お賽銭は入れて帰るので、しばらく見逃してもらえませんか」
「あら、そう?単なる冷やかしじゃないなら、歓迎だけど。ただあんまり長くは置いておかないわよ」
そう言って霊夢は元いた位置に帰っていった。
それからまた箒をせっせと動かし始めた。しかしもう落ち葉はすっかり掃ききってしまっていて、もう砂埃をいたずらに巻き上げるだけに過ぎない。
男は大義を得たと言わんばかりに、少しばかり堂々とした態度になって、境内をちょろちょろと動き回った。
ただ無意味に動き回っている訳でもない。彼にとっては、立派な娯楽の一環だ。
男は神社が好きだった。
神社には人の歴史が詰まっている。土着の風俗や当時の世相が反映されて、変質しやがて神になる。こうした性質に男は日本の原風景を感じ取るのだ。そうして何とも言えない安らぎを覚える。
不意に霊夢が声をかけた。
「もういいでしょ?続きは今度になさい」
「それもそうですね。それじゃあ、お賽銭を」
男は手水舎へと向かい、手と口を丁寧に濯いでから、拝殿に向かって参拝した。
放られた一銭と拍手の小気味の良い音が鳴る。
それから振り向いた男は驚いた。
霊夢が目の前に立っていたのだ。
「中途半端な作法ね。鳥居をくぐるところから始めるものだと思っていたけど」
内心で狼狽えつつも、男はどうにか言葉を続けた。
「賽銭を、って言ったでしょう。黙って一度外に出るんじゃあ、誤解を招きかねないと思いまして」
「じゃあ断りの一つ、言ってくれればよかったのに」
「それもそうだ。頭が回らなかった。今度またちゃんとやりましょう」
「今度、ねえ…………」
そういう霊夢の口調は投げやりだった。
今度とか、またとか、他にもいつかだとかそういった約束は、往々にして果たされない。都合の好い取り繕いの言葉にしかならない。
そうして二人は別れた。
男の背中を見る霊夢の冷ややかな目は、すぐに冷淡ささえ感じさせない無関心へと戻っていった。
その日霊夢は奥の社殿で休んでいた。
特に仕事をする気にも慣れずに、ただただぼうっとしていたのだ。
何一つ音の無い世界の中で、孤独と平穏の入り交じった退屈へと沈んでゆく。博麗の巫女としての、受け継がれてきた日常の一環。
それはもう霊夢にとっても日常の一部となっていた。
むしろ日常とはこの退屈そのもので、心根が少しずつ腐ってゆくこの感覚にも、安堵すら覚えるものだった。
だからこそ、粋のいい拍手の音が聞こえた時に、彼女はひどく動揺した。
ーー誰。
飛び出した彼女が目にしたのは、少し前にやってきた、見覚えのある変な男の姿だった。
男はちょうど拝礼を終えて、立ち去ろうとするところであったが、霊夢の姿を認めると、頭を掻きながら声をかけた。
「どうも。今度は作法に則りましたよ」
「あら、あなただったの……不審者かと思ったわ」
「神社なんですから、人の一人二人が立ち寄ったっていいでしょう」
男の意見は、一般論として当然だった。
しかし博麗神社は別だ。人里からは忘れ去られつつある神社。時折妖怪が足を運ぶこともあるが、ほとんどを霊夢が一人で過ごす、単なる結界の維持装置。人妖の立ち寄る場所ではない。
「…………いまの流行は、妖怪の山の守矢神社よ。あそこならはっきりとした御利益があるし、人間もたくさん立ち寄るもの。わざわざこんなところまで誰も来ないのよ」
「まあ、それもそうですかね。なんせご神体も御利益もわからないんじゃあ、何の為に参拝するのかよくわかりませんから」
「随分はっきり言ってくれるわね。じゃああなたは何の為に参拝しているのよ」
「そりゃあ道中祈願ですよ。どんな神様にせよ、これなら間違いなく御利益があるでしょう」
神社に祀られている神であれば、参拝客が減るようなことはしないだろう。
本当に何もしないかもしれないが、男の英気は養われる。薄暗い獣道では、気をしっかり持っていないと危ないのだ。妖怪でなくても虫や獣で怪我を負うことだってある。
霊夢がすっかり毒気を抜かれた顔で言った。
「呆れた。そんな願いをするぐらいなら、そもそもここに来なきゃいいじゃない」
「とはいえ私はここが好きだ。神社ってのは静かな方がいい。これは身勝手な考えかもしれませんが、縁日でも無い限りはね、神社に私以外の人は来て欲しくないんですよ」
守矢神社は実に賑やかだ。騒がしいというより、明るさを持った賑やかさがある。それは本来好ましいものなのかもしれない。
しかし人が居ては清涼と神秘の空気を損なう。
男は神社の多くの面が好きでたまらない。しかし彼の根底にある神社像とは、外の世界で彼が最初に触れた、静けさと寂しさを伴う神社の姿なのだ。
「…………そう?おかしな人ね」
「どうしても迷惑っていうなら止めますがね。巫女さんを怒らせる気はない」
「たまに来て、賽銭を入れていくなら、好きになさい。ただ勝手に備品を持ち去ったりしたら、承知しないわ」
霊夢は奥の間へと引っ込んでいった。
男はぶらぶらとふらついていた。たまに霊夢の居る部屋の障子の影からも、男の動向が伝わってきた。影は同じところをぐるぐる回ったり、たまに屈んだりしていた。
二人が顔を合わせてから半刻ほど経って、霊夢はまたよく通る音を聞いた。
くしゅん。
男のくしゃみの声だった。もう日も大分傾いている。こうずっと外をうろついていたら、さぞかし冷えきっていることだろう。
「そろそろ帰るかしら」
霊夢は呟いた。
それから少しだけ驚いた。独り言を言う習慣なんて無かったのにと。
間もなく一切の足音が聞こえなくなった。
再び音の無い世界の中に、霊夢は一人取り残された。
それから度々男は参詣にやってきた。
その度に霊夢は男と少しだけ会話を交わした。男の興味がもっぱら神道にあることを知って、話の種にと霊夢はちょっとばかり勉強を始めた。巫女としての勉強をだ。
生来努力家でなかった彼女の勉強は、しばしば頓挫することも多かったが、男が来るたび萎えたやる気が蘇り、どうにかずっと続いていた。
お陰でそれまでは勝手に本殿を眺めたり、石段に座ってぼうっとしていることの多かった男も、少しずつ霊夢との話に興味を持つことが多くなった。
「信仰を集めるのって大変ね」
「そりゃあ楽なら、こう閑古鳥は鳴かないでしょう」
「勉強すればするほど大変だってわかるわ。信仰って、人間の心を操るようなものだもの」
「じゃあそういう妖怪の力でも借りたら、簡単に集まったりするんじゃないでしょうかね」
「ああ……考えたことも無かったわ。人間と妖怪は、対極にある存在だもの。妖怪のうろつく神社に人は来ないわよ」
人は妖怪に寄り付かない。離れている訳でもないが、絶妙な距離を保っている。
「なら妖怪の存在を隠したらどうです。こっそり協力させるんですよ」
「なんか邪道ねえ」
「信仰はそういうものですよ。そういう裏も、宗教の魅力だ」
「ただそういう妖怪ってあまり性格のいいのがいないのよねえ。人の心を操れるなんて、そんな胡散臭い能力。持ち主はひどい奴ばかりよ」
「それもそうだ。こんなことに一々協力しなくても、自分の利益に使えますからね」
「そういう訳で頓挫ね。明日もお賽銭はなさそうだわ」
こう一区切りしておいて、霊夢はある違和感に気付いた。
その答えはすぐ見つかった。
「あなた、寂れた神社が好きなんでしょ。人を集める方法を考えてどうするのよ」
「僕自身はそうだ。未だにその考えを改めてませんよ。ただね、この間初めて、守矢神社ってのに行ってみたんです」
霊夢の体がぴくりと震えた。
「そこは凄いところでしたよ。慎ましやかな人間が求める、ありとあらゆるものがすべて揃っていた」
崇める側と、崇められる側の関係。その密接な繋がりが、お互いの生活によい影響を与え続けていた。
巫女は奇跡を起こして人間を喜ばせ、人間は信仰とともに寄進をする。神も人間もともに裕福になって、牧歌的な生活の一つの到達点を、守矢神社は達成していた。
「ここのやり方は必ずいつか破綻する。あなたが病に倒れただけで立ち行かなくなる。しかしああいう風に上手くいっていれば、病に倒れようがなんだろうが、そう簡単には崩れない」
「それを承知でやっているのよ。当然でしょう?」
「僕から見ると不安だ」
「今更なにを言うのよ。あなたもこういうところが好きなんでしょう。お互いに承知しているなら、いいことじゃない」
「僕は人生を捨てたようなものです。目標も立場も何も失って、こうして飯と退屈しのぎのためだけに生き存えてる。だから先の無い生き方だろうが気にはしない」
幻想入りした人間には、己以外に何も持たない。
裸一貫から奇跡を起こせるような怪傑ならともかく、ただの凡人であった男は、ありがちな逃避でしか自分を保てなかった。
飢えや苦しみからの逃避と、趣味の世界への逃避。
一方霊夢も博麗の巫女としての定めがあった。しかし男は未だに知らなかったが。
「あたしも同じようなものよ。浮ついた生き方しか出来ないもの。だから余計な心配なんてしないでちょうだい」
霊夢は不機嫌を隠さずに立ち去った。
一人残された男は、その後ろ姿を痛ましげに眺め、やがて視界から完全に消え去ったのを確認してから帰路についた。
ある日男が博麗神社に向かってみると、いつもこの時間には掃除をしている霊夢の姿が見当たらなかった。
賽銭を入れ参拝を済ませると、男は奥の間に向かった。たまに霊夢は奥の間で寝たきりでいるのだ。今回もぐうたらに過ごしているのかと当たりを付けて、彼は境内を歩いた。
「霊夢さん。いらっしゃいますか」
縁側に腰掛け声をかける。
しかし返事は却ってこない。
南天から射す強い日差しが、障子に影の濃淡を付ける。それを見る限り、畳の上で横たわっている霊夢の姿は確認できる。
「寝てらっしゃるんですか」
男は声をかけ続けた。
行き過ぎた配慮かもしれないが、こう昼間も寝通しでいるのは、とても健康とは言えないだろう。
「入りますよ。折角の酒が冷めちまう」
男が障子を開けて室内に立ち入ると、そこには霊夢が予想通りに寝転がっていた。
ただし尋常ではない汗をかきながら、荒い吐息に喘いでいる。
「霊夢さん!」
男は霊夢を抱え起こした。
目は閉じられたまま開かない。言葉も一向に返ってこない。荒い呼吸だけがまだ手遅れではない証しとも言えた。とにかくそう信じるほか無かった。
薬学の知識は無い。しかし男は、酒が気付けになることぐらいは知っていた。迷わず彼は酒を霊夢の口元に宛てがった。
度数の高い焼酎を持ってきたことが幸いだった。
「飲んでくださいよ」
咽せてしまわない程度に、少しずつ、酒を流し込む。
抱いた熱を帯びた体が、崩れてしまいそうなほど儚く柔らかいことに気付く。
ーーやはりこの人は、一人じゃいけない。
「…………ごほっ、がっ」
結局少しは咽せてしまったが、咳の衝撃とともに目が開かれた。
「霊夢さん」
「ごほ……〇〇……さん……?」
「風邪ですか。どこか痛みますか。薬なんぞはありませんか」
「…………きっと、風邪よ。……昨晩は、冷えた、から」
そう聴いて男は一安心した。
もし腹のどこかが痛むとか、そういった話になったとしたら、もう男には手に負えない。霊夢を担いで人里まで行くにしろ、医者をここまで呼んでくるにしろ、並々ならない苦労がいる。
「布団を敷いてきます。それから白湯でも淹れてきましょう」
体を温めなければいけない。体温は高くとも、悪寒がするのが風邪というものだ。
「さて……」
立ち上がろうとした男の裾を、霊夢がぎゅっと握りしめていた。震えて弱々しい手だった。しかし男はそれを払いのけることなど出来なかった。
「お願い……どこにも、行かないで……」
男は再び腰を落ち着け、霊夢をそっと抱きかかえた。
すると霊夢はゆっくりと、倒れ込むように男の胸に飛び込んできた。
そして両腕を男の背中へと回し、今にも消え入ってしまいそうな力で抱きしめた。
「行かないで……ここにいて……ここに…………」
哀願を繰り返す霊夢をそっと抱き返しながら、男は耳元でささやいた。
「あなたがしっかりするまでは」
「………………」
そうして二人は長い間、じっと黙ったまま抱き合った。
言葉はいらなかった。いらないつもりだった。
感想
最終更新:2019年01月26日 21:06