あれは、いつの話だったか。
俺が小さいころに、麓にある街にすんでた時さ。親に頼まれて、豆腐を二丁、買いに商店街に行ったんだよ。今ほどじゃないだろうけど、すごい賑わいでさ。はした金しか持ってないのに、盗られないように手に銭をぎゅっと握りしめて、注意深く周りを見回しながらあるいてたんだよな。でも、馬鹿な子供だったんだな。そのときに、森からやってきた魔女の人形劇を見つけちまって、オルゴールっていうのかな、木の箱からでる音楽にあわせて、きれいな服着た人形がひらひら宙を舞って、見事なもんだったよ。俺、夢中になって最後まで見ちまった。そんな事やってたら、日も暮れちゃって。豆腐うりきれてたんよ。うちの家厳しかったし、こりゃ怒られちまうと思って、店の前で泣いちまってさ。店の人も困っててな。
そしたら、さっきの魔女さんがな、大丈夫?て聞いてきたんだ。こどもだったし、様子聞かれても上手く説明は出来なかったから、ぐずりながらあうあう言って地団太踏んでたんだ。でも、魔女の姉ちゃんは俺にちょっと微笑みかけて、店の人にいきさつ聞いて、あららって。
ごめんね、お豆腐買えないの、あたしのせいだったかもね。
そんなこといって、よしよしいって、ひょいって俺を持ち上げたんだ。その手つきとか、力の入れ方とかあやし方とかが、かあちゃんそっくりでさ。俺泣き止んじまったんだ。
おかあさんとこ、行こっか。
泣き止んでも、ぐずってる俺の手を引いて、時々俺に道を聞きながら家まで着いたんだ。かあちゃんびっくりしてたよ。だって、森の魔女が何だって鍛冶屋の自分の家に来てるんだって。しかも、手につないでいるのが、途中で、棒のついた飴買ってもらって、手に垂れてるのも気にせずにぺろぺろ舐めてる俺がいてさ。ねえちゃん、悪くねえのに、かあちゃんに事情話して頭下げてさ。いつも俺の頭にたんこぶ作ってるかあちゃんも、魔女相手にはあたふたしちゃって。それなのに俺は、乾いた涙の後をこすりながら、なぜか他人事のように、その奇妙な光景を眺めてた。そっからかな、
アリスとの出会いは。
あの一件以来、町にアリスが来たって聞いたら、おれはすぐに飛んで行ったな。たぶんあの頃は、兄弟とかいなかったから、年上のお姉ちゃん。て感じに思ってたんだと思う。アリスはいつも昼過ぎに町にやってきて、裁縫屋によって、それから劇を開くんだ。俺はいつも一番前に陣取って、三角に座って劇を見てたんだ。いつみても、宙に舞う人形はよく作られていて、まるで本物の人間みたいだった。みんな、可愛い女の子で毎回違う洋服を着てるんだ。アリスから聞いたら、全部自前で作ってるんだって。でも、気のせいか時々、その中で一人、シャンハイって名前なんだけど、悲しい顔で俺を見てる気がしたんだ。もう一度見れば、また少し微笑んで、目をつぶってるいつもの顔になってるんだけど、その顔をみると、何か自分の中で弾むものがあったんだよ。
アリスは劇が終わると、俺の家でかあちゃんとお茶をすることになっていた。彼女が家から持ってきた紅茶と、以前の礼ということでかあちゃんが、とうちゃんに作らしたティーセットでお茶会を開いていた。表の工場からは、鉄を打つ音と、何かが火花を立てる音が聞こえれば、じゅわわと水の泡立つ音が。ほかの人からは、うるさいと思われるかもしれないが、聞きなれてる人間にとってはそれが聞こえると安心するんだけど、アリスも、実家は鍛冶屋らしいので、この音は聞きなれてるらしく、
落ち着きます。
といって、紅茶を飲んでいた。かあちゃんも、お上品そうにお茶をすすってはいたけど、四角い砂糖を何個もぼちゃぼちゃ入れてたら台無しだよな。俺は、紅茶はちょっと渋くて好きじゃなかったから、あんまり飲まなかったけど。
今日は森で採れた木苺のタルトを作ってみたの。
アリスは家に来るとき、いつも果物を使ったお菓子を持ってくる。これが、何よりの俺の楽しみだったな。それに、かあちゃんが作ってくれる甘味なんて、おはぎかねりきり、ぐらいだったしな。なによりも、果物は危険な森とか山でしか採れない高級品だったから、めったに食べれなかったごちそうだからな。いつもは早食いの俺もこればっかりは大事にちまちまと食べたな。そんな俺を見ながらアリスは、肘をつきながらニコニコしてたよ。
アリスが帰るときは、俺が町の門まで送ることになっていた。女が帰るときはおくってやれ。とうちゃん鼻の下伸ばしてアリスのこと見てたからな。
これ、あげるね。
アリスの手には、赤い色をした飴が透明の包装にくるまれて、あった。夕焼けに照らされていて、景色は赤く染まっていたけど、それでいても綺麗な赤だったよ。ほんとに。
今日のケーキ作るとき余っちゃたから。もう一個作ってみたの。木苺好きよね? ―おかあさんには内緒ね。
そのまま、アリスは手を振りながら帰って行った。けど、彼女の後ろで、シャンハイが俺の方に一瞬顔を向けたんだ。そのとき見せた顔は、夕日を背にしていたから、顔に影がかかってたけど、昼間の見た時と同じ表情だった気がした。でも、やっぱりその次の瞬間には元の表情に戻っていた。
その夜だな。こんなカラダになったきっかけは。でもアレはしかたねえよ。
何?ちゃんと説明しろ?わかってるよ。お前も自分に何が起こるのかは、知りたいもんな。
俺は、アリスが帰ったあと、晩飯食って、風呂入って、そのまま布団に入ったんだよ。で寝るフリした。親が寝るまでよ。それから、こっそり腕だけで布団からはいずり出て、便所にいったんだよ。うー、しょんべん。しょんべん。てぼそぼそ言いながらな。興奮したよ。厳しい親に隠れて、ちょっと悪いことをする気分だったからな。あの頃の俺はかわいいやつだったよ。でも便所の引き戸をあの時ほど恨んだことはなかったな。立て付けの悪さか、動かすときの音がひどいんだ。開けるときと閉めるときで、ぎぃぎぃと、冷や汗が止まらなかったよ。
で、ついに至福の時の到来だ。包装を開いて、飴を手に取ってみる。窓から射す月明りだけが光源だったから、夕方に見たほどには鮮明には見えなかったけど、やっぱり綺麗な赤だった。今思い返してみると、心なしか夕方に見た時よりも、赤に深みが増していた気がする。それが、俺の記憶違いなのか、暗い便所の中で見たからかは、わからないけどな。
手に取った感じは、ただの飴だった。が、まだ温かい季節だったのと、いつ親が起きないかと手に汗握る状態だったから、次第、飴が溶けてきちまった。その飴は、一度溶け始めると、どろどろ随分と早く溶けていった。まるで、早く食べろといってるみたいに。俺は慌てて、それに応えるように、舌で掬うようにように、飴を口に含んだんだ。
次の瞬間には、飴は氷のようにあっという間に溶けたんだ。強烈な甘さと木苺の香りを残してな。溶けた飴は俺の体に、ゆっくりと粘っこくのどを通り、食道を通っていきながらも、その存在感を俺に感じ取らせた。何故かそのとき、アリスが俺の中にいる。と思ったんだ。それを感じ取ったときに、何かが痺れるよう俺の体を上から下へとながれていった。そんで、俺に未知の体験が襲ってきた。下腹部に強い違和感を覚えたんだ。まあぶっちゃけ、勃起したんだよ。まあでも、俺は両手で数えられる歳だったから恐怖しかねえわな。湧き上がる興奮と、未知の体験から来る恐怖、二つの強烈な感情でパニックになっちまったんだよ。どうしたらいいかわかんなくてさ、親にバレちゃいけないって理性だけが、俺に声を出させずに済んだんだ。手を口に、押し当てて、必死すぎて鼻もふさいでることに気づかなかったよ。もう片方の手は、誤作動の起きてる股間にな。混乱しちまってるから、自分が息出来ないことがわからなくて、次第に視界がボヤケテきたんだ。でも、まだアリスは自分の体の中いる感じでな。
かわいいわね。――― 。
そう、アリスの声が聞こえた瞬間。下腹部が弾けたような気がしたが、そのまま俺は気を失っちまったからよくわかなかった。薄れていく景色の中で、覚えているのはきつい木苺の香りと、シャンハイが俺に向けたあの顔がふとおもいだせれたことだ。
朝、起きてみるとちゃんと布団の中にいた。どこも、汚れているところはなかったし、便所に行ってもそれらしきあとはなかった。夢か、そう思って息をつき、顔を洗いに行こうと思って、離れにある井戸にいったんだ。そしたら、桶が井戸からでててさ。また、とうちゃん入れ忘れたな。って思ってたら。離れはちょうど、家の真後ろに当たるでな。そこからは、便所の窓が見えるんだ。で、窓の下あたりが何故か濡れて色が変わっててな。先っぽが折れた針が落ちてたんだ。
アリスのだ。
直感的にそう思った。
それから、俺の周りには常に木苺の香りが漂うようになっていった。そして、あの飴も常に、俺の手元にあった。アリスが直接渡してくれる日もあれば、夜に便所に行こうとしたら、家の庭に包みがポンと置かれていて開けてみたらどさっと。それを、口に含めるたびに、俺の体の中でアリスを感じ、猛りを覚えた。そして、ひとしきり熱が収まるとあの上海の顔を思い出す。それが己の体ではなく、心に小さいひっかき傷をつけていくのが快感になりつつあった。
人形劇をしているときや、かあちゃんと話しているときのアリスは、まるで本当の姉を連想させるような優しい目で俺を見ていたが、二人きりになれば口調も、目つきも、そしてにおいも。変わるようになっていった。
いったとおり、飴、全部ちゃんとたべたの
あの夜から、季節が一つ進み、白い吐息が漏れ出るころになっていた。それまでには、俺はいくつもの飴を口に含み。アリスを感じていた。アリスに視られるだけで、すでに俺の体は熱を帯びるようになっていった。それとも、彼女は魔女だからそういう術を使ってるのかもしれない。また、彼女に少しほほを触れられるだけで、夜の痺れが思い出され、思わずつま先立ちになってしまう。そして、もう一つ、アリスの傍には、いつもシャンハイが飛んでいる。彼女が時折見せる、あの哀れみと侮蔑を含んだ表情。あれを見るたびに、飴を舐めた時とまた何か違う痛みを伴う幸福を得た。幼い俺は、この異常性に気づかずに肉と心との双方の快楽を愛し、ますます彼女たちにのめりこんでいった。
でもこの薄氷の道を歩いていくには、俺は純粋で幼すぎたのだ。
その時は、二つ山の先に住む雪の魔女が目を覚ましたらしく、雪とあられが混ざった寒く、風の強い、ひどい夜だった。
がたがた、ぎぃぎぃと。家も寒くて、体をゆすっていたのか、あちこちから壁や床の軋む音や扉のゆれる音がなっていた。とうちゃんらも、うるさかったのか、寒かったのか、眠れないらしく居間で行燈をつけて酒を飲んでた。おれも一緒にいたかったけど、とうちゃんが飲んでた酒は強かったから、飲ましてもらえなかったし、早く寝ろって言われたもんだから、居間に布団を持ってきて眠ることにしたんんだ。ねろって言われてもこんな夜だし、アリスは一人で大丈夫なんかとか気になってたから目だけは閉じてたけど、起きてたんだ。そしたら、二人の会話の話が聞こえてきたんだ。
おまえ、こういう話しってるか? ―何を?
赤い飴をくれる女の話さ。
あんな話きかなけりゃ、もう少しましなことになってたかもな。それからは、俺はアリスのことを避けた。劇にも行かなかったし、お茶会にも行かなくなったんだ。かあちゃんは不思議がってたし、とうちゃんも照れてんのか?て言われたけど、それでもアリスに会うことが出来なかった。そして、一個だけ残っていた飴も手をつけずにいた。
そういうのが、一か月かそれくらい続いたころか。俺は、少し体に違和感を覚え始めていた。ちょっと、何もしないでいると気を失って、夢を見るようになった。最初は森の中に。おどおど歩いていくと、道が一本あって、奥に続いてるんだ。その森には、色んな果物がなってるんだ。青い実や黄色い実、でも一番目を引いたのは赤い木苺だった。でもな、道を進んでいくと実は段々熟れていって黒くなっていくんだ。熟れ切った実は道に落ちていって、絨毯みたいに道を染め上げていくんだ。落ちた実は腐って酷い匂いを放ってるんだ。だが、その匂いはなぜか、嫌いではなかった。ぞうりが、実の汁を吸って濡れるのは嫌だったが。黒く腐った道はいつまでも続いていくように思われたが、突然世界が晴れた。広く開けた花畑の中に、家が一軒ポツンと立っていた。
そこで、いつも夢は覚める。覚めた後でも、あのすえた匂いが漂っている気がした。夢を見た後は、あの赤い飴が食べたくて仕方がなくなってくる。だが、理性が強かったのか、それを舐める勇気がなかったのかはわからないが、結局我慢した。
そういう悶々とした時間を送っていると、また、かあちゃんに豆腐のつかいを頼まれた。商店街を歩いてたんだけど、すこし、倦怠感と欲求不満で注意が足りてなかったんだろうな。人とぶつかりかけたんだ。ごめんなさい。って言おうとして見上げたら、外套を着たアリスが立っていた。
最終更新:2017年01月01日 20:58