「……頭領さんのお帰りは、多分遅いですね」
遊郭の方向へゾロゾロと向かう連中を阿求がギリギリと見ていたから。○○は無理に話題を変えてきた。
「……え、ええ。うちの頭領が『うつろ』になってからは、外出も一人でするのが多くなって。確かに帰りも遅くなりました」
そういって依頼人は溜め息をつく。
「頭領が『うつろ』になってから、元々優しいから強く言えなくて、さっきの連中の遊び歩きが激しくなるばかりで」
依頼人は頭をがしがしと引っ掻く。山ほどの鬱憤がある証拠だ。
それにこの依頼人は、当たり前のことだが自らの仕事ぶりに意地や誇りを持っているはずだ。
慧音も、頭領とこの依頼人は信じられると言っている。
「弾を何発使ったかは分からなくとも、何発持っていったかぐらいは出る前に書き留めれるだろうに……何故その程度の事ですら、筆が重い!」
資金の支出を全て管理している出納帳係であるなら、なおのことであろう。
「頭領さんは優しいんですね……あんなのでも、まともな仕事がなければ余計にこじれるから世話をしているのでしょうね」
「ええ、そうなんですよ!私はもう、見限る時が通りすぎている気がするのですがね」
依頼人は怒りと憤りに震えて、周りを若干見ていないが。○○は奇妙な行動を取っていた。
頭領さんの詰所裏口と、隣家の間に挟まるようにして、何かを覗こうとしていた。
幸い、掃除道具などを置く程度の幅はあったので動けなくなることは無いが。
○○の立場、稗田阿求の夫と言う立場を考えればおかしな話だ。
たまらず東風谷早苗が両肩を持って停めるが。
阿求はあらあら、また何かを見つけたのかしら。という風な笑顔を見せるのみである。
裏口故にその、○○が覗こうとした場所は。雨どい等が無遠慮に延びており。また隣家の壁が光を遮るが。
頭領さんの詰所は自宅も兼ねているのか、立地がよく。
隣家と接しているのは、頭領さんの詰所から見れば北側だったので。差し込む光などには、それほど影響はなかった。
最も、今の頭領はどういうわけだか。日の光を好まないようだけれども……
「頭領さんの優しさは、却って弱点になるかもしれませんねぇ」
早苗から無理やり、家と家の間から引っ張り出されたが。
依頼人は、頭領さんがいないのを良いことに遊郭へ向かったあの、少しばかりの柄の悪さを感ずる自称退治屋の連中の姿を脳裏に思い出して。ますます顔つきが怖くなったが。
「所で頭領さんのお部屋はどこですか?」
すぐに他の質問を投げ掛けたが……もしかしたら○○は、この行ったり来たりする質問で依頼人を揺さぶり、聞けるだけ聞こうとしているのでは?
「あぁ、頭領の部屋でしたら……正門から見て、二階の窓がそうですよ。二階の半分は頭領の部屋で、四分の一が私の部屋です。もっとも部屋の中身は本やらで制圧されかかっていますが」
二階の二割以上をこの依頼人は与えられているのは、頭領がこの青年を信頼していることの証であろう。
もっともそうでなければ、金銭の管理を一手には任せない。
その気になれば、彼はいくらでもちょろまかせる立場にある。
「頭領さんの部屋には、北側にも窓がある設計でしょうか?」
○○はまた妙な事を聞いた。
「はい、ありますよ。もっとも隣に家屋がある前から、北の窓は空気取であって光を入れるのは二の次でしたが……」
そう言いながら依頼人は、隣家の壁を指差した。ついに明かり取の役は無くなったのは、言うまでもなかろう。
「今じゃ、天窓を作ってやろうかと頭領とふいに相談するほどですよ。まぁ、頭領の部屋は南向きだから良いんですが。私も西には向いているので」
「なるほど」
○○の返事は生返事に近かった。代わりに、視線は雨どいに……丈夫そうなので登っても壊れなさそうな雨どいに向いていた。
「はぁー!」
慧音の旦那が、まさかと思ったら。東風谷早苗が牽制するように大きく溜め息をついた。
「頭領さんが戻られる時間は、大体分かりますか?」
そしてそのまま、早苗は依頼人に聞いた。
「そうですね……普段通りなら、あと一時間半は戻りませんよ?『うつろ』でも鍛練は欠かしていないので」
何故か○○が満足そうに頷いて。
「依頼人さん、今から我々が頭領さんの部屋に……鍵が掛かっていても入りますが、その許可をください。先程の柄の良くない連中のいる場所に、何かを置いておくとは思えないので」
依頼人から許可を貰おうとしたが、依頼人はすぐにうなずいた。
「え、ええ……そもそも、『うつろ』な頭領から何かを聞いてもだんまりだから、それも止む無しかなとは考えています。もちろん、扉を破るのはやめていただきたいですが」
けれども、何故○○が満足そうなのかは疑問があったけれども。
慧音の旦那は、ハッと思い付いた。○○が丈夫そうで登れそうな雨どいを見つめていたことから、気付いたのだ。
「東風谷早苗、貴女は飛べましたよね」
慧音の旦那が先手を打った。○○の顔が明らかに、口の端が歪んだ。やはり、そうらしい。こいつは登るつもりだったのだ。
させるかよ、稗田家の方にそんなこと!
「そうですね、飛べる私なら。危険も少ない」
早苗もやはり気付いていたので、慧音の旦那にはすぐ合わせてくれた。
そして早苗が若干わざとらしく、○○を見た。○○は目を閉じて、天を仰いだ。
「私がやりますから」
○○が何かを言う前に、早苗はまた少しばかり浮いて。家と家の間に入っていった。
「北側の窓、開いてますよー。やっぱり空気取りだから、しかも二階だから。鍵もかけてないですね」
「予想通りだ」
早苗の報告に、○○は驚く必要はないと言う態度を取るが。残念そうな姿は、全く隠れていなかった。
肩を落としながら、頭領さんの詰所へと入っていった。
無論、阿求も続いた。
慧音は困り顔だが、笑っていた。
依頼人の青年が、怪訝と言うよりは苦笑しながら慧音の旦那の方を向いた。
「その、くちさがない表現ですが。ちまたで貴方が○○さんのお守りと言うか、歯止め役だと言う話を聞いたのを思い出しました。止めなかったら、登ってましたね、あれは」
慧音の旦那は重苦しい顔で頷いた。妻の慧音はまだ笑っていた。
「まぁ」
慧音が少し声を出した。どうにも慧音は、稗田夫妻の趣味に対して、旦那よりも容認派のようだ。
依頼人の青年は、八意永琳誘拐事件が狂言だとは知らないので。容認派と言っても、慧音のそれとは違う。
「こんな言い方だと、傷つく者もいるけれど。特殊な存在は、特殊なやり方を好みやすいんだ」
慧音の答えは、理由になっているかどうか。旦那はそれを怪しいなと思ったが。
裏を何一つ知らない依頼人は、笑うのみであった。
「室内鍵は、簡素なボルト錠か……これじゃ針金で無理やり解錠は出来ないな」
頭領さんの部屋の前で、早苗が扉を開けてくれるのを待ちながら○○が不穏な事を呟いた。
よくよく見れば、○○は上着の懐をいじいじしていたが。
まさかあの中に、盗賊が使いそうな錠前破りの道具でもあるのだろうか。
「まさかドアを蹴破るわけにもいかんし」
もしそんなことがあったら、ドアを蹴破る前に○○を張り倒そうと慧音の旦那は決意を新たにした。
「どうぞ」
ボルト錠を開けるだけなのに、早苗が扉を開けてくれるのを稗田、上白沢両夫妻と依頼人は訝しげに待っていたが。
一、二分ほどしてようやく開けてくれた。
「東風谷さん、地面に何か落ちてませんでしたか?」
○○は、開けてくれた礼よりも先によくわからないことを問いかけた。
「これがありました」
しかし早苗には、○○が何を気にしているのか、それをなんと理解していた。
早苗が○○に示したのは、割れた瓦であった。
重いし、切っ先が尖っているので危ないが。そう変哲のある物ではない。
「まだ二枚ほどが。地面に落ちてますよ、隣家との間に落ち込むように。それから、どこから落ちた瓦かも分かってますよ」
早苗は割れた瓦をちゃぶ台に置いて、北側の窓。隣家の壁が迫っており、空気取りにしか使えない窓の方に移動した。
「ほら、ここ。一階と二階の間の屋根に使われている屋根瓦。これが見る限りで三つも外れています」
早苗が指し示す場所をまんぞくげに○○は見ていた。
「つまりここを、足場にして……雨どいを伝って降りたのか。帰ってきたときは、この逆で良い。頭領さんの目の前の部屋は依頼人の部屋だから。気づかれたくなかったんだね」
依頼人の青年もようやく事態が飲み込めてきたのか、北側の窓に駆け寄った。
「なんでこんな面倒くさい方法で外に出るんですか?頭領は」
「それはまだ分かりません」
○○は素直だけれども厳しいことを告げた。分からないというのは実に辛い。
ましてやそれが、信頼している人間に関わることであるならば尚更であろう。
○○は分からないことは分からないと素直に告げたら。早苗の見つけてくれた物には興味を無くして、頭領さんの部屋の中身を調べ始めた。
二階の半分を使っているだけあり、本や資料や日用品が多くあっても。
また頭領さんの性格が几帳面なのか、きれいに整頓されており、物の数が多いことが気になることはなかった。
部屋の広さもあるのだろうけれども、広々と使えるように整理されていたが。
「日用品の類いが少ないね。細々とした物がもっとあると思ったのだけれども。ちゃぶ台の上の湯飲み一式ぐらいじゃないか?本や資料以外の、個人的な持ち物となると」
○○の見方は違っていた。扉のある戸棚などを片っ端から調べていたが。
確かに○○の言う通り、空っぽの収納が多かった。
そのまま収納を調べながら部屋の奥へ、一番奥の部屋にある金庫を気にし出した。
大きな金庫が1つ、その上には小振りの金庫が1つ乗っていた。小降りな方はまだピカピカだった。
さすがに金庫となると、貴重品の収納場所だから○○も遠慮して。許可を求めるように、依頼人の方を向いた。
「いや……」
しかし反応は芳しくなかった、まぁ無理もないとは○○も思ったが。趣は少し違った。
「金庫の番号は、頭領しか知らないんです。それに、小降りな金庫を新調したのもはじめて知りました」
「ふぅん……」
依頼人からの返答を聞いて、○○は少しばかり深刻そうな顔をした。
「大きな金庫は、最近開けられた形跡がある。埃の類いが全くついていない……それに、日用品の少なさが気になる。物は少ない方がいいってのを通りすぎている。まるで身辺整理だ」
依頼人の顔付きが強ばっていった。
確かに○○が言う通り、この部屋には生活感が薄い。
「ゴミ箱だって、普通に生活していたらもうちょっと溜まるよ。少なすぎる、紙くずが少しあるだけじゃないか」
そう言いながら○○はゴミ箱の中身を取り出した。
「……いや、実質的には1つのゴミだ。一枚の紙を引き裂いたのを乱暴に放り込んだんだ」
○○は紙くずのシワを丁寧に伸ばして、パズルを完成させるかのごとく紙と紙を繋ぎ会わせようとした。
「何かを書いた紙を引き裂いたのか……」
○○が呟くと、阿求が色めいた。
「だったら私に任せてくださいな、あなた!パズルは得意なんです!」
慧音の旦那は、苦笑した。完全記憶能力者ならば確かに、完成図を一度見れば、パズルなんて簡単だろう。
ましてや書き方が決まっている文字が相手なら、それは阿求の領分だ。
慧音以上に、阿求の方が文字には強い。
阿求が色めいたのは間違いではなく、ものの一分ほどで引き裂かれた紙片は復元された。
その紙片には、やはりある言葉が書かれていた。
過度に恐れるな
魅惑されるな
相手を知るべし
紙片に書かれていたのはこのような言葉であった。
「お心当たりは?」
○○が依頼人に声を向けた。
「頭領の信念みたいなものですね……妖精でも何でも、少なくとも喋ったり酒が飲めるなら、思ったよりも会話ができるんで。むろん、相手の領域を侵してはなりませんが」
依頼人は少しばかり饒舌になったが。それは心配からの饒舌だろう。信念を記した紙を引き裂いたのだから。
「日に焼けている感じもあるし……」
○○はおもむろに紙片の匂いをかいだ。
「臭くないのか?」
これには慧音も思わず声をあげたし、その旦那に至っては口をあんぐり開けて何度目か分からないけれど、やっぱりこいつはおかしいと認識を強くした。
依頼人は○○の突然の行動に、認識が追い付いていなかったし。
東風谷早苗は、少しだけ笑うのみ。
肝心の稗田阿求は、軽めの拍手をしていた。
やはり稗田夫妻はかなりおかしい。周りの者はそう結論付けるしかなかった。
「古い紙の匂いしかしない。おかしいよ、本当におかしい。生きてればゴミ箱の中身は、増えるはずなのに。古い紙しか無いだなんて」
○○の表情は更に深刻な物に変わっていく。
「このまま消えるんじゃないのかな……そんな疑念が湧くよ」
○○が深刻そうにそう呟くが、東風谷早苗はその言葉をそのまま、○○に言いたかった。
演じるだけ演じたら、満足したら消えそうな存在。それが、早苗の○○に対しての印象であった。
「二階から雨どいを伝って降り、人目を明らかに避けている。その上身辺整理かとすら思える周りの状況」
一通り呟いた後、○○は依頼人に向き直った。
「頭領さんから目を離さないで下さい。何かあったら、夜中に外出するようでしたら、報告をください。すぐに向かいます」
○○は優しくそう言ったが、まさか深夜に稗田家の門を叩く勇気は。この依頼人も出てこないのか、少し困っていた。
旦那は自分の妻の慧音を見た、慧音も同じことを考えていたようで頷いてくれた。
「深夜なら、寺子屋の近くにある私たち夫妻の家に来てくれ。私たち夫妻しかあの家にはいないから、まだ来やすいだろう」
依頼人は見るからに安堵していた。
稗田家では、夫妻が納得していても使用人がどう思うか分からない。
その上、稗田家ほど大きければ、使用人の格も、他の豪邸とはまったく違う。
稗田家の使用人、それも年かさとなれば。時には大きな発言権を持つことになる。
そんな者達に目はつけられたくないだろう。
「では、依頼人さんにこれを渡しておきますね」
話が一段落付いたところで、早苗が懐から人形の紙片を依頼人に渡してきた。○○は陰陽師を思い出したが、神道でも似たような事が出来るのだなと一人で勝手に納得していた。
「私の事を思い浮かべながら、上空に思いっきり放り投げてください。そしたら守矢神社まで、ひとりでに飛んでくれますので」
早苗が依頼人に使い方を説明しているときに、慧音の旦那は○○を見やった。
東風谷早苗の動きは、○○からすれば邪魔立てに近いはずだから気になったのだが。
○○は満足そうに頷いているだけだ。東風谷早苗も、○○にとっては観客の一人なのだろうか。
「本日はご足労いただき、ありがとうございます」
そのまま本日はお開きになった。依頼人はこの短時間で憔悴していた。信頼している頭領の
裏の顔が見えてきたこともあるが。
「頭領が終わったら、この猟師集団も終わる」
依頼人の青年は急に呟きだした。独白かもしれないし、独り言かもしれなかったが。
急にバッと依頼人が動いたら、居間に通じる。中央の部屋に通じる扉を乱暴に開け放った。
しっかりと見た訳では無かったが、あの柄の悪い連中がたむろする場所だけはあり。
乱雑で猥雑であった。春画の類いも見えたような気がする。
「私はここを掃除します!それじゃあ、何かあったらすぐにお伝えに伺います。東風谷さんにも、人形の紙を守矢に、きちんと投げ渡しますので!」
依頼人は断言しなかったが、この集団が終わるときは近いと。そう信じざるを得なくなったのだろう。
だがこの依頼人の苦境はまだ終わらなかった。
あの頭領さん、話に聞くだけだが。せめて今日は大人しくしてくれとすら思った。
これじゃあ、依頼人の青年があんまりだ。
「助けてください、上白沢先生!頭領が、頭領が屋根を伝って人里の外に向かったんだ!」
時間は午後11時ごろ。風呂にも--夫妻一緒に--入り終わって。そろそろ寝ようかと言う頃だった。
依頼人の青年が泣きわめきながら我々上白沢夫妻の元にやってきた。
感想
- とても楽しみにしております。 -- 名無しさん (2019-05-06 23:24:02)
最終更新:2019年05月06日 23:24