彼が魔界へと住む事に、それも神綺と同居する事になったのは
ほんの少しの偶然……いや、奇跡だった。
幻想郷へと迷い込んだ彼を出迎えたのは
見慣れぬ妖怪の群れ。
異形に立ち向かう術も無く、力尽き、餌として貪られる。
そんな運命から彼の命を救い上げたのは――
通りがかった一人の人形使い、アリス・マーガトロイドと出会ったからだった。
彼女が彼を助けたのはただの気紛れだったと言える。
彼女の母とも言える神綺から呼び出されたものの
あまり気乗りしない帰郷だった為、何かと理由をつけては道草を食っていた。
そんな中、○○と出逢った。
傷だらけの○○を器用に手当てすると、人形に運ばせる。
流石に時間を掛け過ぎたと感じていたのかそのまま魔界へと向かった。
「久しぶりね、
アリスちゃん。随分と大きくなっちゃって、まぁ」
「……それ、この前も言わなかった、お母さん?」
「そうだったかしら?」
「そうよ。もうお母さんが思ってるほど子供じゃないんだし。
あっちではうまくやってるから、もういちいち呼び出さないでくれる?」
「そうかも……しれないけどね。
うん、それはいいとして……その。
さっき部屋に運ばせた男の人は誰なのかしら?
まさか……アリスちゃんのいい人?!」
「違うわよ。通りがかったついで、見捨てるのも寝覚めが悪そうだったから。
傷が治ったら適当に放り出すなり、好きにしてくれていいわ」
「ふーん」
「……って事なんだけど」
「そうでしたか。その方が……」
目の前の自分よりも背丈の小さな可愛らしい女性がそう説明してくれた。
銀髪と束ねた髪が特徴的で、落ち着いた独特の雰囲気が
彼女を包んでいるのが分かる。
「それで、私としてもあなたを放り出してしまっても良いのだけれど。
折角のアリスちゃんのお土産だし、此処に住み込みで働くなら
追い出しはしないけど……どうする?」
彼女の説明が本当なら、魔界の外の幻想郷には
俺を襲った様な妖怪が沢山居る。
ただの人間の俺が放り出されたら……そう考えると、選択肢は無かった。
「此処に置いて下さい。お願いします」
「ん、分かったわ」
そう答えると、彼女はまた色々と説明してくれた。
魔界がどういう場所なのか。
此処がどういう場所なのか。
そして、何をすればよいのかも。
取りあえずは、ここの掃除をするという事で良いらしい。
部屋もこのまま使って構わないそうだ。
そして、最後に付け加えるように。
「そうそう、言い忘れていたわね。私はこの魔界の神、神綺。
よろしくね、○○」
とんでもない事を、さらりと言った。
昨日の出来事から、魔界に住み込みで働く事になった訳だが。
何から始めてよいものやら。
と、小部屋で見つけた掃除用具一式を傍らに考え込んでいると。
「……あなた、誰?此処で何をしているのかしら」
「――えっ?」
答える間もなく、何かが頬を掠めた。
……熱さを帯びた頬から何かが流れているのが分かる。
ま、まさか今のは……
「……ちょっと。今のはただの威嚇のつもりだったんだけど。
あんなのも避けられないなんて……本当に何者?」
目の前に突如現れた家政婦のような女性が、警戒しながらそう言った。
……彼女も俺と同じ様に此処で住み込みで働いている人なのだろうか?
とにかく、俺が今まで居た世界とは違う。
このままでは、同僚かもしれない女に殺されてしまうかもしれない。
刺激しないように昨日合った出来事を話すと、彼女は少し目を逸らし。
「あの話、本当だったんですね……。
てっきり神綺様の冗談かと思っていたのに……。」
そして視線を戻すと、此方を向いて頭を下げてきた。
「ごめんなさい。あなたの事は神綺様から伺っているわ。
てっきり何時かの人間の様に、此処を荒らしに来たものかと思って……
本当にごめんなさいね。」
……なるほど、そう言う事か。
だが、此方からすれば魔界だの、神だの、其方の方が冗談に聞こえるが。
しかし――
少し気になって後ろを振り向いてみて見えたあのナイフは冗談ではない。
恐らく、彼女達が人間とは違う何かなのは……確かなのだろう。
それでも、あの人が神様っていうのはなんとなく理解出来ないが。
取りあえずは、挨拶と自己紹介を済ませる。
夢子さんと言うらしい。
「それで、昨日神綺様が説明されたと思うけど。
あなたにして欲しいのはこの家の掃除です。
特に範囲は指定しないから、出来る範囲でやってみて下さい。
あ、まだ部屋の中は良いから廊下を重点的にお願いね」
「はい。分かりました。」
随分と大雑把な指示だ。
よく見ると、周りに居る家政婦さん達も掃除をしている。
もしかして、そんなに広いのか…?この家。
……甘く見ていた。
広い。広すぎる。
良くテレビなどで見る豪邸と同じか…いや、それ以上か。
半日掛けて廊下を掃除しながら進んでみたが、まるで迷路だ。
脳内で地図を組み上げたものの、半分以上掃除を終えていない。
更に言うなら、掃除したのは一階だけ。
二階から上はまだ入ってすらいないというのに。
夢子さんに指定された時間はそろそろだが…
この程度の働きで、俺の命は大丈夫なのだろうか?
「……えっと。これはどういう事でしょうか」
やっぱりそうなるよな。
夢子さんの頭に怒りマークが見える気がしてきた。
「こんなに一片に掃除できた訳が無いでしょうっ!?
誇張するのも大概にしてください!!」
「え?いや、寧ろこれしか出来てないって怒られるものかと……」
「……それでは、あなたはこの量を確かにこなしたというのですね?」
「え……。えぇ、その筈……です。」
「あくまでも見栄を張るのですね……いいでしょう。
直接確認させてもらいますわ。
……ただし、もし嘘だった時は――
覚悟なさい?」
「このエリアは問題無いみたいですね」
「はい。流石に床の修理までは出来ませんが」
「……このエリアも問題なし、と。あら?随分と床にツヤが……」
「ワックスが無かったので、念入りに。部屋にあったもので、代用したりとか」
「ここも……むむむ……」
「あの……ゆ、夢子さん?」
「……ごめんなさい」
「いや、あの。その……偶々、ですよ。ええ。」
また頭を下げられた。
何だか今日は怯える度、結果的に謝られてる気がする。
「随分と掃除が得意の様ですね……。
何か、経験があるのかしら?」
「いや、特に得意と言う訳では……
ただ、人より神経質な性質だったみたいで。
汚れを見たら直ぐ掃除するようにしていたから、
そうだったのかもしれませんね」
「……はぁ。まさか、冗談だと思っていた人間が……
人間はやはり警戒すべき存在ね。
あ、あなたの事を言ってるわけじゃないわよ?」
「は、はい。」
「いえ、どちらかといえば……
これからも、こうやって掃除してくれると助かるわ。
改めてよろしくね、○○さん」
「こちらこそ。夢子さん」
広すぎる家と初めての環境での仕事に少し、萎縮していたが……
この調子なら、何とか追い出されずに済むかも知れない。
正直、あの幻想郷ってのに迷い込んだ時から俺は怖くて仕方が無い。
ほんの少しでも気を緩めたら、直ぐにでも死んでしまいそうな気がして。
夢子さんとこうして普通にやり取りできた事に、少しだけ安らぐと。
幻想郷に迷い込んだ時の事を思い出――
……っ。
……あれ?
今、何を考えていたんだっけ。
「あ、夢子ちゃん。それに、○○ちゃんじゃない」
そんな中、ふと聞こえて来た声に俺の意識は呼び戻された。
「神綺様?」
「神綺さん?」
「もう、二人して何してるの?暇だから私も混ぜ――」
ツルッ。
「わっ」
ドデッ!
「あうっ!」
掃除したばかりで廊下が滑りやすくなっていたせいか。
魔界の神(自称?)は見事にこけた。
「も~……なんでこんなに床が滑るのよ……」
床に突っ伏したままの神綺さんに夢子さんが駆け寄り、手を貸している。
そんな和やかな空気に、また少しだけ癒された。
本当に、少しだけ。
あれから一週間が経った。
大分掃除の仕事も慣れて来た様で、一日で階の半分を掃除出来るようになった。
……流石に部屋の中にまで手は回らないが。
で、今日は珍しく外に出掛けている。
夢子さんに頼まれて、神綺さんと買い物に来ているのだ。
護衛も兼ねて夢子さんが行くのかと思ったが
荷物持ちをするだけなら、俺が行く方が適任だと言われた。
どうやら夢子さん=神綺さんも一緒という概念があるらしく
彼女が買い物をしているだけで、神綺さんも一緒に居るのでは?
と、周りを騒がせてしまうことがあるから……だそうだ。
神綺さんも静かに買い物をしたいらしいので、喜んで付き合うことにした。
……出掛けるだけで酷く手間取ったが。
「……こんなのはどうかな、夢子ちゃん!」
「あの、神綺様……サングラスに黒いコートでは明らかに不振人物です……」
「む、ならばこれならどうかしら。○○ちゃんはどう思う?」
「いや、何で俺までちゃん付けなんですか?」
「あら、何か不満があるのかしら?○○は○○ちゃんよ。
私から見れば、みんな可愛いものだしね」
「はぁ……そうですか。じゃあそれは置いておくとして――
今持ってる鼻眼鏡とサンタの帽子は論外です。
不審者どころか、それじゃ大道芸人みたいで、余計注目浴びちゃいますよ……」
「むぅー」
ぷくーっと頬を膨らませて唸っている。
結局、眼鏡と地味ぃーな服装で凝り固めて出発するまでに一時間弱は掛かった。
そして今度は俺が時間を掛ける番となる。
「さっ、行くわよ。結構時間掛かっちゃったから、飛ばさないと」
「力を出しすぎて、周りに悟られないよう気をつけて下さいね」
「……。」
「どうしたの?○○」
「何をもたついて……あ」
「ん?何、夢子ちゃん」
「そういえば……○○さんは飛べます……か?」
「飛べ……る訳ないですよぉー!!」
「あらら。本当にただの人間だったのね、○○ちゃんは。」
「まぁ、あの方々が異例だっただけでしょう……
亀や箒に乗ってたりしてましたし」
「うぅ……申し訳無い。流石にこればっかりは俺にはどうする事も……」
本当に。
此処に来てから自分の無力さが嫌になる。
普通の人間として生まれた以上、仕方の無い事なのだろうけど。
そう思いうな垂れると、神綺さんは笑顔でこっちを見た。
「大丈夫よ、○○ちゃん」
「え?」
「私が運んであげるから」
「っ、ぎゃーーーっ!!!」
絶叫マシンの速度を遥かに越えたスピードでの飛行に、
胃から何かがこみ上げてくる。
乗り物酔いには強いと自負していたが、これはそういうレベルではない!
途中で半分気絶状態に陥った俺に気付き、近場にある公園に降りてくれた。
朦朧とした意識のまま、トイレへと駆け込む。
……朝食を食べ過ぎなければ良かった。
「あ、○○ちゃん。その……体の調子は大丈夫?」
外のベンチに座っていた神綺さんが心配そうに声を掛けてきた。
「は、はぃなんとか……ちょっとまだ気持ちが悪いですけど少し休めば……」
流石に気合で誤魔化せそうにもなく、そう正直に告げる。
「ごめんね……○○ちゃん。
かなり加減して飛んだつもりだったのだけど……。
ほら、取りあえず座って?」
「あ、はい……。すみませんほんと……うぷっ」
気持ち悪さに耐えつつ、適当に相槌を返す。
立っているよりは座っている方が回復が早いだろ――うっ?!
「本当にごめんね……」
ベンチに座った横から神綺さんが此方の方に手を回し。
そのまま自分の膝に寝せてきた。
「あ、あの……神綺さん……こ、こんな事してもらわなくっても」
「いいから。こういう時、人間のあなたにどうして良いか分からないけど……
横になっていた方が、きっと少しは楽だと思うわ」
そう言って、柔らかな膝に俺を寝せたまま、背中をさすり始めた。
横目に、眼鏡を掛けた心配そうな彼女の顔が映ると、胸の奥が熱くなった。
何時の間にか、不快感は消えていて、
いつまでもこうしたいとさえ……思っていた。
神綺さんに介抱して貰ったお陰でそれ程時間を掛けずに回復した。
……あれ以上あのままだと恥ずかしくてしょうがない、という面もあるが。
今度は最低速度から徐々に早く飛んでもらい、
自分が耐えられるスピードに合わせて飛んで貰う。
そのせいで途中、通りがかった魔界の人に体調を心配されたりしたが。
……そうでなくとも誰かを持って飛んでれば目立つわな。
なるべく目立たないよう、人通りの少ない所を通ったが
かなり時間を掛けてしまった……。
自分のせいでもあるし、神綺さんに謝ると
「夢子ちゃんと出掛けるよりは、早く着いたから大丈夫よー」
と、フォローしてくれた。……いや、どう考えても遅いのでは?
デパートの様な大型の店舗に入ると、その考えを一蹴させる物があった。
大きな翼を広げた神綺さんの像である。
……一瞬、此処のデパートの株主か何かなのかと思った。
が、更に店内を歩いて見つけたポスター。
普段よりも凛々しい表情でケープを羽織り
「我ら魔界の神 神綺様も愛用」
そう書かれていた。
今迄、単なる比喩や表現かと思っていたが。
もしかしなくても、彼女は本当に神と呼ばれる存在なのだろうか……?
そういえばなんなく此処の言葉が読めたな。
例の幻想郷って所の影響らしいけど。
荷物を小脇に置いたまま、休憩所で買ったジュースを飲む。
神綺様は新製品の「のうかりんソーダ」とか言うのを飲んでいた。
……何のキャラクターなんだろう。
訝しげな表情でジュースを飲んでいると、視線が合った。
「良かったら○○ちゃんも飲んでみる?」
なんてベタな!
「それは間接キスというやつでは!?」
と、口から出そうになったが、こらえた。
しかし何とも悪意の無い笑顔で此方に勧めて来ると断るのも辛い。
ええい、ままよ!
「そ、それじゃあ……お言葉に甘えまして」
「はい、どーぞ」
特に感慨もせず渡される。
そういうのを気にしない人なんだろうか?
神様だし。
一人ドキドキしながら缶を口に含む、と――
「ブフォァッ!!!」
ヒマワリ臭い!
しかもソーダの炭酸のせいで余計に性質が悪い!!
こんなのを平然と飲んでたのか、この人は!?
「あははは!!やっぱり酷い味だよね、そのジュース!」
……こ、この人は。
最初からそのつもりだったんですか。
「でも傑作よねー。顔真っ赤にしながら、こっちの顔を伺って。
神綺さんと間接きっすするのがそんなに嬉しかったのかな?んんー?」
其処まで看破してたんですか。
うりうりと頬を突っつきながら、どうなのかなー?○○ちゃん。
とか言ってくる。
否定しても、肯定してもからかわれるのは確実なので
仕方なくジュースを飲んで気持ちを落ち着け「ブッ!!」
られない。
ヒマワリ臭い!!
また神綺さんに笑われた。
きっとこれを考えた飲料会社はいぢめっ子なのだろう。
そんなこんなで、買い物も終わり。
帰りもコソコソと飛んでいくのかと思ったが
どうやら夢子さんが迎えに来てくれるらしい。
……確かに、荷物を持った俺を神綺さんが運ぶのでは本末転倒だ。
それ程距離はないようなので、神綺さんには先に帰ってもらった。
「悪い巫女や魔法使いについてっちゃ駄目よー。あと悪霊と妖怪も!」
妙な忠告をされたが、そんなのがこの辺に来たりするんだろうか。
全く統一性の無い注意人物だな、と思いつつ荷物を持って歩いていく。
それにしても随分買い込んだな……。
少し手が痛くなってきた。
やっぱり肉体的にも力不足かな、と考えていると片方の荷物が軽くなる。
……おや?
隣を向くと、見覚えのある顔が。
「どうしたの、○○。一人で買い物?」
「……ユキさん?」
三日前館に来た、ユキという女の子だった。
ユキさんは半分の荷物を持ったまま此方の後について歩いている。
「……ふぅ~ん。神綺様とお買い物してたんだ。」
「うん。特に断る理由も無かったからね」
「あはは!いいなぁ~、羨ましい。……私も一緒に行きたかった」
ユキさんも神綺様が好きみたいだ。
だとすれば、やはり神綺さんは間違いなく神様ってやつなのだろう。
が、彼女が続けて発した言葉は少し自分の予想とは違うものだった。
「ね、○○?今度は私も一緒に買い物に行きたいな!連れて行ってよ~」
「一緒に……?でも、神綺様が一緒に来るとは限らないと思うけど。
今日だって偶々夢子さんに代理を頼まれただけかもしれないしね」
「ん?あっ、違う違う。私が行きたいのは神綺様とじゃなくて、あなたよ」
「え!?お、俺なの?」
「うん。○○だって暇な時間くらいあるでしょ?
私で良ければ、一緒に魔界を案内してあげようかなって!
この前のお礼も、まだ済んでないし……」
ああ、なるほど……そう言う事か。
丁度三日前、館での掃除の休憩中。
一人の女の子が困った顔をして、辺りをきょろきょろと見回していた。
何かなくしたのか、と思いふと先程の場所に
見慣れぬ帽子があった事を思い出す。
自分の部屋に保管しておいたその帽子を取りに戻り
直ぐに同じ場所へと戻ると、彼女に声を掛ける。
「すみません。もしかしてこの帽子をお探しだったのではありませんか?」
「えっ……あっ、私の帽子!!ど、何処を探しても無かったのに……」
「申し訳ありません。
見慣れぬ帽子だったので、誰かの忘れ物だと思い保管しておいたんです。
お帰りになる前に渡せて幸いでした」
「あ、いえいえ!それでわざわざ持って来てくれたんですね!
ありがとうございます、お手伝いさん。
えっと……見慣れない方ですけど。
もしかして、神綺様が言ってた人間の方って……あなた?」
「え、えぇ。……あ。何か御気に触りましたか?」
「へ?あ、いや~……もっと悪そうな人間を想像してたって言うか……
あ、ごめんなさい!!初対面の方にそんな事言っちゃって……」
「あ、いえいえ。それはお互い様って事で。
私も、ただの人間ですから何処か魔界の方には恐怖心がありまして……はは」
「あぁ……そんな事気にしなくてもいいのに。
あの、私ユキって言うんですけど。良ければ、あなたの名前も……」
そんなやり取りをした後、休憩時間ぎりぎりまで雑談をしていた。
次の日の朝にも、わざわざ遊びに来てくれたらしく話をした。
多分、前日にああいった話をしたせいか、気を使ってくれているらしい。
きっと人好きな性格なのだろう。
夢子さんや神綺さんに話せないような事でも、気兼ねなく話せる。
そんな感じの存在だ。
そういえば昨日の休憩時間も話に来たっけ。
神綺様の家に良く来る人なんだろう。
偶然とはいえ、こういった感じの友達が出来たのは嬉しい。
だとすれば、むげに断るのもあれだな―。
「うん、分かった。まだ休みを貰った事がないから、
もし貰えた時にはお願いするよ」
「ほんと!?やったぁ!」
最初に話した時よりも、くだけた感じで話している。
彼女の性格なのかもしれないが……それでも何となく嬉しい。
そんな話をしながら歩いていると、
もう夢子さんが迎えに来るはずの場所まで着いていた。
「ありがとう、ユキさん。
本当なら女の子の荷物は全部持てるべきなんだろうけど。
正直、助かった」
「いいっていいって!通りすがっただけのついでだから。
あ、神綺様によろしくね。
それとさっきの約束の件もよろしく!」
「うん。覚えておくよ。
何時貰えるかは分からないけどね。
またいつでも話に来てよ、ユキさん」
「うん、また必ず行くよ~!」
そう言って手を振り、彼女と別れた。
もう一度振り返ると、まだ手を振っている。
結局見えなくなるまで手を振っていた。
魔界での生活にも慣れ、色々と出来る様になってきた。
一番の成果といえば……やはり飛べる様になった事だろう。
とはいえ、自分の魔法の素養があったとかそういう話ではない。
空を飛ぶ為のマジックアイテムの様な物を貰っただけ……だ。
空を飛べない自分を見かねたのか、神綺さんが態々創ってくれたのだそうだ。
指輪の様な形状をしていて、はめるだけで空を飛べる。
……言わずもがな、これをしていなければ飛ぶ事は出来ない。
空中で外そうものなら地面へ真っ逆さまよ、と軽く注意されたが
まず外すような状況も無いだろう。
少々怖いので、常時低空飛行なのは秘密。
仕事を終えると、最近日課になった事がある。
今日もある場所へと向かっていた。
遠目に彼女の姿を見つけ、ゆっくりと降りる。
「こんにちは、サラさん。今日も問題ないようで」
「あぁ、○○。今日は旅行会社の方も此処を利用しなかったから暇なのよ。
何か良い暇潰しはないかしら?」
「なら一緒に掃除を……」
「それはイヤ」
幻想郷へと転送する魔方陣を眺め、今日も考える。
魔界と幻想郷、どちらの方が元の世界に近いのだろう?
こうして、神綺さん達にお世話になりながら元の世界へと戻る方法を探すのと、
迷い込んだ幻想郷で手掛かりを探すのと、どちらが早いのか……。
どちらも可能性が無いのかもしれない。
だけど、それを確かめる方法も、誰かに聞く勇気も無くて。
ただ、毎日を生きている……そんな気がしてならなかった。
「また暗い顔してるわね……○○も暇なの?」
「え?そんな事は無いですよ。こうしてあの場所を見てるだけでも
元の世界の事とか、色々浮かんできますしね」
「○○の居た世界か……。空は飛べない、魔法は無い。
魔界人の私にはとても想像できないわ」
「その代わり、科学が発展してますから。
……魔法を見ると、その科学の発達すら追いついて居ないような気がしますけど」
そんなどうでもいい様な話をしながら、サラさんと一緒に魔法陣を眺めていた。
大分話し込んでいたようで、時計を見ると来てから三時間を過ぎている。
そういえば……
「○○、どうしたの?」
「そろそろ帰らないと。
明日の早朝、溜まったゴミを出しに行くから今日は早めに寝ておかないと」
「早めってまだ……あれ、もうこんな時間だったの」
どうやらお互いに時間を忘れていたみたいだな。
「来てから三時間って所かな。
そんな訳だから、今日はこの辺で―」
「ああ、待った。
どうせまたあの低速飛行で帰るつもりなんでしょ?
折角だから、途中まで運んでいってあげるわよ」
低速飛行とは失礼な…いや、間違ってないけど。
「いや、それだとサラさんに迷惑が・・」
「○○運ぶくらい、難ないって。
それとも何。私に運ばれるのは恥ずかしいと?」
恥ずかしい決まってる。
が、明日の予定を考えると此処は素直に好意を受けた方がよいだろう。
ゴミを一度溜めると、次に捨てる時地獄を味わうからな。
で。
てっきりまたぶらさがり飛行法をやらされるものだとばかり。
神綺さんとは違い、サラさんは俺を浮かせた部下の妖精達を先導し、
神綺さんの館まで運んでいってくれたのだった。
彼女に礼を言い、挨拶をして別れる。
が、少し妙だ。
人気が無いというか……やけに静かすぎる。
館に入ると、其処には誰かが立っている。
「……神綺さん?」
何か、妙なオーラが見える……。
「○ ○ ち ゃ ~ ん ?
こんな時間まで何処に出かけてたのかなぁ~。んん~?」
凄くいい笑顔で此方を見ている。
……顔は笑顔なのだが、物凄く視線が痛い。
「た、ただいまです。
あの……確かにちょっと遅くなったかもしれませんが
いつもこの位の時間には帰って……」
「ちょっと……ねぇ。
○○ちゃんが帰って来るのは何時もこの
三時間くらい前だったんじゃないかしら?」
「……へ?い、いや……何時もこの三十分くらい前ですけど……」
そう言って、時計を確認する。
やはり、三十分前だ。
そう言って神綺さんにも時計を見せる。
すると、神綺さんは入り口に立て掛けてあった方の時計を指さした。
……あ、れ?
俺の時計……三時間遅れてる…………!?
探しに行かせたらしい夢子さんも戻ってくると、二人掛かりの叱咤が始まった。
おまけに、明日の休憩時間は全部返上。、
目の下にクマを作ったままゴミを捨て、潰された休憩時間は
神綺さんと夢子さんのマッサージをさせられたのだった……。
……それからまた暫くして。
今日、初めての暇を貰った。
思えばこの日からだったのかも知れない。
周りの様子がおかしくなったのは……。
それとも、最初からおかしかったのだろうか?
魔界という、彼女が創り出した世界は……。
前に約束していた通り、ユキさんに頼んで魔界を案内してもらう事にした。
空を飛べるようになってから、ある程度は行ってみたものの
本当に必要最低限の場所しか見ていないので、丁度良かった。
困る事もなかったから。
ユキさんと待ち合わせ、彼女を待っていると後ろから目隠しをされる。
「……だーれだ?」
……?
知らない声だ。
神綺さんのように可愛らしい声でもあるし
夢子さんのように落ち着いた雰囲気もあるし……
「もしかしてサラ?」
そう答えてみた。いや、知り合いの消去法だけど。
目隠しを外すと、其処には青い髪の少女。
無表情にこちらを見ると
「……だれそれ?」
と言ってきた。
君こそ誰だ。
「もう、マイー!先に行かないでよーっ!!」
一人きょとんとしていると、遅れてユキさんがやってくる。
ああ、ユキさんの知り合いだったのか。
「あれ?……二人で見つめ合って何やってんの?」
別に見つめ合っているわけではないのだけれど。
この白い服を着た青い髪の女の子はマイさんというらしい。
ユキさんの親友らしいが……随分と対照的だ。
快活なユキさんとは違い、随分と無表情……というか無感情にさえ見える。
やはり魔界人も自分に無いものを持つ人に惹かれたりするのだろうか?
俺は持っていないものだらけだから、その比にすら入らないだろうけど。
ユキさんとマイさんと一緒に、魔界の各地を見て回った。
赤いピラミッド(?)に、凍りついた大地。
星々が輝いているような場所もあったな。
神綺さんの家も名所のひとつらしいが、当然遠慮しておいた。
いつも見てるって。
そして、幻想郷への入り口となっている魔方陣を背に。
マイさんが此方にカメラを向けている。
ユキさんは肩に手を回して、笑顔でピースしている。
……こっちでもピースするんだな。
俺もユキさんの肩に手を回して、マイさんにピースする。
「……いくよ。3、2、……1」
ドンッ。
「えっ」
ふいに、バランスが崩れ。
俺はそのまま後ろに倒れこんでしまう。
瞬間――
視界は弾けた光に飲まれ、目の前は違う光景へと変わっていた。
……一体何が起きたのか。
考えなくても分かる。
恐らく此処は幻想郷だろう。
魔法陣を背に、写真を取ろうとしていたのだから当然といえば当然だが。
だが、それよりも問題は……
……ユキさんが居ないことだ。
肩を組んだまま後ろに倒れこんだ筈なのに、居ない。
魔方陣への入り方が問題だったのだろうか?
だとしても、あれが転移装置の一種なら近くにいる可能性もある筈だ。
……魔法なんて知らないから、単なるあてずっぽうにすぎないが。
先程辺りを見回してみたが、どうやら森の中のようだ。
なんとなく、俺がこの世界に迷い込んだ瞬間に似――
……っ?
いかん、ボーッとしてる場合じゃないのに。
早くユキさんを探さないと。
あの時の様に妖怪に襲われたらひとたまりもない。
空を飛べる程度じゃ、逃げる事すら難しいだろう……。
辺りを警戒し、音を立てぬように森を進む。
……どうやら今は夕方らしい。
夜になる前に、合流するか、森を抜けるかしないと。
足音を立てないように。
少しづつ少しづつ。
足音を立てないように……
少しづ―
バガッ!!!
頭部に激痛が走り。
そのまま意識は、闇へと飲まれた。
思考が混濁しているのか……?
頭が痛い……。
何処か遠くから、声が聞こえるような……
――――き さ ま
よくも やったな――――
ゾッとする様な声を聞き、生存本能が意識を呼び起こす。
目を開けると、木々の隙間から月が見えた。
「○○ッ!!気が付いた?!」
覗き込む様にユキさんの顔が飛び出す。
「ユキ……さん?俺は、一体……」
「……妖怪に襲われて、何処かへ運ばれそうになってて…………。
良かった……○○が死んじゃってたらどうしようって、私心配でっ……」
瞳に涙を溜めたまま、笑顔で答える。
二度も死に掛けた所を誰かに助けられたなんて……
ホント、男としては駄目なやつだな、俺は……。
体を冷やさない様気を遣ってくれたのか、俺の隣には焚き火が燃えている。
これ以上心配させないように、体を持ち上げるとユキさんの方を向き。
大丈夫、と一言……言おうとした。
夜の暗さに紛れ先程まで見えなかった彼女の体が
炎の揺らめきで照らされ、俺の目に入るまでは――。
妖怪と争ったせいだろう、そう言い聞かせる。
より深く朱に染まったその服の色は、彼女の血によるものか?
それとも妖怪の返り血なのか?
端々まで見れば、少しづつ焦げているのが分かる。
そういえば、彼女は火や炎の魔法を得意としてると言っていた……。
彼女の表情は変わらずに笑顔のまま。
俺を護ろうとしてくれた事も頭では分かっている。
だけど、あの時聞こえた声が耳から離れずに……俺は動けなかった。
暫くすると、ユキさんから声を掛けてきた。
「な、何だか暗くなってきたね……。
辺りの気配も、何だか濃くなってきたみたいだし。早く魔界に戻らないと」
……至って普通の口調。
もしかしたら、あれは夢だったのかもしれないな。
それに、彼女は俺の友達なんだろう?
「そうだな」
自分にも答えるよう、そう言った。
「大丈夫、○○?立てる?」
手を差し伸べて来る。
躊躇う事無く、手を借りた。
魔界への魔方陣の近くは、夜よりも更に暗くなっていたので
幸い二人なら直ぐ見つけることが出来た。
妖怪に出遭う事もなかったので、ユキさんが戦うような事もなかったが。
……少しだけ、彼女がどう戦うのか気にはなったけど。
ふと、魔法陣の前に見覚えのある人物……サラが居た。
「○○!?」
「サラさん!って事は、魔界の入り口は此処で良いのか?」
「何であんたが外に……ってそちらは?
ははぁ、もしかしてデートのお帰りかしら」
含み笑いをしたような顔でそう言う。
「残念だけれど外れだよ。ちょっとした事故で――」
「そうですよ」
……え?
「私と○○はデートの帰りなんです!
○○ったら、照れちゃって、もう!」
ばん、と背中を叩かれる。
……いや、ちょっと待て。
「何だ、○○も隅に置けないなぁ。
そういう人が出来たなら、私に話してくれたって良いだろうに~」
「だから違っ……」
「じゃあそう言う事で。ちょっと私達用がありますので!」
手を引っ張り、ユキさんが魔法陣の方へと歩く。
弁明する暇も無いまま、俺は魔法陣の中へと引っ張られた。
「……チッ」
……?
視界が再び光に包まれると、其処にはマイさんが座って待っていた。
相変わらず無表情で、特に心配していた、という様子は無い。
「マイーッ!!ただいまーっ!」
「……おかえり、ユキ」
まぁ、下手に心配されるよりもいいか。
しかし・・なんだろう。
さっき魔法陣に入る直前……サラさんの表情がおかしかったような。
何か、睨み付ける様な……気のせいか?
三人で帰路につき、マイさんと別れ。
ユキさんと二人きりになると、彼女から話しかけて来た。
「ねぇ、○○」
「……ん?何かな」
「さっきの門番……サラだっけ。あいつ、○○の友達?」
「そうだけど……それがどうかした?」
「そっか……。それなら、こんな事言いたくないんだけどね」
「……うん?」
「多分、私達があそこで倒れたのはあいつの仕業だよ」
「……え」
思いもよらぬ話をされる。
「あのサラって人に何の得があるかは知らないけど。
あの時……私達がバランスを崩した時、
丁度後ろの方にあの人の姿が見えたのよ。
あの時、その方向から衝撃を受けたの。
多分、見えない程小さい弾か何かを飛ばしたんじゃないかと思う」
サラさんが……そんな事を?
とてもじゃないが、信じられない。
それに、ユキさんは……
「ねぇ、ユキさん……。
じゃあ、あの時デートだったってサラさんに答えたのは何だったの?」
「……あぁ、あれ?
もし彼女が外に出そうとした犯人なら下手に刺激しないほうがいいかなって。
それに私は、○○となら……」
少し、間を置いて言う。
「そういう風に思われてもいいって思ってるから……」
部屋に戻り、ベッドに転がると天井を見上げる。
ユキさんの言葉の意味が判らない程、俺だって野暮じゃない。
だが結局、何も答える事が出来ずに家に着いてしまっていて。
さよならも言わず、部屋へと逃げ帰ってしまった。
ふう、とため息をつきユキさんの事を考える。
確かに彼女はいい友人だ。
なんでも話せて、心の許せる……大切な、存在。
だが、恋人としてはどうなのだろう?
ふと、ある人の顔が浮かぶ。
それを考えると、俺にはどうしても答えを出す事が出来なかった。
……コン、コン。
……?
誰だろう?
最近、気の抜ける事が多くなった。
平たく言えばぼーっとしてしまう。
原因は何か?
答えは判っている。
彼の存在だ。
この前、彼と買い物に出掛けた事がある。
私の不注意で、彼は体調を崩してしまった。
……こういう時、彼が魔界の人間だったのなら、簡単に治せただろう。
だが、私はどうしていいのか分からず、なんというか……。
そう、どうしていいのか分からなかったのだ。
……分かっていたのなら、彼が体調を崩す事も無かったろうが。
私が創り出した魔界に住む人々は、全て私が創り出したもの。
だから、この魔界に「住んでいる」
全ての人々を把握しているといってもいいだろう。
だが、彼は違う。
彼は人間で、外の世界の存在。
付き合う度に、彼は様々な顔を見せる。
困った顔。
嬉しそうな顔。
恥ずかしそうな顔。
どれも「創りモノ」
ではない、新鮮な存在。
……最初の頃はそれだけだった。
アリスちゃんのお土産だから、ここに置いて上げていたと言うのもあった。
今は……?
私の部屋を掃除していた時だったか。
「○○ちゃ~ん。こっちの方も……あ、らっ?」
また、滑ったわ――
そう思った瞬間には、彼が私を受け止めていた。
……顔を真っ赤にしながらね。
何となく転びそうになったのが分かったらしいと、言い訳をしている。
だけどその目は、なんとなく……嬉しそう。
それに、言い訳せずとも普通にそう言えばいいものを。
彼は私と買い物に行って以来、ずっとそんな感じだったから。
もしかしたら、私の事を好きなのかも知れない……そう考えた。
私を見る視線。表情。何となく浮ついた口調。
……私が創った訳でもない、貴方は。
もしかして、私の事が……
そう考えると何だかよく分からない気持ちになった。
これが何なのか分からない。
ただ凄く嬉しいような、胸がいっぱいになるような。
そんな感覚。
だから、彼に何かをして上げたくなって。
飛べなくて不便だった事を思い出し、
マジックアイテムの様なものを創造してみた。
……プレゼントをしたかったせいか、指輪みたいになってしまったけど。
今度は、忙しそうだったので休みを上げた。
毎日掃除を続けてばかり、辛くはないだろうかと。
あの子達とは違うだろうから……いつも心配するようになってしまった。
彼が調子が悪そうなら、明日は私が彼を癒して上げようか。
彼の調子が良さそうなら、遊びに誘っても良いかも知れない。
そんな事を考えていた。
そんな事を考えていた。
そんな事を考えていたのに。
夢子ちゃんは言った。
……○○はユキちゃん達と遊びに行ったと。
あれ……?
なんだろ、この感覚……。
コン、コン。
「○○ちゃん……?入ってもいいかしら」
「神綺……さん?」
神綺さんが俺の部屋を訪ねて来たのは意外だった。
……一体何があったのだろう?
用事があるとは思えないけど。
何か、威圧感を感じる。
「あ、適当な所に座って下さい」
ベッドから起き上り座ったままの状態でそう言う。
と、いってもこの部屋には机とセットで置いてある椅子しかないので
座る場所なんてないのだけど。
神綺さんは何も言わないまま、俺の隣に座ってきた。
……え?
「今日……ユキちゃん達と遊びに行ってたって聞いてたから。
貴方が寝る前に一目、顔を見ておきたかったの」
隣に座った彼女は此方を見据え、真っ直ぐ顔を向けている。
今までとは違う距離感に、突然の事でまた少し、熱くなってゆくのが分かる。
「そうですか……。何だかまた心配を掛けてしまったみたいで。
わざわざありがとうございます、神綺さん」
「……今日は。○○から……ユキちゃん達を誘ったのかしら?」
「はい……?いえ、前から約束していたんです。
暇が出来たら、彼女が魔界を案内してくれると言っていたので」
「そう……。○○ちゃんからじゃないのね。そうなの……」
一人確認するように、そう答える。
何だろう?俺が誘うと、何か不味い事でもあるのだろうか。
「あの、やはり俺が何かしましたか?
今日だって初めて休みを貰いましたし……何かあるなら、言って下さい!
少なくとも、俺は……」
そこで言葉が少し詰まった。が、続けて言う。
「神綺さんの事、信じてますから。
だから何かあるなら、ちゃんと教えて欲しいんです」
ほんの少し、空気が変わった。
先程まで感じていた威圧感の様なものはなくなって
いつのまにか神綺さんはきょとんとした顔をしていた。
「信……じて?」
うわ言の様に神綺さんが言う。
「……信じてます。」
顔を合わせられないまま、そう答える。
少しの沈黙が流れ、神綺さんが近付くと
―っ。
「んっ……ちゅ」
唇を重ねていた。
どちらから、と言う訳でもなく。
「私……あなたが好き…………かも、しれない」
温もりを残したまま、そう言った。
その言葉と、照れた様な表情に愛おしさを覚え、
感情の赴くまま彼女を抱きしめて。
「俺は……好きだ。君が」
抱擁したまま、想いを伝えた。
……ズキリ。
ふいにユキさんの言葉を思い出す。
少しだけ、胸が痛んだ。
水晶玉に浮かんだ二人は口付け合うと、
その思いを確かめるかのように抱き合っている。
――ガシャン。
その光景が不愉快だったのだろう、水晶玉を叩きつけ
靴で破片を磨り潰す。
「まさかこんな展開になるなんてね……」
アリスだった。
「わざわざ記憶まで消したっていうのに、全て水の泡って訳か」
彼と出会った時の事を思い出し、ぎり、と歯を噛んだ。
魔法の森の一角で、アリスは人形の素材を集めようとしていた。
……新しい魔法によって。
新たに強力な人形を作るべく、アリスは何か無いかと
ある魔法書に手をつけていた。
それは、召喚魔法の書物。
だが当然、この手の書物は何処か不鮮明であり、
信憑性の無い博打と同様、不完全なものであった。
人形作りにスランプを感じていたアリスは
半ば自棄気味で詠唱を開始する。
「――ッ!?」
詠唱を完了すると同時に、激しい閃光と煙が巻き上がる。
だが其処に居たのは……ただの、傷だらけの人間だった。
いらついていたアリスの感情を逆撫でするかのような結果。
だが男はアリスを見るや
「……天使?」
そんな事を口走った。
最終更新:2010年08月30日 20:00