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画1_443t "第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る"
最終更新:
tohohopeacewalk
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画1_443t "第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る"
http://www21.atwiki.jp/tohohopeacewalk/pages/148.html
http://pipponan.fc2web.com/gazokensyo_1/ga-443.htm
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[443]第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る ピッポ 05/9/15(木) 21:30
[444]Re(1):第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る msq 05/9/15(木) 23:15
[445]Re(2):第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る ピッポ 05/9/16(金) 0:48
[446]Re(3):第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る ja2047 05/9/16(金) 6:40
[447]Re(4):第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る ピッポ 05/9/16(金) 9:08
[450]Re(5):第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る ja2047 05/9/17(土) 8:57
[452]Re(6):第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る ピッポ 05/9/17(土) 12:51
[449]わはは、いかん、やっちゃった 訂正 ja2047 05/9/17(土) 8:02
[511]Re(1):歩兵砲小隊 とほほ 05/10/7(金) 22:28
[512]Re(2):歩兵砲小隊 熊猫 05/10/8(土) 14:18
[513]歩兵砲の位置づけ ja2047 05/10/9(日) 7:55
[514]Re(1):歩兵砲の位置づけ とほほ 05/10/9(日) 10:55
[522]Re(2):歩兵砲の位置づけ ja2047 05/10/22(土) 7:53
[516]Re(1):歩兵砲の位置づけ:歩兵砲の位置 渡辺 05/10/21(金) 0:02
[521]Re:歩兵砲の位置 ja2047 05/10/22(土) 7:41
[555]Re(1):Re:歩兵砲の位置:接近戦をする大隊砲の... 渡辺 05/11/5(土) 16:02
[556]Re(2):Re:歩兵砲の位置:接近戦をする大隊砲の... 渡辺 05/11/5(土) 16:05
[448]もしかしなくても有名な写真です。 熊猫 05/9/17(土) 1:01
[453]Re(1):もしかしなくても有名な写真です。 ピッポ 05/9/17(土) 13:28
[456]残念ながら無錫はありませんが・・・・・・ 熊猫 05/9/18(日) 23:04
[458]Re(1):残念ながら無錫はありませんが・・・・・・ ピッポ 05/9/19(月) 11:07
[459]Re(2):地図 ピッポ 05/9/19(月) 11:18
[461]Re(2):残念ながら無錫はありませんが・・・・・・ 熊猫 05/9/19(月) 23:32
[464]Re(3):残念ながら無錫はありませんが・・・・・・ ピッポ 05/9/20(火) 9:37
[465]手頃な地図がありました。 熊猫 05/9/20(火) 22:14
[466]Re(1):手頃な地図がありました。 ピッポ 05/9/21(水) 1:16
[457]Re(1):向井少尉の直属の部下であった田中金平の... ピッポ 05/9/19(月) 10:10
[460]Re(1):HyperText版:百人斬り判決全文 公開の... ピッポ 05/9/19(月) 18:18
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[443]第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る
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ピッポ - 05/9/15(木) 21:30 -
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引用なし
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~添付ファイル~
・名前 : 1203-16shi-9ren-for-nankin.gif
・サイズ : 69.4KB
「12月3日、日本軍第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る」?
この写真は、中国(台湾)のサイトにあって、
http://bbs.jxnews.com.cn/showthread.php?t=47698
12月3日,日?16??9??沿?路?逼南京
とキャプションのあるものです。
実はこれ、けっこう正確なキャプションです。
「百人斬り裁判」判決文に、向井少尉の率いる歩兵砲小隊の兵士の戦闘記録が引用されていますが、それともピッタリあっています。
第16師団(中島中将)第9連隊(片桐大佐)第3大隊(冨山少佐)歩兵砲小隊(向井少尉)
12月1日-3日 丹陽附近の戦斗
無錫駅を出て 鉄路沿いに人力搬送で急進する。
もしかすると有名な写真ですか?
ご存知の方教えてください。
東京地裁判決文より
=========
ウ 冨山大隊の動向について,同大隊の第三歩兵砲小隊に所属し,向井少尉の直属の部下であった田中金平は,「我が戦塵の懐古録」に「第三歩兵砲小隊は斯く戦う」を寄稿し,その中で,以下のとおり記載している(丁13)。
「 連隊長片桐大佐
大隊長冨山少佐
小隊長向井少尉
(中略)
11月21日-26日 無錫附近の戦斗に参加
常熟よりクリークを利用して 大発にて進む。敵の迎撃を受け展開。人力で舟を曳行前進する。射撃開始直後 第一分隊砲側に迫撃砲弾炸裂し 砲は破損分隊長山田金治郎伍長,四番砲手山添銀治郎上等兵,五番砲手橋本徳太郎上等兵 戦死。爾後南京入城まで第二分隊の砲一門で戦う。
11月27日-30日 常州附近の戦斗
12月1日-3日 丹陽附近の戦斗
無錫駅を出て 鉄路沿いに人力搬送で急進する。
12月4日 句容附近の戦斗
丹陽を占領して 初めて予備隊となり 旅団長の指揮する草場挺身隊に編入され 句容より左第一線を 湯水鎮西方より南京に向い迂回前進する。
12月6日 湯水鎮附近の戦斗
至る所に 要害堅固なトーチカ陣地があり,湯水鎮前面の戦斗に於て師団長自ら野砲を指揮し 負傷されたとか 吾が前面にも各所にトーチカ陣地が張り回らされていたが 吾々の目的は南京に向って錐揉み突入するにあり,冨山大隊長も 強い所は避けて通るのが戦法と 迂回して進む。お陰で犠牲は少ないものの 道程は三倍以上ともなり吾々砲部隊の苦労は並大抵のものではなく 徴発使役した水牛が 分解した砲や弾丸を 脊にしばってよく急坂難路を登り 大いに助かった。
紫金山山頂より 馬群高地正面へ展開する。
12月9日-12日 紫金山附近の戦斗。
馬群警官学校前台地に陣地侵入し,鉄条網で幾重にも守られた トーチカ陣地の台地に突入せんとする小銃部隊の支援射撃に砲門を開く。後方一千米の道路上に展開した野砲四十八門の一勢斉射と 敵の大口経砲の反撃は 将に壮絶。この間 紫金山山頂より掃射と敵台地よりの十字砲火に五番砲手 安福三郎上等兵 腹部貫通銃創にて戦死。警官学校台地の陥落により前進,忠霊廟 五重の塔と陣地を進め 夜に入り林森邸 の陣地攻撃 壮絶の夜戦に谷口重蔵一等兵戦死す。
12月13日 南京城内の掃蕩戦
中山門より砲兵営,玄武湖 玄武門へと掃蕩 引続き城外掃蕩
12月15日 南京入城式 」
=====
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[444]Re(1):第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る
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msq - 05/9/15(木) 23:15 -
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引用なし
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最近はメールありがとうございました。
>もしかすると有名な写真ですか?
裁判記録との関連の詳しいことは、別にして、よく見かける写真ですね。
説明文は、日本の漢字で置き換えると、「12月3日、日軍16師団9聯隊沿鉄路進逼南京。」でしょうか。
「十二月三日、日軍第十六師団第九聯体沿著常州和丹陽之間的鉄路向南京逼近。」これは同じ写真の史詠ほか著『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』の説明文です。
「血鋳中華( http://cyc6.cycnet.com:8090/xuezhu/his_photos/content.jsp?n_id=7369 )」や
「永不忘却( http://neverforget.sina.com.cn/f/p/2005-03-29/1105236.html )」のページにも出ています。
「毎日フォトバンク( http://photobank.mainichi.co.jp/ )」で「日中戦争*南京*鉄道*丹陽」のキーワードで検索すると「写真ID No. 00101159 」がたぶん同じ写真です。「1937年12月03日撮影 / 丹陽駅付近を線路沿いに南京へ進む日本軍 / 日中戦争。南京攻略。線路はあっても列車がなく歩くしかなかった。/撮影場所 丹陽」より広い範囲が写っています。
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[445]Re(2):第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る
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ピッポ - 05/9/16(金) 0:48 -
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・名前 : m-photobank.jpg
・サイズ : 43.0KB
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~添付ファイル~
・名前 : suiro.jpg
・サイズ : 23.0KB
▼msqさん:
さすが! すぐに解答をいただきました。
>「毎日フォトバンク( http://photobank.mainichi.co.jp/ )」で「日中戦争*南京*鉄道*丹陽」のキーワードで検索すると「写真ID No. 00101159 」がたぶん同じ写真です。「1937年12月03日撮影 / 丹陽駅付近を線路沿いに南京へ進む日本軍 / 日中戦争。南京攻略。線路はあっても列車がなく歩くしかなかった。/撮影場所 丹陽」より広い範囲が写っています。
キャプションが割としっかりしているものが画報系というわけですね。
上左に、検索結果を貼っておきました。フォトバンクで検索するという手段を知って嬉しいです。
>「十二月三日、日軍第十六師団第九聯体沿著常州和丹陽之間的鉄路向南京逼近。」これは同じ写真の史詠ほか著『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』の説明文です。
>「血鋳中華( http://cyc6.cycnet.com:8090/xuezhu/his_photos/content.jsp?n_id=7369 )」や
>「永不忘却( http://neverforget.sina.com.cn/f/p/2005-03-29/1105236.html )」のページにも出ています。
中国側も当時、日本の「画報」をしっかり収集していた。チャン女史はそれを再発掘した。あまりきちんと考証せずに発表した、というわけですね。
msqさん ありがとう御座いました。
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ところで、向井少尉が小隊長をしていた「歩兵砲小隊」。
この小隊の「砲」とはどのようなものだったでしょうか?
「砲兵大隊」の砲とはどう違うのでしょうか?
ヒントは、先の田中金平手記です
11月21日-26日 無錫附近の戦斗に参加
常熟よりクリークを利用して 大発にて進む。敵の迎撃を受け展開。人力で舟を曳行前進する。射撃開始直後 第一分隊砲側に迫撃砲弾炸裂し 砲は破損分隊長山田金治郎伍長,四番砲手山添銀治郎上等兵,五番砲手橋本徳太郎上等兵 戦死。爾後南京入城まで第二分隊の砲一門で戦う。
これから分かることは、
1、小隊の装備は、砲2門で、2分隊が対応していた
2、砲は船に乗せ水路(上右のような)を曳航していた
3、砲がなくなった1分隊は何をしていたのか
すいません、兵器ご専門の方、
お答えをお待ちします。
「向井少尉の仕事」をイメージしたいのです。
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[446]Re(3):第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る
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ja2047 - 05/9/16(金) 6:40 -
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引用なし
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▼ピッポさん:
>ところで、向井少尉が小隊長をしていた「歩兵砲小隊」。
>この小隊の「砲」とはどのようなものだったでしょうか?
>「砲兵大隊」の砲とはどう違うのでしょうか?
>
>「向井少尉の仕事」をイメージしたいのです。
向井小隊の編成上に占める位置については、K-Kさんのところに16師団の編成表がありますね。
歩兵大隊ごとに砲兵小隊が配置されているので、この小隊の扱う砲を「大隊砲」と呼びます。
たとえば、
http://sus3041.web.infoseek.co.jp/contents/gun_db/t92_70ig.htm
http://www.horae.dti.ne.jp/~fuwe1a/newpage59.html
などがそうです、編成も機材も時期によって違いますので、間違いなく南京戦闘時の写真であるものを探しておきます。
なお、「歩兵操典」を見ると、こんなことが書いてあるのですね。(これは昭和15年のですが)
「歩兵操典
第四篇 歩兵砲教練通則
第341 歩兵砲は常に犠牲的精神を発揮して第一線に活躍し、歩兵戦闘の機微に投じて火力を発揚し、戦闘の要求を遺憾なく充足するを要す。状況之を要すれば、自ら突撃を敢行するの概なかるべからず 」
http://www.warbirds.jp/sudo/infantry/i6_00.htm
向井小隊の任務として、「常に第一線にあって、情況に応じて突撃を敢行する」というのも含まれているわけで、ここが長距離射撃を担当する「砲兵」との大きな違いであるのです。
http://www.warbirds.jp/sudo/houhei/houhei_index.htm
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[447]Re(4):第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る
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ピッポ - 05/9/16(金) 9:08 -
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引用なし
パスワード
▼ja2047さん:
あさはやく、お答えありがとうございます。
>向井小隊の編成上に占める位置については、K-Kさんのところに16師団の編成表がありますね。
>歩兵大隊ごとに砲兵小隊が配置されているので、この小隊の扱う砲を「大隊砲」と呼びます。
>たとえば、
>http://sus3041.web.infoseek.co.jp/contents/gun_db/t92_70ig.htm
>http://www.horae.dti.ne.jp/~fuwe1a/newpage59.html
>などがそうです、編成も機材も時期によって違いますので、間違いなく南京戦闘時の写真であるものを探しておきます。
この程度のもの2門で一小隊ですか。小隊が何人かもわからないのですが。大変ですね、戦争って。弾丸も重かったのでしょうね。
>なお、「歩兵操典」を見ると、こんなことが書いてあるのですね。(これは昭和15年のですが)
>「歩兵操典
>第四篇 歩兵砲教練通則
>第341 歩兵砲は常に犠牲的精神を発揮して第一線に活躍し、歩兵戦闘の機微に投じて火力を発揚し、戦闘の要求を遺憾なく充足するを要す。状況之を要すれば、自ら突撃を敢行するの概なかるべからず 」
>http://www.warbirds.jp/sudo/infantry/i6_00.htm
砲を失った1分隊は、
「状況之を要すれば、自ら突撃を敢行するの概なかるべからず 」
状態であったと考えてもおかしくないのですね。
>向井小隊の任務として、「常に第一線にあって、情況に応じて突撃を敢行する」というのも含まれているわけで、ここが長距離射撃を担当する「砲兵」との大きな違いであるのです。
>http://www.warbirds.jp/sudo/houhei/houhei_index.htm
「砲兵」と「砲」との違いなど、お時間があるときにゆっくりご教授ください。
=====
いずれにしても、
砲兵小隊長だから突撃現場にいるわけがない、
という固定的なイメージは、危ういということがわかりました。
地裁判決文は、両少尉の南京裁判での「弁明」(いろいろとあるようですが)を殆ど信用していないようでね。あまりそれに触れたくない、という死者に対する「心情」から、その点に関しては表現がとてもあっさりしてますけど。
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[448]もしかしなくても有名な写真です。
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熊猫 - 05/9/17(土) 1:01 -
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引用なし
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~添付ファイル~
・名前 : katagiri.jpg
・サイズ : 181.8KB
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~添付ファイル~
・名前 : tan.JPG
・サイズ : 103.9KB
左側に提示した画像は、『一億人の昭和史 日本の戦史 3日中戦争1』の244pよりスキャニングしたものです。キャンプションは下記の内容となっています。
12月2日第16師団が丹陽を占領 日本軍は京滬線300キロ余の三分の二を掌握し一路南京へ線路はあっても列車がなく ただ歩くだけ 前方に丹陽駅を望んで進む片桐部隊(3日)
右はオマケの地図です。
中国のサイトではこの写真がよく使われますね、何故か他の写真は使われていません。
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[449]わはは、いかん、やっちゃった 訂正
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ja2047 - 05/9/17(土) 8:02 -
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引用なし
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>歩兵大隊ごとに砲兵小隊が配置されているので、この小隊の扱う砲を「大隊砲」と呼びます。
>たとえば、
>http://sus3041.web.infoseek.co.jp/contents/gun_db/t92_70ig.htm
>http://www.horae.dti.ne.jp/~fuwe1a/newpage59.html
>などがそうです、
「歩兵大隊ごとに砲兵小隊が配置されているので」
と、書いてしまいましたが、正確には「歩兵砲小隊」です。
「砲兵」ではなくて、「歩兵」のうちの「歩兵砲」担当の部隊なのですね。
かつて阿羅健一氏が「『南京戦・元兵士102人の証言』のデタラメさ『正論』平成14(2002)年11月号」に
「歩兵33連隊の兵士が『わしら砲兵』というのはおかしい」と、書いていましたが、正確に言えばそのとおり、「歩兵砲小隊」は「砲兵」ではありません。
そう言い慣わされることが多いというだけです。
早い話、この歩兵砲小隊を「百人斬り」がらみになるとみな平気で「砲兵」にしちゃうのですね、「歩兵」ではないという点を強調するために、あたかも遠距離支援を行う「砲兵」であるかのように書かれることが多いのです。
グース氏は
「現実には向井少尉は砲兵隊の小隊長であり、野田少尉は大隊の副官※でした。 両者とも所属が違いますし、最前線で積極的に白兵戦に参加する兵科でもありません。
戦争ですから敵に包囲された場合などは、砲兵でも工兵でも白兵戦に参加することになりますが、基本的に砲兵隊は遠距離砲撃が仕事です。砲兵隊所属の向井少尉が予め白兵戦の予定を立てるということはまずないでしょう。」
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/8312/page067.html
松尾一郎氏は
「向井少尉にしても砲兵隊の小隊長である彼は歩兵砲の指揮を行わなければいけない立場である。距離いくら「撃てー」等といった命令を行わなければならないような立場の者がどうやって白兵戦を行ったのであろうか? 通常の戦闘では、敵兵に接近する事はほとんどない。」
http://www.geocities.jp/nanking1937_matsuo/nanking/
と、書いていますね。
繰り返し訂正いたします
「砲兵」は間違いです。「歩兵砲小隊」の小隊長であり、歩兵連隊の所属です <(_ _)>
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[450]Re(5):第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る
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ja2047 - 05/9/17(土) 8:57 -
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引用なし
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~添付ファイル~
・名前 : type92 infantry.jpg
・サイズ : 87.8KB
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~添付ファイル~
・名前 : type92 infantry2.jpg
・サイズ : 107.7KB
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~添付ファイル~
・名前 : type4 howitzer.jpg
・サイズ : 74.0KB
上左、1937年7月29日(?)天津での市街戦に使用される歩兵砲、砲の大きさと、歩兵部隊との位置関係に注意。兵士は通常の歩兵の戦闘装備に近い姿をしている。
上中、1937年12月、磨磐山系を越える第九師団、歩兵砲を分解して人力で運んでいる
上右、滄州攻撃の野戦重砲兵第十連隊の15糎榴弾砲。兵士は戦闘装備ではなく、いわば作業中の姿である。
▼ピッポさん:
>ja2047さん:
>あさはやく、お答えありがとうございます。
いえ、朝は至って元気な方で (^^
>この程度のもの2門で一小隊ですか。小隊が何人かもわからないのですが。大変ですね、戦争って。弾丸も重かったのでしょうね。
上に実際の運用写真を挙げました。この写真では一門に8人付いています。
なにやらビール缶のようなものが転がってますが、薬莢でしょうね。
現存の歩兵砲と砲兵が運用する砲の写真を引用しておきます。
中国に残る九二式歩兵砲、木製スポーク車輪が初期型、鋼板プレス車輪が後期型だそうです。
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/heiki6/manei/manei.html
砲兵の用いる各種の砲の一例、十五糎榴弾砲(実際は南京戦翌年の制式採用)
靖国神社の展示に見るとおり、相当大きなものです。
http://sus3041.web.infoseek.co.jp/contents/gun_db/t96_15cm.htm
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[452]Re(6):第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る
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ピッポ - 05/9/17(土) 12:51 -
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引用なし
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▼ja2047さん:
>上左、1937年7月29日(?)天津での市街戦に使用される歩兵砲、砲の大きさと、歩兵部隊との位置関係に注意。兵士は通常の歩兵の戦闘装備に近い姿をしている。
>この写真では一門に8人付いています。
>なにやらビール缶のようなものが転がってますが、薬莢でしょうね。
立っているのが分隊長(下士官)でしょうか? 伏せてはいけないのですから、命知らずでしたね。 この8人のほかに弾薬の供給をする兵隊がやや後方にいたのでしょうね。
すると、1分隊が約15名として、2分隊で30名、加えて小隊長付き、通信業務、観測業務があったから、約10名として、小隊全体は40名くらい? 普通の歩兵小隊の半分くらいですか?
K-Kさんの第16師団編成表をみますと、
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/sougou/sosikizu/houmengun.jpg
向井少尉の「大隊付き」「歩兵砲小隊」とは別に「連隊砲中隊」というのも在ったのですね。そうして、師団には「野砲兵22連隊」というのがありますね。この連隊というのが「砲兵」にあたると考えて良いのですね?
>上中、1937年12月、磨磐山系を越える第九師団、歩兵砲を分解して人力で運んでいる
>上右、滄州攻撃の野戦重砲兵第十連隊の15糎榴弾砲。兵士は戦闘装備ではなく、いわば作業中の姿である。
「歩兵砲」と「砲兵砲」の違いが良く分かりました。
>現存の歩兵砲と砲兵が運用する砲の写真を引用しておきます。
>
>中国に残る九二式歩兵砲、木製スポーク車輪が初期型、鋼板プレス車輪が後期型だそうです。
>http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/heiki6/manei/manei.html
この「あやしい探検隊」はウヨクですが面白いです。
中国の現在の現場という新しい発見と、思い込みや虚偽がない交ぜです(笑い)。
>砲兵の用いる各種の砲の一例、十五糎榴弾砲(実際は南京戦翌年の制式採用)
>靖国神社の展示に見るとおり、相当大きなものです。
>http://sus3041.web.infoseek.co.jp/contents/gun_db/t96_15cm.htm</p>
===========
なお、東京地裁判決にみる、東京日日新聞記事関係は
公式公開はまだですが、私のサイトにUPしました。
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/nichinichi.htm
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[453]Re(1):もしかしなくても有名な写真です。
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ピッポ - 05/9/17(土) 13:28 -
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▼熊猫さん:
いつもありがとう御座います。
>左側に提示した画像は、『一億人の昭和史 日本の戦史 3日中戦争1』の244pよりスキャニングしたものです。キャンプションは下記の内容となっています。
ありがとうございます。
12月2日第16師団が丹陽を占領 日本軍は京滬線300キロ余の三分の二を掌握し一路南京へ線路はあっても列車がなく ただ歩くだけ 前方に丹陽駅を望んで進む片桐部隊(3日)
12月2日と3日の関係が、当時の日日記事と若干整合しませんが、
「片桐部隊(第9連隊)」とより情報が絞られていますね。
『一億人の昭和史』(シリーズの中には「不許可写真」もある)は昭和50年毎日新聞社刊だそうですから、佐藤振動壽カメラマンも当然編集に関与してたでしょうね。そうした情報からすると、毎日(日日)は第16師団の片桐部隊にEmbedしていたみたいですね(推測)。
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/nichinichi.htm
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/nich-mai-hikaku.htm
>右はオマケの地図です。
熊猫さん、大変わかりやすい地図ですね。右側が途中で切れているように見えるのですが、
無錫⇒常州⇒丹陽
もあるのですか?
もし在れば、日日報道を読み解く、良い史料になりますね。
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[456]残念ながら無錫はありませんが・・・・・・
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熊猫 - 05/9/18(日) 23:04 -
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引用なし
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~添付ファイル~
・名前 : tan01.jpg
・サイズ : 275.4KB
前回の地図は、『支那事變画報 第十二輯』(毎日版)よりスキャニングしました。残念ながら、右端は常州からですので無錫はありません。
今回は、昭和十二年十二月二日の『大阪朝日新聞』をスキャニングしました。杭州湾から蕪湖、そして南は杭州まであります。
ピッポさんが使いやすいように、都市名に印をつけていません。
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[457]Re(1):向井少尉の直属の部下であった田中金平の...
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ピッポ - 05/9/19(月) 10:10 -
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(リンクエラー訂正して再投稿)
>「百人斬り裁判」判決文に、向井少尉の率いる歩兵砲小隊の兵士の戦闘記録が引用されていますが、それともピッタリあっています。
>
>東京地裁判決文より
>=========
>ウ 冨山大隊の動向について,同大隊の第三歩兵砲小隊に所属し,向井少尉の直属の部下であった田中金平は,「我が戦塵の懐古録」に「第三歩兵砲小隊は斯く戦う」を寄稿し,その中で,以下のとおり記載している(丁13)。
判決文のなかのこの個所は、
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/hanketsu-3.htm#3-2-1-u
部分を抜き出したものは
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/partation/p-016.htm
なお、この文書は、
向井少尉が丹陽にて砲撃戦中に負傷して,離隊し,以後は戦線にいなかったという原告側張、(=南京裁判での弁明でもある)
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/hanketsu-2.htm#2-4-2-ge-ka-a
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/hanketsu-3.htm#3-2-1-sa-i
これへの反証ともなったものです。
つまり、兵や下士官の戦死や負傷を記録した文書に、なぜ、部隊長の負傷=離隊という大事件が記載されていないのか? 後任指揮官は誰か、そうした記述すらなく、南京入場式にまで至っています。
被告側反証
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/hanketsu-2.htm#2-4-2-a-e-u
裁判所判断
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/hanketsu-4.htm#3-2-4-u-a-a
その中の、向井少尉の負傷アリバイについての部分だけを引用すると
もっとも,原告らは,向井少尉が丹陽の戦闘で負傷し,救護班に収容されて前線を離れ,紫金山の戦闘に参加することができなかったと主張し,南京軍事裁判における両少尉の弁明書面や南京軍事裁判における冨山大隊長の証明書にも同旨の記載がある。しかしながら,前記認定事実によれば,両少尉の弁明書面や冨山大隊長の証明書は,いずれも南京軍事裁判になって初めて提出されたものであり,この点に関して南京戦当時に作成された客観的な証拠は提出されていないこと,向井少尉が丹陽の戦闘で負傷し,雛隊しているのであれば,向井少尉直属の部下であった田中金平の行軍記録に当然その旨の記載があるはずであるにもかかわらず,そのような記載が見当たらないこと,犬飼総一郎の手記には,向井少尉の負傷の話を聞いた旨の記載がなされているものの,その具体的な内容は定かではないことなどに照らすと,向井少尉が丹陽の戦闘で負傷して前線を離れ,紫金山の戦闘に参加することができなかったとの主張事実を認めるに足りないというべきである。
つまり、この田中金平手記は「百人斬り競走」報道が、「どこをどのように見ても虚偽である」という原告主張を切り崩す重要な役割を果たしたようです。
「向井少尉は負傷して現場にはいなかった」
⇒「どうやら苦し紛れのアリバイだったようだ。部下の克明な戦闘負傷者記録にない」
=========
まだ未公開ですが、判決文については、
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/kousei.htm
みなさん、おかしなところがあったら、ご忠告願います。
=====================
tohohoさん
URLに半角の()を使うと事故が起こるのですね。
リンク元を直しました。
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/hanketsu-3.htm#3-2-(1)-u
↓
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/hanketsu-3.htm#3-2-1-u
というか、ブラウザは半角の()をURLとしては読まずに、読み飛ばしてしまうんですね(笑)。
740 hits
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[458]Re(1):残念ながら無錫はありませんが・・・・・・
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ピッポ - 05/9/19(月) 11:07 -
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引用なし
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▼熊猫さん:
>今回は、昭和十二年十二月二日の『大阪朝日新聞』をスキャニングしました。杭州湾から蕪湖、そして南は杭州まであります。
>ピッポさんが使いやすいように、都市名に印をつけていません。
ありがとうございました。
さっそく・・・
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/map-tanyo.jpg
拝借して・・・
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/nichinichi.htm
掲示板で熊猫さんから地図を教えていただきました。昭和十二年十二月二日の『大阪朝日新聞』からだそうです。無錫からですが、記事に載っている地名をマークしてみましたのでお使いください。なお「麒麟門」は記事にはありませんが、野田少尉の南京裁判での弁明にある地名です。記者と最後に会ったのは紫金山ではなく麒麟門東方だったという弁明です。
ところで、麒麟門というのは南京市城の門かと思っていましたが、だいぶ郊外なのですね。こうした「郊外の門」はいくつもあるのでしょうか?
知らないと私のように、陣中日記などの意味を読み違えてしまいますね。
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[459]Re(2):地図
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ピッポ - 05/9/19(月) 11:18 -
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引用なし
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~添付ファイル~
・名前 : map-tanyo.jpg
・サイズ : 97.3KB
地名をマークした地図を
此方にもアップしておきました。
797 hits
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[460]Re(1):HyperText版:百人斬り判決全文 公開の...
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ピッポ - 05/9/19(月) 18:18 -
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引用なし
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HyperText版:百人斬り判決全文 公開のおしらせ
このスレッドにもURLを貼ってしまいましたので
みなさん、こんにちは。
inti-sol さんがデジタル化した判決文をマークアップする作業は
まだ完全ではありませんが、公開することにしました。
膨大な判決文の参照、引用を容易にするためです。
また、まちがいをご指摘いただくためにも、公開が必要だからです。
私は裁判の専門家でもありませんし、南京事件に興味をもったのも最近のことです。
そんな私が出すぎた真似ですが、
判決文そのものは、裁判官が私のような一般人にも読ませようとしたものです。
そんなわけで、皆さんのご批判をいただきながら、更新していきます。
よろしくお願いいたします。
◆南京事件143枚の写真&読める判決「百人斬り」
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/
>■http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/han/file-list.htm
♪ ピッポ 拝 ♪
===================
サイト: http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/
===================
(追伸)
※なお先にお知らせした非公開URLもしばらくは残しておきます。
ただし、こちらの更新はありません。
※ inti-sol さんかjijitu.com さんに進呈するつもりでしたが、
更新やメンテナンスのことを考えて、私が管理することにしました。
※先のメールをお知りあいに転送してくださった方は、
これを転送してくだされば幸いです。
738 hits
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[461]Re(2):残念ながら無錫はありませんが・・・・・・
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熊猫 - 05/9/19(月) 23:32 -
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引用なし
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~添付ファイル~
・名前 : nan.jpg
・サイズ : 159.5KB
>ところで、麒麟門というのは南京市城の門かと思っていましたが、だいぶ郊外なのですね。こうした「郊外の門」はいくつもあるのでしょうか?
上元門、観音門、仙鶴門、麒麟門、高橋門、安徳門、江東門は地名として残っていますのでご存知だと思いますが、18の城門があったそうです。
南京城といえば通常は内側の城壁のことをいいますが、昔は内城と外城の二重になっていたそうです。外側の門は簡素なものだったのではないかと思います。
865 hits
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[464]Re(3):残念ながら無錫はありませんが・・・・・・
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ピッポ - 05/9/20(火) 9:37 -
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引用なし
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▼熊猫さん:
熊猫さん、おはよう御座います。
>上元門、観音門、仙鶴門、麒麟門、高橋門、安徳門、江東門は地名として残っていますのでご存知だと思いますが、18の城門があったそうです。
いやあ、わからないですよ。ふつーの人には。
東中野本には、城門の呼び名の詳しい表がありますが、外城のことは言及していませんし。
>南京城といえば通常は内側の城壁のことをいいますが、昔は内城と外城の二重になっていたそうです。外側の門は簡素なものだったのではないかと思います。
仙鶴門、麒麟門は、この範囲の右外なんですね。
出典はどちらですか?
869 hits
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[465]手頃な地図がありました。
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熊猫 - 05/9/20(火) 22:14 -
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引用なし
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~添付ファイル~
・名前 : nan01.jpg
・サイズ : 67.9KB
私もまだまだ、修行不足ですね(^^)
早く気が付けばよいものを、解りやすい地図があるのに見落としていました(^^;
今回は、印をつけていませんが昔の城門の名前と位置が判る資料を提示しました。
出典は『証言・南京大虐殺』(青木書店)の205pです。この本は必読本です!チャンスがあったら是非入手することをオススメします。
同書206pより
今日では地名のみが残されている外城は、門の数一八、長さ六〇キロにおよぶ広大なものだが、城壁そのものは内城と異なり土塁を堅牢にした程度のものだったらしい。
前回の出典は、「13のウソ」からです。
880 hits
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[466]Re(1):手頃な地図がありました。
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ピッポ - 05/9/21(水) 1:16 -
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引用なし
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熊猫さん、
取り急ぎ、ご紹介いただいた地図をファイルにしました。
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/han/maps.htm
また、以下のページでも利用しています。m&s ボタンを押して見てください。
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/han/file-list.htm
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/han/nichinichi.htm
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/han/nich-mai-hikaku.htm
本当にありがとう御座いました。
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[511]Re(1):歩兵砲小隊
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とほほ - 05/10/7(金) 22:28 -
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引用なし
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▼ja2047さん:
>早い話、この歩兵砲小隊を「百人斬り」がらみになるとみな平気で「砲兵」にしちゃうのですね、「歩兵」ではないという点を強調するために、あたかも遠距離支援を行う「砲兵」であるかのように書かれることが多いのです。
>
>グース氏は
>「現実には向井少尉は砲兵隊の小隊長であり、野田少尉は大隊の副官※でした。 両者とも所属が違いますし、最前線で積極的に白兵戦に参加する兵科でもありません。
> 戦争ですから敵に包囲された場合などは、砲兵でも工兵でも白兵戦に参加することになりますが、基本的に砲兵隊は遠距離砲撃が仕事です。砲兵隊所属の向井少尉が予め白兵戦の予定を立てるということはまずないでしょう。」
>http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/8312/page067.html
ふと、ネットをさまよっていたら世論力TVで「歩兵砲小隊」所属の方の証言がありました。どういう部隊であるのかわかりやすいと思います。
世論力TV内戦場からの証言にある、藤岡 明義さんがそうです。
1940年応召で中国戦線の様子を証言しています
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[512]Re(2):歩兵砲小隊
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熊猫 - 05/10/8(土) 14:18 -
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引用なし
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・サイズ : 39.9KB
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・サイズ : 150.3KB
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・名前 : daitaihou02.jpg
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向井氏の部隊の九二式歩兵砲(大隊砲)というのは、砲身が短かったため命中率が悪く、発射音がすごくて鼓膜を痛める兵士が多かったと言われる代物です。
命中率の悪さを補うために、前線に出て敵を攻撃し、命を賭けて貴重な砲弾の節約に努めたのです。
満州事変ならいざ知らず、日中戦争に於いて砲兵部隊は、歩砲同線あるいは歩兵より前に進出して射撃することで命中率も上がり弾薬の節約にもつながったのです。
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[513]歩兵砲の位置づけ
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ja2047 - 05/10/9(日) 7:55 -
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引用なし
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▼とほほさん:
>ふと、ネットをさまよっていたら世論力TVで「歩兵砲小隊」所属の方の証言がありました。どういう部隊であるのかわかりやすいと思います。
>1940年応召で中国戦線の様子を証言しています。
決して後方部隊とかではなく、戦闘が第一線で行われていたことが判りますね。
歩兵砲というのは、重機関銃では対抗しきれない程度の目標を破砕するために配備されたもので、水平に発射して家屋などの遮蔽物の破壊とか、山なりに発射して対人殺傷に使うとかしたみたいです。
編成を見ると、歩兵大隊の中で機関銃中隊と同じような位置を占めているというのも、これをよく表しているのでしょう。
上に再引用した熊猫さん引用の写真にも重機関銃と同じ位置で写っています(演出かも知れませんけど)。
つまり、大隊レベルで運用を決定できるということは、中隊規模~大隊規模の戦闘で小回りを利かせて使うためのものなのですね。
私の理解では「大砲」という概念より、車輪の付いた迫撃砲というか、原始的なバズーカ砲のような「近接支援兵器」だと考えると解りやすいと思っています。
現に後継機材の九七式曲射歩兵砲は、まさに「迫撃砲」の形をしているのです。
http://202.248.141.204/yoyotoru/ijady3.html
1,042 hits
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[514]Re(1):歩兵砲の位置づけ
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とほほ - 05/10/9(日) 10:55 -
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引用なし
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▼ja2047さん:
>決して後方部隊とかではなく、戦闘が第一線で行われていたことが判りますね。
あと、積極的に民家を襲い、機材運搬用の苦力として強制徴用奴隷化し、動けなくなった苦力を虐殺したりする事が一般化していることも伺えます。南京以降日本軍の中国戦線での振舞いは、南京虐殺が前例となり、またアメリカのベトナム戦同様の泥沼化の中で、より一層残虐なものとなっていたのではないでしょうか?
太平洋戦争開戦後においての各地での残虐行為も中国戦線からの転戦部隊に顕著さが見られます。
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[516]Re(1):歩兵砲の位置づけ:歩兵砲の位置
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渡辺 - 05/10/21(金) 0:02 -
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引用なし
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・サイズ : 62.4KB
▼ja2047さん:
>決して後方部隊とかではなく、戦闘が第一線で行われていたことが判りますね。
>歩兵砲というのは、重機関銃では対抗しきれない程度の目標を破砕するために配備されたもので、水平に発射して家屋などの遮蔽物の破壊とか、山なりに発射して対人殺傷に使うとかしたみたいです。
>編成を見ると、歩兵大隊の中で機関銃中隊と同じような位置を占めているというのも、これをよく表しているのでしょう。
>上に再引用した熊猫さん引用の写真にも重機関銃と同じ位置で写っています(演出かも知れませんけど)。
宗孝社編輯部(海軍少佐・中島武閲)『来るべき次の大戦』(宗孝社、昭和8年)によれば、
「歩兵砲 は、敵の機関銃又は、戦車、歩兵砲、人馬を目標とするものである。この砲には平射砲と曲射砲との二種類があつて、それぞれ砲の威力が認められてゐる。」(『来るべき次の大戦』のうちの「来るべき次の大戦」p.9)
参考として、教育総監部『小戦例集 第一輯』(軍人会館出版部、昭和14年)、第十一(歩兵)「友軍ノ砲弾ト共ニ突入シ偉功ヲ奏セル戦例」に掲載されている図をアップいたします。
符号のうち、BiA=大隊砲、RiA=連隊砲、TK=戦車、→の中点に●印は機関銃、北西にある記号は野砲兵放列です。
BiA=大隊砲は、大隊の歩兵砲のことではないかと思います。
この図では、BiAは一緒に突撃はしていないようですが、大隊と共に行動している位置関係がわかります。機関銃と並んでいてもおかしくないですね。
砲兵は自軍の突撃を横から見る位置(南庄頭附近)にありますが、こうしないと自軍を誤爆してしまう恐れがあるからでしょう。大隊と砲兵の連絡は電話でしていたことが分かります。
解説にはこうあります。
一般ノ状況
昭和十二年十月十五日歩兵○○聯隊第一大隊ハ山西省白水村附近ノ適陣地ヲ攻撃スル為概ネ要図ノ如キ部署ヲ以テ四時[門がまえに三]庄南側地区ニ展開シ砲兵ノ突撃支援射撃ト共ニ敵陣地ニ突入シ十一時之ヲ突破セリ
(戦闘経過は省略)
教訓
(一、は省略)
二、友軍ノ砲弾ト共ニ突入スル歩兵ハ損害極メテ少ク而モ偉功ヲ奏ス
いや、「砲弾ト共ニ突入」って、これは恐ろしい。
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[521]Re:歩兵砲の位置
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ja2047 - 05/10/22(土) 7:41 -
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引用なし
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▼渡辺さん:
>参考として、教育総監部『小戦例集 第一輯』(軍人会館出版部、昭和14年)、第十一(歩兵)「友軍ノ砲弾ト共ニ突入シ偉功ヲ奏セル戦例」に掲載されている図をアップいたします。
なるほど、小戦例集に載ってるぐらいですから、代表的な小規模会戦のケースなのでしょうね。
戦線の縦深が敵陣地からで600mぐらいですから、八重洲口から日本橋三越までぐらいの距離。
あるいは、靖国神社を表から裏まで抜けるぐらいの距離なわけです。
靖国の大鳥居の下に大隊本部があって、すぐ前に歩兵砲、そのすぐ前に重機関銃。
大村益二郎像のあたりに各中隊が布陣していて、中国軍陣地は本殿裏の妙法寺のあたり。
戦闘開始からじりじりと間合いを詰めて行って、神門のあたりから本殿に向かって突撃を敢行する。
空間的にはそれぐらいの距離をイメージすればいいわけですね。 あー、たとえが「黒い」 (^^;
http://homepage2.nifty.com/aquarian/Tokyo/YasukuniMap.jpg
この布陣であれば、大隊本部の位置は敵陣から数百メートル程度のところであり、野田少尉と向井少尉は声を掛ければ届く範囲にいるのですから
「現実には向井少尉は砲兵隊の小隊長であり、野田少尉は大隊の副官※でした。 両者とも所属が違いますし、最前線で積極的に白兵戦に参加する兵科でもありません。」
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/8312/page067.html
というのは、実態とはかなり相違するわけです。
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[522]Re(2):歩兵砲の位置づけ
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ja2047 - 05/10/22(土) 7:53 -
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引用なし
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▼とほほさん:
>>決して後方部隊とかではなく、戦闘が第一線で行われていたことが判りますね。
>
>あと、積極的に民家を襲い、機材運搬用の苦力として強制徴用奴隷化し、動けなくなった苦力を虐殺したりする事が一般化していることも伺えます。南京以降日本軍の中国戦線での振舞いは、南京虐殺が前例となり、またアメリカのベトナム戦同様の泥沼化の中で、より一層残虐なものとなっていたのではないでしょうか?
岡村寧次大将資料とかを見ると、南京事件の反省から軍紀の粛正には気を使っていたはずなのですが、三笠宮のエピソードにも見られるように、相変わらずだったようですね。
ベトナムのアメリカ軍にしてもそうなわけで、民族性とか上層部の方針がどうのこうの言っても、こういう泥沼の侵略戦争をやると前線の兵士の人間性は否応なしに壊れていくのでしょうね。
1,062 hits
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[555]Re(1):Re:歩兵砲の位置:接近戦をする大隊砲の...
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渡辺 - 05/11/5(土) 16:02 -
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引用なし
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▼ja2047さん:
>▼渡辺さん:
>>参考として、教育総監部『小戦例集 第一輯』(軍人会館出版部、昭和14年)、第十一(歩兵)「友軍ノ砲弾ト共ニ突入シ偉功ヲ奏セル戦例」に掲載されている図をアップいたします。
>
>なるほど、小戦例集に載ってるぐらいですから、代表的な小規模会戦のケースなのでしょうね。
代表的ということではなく、失敗例を含めて教訓になる戦例が掲載されています。陸軍習志野学校の毒ガス戦例証集とほぼ同じ書き方ですね。
>戦線の縦深が敵陣地からで600mぐらいですから、八重洲口から日本橋三越までぐらいの距離。
かえって分からなくなりまする(^^;
今回は、大隊砲・連隊砲と砲兵の関係を示した上海戦の戦例を掲載いたします。
軽徒橋を明け方に河岸に用意し、突撃とともに軽徒橋を掛けて進出するというものです。
「3. 第四小隊ハ友軍前岸ニ進出スルャ機ヲ失セズ折畳舟ヲ走馬塘ニ推進聯、大隊砲ヲ渡河セシム」とありますので、連隊砲と大隊砲が渡河したことがわかります。
なお、「機ヲ失セズ折畳舟ヲ走馬塘ニ推進聯、大隊砲ヲ」は、「機ヲ失セズ折畳舟ヲ走馬塘ニ推進、聯・大隊砲ヲ」の意味であると思います。
後方のTにHのタイガーズのマークのような記号が砲兵、YにHが連隊砲、大隊砲になると思います。砲兵の援護射撃で渡河し、目の前の敵めがけて撃つという状況のようです。
以下、小戦例集 第二輯』より:
---
第二輯 第三十九(工兵)
中隊長ノ的確ナル指揮二依り「クリーク」ノ強行渡河作業二成功セル戦例
一般ノ状況
一、第○○師団ハ張家楼下宅、陳宅及朱宅ノ線ニ在リシ敵陣地ヲ突破シテ蘇州河ニ向ヒ迫撃中昭和十二年十月下
旬走馬塘「クリーク」南岸ニ堅固ナル敵陣地アルヲ知リ二十五日之ヲ渡河攻撃スルニ決ス
二、右翼隊長ハ歩兵第○○聯隊ヲ第一線トシ走馬塘「クリーク」ヲ渡河シテ当面ノ敵陣地ヲ突破セシム
三、工兵第○○聯隊第二中隊ハ前記歩兵聯隊ノ渡河ニ協同ヲ命ゼラレ先ヅ歩兵第三大隊ノ強行渡河作業ニ任ズ
攻 撃 準 備
一、 工兵第二中隊長ハ十月二十四日十六時頃施宅ニ於テ歩兵第三大隊長ト協定シタル後同日十七時左記要旨ノ命令ヲ下伊シ準備作業ニ著手ス
第一小隊長ハ部下一分隊ヲ率ヰ右第一線中隊ト連絡シ敵情、地形就中「クリーク」ノ状況偵察
第二小隊長ハ速カニ施宅北側ニ兵力集結爾後ノ行動準備
第三小隊長ハ部下一分隊ヲ率ヰ左第一線中隊ト連絡シ敵情、地形就中「クリーク」ノ状況偵察
第四小隊長ハ第一、第三小隊ノ各三分隊ヲ併セ指揮シ左記材料ヲ受領シ施宅北側ニ集積スルト共ニ軽渡河
材料四十米分宛第一乃至第三小隊ニ配当
軽渡河材料百四十米分、折畳舟二、土嚢三千五百、手投爆薬二百、綱具数十條
二、二十時歩兵第九、第十、第十一中隊長ト大隊本部ニ会同シ工兵中隊長ハ左ノ如ク紬部ヲ協定ス
歩兵中隊ハ各ゝ 近迫作業ニ依り「クリーク」北岸ニ突撃陣地ヲ構成シ工兵中隊ハ軽徒橋ヲ準備シタル後歩兵
ノ端末作業ニ協力ス其ノ他ハ要図ノ如シ
三、渡河作業計画ノ大要
中隊ハ右翼隊ニ協同シ施宅南方走馬塘「クリーク」ニ先ヅ軽徒橋ヲ強行架設シテ歩兵ノ第一線陣地突破ヲ容易ナラシムルト共ニ機ヲ失ゼズ折畳舟ニ依リ歩兵ノ重火器ヲ渡河セシム
計画ノ細部ハ左ノ如シ(要図参照)
<このに要図がくる>
1. 各小隊ハ払暁迄ニ軽徒橋ヲ河岸近クニ推進ス
2. 戦車ノ急襲攻撃及発煙ト共ニ一斉ニ軽徒橋ヲ架設ス
3. 第四小隊ハ友軍前岸ニ進出スルャ機ヲ失セズ折畳舟ヲ走馬塘ニ推進聯、大隊砲ヲ渡河セシム
4. 右翼隊攻撃開始ノ時期ヲ二十五日十五時ト決定セラル依ツテ諸準備完了ハ遅クモ十四時三十分ト予定ス
四、敵ハ照明弾、迫撃砲ヲ混ヘ準備作業ヲ妨害シツツアリ
第三小隊正面ハ端末作業予期以上ニ進捗シ四時施宅ヨリ約百八十米掘進着々河岸ニ近迫ス
第一小隊正面ハ右前方部落附近ヨリスル敵ノ妨害激シク左正面ニ比シ作業梢ゝ遅帯ス
此ノ頃敵ハ西方ヨリ逐次大隊正面ニ移動シツツアリ
五、黎明時各小隊ハ朝霧ヲ利用シ軽徒橋ヲ逐次前線ニ推進ス
六時三十分中隊長ハ第一小隊正面ノ渡河準備遅帯センコトヲ慮リ第四小隊ヲシテ之ガ作業ヲ援助セシム
六、十一時第三小隊元面ノ渡河準備完了セントシ第ニ小隊正面之ニ次グ
当時第一小隊正面ハ走馬塘「クリーク」北側約五十米ノ地敷ニ於テ堆土ニ阻害セラレ加之土質堅硬端末作業
意ノ如ク進捗セズ
中隊長ハ第一小隊ノ状況ニ拘ラズ機定ノ如ク架設ヲ決行スルニ決ス
攻 撃 実 施
一、砲兵ノ攻撃準備射撃並ニ突撃支援射撃ニ引続キ十五時戦車大隊走馬塘北岸ニ進出射撃ヲ開始ス
ニ、十五時五分各小隊ハ煙幕ニ乗ジ一斉ニ強行前身シ十五時十分頃相前後シテ予定ノ如ク軽徒橋六條ノ架設ヲ完
了シ歩兵大隊ハ一挙ニ敵陣地ヲ突破シ陳家梅園、朱家梅園ノ線二進出セリ
教 訓
一、敵前作業ト雖モ指揮官ノ指坪的確ニシテ歩、工協定及作券準備綿密且実施果敢ナルトキハ克ク作業ノ必成ヲ
機シ得ルモノトス
二、近迫作案ヲ熱心ニ実行スルトキハ損害僅少ナリ
1,127 hits
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[556]Re(2):Re:歩兵砲の位置:接近戦をする大隊砲の...
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渡辺 - 05/11/5(土) 16:05 -
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引用なし
パスワード
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~添付ファイル~
・名前 : Syousen2.jpg
・サイズ : 80.1KB
いかん、画像が付いていなかった(^^;
プレビューすると、画像のurlの欄がクリアーされるのね...
>以下、小戦例集 第二輯』より:
>---
>第二輯 第三十九(工兵)
1,056 hits
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http://www21.atwiki.jp/tohohopeacewalk/pages/148.html
http://pipponan.fc2web.com/gazokensyo_1/ga-443.htm
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[443]第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る ピッポ 05/9/15(木) 21:30
[444]Re(1):第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る msq 05/9/15(木) 23:15
[445]Re(2):第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る ピッポ 05/9/16(金) 0:48
[446]Re(3):第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る ja2047 05/9/16(金) 6:40
[447]Re(4):第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る ピッポ 05/9/16(金) 9:08
[450]Re(5):第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る ja2047 05/9/17(土) 8:57
[452]Re(6):第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る ピッポ 05/9/17(土) 12:51
[449]わはは、いかん、やっちゃった 訂正 ja2047 05/9/17(土) 8:02
[511]Re(1):歩兵砲小隊 とほほ 05/10/7(金) 22:28
[512]Re(2):歩兵砲小隊 熊猫 05/10/8(土) 14:18
[513]歩兵砲の位置づけ ja2047 05/10/9(日) 7:55
[514]Re(1):歩兵砲の位置づけ とほほ 05/10/9(日) 10:55
[522]Re(2):歩兵砲の位置づけ ja2047 05/10/22(土) 7:53
[516]Re(1):歩兵砲の位置づけ:歩兵砲の位置 渡辺 05/10/21(金) 0:02
[521]Re:歩兵砲の位置 ja2047 05/10/22(土) 7:41
[555]Re(1):Re:歩兵砲の位置:接近戦をする大隊砲の... 渡辺 05/11/5(土) 16:02
[556]Re(2):Re:歩兵砲の位置:接近戦をする大隊砲の... 渡辺 05/11/5(土) 16:05
[448]もしかしなくても有名な写真です。 熊猫 05/9/17(土) 1:01
[453]Re(1):もしかしなくても有名な写真です。 ピッポ 05/9/17(土) 13:28
[456]残念ながら無錫はありませんが・・・・・・ 熊猫 05/9/18(日) 23:04
[458]Re(1):残念ながら無錫はありませんが・・・・・・ ピッポ 05/9/19(月) 11:07
[459]Re(2):地図 ピッポ 05/9/19(月) 11:18
[461]Re(2):残念ながら無錫はありませんが・・・・・・ 熊猫 05/9/19(月) 23:32
[464]Re(3):残念ながら無錫はありませんが・・・・・・ ピッポ 05/9/20(火) 9:37
[465]手頃な地図がありました。 熊猫 05/9/20(火) 22:14
[466]Re(1):手頃な地図がありました。 ピッポ 05/9/21(水) 1:16
[457]Re(1):向井少尉の直属の部下であった田中金平の... ピッポ 05/9/19(月) 10:10
[460]Re(1):HyperText版:百人斬り判決全文 公開の... ピッポ 05/9/19(月) 18:18
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[443]第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る
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ピッポ - 05/9/15(木) 21:30 -
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~添付ファイル~
・名前 : 1203-16shi-9ren-for-nankin.gif
・サイズ : 69.4KB
「12月3日、日本軍第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る」?
この写真は、中国(台湾)のサイトにあって、
http://bbs.jxnews.com.cn/showthread.php?t=47698
12月3日,日?16??9??沿?路?逼南京
とキャプションのあるものです。
実はこれ、けっこう正確なキャプションです。
「百人斬り裁判」判決文に、向井少尉の率いる歩兵砲小隊の兵士の戦闘記録が引用されていますが、それともピッタリあっています。
第16師団(中島中将)第9連隊(片桐大佐)第3大隊(冨山少佐)歩兵砲小隊(向井少尉)
12月1日-3日 丹陽附近の戦斗
無錫駅を出て 鉄路沿いに人力搬送で急進する。
もしかすると有名な写真ですか?
ご存知の方教えてください。
東京地裁判決文より
=========
ウ 冨山大隊の動向について,同大隊の第三歩兵砲小隊に所属し,向井少尉の直属の部下であった田中金平は,「我が戦塵の懐古録」に「第三歩兵砲小隊は斯く戦う」を寄稿し,その中で,以下のとおり記載している(丁13)。
「 連隊長片桐大佐
大隊長冨山少佐
小隊長向井少尉
(中略)
11月21日-26日 無錫附近の戦斗に参加
常熟よりクリークを利用して 大発にて進む。敵の迎撃を受け展開。人力で舟を曳行前進する。射撃開始直後 第一分隊砲側に迫撃砲弾炸裂し 砲は破損分隊長山田金治郎伍長,四番砲手山添銀治郎上等兵,五番砲手橋本徳太郎上等兵 戦死。爾後南京入城まで第二分隊の砲一門で戦う。
11月27日-30日 常州附近の戦斗
12月1日-3日 丹陽附近の戦斗
無錫駅を出て 鉄路沿いに人力搬送で急進する。
12月4日 句容附近の戦斗
丹陽を占領して 初めて予備隊となり 旅団長の指揮する草場挺身隊に編入され 句容より左第一線を 湯水鎮西方より南京に向い迂回前進する。
12月6日 湯水鎮附近の戦斗
至る所に 要害堅固なトーチカ陣地があり,湯水鎮前面の戦斗に於て師団長自ら野砲を指揮し 負傷されたとか 吾が前面にも各所にトーチカ陣地が張り回らされていたが 吾々の目的は南京に向って錐揉み突入するにあり,冨山大隊長も 強い所は避けて通るのが戦法と 迂回して進む。お陰で犠牲は少ないものの 道程は三倍以上ともなり吾々砲部隊の苦労は並大抵のものではなく 徴発使役した水牛が 分解した砲や弾丸を 脊にしばってよく急坂難路を登り 大いに助かった。
紫金山山頂より 馬群高地正面へ展開する。
12月9日-12日 紫金山附近の戦斗。
馬群警官学校前台地に陣地侵入し,鉄条網で幾重にも守られた トーチカ陣地の台地に突入せんとする小銃部隊の支援射撃に砲門を開く。後方一千米の道路上に展開した野砲四十八門の一勢斉射と 敵の大口経砲の反撃は 将に壮絶。この間 紫金山山頂より掃射と敵台地よりの十字砲火に五番砲手 安福三郎上等兵 腹部貫通銃創にて戦死。警官学校台地の陥落により前進,忠霊廟 五重の塔と陣地を進め 夜に入り林森邸 の陣地攻撃 壮絶の夜戦に谷口重蔵一等兵戦死す。
12月13日 南京城内の掃蕩戦
中山門より砲兵営,玄武湖 玄武門へと掃蕩 引続き城外掃蕩
12月15日 南京入城式 」
=====
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[444]Re(1):第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る
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msq - 05/9/15(木) 23:15 -
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引用なし
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最近はメールありがとうございました。
>もしかすると有名な写真ですか?
裁判記録との関連の詳しいことは、別にして、よく見かける写真ですね。
説明文は、日本の漢字で置き換えると、「12月3日、日軍16師団9聯隊沿鉄路進逼南京。」でしょうか。
「十二月三日、日軍第十六師団第九聯体沿著常州和丹陽之間的鉄路向南京逼近。」これは同じ写真の史詠ほか著『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』の説明文です。
「血鋳中華( http://cyc6.cycnet.com:8090/xuezhu/his_photos/content.jsp?n_id=7369 )」や
「永不忘却( http://neverforget.sina.com.cn/f/p/2005-03-29/1105236.html )」のページにも出ています。
「毎日フォトバンク( http://photobank.mainichi.co.jp/ )」で「日中戦争*南京*鉄道*丹陽」のキーワードで検索すると「写真ID No. 00101159 」がたぶん同じ写真です。「1937年12月03日撮影 / 丹陽駅付近を線路沿いに南京へ進む日本軍 / 日中戦争。南京攻略。線路はあっても列車がなく歩くしかなかった。/撮影場所 丹陽」より広い範囲が写っています。
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[445]Re(2):第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る
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ピッポ - 05/9/16(金) 0:48 -
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・名前 : m-photobank.jpg
・サイズ : 43.0KB
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・名前 : suiro.jpg
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▼msqさん:
さすが! すぐに解答をいただきました。
>「毎日フォトバンク( http://photobank.mainichi.co.jp/ )」で「日中戦争*南京*鉄道*丹陽」のキーワードで検索すると「写真ID No. 00101159 」がたぶん同じ写真です。「1937年12月03日撮影 / 丹陽駅付近を線路沿いに南京へ進む日本軍 / 日中戦争。南京攻略。線路はあっても列車がなく歩くしかなかった。/撮影場所 丹陽」より広い範囲が写っています。
キャプションが割としっかりしているものが画報系というわけですね。
上左に、検索結果を貼っておきました。フォトバンクで検索するという手段を知って嬉しいです。
>「十二月三日、日軍第十六師団第九聯体沿著常州和丹陽之間的鉄路向南京逼近。」これは同じ写真の史詠ほか著『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』の説明文です。
>「血鋳中華( http://cyc6.cycnet.com:8090/xuezhu/his_photos/content.jsp?n_id=7369 )」や
>「永不忘却( http://neverforget.sina.com.cn/f/p/2005-03-29/1105236.html )」のページにも出ています。
中国側も当時、日本の「画報」をしっかり収集していた。チャン女史はそれを再発掘した。あまりきちんと考証せずに発表した、というわけですね。
msqさん ありがとう御座いました。
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ところで、向井少尉が小隊長をしていた「歩兵砲小隊」。
この小隊の「砲」とはどのようなものだったでしょうか?
「砲兵大隊」の砲とはどう違うのでしょうか?
ヒントは、先の田中金平手記です
11月21日-26日 無錫附近の戦斗に参加
常熟よりクリークを利用して 大発にて進む。敵の迎撃を受け展開。人力で舟を曳行前進する。射撃開始直後 第一分隊砲側に迫撃砲弾炸裂し 砲は破損分隊長山田金治郎伍長,四番砲手山添銀治郎上等兵,五番砲手橋本徳太郎上等兵 戦死。爾後南京入城まで第二分隊の砲一門で戦う。
これから分かることは、
1、小隊の装備は、砲2門で、2分隊が対応していた
2、砲は船に乗せ水路(上右のような)を曳航していた
3、砲がなくなった1分隊は何をしていたのか
すいません、兵器ご専門の方、
お答えをお待ちします。
「向井少尉の仕事」をイメージしたいのです。
745 hits
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[446]Re(3):第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る
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ja2047 - 05/9/16(金) 6:40 -
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引用なし
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▼ピッポさん:
>ところで、向井少尉が小隊長をしていた「歩兵砲小隊」。
>この小隊の「砲」とはどのようなものだったでしょうか?
>「砲兵大隊」の砲とはどう違うのでしょうか?
>
>「向井少尉の仕事」をイメージしたいのです。
向井小隊の編成上に占める位置については、K-Kさんのところに16師団の編成表がありますね。
歩兵大隊ごとに砲兵小隊が配置されているので、この小隊の扱う砲を「大隊砲」と呼びます。
たとえば、
http://sus3041.web.infoseek.co.jp/contents/gun_db/t92_70ig.htm
http://www.horae.dti.ne.jp/~fuwe1a/newpage59.html
などがそうです、編成も機材も時期によって違いますので、間違いなく南京戦闘時の写真であるものを探しておきます。
なお、「歩兵操典」を見ると、こんなことが書いてあるのですね。(これは昭和15年のですが)
「歩兵操典
第四篇 歩兵砲教練通則
第341 歩兵砲は常に犠牲的精神を発揮して第一線に活躍し、歩兵戦闘の機微に投じて火力を発揚し、戦闘の要求を遺憾なく充足するを要す。状況之を要すれば、自ら突撃を敢行するの概なかるべからず 」
http://www.warbirds.jp/sudo/infantry/i6_00.htm
向井小隊の任務として、「常に第一線にあって、情況に応じて突撃を敢行する」というのも含まれているわけで、ここが長距離射撃を担当する「砲兵」との大きな違いであるのです。
http://www.warbirds.jp/sudo/houhei/houhei_index.htm
757 hits
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[447]Re(4):第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る
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ピッポ - 05/9/16(金) 9:08 -
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引用なし
パスワード
▼ja2047さん:
あさはやく、お答えありがとうございます。
>向井小隊の編成上に占める位置については、K-Kさんのところに16師団の編成表がありますね。
>歩兵大隊ごとに砲兵小隊が配置されているので、この小隊の扱う砲を「大隊砲」と呼びます。
>たとえば、
>http://sus3041.web.infoseek.co.jp/contents/gun_db/t92_70ig.htm
>http://www.horae.dti.ne.jp/~fuwe1a/newpage59.html
>などがそうです、編成も機材も時期によって違いますので、間違いなく南京戦闘時の写真であるものを探しておきます。
この程度のもの2門で一小隊ですか。小隊が何人かもわからないのですが。大変ですね、戦争って。弾丸も重かったのでしょうね。
>なお、「歩兵操典」を見ると、こんなことが書いてあるのですね。(これは昭和15年のですが)
>「歩兵操典
>第四篇 歩兵砲教練通則
>第341 歩兵砲は常に犠牲的精神を発揮して第一線に活躍し、歩兵戦闘の機微に投じて火力を発揚し、戦闘の要求を遺憾なく充足するを要す。状況之を要すれば、自ら突撃を敢行するの概なかるべからず 」
>http://www.warbirds.jp/sudo/infantry/i6_00.htm
砲を失った1分隊は、
「状況之を要すれば、自ら突撃を敢行するの概なかるべからず 」
状態であったと考えてもおかしくないのですね。
>向井小隊の任務として、「常に第一線にあって、情況に応じて突撃を敢行する」というのも含まれているわけで、ここが長距離射撃を担当する「砲兵」との大きな違いであるのです。
>http://www.warbirds.jp/sudo/houhei/houhei_index.htm
「砲兵」と「砲」との違いなど、お時間があるときにゆっくりご教授ください。
=====
いずれにしても、
砲兵小隊長だから突撃現場にいるわけがない、
という固定的なイメージは、危ういということがわかりました。
地裁判決文は、両少尉の南京裁判での「弁明」(いろいろとあるようですが)を殆ど信用していないようでね。あまりそれに触れたくない、という死者に対する「心情」から、その点に関しては表現がとてもあっさりしてますけど。
765 hits
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[448]もしかしなくても有名な写真です。
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熊猫 - 05/9/17(土) 1:01 -
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引用なし
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~添付ファイル~
・名前 : katagiri.jpg
・サイズ : 181.8KB
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~添付ファイル~
・名前 : tan.JPG
・サイズ : 103.9KB
左側に提示した画像は、『一億人の昭和史 日本の戦史 3日中戦争1』の244pよりスキャニングしたものです。キャンプションは下記の内容となっています。
12月2日第16師団が丹陽を占領 日本軍は京滬線300キロ余の三分の二を掌握し一路南京へ線路はあっても列車がなく ただ歩くだけ 前方に丹陽駅を望んで進む片桐部隊(3日)
右はオマケの地図です。
中国のサイトではこの写真がよく使われますね、何故か他の写真は使われていません。
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[449]わはは、いかん、やっちゃった 訂正
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ja2047 - 05/9/17(土) 8:02 -
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引用なし
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>歩兵大隊ごとに砲兵小隊が配置されているので、この小隊の扱う砲を「大隊砲」と呼びます。
>たとえば、
>http://sus3041.web.infoseek.co.jp/contents/gun_db/t92_70ig.htm
>http://www.horae.dti.ne.jp/~fuwe1a/newpage59.html
>などがそうです、
「歩兵大隊ごとに砲兵小隊が配置されているので」
と、書いてしまいましたが、正確には「歩兵砲小隊」です。
「砲兵」ではなくて、「歩兵」のうちの「歩兵砲」担当の部隊なのですね。
かつて阿羅健一氏が「『南京戦・元兵士102人の証言』のデタラメさ『正論』平成14(2002)年11月号」に
「歩兵33連隊の兵士が『わしら砲兵』というのはおかしい」と、書いていましたが、正確に言えばそのとおり、「歩兵砲小隊」は「砲兵」ではありません。
そう言い慣わされることが多いというだけです。
早い話、この歩兵砲小隊を「百人斬り」がらみになるとみな平気で「砲兵」にしちゃうのですね、「歩兵」ではないという点を強調するために、あたかも遠距離支援を行う「砲兵」であるかのように書かれることが多いのです。
グース氏は
「現実には向井少尉は砲兵隊の小隊長であり、野田少尉は大隊の副官※でした。 両者とも所属が違いますし、最前線で積極的に白兵戦に参加する兵科でもありません。
戦争ですから敵に包囲された場合などは、砲兵でも工兵でも白兵戦に参加することになりますが、基本的に砲兵隊は遠距離砲撃が仕事です。砲兵隊所属の向井少尉が予め白兵戦の予定を立てるということはまずないでしょう。」
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/8312/page067.html
松尾一郎氏は
「向井少尉にしても砲兵隊の小隊長である彼は歩兵砲の指揮を行わなければいけない立場である。距離いくら「撃てー」等といった命令を行わなければならないような立場の者がどうやって白兵戦を行ったのであろうか? 通常の戦闘では、敵兵に接近する事はほとんどない。」
http://www.geocities.jp/nanking1937_matsuo/nanking/
と、書いていますね。
繰り返し訂正いたします
「砲兵」は間違いです。「歩兵砲小隊」の小隊長であり、歩兵連隊の所属です <(_ _)>
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[450]Re(5):第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る
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ja2047 - 05/9/17(土) 8:57 -
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引用なし
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・名前 : type92 infantry.jpg
・サイズ : 87.8KB
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~添付ファイル~
・名前 : type92 infantry2.jpg
・サイズ : 107.7KB
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~添付ファイル~
・名前 : type4 howitzer.jpg
・サイズ : 74.0KB
上左、1937年7月29日(?)天津での市街戦に使用される歩兵砲、砲の大きさと、歩兵部隊との位置関係に注意。兵士は通常の歩兵の戦闘装備に近い姿をしている。
上中、1937年12月、磨磐山系を越える第九師団、歩兵砲を分解して人力で運んでいる
上右、滄州攻撃の野戦重砲兵第十連隊の15糎榴弾砲。兵士は戦闘装備ではなく、いわば作業中の姿である。
▼ピッポさん:
>ja2047さん:
>あさはやく、お答えありがとうございます。
いえ、朝は至って元気な方で (^^
>この程度のもの2門で一小隊ですか。小隊が何人かもわからないのですが。大変ですね、戦争って。弾丸も重かったのでしょうね。
上に実際の運用写真を挙げました。この写真では一門に8人付いています。
なにやらビール缶のようなものが転がってますが、薬莢でしょうね。
現存の歩兵砲と砲兵が運用する砲の写真を引用しておきます。
中国に残る九二式歩兵砲、木製スポーク車輪が初期型、鋼板プレス車輪が後期型だそうです。
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/heiki6/manei/manei.html
砲兵の用いる各種の砲の一例、十五糎榴弾砲(実際は南京戦翌年の制式採用)
靖国神社の展示に見るとおり、相当大きなものです。
http://sus3041.web.infoseek.co.jp/contents/gun_db/t96_15cm.htm
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[452]Re(6):第16師団第9連隊が鉄路沿いに南京に迫る
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ピッポ - 05/9/17(土) 12:51 -
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引用なし
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▼ja2047さん:
>上左、1937年7月29日(?)天津での市街戦に使用される歩兵砲、砲の大きさと、歩兵部隊との位置関係に注意。兵士は通常の歩兵の戦闘装備に近い姿をしている。
>この写真では一門に8人付いています。
>なにやらビール缶のようなものが転がってますが、薬莢でしょうね。
立っているのが分隊長(下士官)でしょうか? 伏せてはいけないのですから、命知らずでしたね。 この8人のほかに弾薬の供給をする兵隊がやや後方にいたのでしょうね。
すると、1分隊が約15名として、2分隊で30名、加えて小隊長付き、通信業務、観測業務があったから、約10名として、小隊全体は40名くらい? 普通の歩兵小隊の半分くらいですか?
K-Kさんの第16師団編成表をみますと、
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/sougou/sosikizu/houmengun.jpg
向井少尉の「大隊付き」「歩兵砲小隊」とは別に「連隊砲中隊」というのも在ったのですね。そうして、師団には「野砲兵22連隊」というのがありますね。この連隊というのが「砲兵」にあたると考えて良いのですね?
>上中、1937年12月、磨磐山系を越える第九師団、歩兵砲を分解して人力で運んでいる
>上右、滄州攻撃の野戦重砲兵第十連隊の15糎榴弾砲。兵士は戦闘装備ではなく、いわば作業中の姿である。
「歩兵砲」と「砲兵砲」の違いが良く分かりました。
>現存の歩兵砲と砲兵が運用する砲の写真を引用しておきます。
>
>中国に残る九二式歩兵砲、木製スポーク車輪が初期型、鋼板プレス車輪が後期型だそうです。
>http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/heiki6/manei/manei.html
この「あやしい探検隊」はウヨクですが面白いです。
中国の現在の現場という新しい発見と、思い込みや虚偽がない交ぜです(笑い)。
>砲兵の用いる各種の砲の一例、十五糎榴弾砲(実際は南京戦翌年の制式採用)
>靖国神社の展示に見るとおり、相当大きなものです。
>http://sus3041.web.infoseek.co.jp/contents/gun_db/t96_15cm.htm</p>
===========
なお、東京地裁判決にみる、東京日日新聞記事関係は
公式公開はまだですが、私のサイトにUPしました。
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/nichinichi.htm
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[453]Re(1):もしかしなくても有名な写真です。
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ピッポ - 05/9/17(土) 13:28 -
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▼熊猫さん:
いつもありがとう御座います。
>左側に提示した画像は、『一億人の昭和史 日本の戦史 3日中戦争1』の244pよりスキャニングしたものです。キャンプションは下記の内容となっています。
ありがとうございます。
12月2日第16師団が丹陽を占領 日本軍は京滬線300キロ余の三分の二を掌握し一路南京へ線路はあっても列車がなく ただ歩くだけ 前方に丹陽駅を望んで進む片桐部隊(3日)
12月2日と3日の関係が、当時の日日記事と若干整合しませんが、
「片桐部隊(第9連隊)」とより情報が絞られていますね。
『一億人の昭和史』(シリーズの中には「不許可写真」もある)は昭和50年毎日新聞社刊だそうですから、佐藤振動壽カメラマンも当然編集に関与してたでしょうね。そうした情報からすると、毎日(日日)は第16師団の片桐部隊にEmbedしていたみたいですね(推測)。
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/nichinichi.htm
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/nich-mai-hikaku.htm
>右はオマケの地図です。
熊猫さん、大変わかりやすい地図ですね。右側が途中で切れているように見えるのですが、
無錫⇒常州⇒丹陽
もあるのですか?
もし在れば、日日報道を読み解く、良い史料になりますね。
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[456]残念ながら無錫はありませんが・・・・・・
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熊猫 - 05/9/18(日) 23:04 -
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引用なし
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~添付ファイル~
・名前 : tan01.jpg
・サイズ : 275.4KB
前回の地図は、『支那事變画報 第十二輯』(毎日版)よりスキャニングしました。残念ながら、右端は常州からですので無錫はありません。
今回は、昭和十二年十二月二日の『大阪朝日新聞』をスキャニングしました。杭州湾から蕪湖、そして南は杭州まであります。
ピッポさんが使いやすいように、都市名に印をつけていません。
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[457]Re(1):向井少尉の直属の部下であった田中金平の...
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ピッポ - 05/9/19(月) 10:10 -
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(リンクエラー訂正して再投稿)
>「百人斬り裁判」判決文に、向井少尉の率いる歩兵砲小隊の兵士の戦闘記録が引用されていますが、それともピッタリあっています。
>
>東京地裁判決文より
>=========
>ウ 冨山大隊の動向について,同大隊の第三歩兵砲小隊に所属し,向井少尉の直属の部下であった田中金平は,「我が戦塵の懐古録」に「第三歩兵砲小隊は斯く戦う」を寄稿し,その中で,以下のとおり記載している(丁13)。
判決文のなかのこの個所は、
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/hanketsu-3.htm#3-2-1-u
部分を抜き出したものは
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/partation/p-016.htm
なお、この文書は、
向井少尉が丹陽にて砲撃戦中に負傷して,離隊し,以後は戦線にいなかったという原告側張、(=南京裁判での弁明でもある)
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/hanketsu-2.htm#2-4-2-ge-ka-a
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/hanketsu-3.htm#3-2-1-sa-i
これへの反証ともなったものです。
つまり、兵や下士官の戦死や負傷を記録した文書に、なぜ、部隊長の負傷=離隊という大事件が記載されていないのか? 後任指揮官は誰か、そうした記述すらなく、南京入場式にまで至っています。
被告側反証
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/hanketsu-2.htm#2-4-2-a-e-u
裁判所判断
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/hanketsu-4.htm#3-2-4-u-a-a
その中の、向井少尉の負傷アリバイについての部分だけを引用すると
もっとも,原告らは,向井少尉が丹陽の戦闘で負傷し,救護班に収容されて前線を離れ,紫金山の戦闘に参加することができなかったと主張し,南京軍事裁判における両少尉の弁明書面や南京軍事裁判における冨山大隊長の証明書にも同旨の記載がある。しかしながら,前記認定事実によれば,両少尉の弁明書面や冨山大隊長の証明書は,いずれも南京軍事裁判になって初めて提出されたものであり,この点に関して南京戦当時に作成された客観的な証拠は提出されていないこと,向井少尉が丹陽の戦闘で負傷し,雛隊しているのであれば,向井少尉直属の部下であった田中金平の行軍記録に当然その旨の記載があるはずであるにもかかわらず,そのような記載が見当たらないこと,犬飼総一郎の手記には,向井少尉の負傷の話を聞いた旨の記載がなされているものの,その具体的な内容は定かではないことなどに照らすと,向井少尉が丹陽の戦闘で負傷して前線を離れ,紫金山の戦闘に参加することができなかったとの主張事実を認めるに足りないというべきである。
つまり、この田中金平手記は「百人斬り競走」報道が、「どこをどのように見ても虚偽である」という原告主張を切り崩す重要な役割を果たしたようです。
「向井少尉は負傷して現場にはいなかった」
⇒「どうやら苦し紛れのアリバイだったようだ。部下の克明な戦闘負傷者記録にない」
=========
まだ未公開ですが、判決文については、
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/kousei.htm
みなさん、おかしなところがあったら、ご忠告願います。
=====================
tohohoさん
URLに半角の()を使うと事故が起こるのですね。
リンク元を直しました。
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/hanketsu-3.htm#3-2-(1)-u
↓
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/hanketsu-3.htm#3-2-1-u
というか、ブラウザは半角の()をURLとしては読まずに、読み飛ばしてしまうんですね(笑)。
740 hits
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[458]Re(1):残念ながら無錫はありませんが・・・・・・
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ピッポ - 05/9/19(月) 11:07 -
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引用なし
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▼熊猫さん:
>今回は、昭和十二年十二月二日の『大阪朝日新聞』をスキャニングしました。杭州湾から蕪湖、そして南は杭州まであります。
>ピッポさんが使いやすいように、都市名に印をつけていません。
ありがとうございました。
さっそく・・・
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/map-tanyo.jpg
拝借して・・・
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/nichinichi.htm
掲示板で熊猫さんから地図を教えていただきました。昭和十二年十二月二日の『大阪朝日新聞』からだそうです。無錫からですが、記事に載っている地名をマークしてみましたのでお使いください。なお「麒麟門」は記事にはありませんが、野田少尉の南京裁判での弁明にある地名です。記者と最後に会ったのは紫金山ではなく麒麟門東方だったという弁明です。
ところで、麒麟門というのは南京市城の門かと思っていましたが、だいぶ郊外なのですね。こうした「郊外の門」はいくつもあるのでしょうか?
知らないと私のように、陣中日記などの意味を読み違えてしまいますね。
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[459]Re(2):地図
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ピッポ - 05/9/19(月) 11:18 -
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引用なし
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~添付ファイル~
・名前 : map-tanyo.jpg
・サイズ : 97.3KB
地名をマークした地図を
此方にもアップしておきました。
797 hits
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[460]Re(1):HyperText版:百人斬り判決全文 公開の...
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ピッポ - 05/9/19(月) 18:18 -
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引用なし
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HyperText版:百人斬り判決全文 公開のおしらせ
このスレッドにもURLを貼ってしまいましたので
みなさん、こんにちは。
inti-sol さんがデジタル化した判決文をマークアップする作業は
まだ完全ではありませんが、公開することにしました。
膨大な判決文の参照、引用を容易にするためです。
また、まちがいをご指摘いただくためにも、公開が必要だからです。
私は裁判の専門家でもありませんし、南京事件に興味をもったのも最近のことです。
そんな私が出すぎた真似ですが、
判決文そのものは、裁判官が私のような一般人にも読ませようとしたものです。
そんなわけで、皆さんのご批判をいただきながら、更新していきます。
よろしくお願いいたします。
◆南京事件143枚の写真&読める判決「百人斬り」
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/
>■http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/han/file-list.htm
♪ ピッポ 拝 ♪
===================
サイト: http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/
===================
(追伸)
※なお先にお知らせした非公開URLもしばらくは残しておきます。
ただし、こちらの更新はありません。
※ inti-sol さんかjijitu.com さんに進呈するつもりでしたが、
更新やメンテナンスのことを考えて、私が管理することにしました。
※先のメールをお知りあいに転送してくださった方は、
これを転送してくだされば幸いです。
738 hits
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[461]Re(2):残念ながら無錫はありませんが・・・・・・
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熊猫 - 05/9/19(月) 23:32 -
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引用なし
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~添付ファイル~
・名前 : nan.jpg
・サイズ : 159.5KB
>ところで、麒麟門というのは南京市城の門かと思っていましたが、だいぶ郊外なのですね。こうした「郊外の門」はいくつもあるのでしょうか?
上元門、観音門、仙鶴門、麒麟門、高橋門、安徳門、江東門は地名として残っていますのでご存知だと思いますが、18の城門があったそうです。
南京城といえば通常は内側の城壁のことをいいますが、昔は内城と外城の二重になっていたそうです。外側の門は簡素なものだったのではないかと思います。
865 hits
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[464]Re(3):残念ながら無錫はありませんが・・・・・・
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ピッポ - 05/9/20(火) 9:37 -
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引用なし
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▼熊猫さん:
熊猫さん、おはよう御座います。
>上元門、観音門、仙鶴門、麒麟門、高橋門、安徳門、江東門は地名として残っていますのでご存知だと思いますが、18の城門があったそうです。
いやあ、わからないですよ。ふつーの人には。
東中野本には、城門の呼び名の詳しい表がありますが、外城のことは言及していませんし。
>南京城といえば通常は内側の城壁のことをいいますが、昔は内城と外城の二重になっていたそうです。外側の門は簡素なものだったのではないかと思います。
仙鶴門、麒麟門は、この範囲の右外なんですね。
出典はどちらですか?
869 hits
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[465]手頃な地図がありました。
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熊猫 - 05/9/20(火) 22:14 -
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引用なし
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~添付ファイル~
・名前 : nan01.jpg
・サイズ : 67.9KB
私もまだまだ、修行不足ですね(^^)
早く気が付けばよいものを、解りやすい地図があるのに見落としていました(^^;
今回は、印をつけていませんが昔の城門の名前と位置が判る資料を提示しました。
出典は『証言・南京大虐殺』(青木書店)の205pです。この本は必読本です!チャンスがあったら是非入手することをオススメします。
同書206pより
今日では地名のみが残されている外城は、門の数一八、長さ六〇キロにおよぶ広大なものだが、城壁そのものは内城と異なり土塁を堅牢にした程度のものだったらしい。
前回の出典は、「13のウソ」からです。
880 hits
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[466]Re(1):手頃な地図がありました。
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ピッポ - 05/9/21(水) 1:16 -
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引用なし
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熊猫さん、
取り急ぎ、ご紹介いただいた地図をファイルにしました。
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/han/maps.htm
また、以下のページでも利用しています。m&s ボタンを押して見てください。
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/han/file-list.htm
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/han/nichinichi.htm
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/han/nich-mai-hikaku.htm
本当にありがとう御座いました。
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[511]Re(1):歩兵砲小隊
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とほほ - 05/10/7(金) 22:28 -
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▼ja2047さん:
>早い話、この歩兵砲小隊を「百人斬り」がらみになるとみな平気で「砲兵」にしちゃうのですね、「歩兵」ではないという点を強調するために、あたかも遠距離支援を行う「砲兵」であるかのように書かれることが多いのです。
>
>グース氏は
>「現実には向井少尉は砲兵隊の小隊長であり、野田少尉は大隊の副官※でした。 両者とも所属が違いますし、最前線で積極的に白兵戦に参加する兵科でもありません。
> 戦争ですから敵に包囲された場合などは、砲兵でも工兵でも白兵戦に参加することになりますが、基本的に砲兵隊は遠距離砲撃が仕事です。砲兵隊所属の向井少尉が予め白兵戦の予定を立てるということはまずないでしょう。」
>http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/8312/page067.html
ふと、ネットをさまよっていたら世論力TVで「歩兵砲小隊」所属の方の証言がありました。どういう部隊であるのかわかりやすいと思います。
世論力TV内戦場からの証言にある、藤岡 明義さんがそうです。
1940年応召で中国戦線の様子を証言しています
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[512]Re(2):歩兵砲小隊
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熊猫 - 05/10/8(土) 14:18 -
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引用なし
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・名前 : daidaihou00.jpg
・サイズ : 39.9KB
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・名前 : daitaihou01.jpg
・サイズ : 150.3KB
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~添付ファイル~
・名前 : daitaihou02.jpg
・サイズ : 133.0KB
向井氏の部隊の九二式歩兵砲(大隊砲)というのは、砲身が短かったため命中率が悪く、発射音がすごくて鼓膜を痛める兵士が多かったと言われる代物です。
命中率の悪さを補うために、前線に出て敵を攻撃し、命を賭けて貴重な砲弾の節約に努めたのです。
満州事変ならいざ知らず、日中戦争に於いて砲兵部隊は、歩砲同線あるいは歩兵より前に進出して射撃することで命中率も上がり弾薬の節約にもつながったのです。
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[513]歩兵砲の位置づけ
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ja2047 - 05/10/9(日) 7:55 -
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引用なし
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▼とほほさん:
>ふと、ネットをさまよっていたら世論力TVで「歩兵砲小隊」所属の方の証言がありました。どういう部隊であるのかわかりやすいと思います。
>1940年応召で中国戦線の様子を証言しています。
決して後方部隊とかではなく、戦闘が第一線で行われていたことが判りますね。
歩兵砲というのは、重機関銃では対抗しきれない程度の目標を破砕するために配備されたもので、水平に発射して家屋などの遮蔽物の破壊とか、山なりに発射して対人殺傷に使うとかしたみたいです。
編成を見ると、歩兵大隊の中で機関銃中隊と同じような位置を占めているというのも、これをよく表しているのでしょう。
上に再引用した熊猫さん引用の写真にも重機関銃と同じ位置で写っています(演出かも知れませんけど)。
つまり、大隊レベルで運用を決定できるということは、中隊規模~大隊規模の戦闘で小回りを利かせて使うためのものなのですね。
私の理解では「大砲」という概念より、車輪の付いた迫撃砲というか、原始的なバズーカ砲のような「近接支援兵器」だと考えると解りやすいと思っています。
現に後継機材の九七式曲射歩兵砲は、まさに「迫撃砲」の形をしているのです。
http://202.248.141.204/yoyotoru/ijady3.html
1,042 hits
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[514]Re(1):歩兵砲の位置づけ
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とほほ - 05/10/9(日) 10:55 -
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引用なし
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▼ja2047さん:
>決して後方部隊とかではなく、戦闘が第一線で行われていたことが判りますね。
あと、積極的に民家を襲い、機材運搬用の苦力として強制徴用奴隷化し、動けなくなった苦力を虐殺したりする事が一般化していることも伺えます。南京以降日本軍の中国戦線での振舞いは、南京虐殺が前例となり、またアメリカのベトナム戦同様の泥沼化の中で、より一層残虐なものとなっていたのではないでしょうか?
太平洋戦争開戦後においての各地での残虐行為も中国戦線からの転戦部隊に顕著さが見られます。
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[516]Re(1):歩兵砲の位置づけ:歩兵砲の位置
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渡辺 - 05/10/21(金) 0:02 -
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引用なし
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・名前 : Syousen.jpg
・サイズ : 62.4KB
▼ja2047さん:
>決して後方部隊とかではなく、戦闘が第一線で行われていたことが判りますね。
>歩兵砲というのは、重機関銃では対抗しきれない程度の目標を破砕するために配備されたもので、水平に発射して家屋などの遮蔽物の破壊とか、山なりに発射して対人殺傷に使うとかしたみたいです。
>編成を見ると、歩兵大隊の中で機関銃中隊と同じような位置を占めているというのも、これをよく表しているのでしょう。
>上に再引用した熊猫さん引用の写真にも重機関銃と同じ位置で写っています(演出かも知れませんけど)。
宗孝社編輯部(海軍少佐・中島武閲)『来るべき次の大戦』(宗孝社、昭和8年)によれば、
「歩兵砲 は、敵の機関銃又は、戦車、歩兵砲、人馬を目標とするものである。この砲には平射砲と曲射砲との二種類があつて、それぞれ砲の威力が認められてゐる。」(『来るべき次の大戦』のうちの「来るべき次の大戦」p.9)
参考として、教育総監部『小戦例集 第一輯』(軍人会館出版部、昭和14年)、第十一(歩兵)「友軍ノ砲弾ト共ニ突入シ偉功ヲ奏セル戦例」に掲載されている図をアップいたします。
符号のうち、BiA=大隊砲、RiA=連隊砲、TK=戦車、→の中点に●印は機関銃、北西にある記号は野砲兵放列です。
BiA=大隊砲は、大隊の歩兵砲のことではないかと思います。
この図では、BiAは一緒に突撃はしていないようですが、大隊と共に行動している位置関係がわかります。機関銃と並んでいてもおかしくないですね。
砲兵は自軍の突撃を横から見る位置(南庄頭附近)にありますが、こうしないと自軍を誤爆してしまう恐れがあるからでしょう。大隊と砲兵の連絡は電話でしていたことが分かります。
解説にはこうあります。
一般ノ状況
昭和十二年十月十五日歩兵○○聯隊第一大隊ハ山西省白水村附近ノ適陣地ヲ攻撃スル為概ネ要図ノ如キ部署ヲ以テ四時[門がまえに三]庄南側地区ニ展開シ砲兵ノ突撃支援射撃ト共ニ敵陣地ニ突入シ十一時之ヲ突破セリ
(戦闘経過は省略)
教訓
(一、は省略)
二、友軍ノ砲弾ト共ニ突入スル歩兵ハ損害極メテ少ク而モ偉功ヲ奏ス
いや、「砲弾ト共ニ突入」って、これは恐ろしい。
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[521]Re:歩兵砲の位置
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ja2047 - 05/10/22(土) 7:41 -
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引用なし
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▼渡辺さん:
>参考として、教育総監部『小戦例集 第一輯』(軍人会館出版部、昭和14年)、第十一(歩兵)「友軍ノ砲弾ト共ニ突入シ偉功ヲ奏セル戦例」に掲載されている図をアップいたします。
なるほど、小戦例集に載ってるぐらいですから、代表的な小規模会戦のケースなのでしょうね。
戦線の縦深が敵陣地からで600mぐらいですから、八重洲口から日本橋三越までぐらいの距離。
あるいは、靖国神社を表から裏まで抜けるぐらいの距離なわけです。
靖国の大鳥居の下に大隊本部があって、すぐ前に歩兵砲、そのすぐ前に重機関銃。
大村益二郎像のあたりに各中隊が布陣していて、中国軍陣地は本殿裏の妙法寺のあたり。
戦闘開始からじりじりと間合いを詰めて行って、神門のあたりから本殿に向かって突撃を敢行する。
空間的にはそれぐらいの距離をイメージすればいいわけですね。 あー、たとえが「黒い」 (^^;
http://homepage2.nifty.com/aquarian/Tokyo/YasukuniMap.jpg
この布陣であれば、大隊本部の位置は敵陣から数百メートル程度のところであり、野田少尉と向井少尉は声を掛ければ届く範囲にいるのですから
「現実には向井少尉は砲兵隊の小隊長であり、野田少尉は大隊の副官※でした。 両者とも所属が違いますし、最前線で積極的に白兵戦に参加する兵科でもありません。」
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/8312/page067.html
というのは、実態とはかなり相違するわけです。
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[522]Re(2):歩兵砲の位置づけ
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ja2047 - 05/10/22(土) 7:53 -
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引用なし
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▼とほほさん:
>>決して後方部隊とかではなく、戦闘が第一線で行われていたことが判りますね。
>
>あと、積極的に民家を襲い、機材運搬用の苦力として強制徴用奴隷化し、動けなくなった苦力を虐殺したりする事が一般化していることも伺えます。南京以降日本軍の中国戦線での振舞いは、南京虐殺が前例となり、またアメリカのベトナム戦同様の泥沼化の中で、より一層残虐なものとなっていたのではないでしょうか?
岡村寧次大将資料とかを見ると、南京事件の反省から軍紀の粛正には気を使っていたはずなのですが、三笠宮のエピソードにも見られるように、相変わらずだったようですね。
ベトナムのアメリカ軍にしてもそうなわけで、民族性とか上層部の方針がどうのこうの言っても、こういう泥沼の侵略戦争をやると前線の兵士の人間性は否応なしに壊れていくのでしょうね。
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[555]Re(1):Re:歩兵砲の位置:接近戦をする大隊砲の...
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渡辺 - 05/11/5(土) 16:02 -
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引用なし
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▼ja2047さん:
>▼渡辺さん:
>>参考として、教育総監部『小戦例集 第一輯』(軍人会館出版部、昭和14年)、第十一(歩兵)「友軍ノ砲弾ト共ニ突入シ偉功ヲ奏セル戦例」に掲載されている図をアップいたします。
>
>なるほど、小戦例集に載ってるぐらいですから、代表的な小規模会戦のケースなのでしょうね。
代表的ということではなく、失敗例を含めて教訓になる戦例が掲載されています。陸軍習志野学校の毒ガス戦例証集とほぼ同じ書き方ですね。
>戦線の縦深が敵陣地からで600mぐらいですから、八重洲口から日本橋三越までぐらいの距離。
かえって分からなくなりまする(^^;
今回は、大隊砲・連隊砲と砲兵の関係を示した上海戦の戦例を掲載いたします。
軽徒橋を明け方に河岸に用意し、突撃とともに軽徒橋を掛けて進出するというものです。
「3. 第四小隊ハ友軍前岸ニ進出スルャ機ヲ失セズ折畳舟ヲ走馬塘ニ推進聯、大隊砲ヲ渡河セシム」とありますので、連隊砲と大隊砲が渡河したことがわかります。
なお、「機ヲ失セズ折畳舟ヲ走馬塘ニ推進聯、大隊砲ヲ」は、「機ヲ失セズ折畳舟ヲ走馬塘ニ推進、聯・大隊砲ヲ」の意味であると思います。
後方のTにHのタイガーズのマークのような記号が砲兵、YにHが連隊砲、大隊砲になると思います。砲兵の援護射撃で渡河し、目の前の敵めがけて撃つという状況のようです。
以下、小戦例集 第二輯』より:
---
第二輯 第三十九(工兵)
中隊長ノ的確ナル指揮二依り「クリーク」ノ強行渡河作業二成功セル戦例
一般ノ状況
一、第○○師団ハ張家楼下宅、陳宅及朱宅ノ線ニ在リシ敵陣地ヲ突破シテ蘇州河ニ向ヒ迫撃中昭和十二年十月下
旬走馬塘「クリーク」南岸ニ堅固ナル敵陣地アルヲ知リ二十五日之ヲ渡河攻撃スルニ決ス
二、右翼隊長ハ歩兵第○○聯隊ヲ第一線トシ走馬塘「クリーク」ヲ渡河シテ当面ノ敵陣地ヲ突破セシム
三、工兵第○○聯隊第二中隊ハ前記歩兵聯隊ノ渡河ニ協同ヲ命ゼラレ先ヅ歩兵第三大隊ノ強行渡河作業ニ任ズ
攻 撃 準 備
一、 工兵第二中隊長ハ十月二十四日十六時頃施宅ニ於テ歩兵第三大隊長ト協定シタル後同日十七時左記要旨ノ命令ヲ下伊シ準備作業ニ著手ス
第一小隊長ハ部下一分隊ヲ率ヰ右第一線中隊ト連絡シ敵情、地形就中「クリーク」ノ状況偵察
第二小隊長ハ速カニ施宅北側ニ兵力集結爾後ノ行動準備
第三小隊長ハ部下一分隊ヲ率ヰ左第一線中隊ト連絡シ敵情、地形就中「クリーク」ノ状況偵察
第四小隊長ハ第一、第三小隊ノ各三分隊ヲ併セ指揮シ左記材料ヲ受領シ施宅北側ニ集積スルト共ニ軽渡河
材料四十米分宛第一乃至第三小隊ニ配当
軽渡河材料百四十米分、折畳舟二、土嚢三千五百、手投爆薬二百、綱具数十條
二、二十時歩兵第九、第十、第十一中隊長ト大隊本部ニ会同シ工兵中隊長ハ左ノ如ク紬部ヲ協定ス
歩兵中隊ハ各ゝ 近迫作業ニ依り「クリーク」北岸ニ突撃陣地ヲ構成シ工兵中隊ハ軽徒橋ヲ準備シタル後歩兵
ノ端末作業ニ協力ス其ノ他ハ要図ノ如シ
三、渡河作業計画ノ大要
中隊ハ右翼隊ニ協同シ施宅南方走馬塘「クリーク」ニ先ヅ軽徒橋ヲ強行架設シテ歩兵ノ第一線陣地突破ヲ容易ナラシムルト共ニ機ヲ失ゼズ折畳舟ニ依リ歩兵ノ重火器ヲ渡河セシム
計画ノ細部ハ左ノ如シ(要図参照)
<このに要図がくる>
1. 各小隊ハ払暁迄ニ軽徒橋ヲ河岸近クニ推進ス
2. 戦車ノ急襲攻撃及発煙ト共ニ一斉ニ軽徒橋ヲ架設ス
3. 第四小隊ハ友軍前岸ニ進出スルャ機ヲ失セズ折畳舟ヲ走馬塘ニ推進聯、大隊砲ヲ渡河セシム
4. 右翼隊攻撃開始ノ時期ヲ二十五日十五時ト決定セラル依ツテ諸準備完了ハ遅クモ十四時三十分ト予定ス
四、敵ハ照明弾、迫撃砲ヲ混ヘ準備作業ヲ妨害シツツアリ
第三小隊正面ハ端末作業予期以上ニ進捗シ四時施宅ヨリ約百八十米掘進着々河岸ニ近迫ス
第一小隊正面ハ右前方部落附近ヨリスル敵ノ妨害激シク左正面ニ比シ作業梢ゝ遅帯ス
此ノ頃敵ハ西方ヨリ逐次大隊正面ニ移動シツツアリ
五、黎明時各小隊ハ朝霧ヲ利用シ軽徒橋ヲ逐次前線ニ推進ス
六時三十分中隊長ハ第一小隊正面ノ渡河準備遅帯センコトヲ慮リ第四小隊ヲシテ之ガ作業ヲ援助セシム
六、十一時第三小隊元面ノ渡河準備完了セントシ第ニ小隊正面之ニ次グ
当時第一小隊正面ハ走馬塘「クリーク」北側約五十米ノ地敷ニ於テ堆土ニ阻害セラレ加之土質堅硬端末作業
意ノ如ク進捗セズ
中隊長ハ第一小隊ノ状況ニ拘ラズ機定ノ如ク架設ヲ決行スルニ決ス
攻 撃 実 施
一、砲兵ノ攻撃準備射撃並ニ突撃支援射撃ニ引続キ十五時戦車大隊走馬塘北岸ニ進出射撃ヲ開始ス
ニ、十五時五分各小隊ハ煙幕ニ乗ジ一斉ニ強行前身シ十五時十分頃相前後シテ予定ノ如ク軽徒橋六條ノ架設ヲ完
了シ歩兵大隊ハ一挙ニ敵陣地ヲ突破シ陳家梅園、朱家梅園ノ線二進出セリ
教 訓
一、敵前作業ト雖モ指揮官ノ指坪的確ニシテ歩、工協定及作券準備綿密且実施果敢ナルトキハ克ク作業ノ必成ヲ
機シ得ルモノトス
二、近迫作案ヲ熱心ニ実行スルトキハ損害僅少ナリ
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[556]Re(2):Re:歩兵砲の位置:接近戦をする大隊砲の...
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渡辺 - 05/11/5(土) 16:05 -
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引用なし
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~添付ファイル~
・名前 : Syousen2.jpg
・サイズ : 80.1KB
いかん、画像が付いていなかった(^^;
プレビューすると、画像のurlの欄がクリアーされるのね...
>以下、小戦例集 第二輯』より:
>---
>第二輯 第三十九(工兵)
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