冬の星空に浮かぶ綺羅とした星の数々を見上げながら彼女は思い出す。

あの日も丁度こんな空の澄み渡った、冬の夜の事だった。

『いいかい、ムゥエ』
『はあい』

舌ったらずな声で元気よく返事をしたのは、幼いムゥエ。
その隣に並んでいるのは、まだうら若き彼の父である。
優しげな青年といった面をする彼と、どちらかと言えば丸顔のムゥエとは、あまり似ておらず、どうやらムゥエは母親似のようであった。

ムゥエの父は天を指差し語り出す。

『北極星は、天にそびえる皆の指針だ。あの星を見失いさえしなければ、昔の人は、どこにいても迷わなかったんだよ』
『どれ、おとたん?』
『あの、Wの形をした星座が見えるかな?』
『うん!』
『あの両脇の線を、こう…先っぽに尖るよう延ばすんだ。その交わるところと、くぼんだところと、あるね』
『うん?』

こうよ、と彼女はムゥエの手を取り、樹の枝で、地面に実際に描いて見せた。
Wの両サイドの線に線を重ねて、大きく、ちょっとだけ歪んだVがそこに現れる。

『うん、わかった!』
『そのWのへこみと、Vの出っ張りとを結んだ線の長さ。これを5つ並べて延ばすと…ほうら』
『わあー…ほんとだ、どしてどして?』
『さあ…どうしてだろうなあ。昔の人が、こういう探し方を偶然見つけたんだよ』
『すごいねえ』
『そうだなあ』

顔を見合わせあってくすくす笑う、幼い我が子と夫の顔を見比べながら、そっとムゥエの隣にしゃがんで彼女は肩に手を置いた。

『もう一つ、見つけ方があるのよ』
『え?』
『ほら…あそこに綺麗な七つ星があるでしょう?』

指さしたところには、丁度ひしゃくのような形をした星の連なりがある。
彼女はそのまま指で、ひしゃくの先の方の二つの星を、指で順繰りに指した。

『あの、あそこと、あそこの星の間の長さを、やっぱり5つ並べて延ばすと…ほら』
『わあ…おとたんもおかたんもすごいすごい!』
『お父さんの星を、カシオペヤ座というんだ』
『そして、お母さんの星は、北斗七星というのよ』
『へえー…』

にこにこしながらムゥエは、しきりと実際の星で繰り返しては、北極星を指さしはしゃぐ。
それを見ながらムゥエの父は語り出した。

『カシオペヤはね、ずっと昔の人の名前なんだ。こわいこわい海の神様に怒られて、子供を海に泣きながら奉げなきゃいけなかったんだよ』
『……』

ぎゅうう。
幼いムゥエは母の服の裾をしっかり握って離さない。
それを見て、若い夫婦は互いの顔を見交わし笑いあう。

『大丈夫』
『ムゥエの母さんは、そんなことは絶対にしないぞ』
『…ほんと?』
『ええ、本当よ』

にこり、そう言って彼女はムゥエに微笑んだ。

あれはもう、この世界では何年昔の事になっているのだろうか。

Mu・A(ムゥ・エ)という呼び名は、父の頭文字も同じMAである事から生じたあだ名だった。

そして自分の名は、HA。

今ではその名はもう一つの意味を持つようになっている。

HAは、紫の唇をした男の体でほくそえんだ。

馬鹿な男だ。

あの時肯んじていれば、今も親子3人で仲良く暮らせたというのに。

愛は、無限に広がり連なっていくものだと?

下らない。愚かしい。そんな理想論で世界の何が動くというのだ。

愛は矮小。その手の届くところまでにしか、その庇護は届かない。

あの男は、そのほんの小さな領域からもはみ出してしまったのだ。

死んで当然だ。

だがかわりにMuAだけは格好の素材となってくれた。

いい息子だった。

HAはゲートの観測を続ける。彼女の子が無事任務を果たせばそこに大きな変化が現れるはずだ。

「……息子の果報を待つか」
「あら」

振り返るとそこには異様な巨躯をした男がそびえ立っている。

「FZ」
「そのなりで、女言葉は控えたがいい…俺も使っていた義体なのだぞ」
「ごめんなさい。つい、ね…」

この地で得た同僚の、偽りの顔をそうして見つめる。

恐ろしく強靭で、揺らぐ事なく、己のために通る道すべてを粉砕する男。

道にあるものを粉砕するのではない。

道、そのものを粉砕する。

誰も彼と同じ道程は歩めない。誰も自分に追いつかせない。そういう、破壊的な生き方を選んだ男であった。

「あれは無事にやっているだろうよ。成功しても、失敗しても」
「…失敗しても?」

FZの言葉にHAは怪訝そうに顔をしかめた。

「レンジャー連邦とは、そういう国だ。だからこそ、お前は拒んだのだろう、あの男を」
「…………」

口をつぐみ、FZの顔を見る。
漆黒に塗りつぶされたその装いの中、雄獅子のような金色の瞳が異彩を放っている。

「時が移る。俺は、行く」

次の連絡を待て。じき、始まりが来る。

そう言い残して巨魁の男は消え去った。

「…………」

後に残される、HA。

そのまなざしは、いまだ変化を見せることのないリンクゲートを見つめている。

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「結局今回の事件ってなんだったんでしょう……」

翌日、新聞を広げながらアスミは呟いた。

大々的に暗殺者の襲来がニュースになることはなかった。
藩王自らが、国民に動揺の広がることを拒み、伏せたのだ。

犯人は、あれから捜索を続けているにも関わらず見つかっていない。
どうやら既存のリンクゲートを使って逃げたのではないらしい。

当直だった彼女とコヒメに罰が下る事はなかった。
敵の力量を思えば、プレイヤーならざる設定国民にはむしろ被害がなくて幸いだった、無理からぬことだとされたのだ。

しかし、それが悔しくてコヒメは唸っている。

「くっそう…もっと腕を磨かないと。もっと、もっと、もっと…!」
「仕方ない、よ。もし本当にセプテントリオンの仕業なら、フィクショノートさん達だっててこずる相手だもん…」
「セプテントリオン、なのかなあ……うーん、ちょっとわかんない」

コヒメは、その相方の意見に新たな魔術式の構想を杖の先で練りながら、また、唸る。

「だって、もしそうだとしたら、あんまりに手口がずさんすぎないかなあ。それに、弱すぎるし」
「そうかなあ……」

アスミは困ったように首を傾げる。

藩王は公務で顔を見せない。
傷が深手だったのではないか、あるいは相手が暗殺者であったことから、毒を受けたのではないかと噂するものもいたが、その一方で、傷を負ったのが本当に藩王本人だったのか、相次ぐ目撃証言から危ぶまれてもいる。

いろいろと市井のものたちには謎の多い事件となってしまった。

「だって、HI、じゃなかった、石塚の件で休戦条約が破棄されたんなら、ヤガミとつながりの強いうちの国がセプテントリオンに早速狙われても不思議じゃないと思うんだけど」
「アスミ、アスミ。確かに王宮に忍び込めるのは、並みや大抵のことじゃないと私も思ってる。けど、私達の国だけじゃ束になっても倒せないシープホーンを何体も擁するセプテントリオンが、そこまで手間をかけて、失敗するなんてあるのかな?」
「うーん……でも、だとしたら」
「そう」

誰がこの仕掛け人なのか、いまいちわからないんだなあー…

そう、呟きながらコヒメはアスミと共に空を見上げた。

藩都の空は相変わらず雲ひとつなく青い。

まるでその青が、底抜けででもあるかのように。

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その、同じ空の下。
二人の女性が並んで王宮の裏庭に腰掛けていた。

「どうかな、この国は?」
「うん……とても、いい国…素敵、だね…」

そう、と浅葱は笑った。
昨年末にやってきたばかりの春雨とは、まだこうして話すのも何回目かわからない。

「いろんな…人が、いる…から……」
「うん」

おおーい、右、右ー、と、男の声がする。
それを上からつるしている安全帯を、ぶらーんぶらーん大雑把に動かすサイドポニーの女。
浅葱達が見上げる先は、つい先日空けられた王宮の壁の穴の補修工事の現場。

「遊佐さんちょっと行き過ぎだよー!」
「ごめんごめん、冴木くん」

二人の傍ら、外壁の縁を、てぽてぽ干し煉瓦を頭の上に抱えながら二足歩行する猫達が通る。

「やっておくからいいのににゃー…」

ねー、と顔を見合わせる若猫達。

これも、アイドレス世界ならではの光景だ。
春雨は、包帯だらけのその顔から、にこりとちょいと見には大分おっかない顔で笑う。

「いろんなものが…生き生きしてる、ね……」
「は、はは…」

普通にしていれば綺麗な人なんだけどなあ、と浅葱は頬をかきながら、虚ろな視線で微笑んでいる春雨から目線を外した。

でも、確かにそうだ。

「いろんな人がいて、いろんなことを思ってる……みんな、この世界の中で確かに生きてるんだよね」
「……う、ん…」

いろんな人が、いろんなことを思っているから、昨日のような事件が起きた。
それは、悲しいことだけれど、

「この世界が生きている証拠だから…」
「……?」

急に独り言を呟いた彼女に、不思議そうな目を向ける春雨へと、ううん、なんでもないよと浅葱は笑って首を横に振った。

(何を感じていたか、ちゃんと聞かせてくれたものね…また、おいでよ、ムゥエくん……)

きっとみんな、待ってるよ。

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2008年2月3日、タマ元オリオンアーム大統領の不正疑惑をめぐる弾劾裁判が本国で執り行われる。

その日、各国でセプテントリオンのフットワーカーによる同時多発テロがあったという。

だが、その対象にレンジャー連邦の名があったとは語られていない。

翌2008年2月4日、前夜の混乱と復興支援のために慌しく動くさなか、一年前の惨劇の被害者を悼む会が国境を越えた市民の働きによって実現され、その中にはムゥエの父の名も含められていた。

だがそこに寄せられた花束は、奇妙なことに匿名のものが二つあったという。

現在子息は行方不明とのことから、知人達はこれにいぶかしんだが、結局送り主は判明しなかった。

さらに同年3月10日、セプテントリオン撤退の影響を受け、不況に陥った共和国と、経済規模で劣るがゆえにやはり同じく苦境に立っていた帝國とを、同時に救うべく、リマワヒ国よりの教育支援財団設立に伴う寄付金の募集が行われる。

これにレンジャー連邦は高額の罰金を清算した身で再び財を投じる。

その日、王宮近隣の、買い手がついていなかった邸宅に明かりが灯っているのを近隣の住人が確認。

同日、その話を聞いて不審に思った学生達が邸宅を訪れ、そこで元住人の子息が片腕を失って倒れているのを発見、これを救助する。

酷く消耗した様子の見られた彼はただちに病院に収容、手当てを受ける。肩から切断された腕の方はかなり古い傷であり、彼のダメージは、その身なりから総合的に判断して、かなり長期の間、放浪した末の、疲労であるとの診断が成された。

報せを受けた藩王らが隠密裏に彼の病室へと訪れたというまことしやかな噂もあるが、真偽のほどは定かではない。

また、本文中のHAとFZというコードネームに該当するセプテントリオンの構成員の存在も確認されてはいない。

真実はすべて闇の中である。

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無題:あるいは君の答え

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闇。
一切の存在を許さぬ、闇。
そのただなかに、一人の女が立ち尽くしている。

長い、胸にかかるほどの髪をしていた。
緩く下がった目尻のやわらかな印象とは裏腹に、意志の強そうな、まっすぐとした眉の女である。
今、その目は専心するかのように強く一文字につむられている。

青い光。
薄い胸の前で握り固めた両手の間から、粒子状のそれが、ふる、ふる、零れ出るように小さく流れ出し、ふわふわと淡雪のように一帯へと漂い始める。

世界の中で、唯一その青だけが、色だった。

彼女の傍らには、眼鏡をかけた、これも長い髪をした、癖毛の女性が跪いている。
少女と呼ぶには落ち着いた、女と呼ぶにはまだ足りない、そういう年頃の女性であった。
今、その正逆の位置となるはずの空間には誰もいない。

その二人の女の周りにいるのは、円を描くようにして舞うものたち。

いずれも年若いが、中には男性もおり、ゆったりと、皆それぞれに異なる動きで舞っている。

舞いは、漂う光の粒子を、掌で掬い、あるいは美しく跳ね上げられたその足の爪先へと帯状に付き従えていて、さらに外へと広がるように、流れをつけて打ち広げていた。

そうして舞いが続くうち、無限の闇の中にも徐々に光が沈殿し、形を取るようになってくる。

それへと、これまで専心しながら二つ目の円を成して待機していたものたちが、内側から送られてくる光に指で触れて、調律するかのように、繊細に流れをくゆらし、波涛を送り込んでいく。

見る間に沈殿は屈光率を変えて輪郭を得る。

円の弧の上に配置された人々は、決して均等ではなく、その彼らが織り成す光の奔流は、遥かな高みから俯瞰すると、青い、光の大樹のように、輝いていた。

しんしんと、降り積もる青い光が足元を埋め尽くし、頭上を覆い、その密度はますます高まっていく。

「始まります」

中央にいる、あのまっすぐな眉をした女が、初めて目を見開き、そう告げた。
大きく、明るい薄茶色をした目だった。

ぱぁん!!!!

握り組み合わされていた彼女の両の手が解け、胸の前で柏手を打つ。

その、音と共に。

怒涛のように、世界に色が生まれた。

青い光は一瞬で粒子の輪郭ごと色を失い、かわりに極彩色の立体感ある空間が、彼らの前に立ち上がっていった。

「…………!!」

劇的な変化に、彼らの幾人かは言葉を失いただただ繰り広げられる光景を見つめ続ける。

空に、銀色が敷き詰められた。
それは透明な高さを持った天空の星々であった。
その隙間に夜色が垂れ込められる。

地に、黄色い砂塵が満ちる。
重い潮風がそれを捲き上げて吹きつけてくるのへ、遮るように、彼らの無地の体に砂避けの衣が纏わされる。ぽっかりと、腹部だけを晒した意匠だ。代わりに肌着はぴったりと皮膚に張りついて、砂漠の冷気に抗い体温を保っている。砂も、入り込まぬだろう。

髪に色がついた。
灰色の、焼けたような色合いで、肌も同じく強い日差しに耐えていたかのような褐色を示している。

四方には街明かりが遠く灯っており、その向こう、いずれの彼方にも、空と海とが融けた水平線が顔をのぞかせている。

「…………」

激甚であった変化がようやく収まり、10名ほどの彼らは、何かを確かめるかのようにして、ゆっくりと互いにあちこちを眺め始めた。

どうやら彼らは、四方の明かりから伸びている、赤煉瓦敷きの道の丁度交点にいたようであった。

そうして一人一人が街影の、一つ一つのシルエットを満足そうに見やると、心地よい疲労感の篭もった吐息が誰からともなく漏れて出てきた。

顔を見合わせ、屈託なく笑う。

「終わりましたね」

癖毛の女性が立ち上がって言うのを、いいえと彼女は首を横に振って否定した。

「これから、始まるんです。何もかもが」

小さな呟きと共に、再び両手を胸の前で組む。

途端、その足元からは清らかな水が勢いよく湧き出てきた。

「きゃっ……?!」

舞い手の一人が慌てて足を上げ、その裏を確かめる。
不思議にも、島の中央である彼らの居場所まで潮風が届いてくるほど小さな島であったにも関わらず、その水は一切の濁りも潮も含んでいない、真水であった。

「藩王」
「大丈夫」

見る間にくるぶしのあたりまで達した湧水から、水面を砂で濁さぬよう、足を抜き差しして出て行く仲間達をよそに、藩王と呼ばれたあの女は、一人、まっすぐにそのオアシスの中に、立っていた。

「――――――」

水は、やがて腹の高さを通り越し、脇、胸の高さにまで達して、そこで止まった。
彼女は、ふわりと広がったマントを押し広げてやるように、両腕を横に投げ出すと、水の浮力に任せて体を後ろへと倒していった。

膨らんだマントを蝶の羽根に見立てるとすれば、腕と胴体の間の水面に写り込んだ星々は、まるで鱗粉のように銀色に揺れて、零下にも達する夜の砂漠の冷たい中に、奇妙なぬくもりを彼女の体へと流し込んでいた。

うなじに感じる冷たさが、今は体に篭もった熱を、心地よく取り払ってくれている。

もう、青い光はどこにもない。

彼女は気持ちよさそうにつむっていた目を開くと、微笑みながら、頭上に輝く星へとこう言った。

「よろしく、お願いします――――」

夜は西方を薙ぎ、しかして東方より橙の朝焼けと共に終わる来る。

ぎゅうと、左の胸の上で、握る拳と共に、呟いた。

「新しい……私達の、世界……!」

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※この物語はフィクションです。実在する設定・ゲーム展開・儀式魔術とはいっさい関係ありません。

-The undersigned:Joker as a Jester:城 華一郎(じょう かいちろう)

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最終更新:2008年04月02日 10:09