「いらっしゃい、いらっしゃい!」
「あったかいスープ、あるよ!」
大通りの方からは、物売りたちが練り歩く、元気な声が聞こえた。
ここは街の少し奥まったところにある、アキトさんの自宅である。
連日の異常気象に刺激されてか、妙に沸き返る街とは対照的に、私はといえば、大変な居心地の悪さに包まれていた。
目前の狭い中庭で、跳ねるようにはしゃぎ回っている子どもたち。私はそれを、窓枠に肘突きかけながら、ため息混じりに見守っている。横に立っているアキトさんが、手を後ろに組みながら、今、彼らがしている遊びは、東国では、雪合戦、雪だるま、そういう名前なんだよと教えてくれているところだ。
アキトさんは急に庭の方へ向き直ると、
「ちゃんと手袋をして、あんまり長い間、裸の手で触り続けないようにな――!」
はあーい。異口同音に返ってくる、元気のいい返事。
人にものを言い聞かせるのに慣れた、よく通る声、先生らしい口調で子どもたちに注意を促したその様子は、御歳七十歳を越えているとは思えないほどに、至って快活である。
「やっぱり、そうしてらっしゃる方がずっとお似合いですね、先生」
私がそう褒めると、アキトさんはくすぐったそうに笑って頭をつるりとなでる。
「ああ、その、なんだ。今の大人たちは、あまりこういう遊びを知らんらしいもんだね。たまに、子どもを遊ばせる目的ではなく、自分たちが遊ぶために、私なんかの話を聞きに来たりする人も、いるんだよ」
それはかつて国立の学校で教鞭をとっていたアキトさんにとって、なかなか複雑な気持ちを抱かせる話でもあったろう。ものを知っている大人が減ったのではなく、ものを教えられる大人が、いなくなっているということの証左なのだから。
「本当は、私のような老骨がでしゃばらん方がいいのだがなあ」
そう言って、年輪を上手に重ねた老人だけが出来る、あの透明な笑みを、たるんだ頬にしわ深く浮かべる。
彼は私の弟が義務課程を修了する頃に定年となって以来、退職金で買ったこの家で、ひっそりと余生を過ごしていたのだが、かつての同僚や、教え子の中から出てきた、いわば弟子筋に当たるような現職の教師たちがみんないなくなってしまったので、今ではここで私塾を開いて子どもたちの面倒を見ているのだった。
ぽつり、枯れ枝の風に揺れるように、呟く。
「国の助けとなれるのなら、これもまた、運命、か」
「国、ですか」
私は苦笑する。
「今も、やれ、国人が変わるのと言って、慌てて調査に来ているらしいですけどね、この異常気象を」
「ユーミちゃんは、相変わらず国が嫌いなのかい」
「いいえ。好きではないだけです。
……それだけです」
運命が天から降ってくるのが好きではない、だけで。
運命なんて、国からに限らず、どこからでも投げつけられるものだから、今さら国だけ嫌いになってもしょうがない、だけのこと。
天の奴を見上げてやると、この数日間、昼夜なくそうしてきたように、白い綿雪をこちらに向けて掃きかけてきているところだった。
車は廃村に置き去りだし、そうでなくてもこれではまともに動かなかっただろう。稼ぎのいい仕事もなくなってしまったというのに、まったく商売上がったりだ。運命の奴め。
さて、つまらないことを考えていたら、つまらない顔になってしまっていたのだろう、はっはとアキトさんに大笑いをされてしまった。
「今の時代、持つものと持たざるものの差は、些細なものでも心に大きい。過去の自分たちとだけ見比べてさえ、な。
これでよかったんじゃないかな。最近は、不用意にではなくとも、目立つことは危険だ。彼も、その意味では決してまともな人物ではなかったんだから」
君が無事に帰ってきてくれただけで充分だったのさ、と、言い含められる。
反駁したいことも、ないではなかったのだが、言葉に出来るほど、確かなものも、まだ、自分の中にはなかったので、リアクションは、うーん、と、唸るのみに留めておいた。
「ほらほら、子どもたちが呼んでいるよ」
ユーミさん、ユーミおねえちゃん、白い息を弾ませ口々に手を振り誘いかけてくる小さな家族たち。横からも急き立てられて私は席を立つ。
たまにはこうして商売抜きに、毎日をくつろいだ気分で過ごすのも、本当は悪くないんだろうけれど。次の商売が見つかるまでもうしばらくは、国の生活保障に身をゆだねて、素直になってもいいのかもしれないけど。
実は私の尻が大変落ち着かない感じになっているのは、人の厄介になっているからでも、ましてや子どもたちが苦手だからでもなくて、まさにその、私が無事に帰ってこれた理由にかかっているのだった。
「おねえちゃん、雪だるま、頭のっけてー」
「おねえちゃん、雪山つくろー」
はいはい、順番にね。
(城 華一郎)
最終更新:2010年04月25日 16:19