環状線の発着場に一人立つ。
 深夜であり、本来ならば警備員がすっとんでくるところなのだが、今日だけは、その心配もないはずだ。
 等間隔の枕木と、等幅のまま真っ直ぐに延びる二本の線路を、私はじっと見つめる。どこまでも平行で、交差することのない、鉄のライン。綺麗な土が、下にはのぞいていた。
 非常灯の薄暗い緑色だけが、背にした壁の下っかわに灯っている。
 もうじき夜明けは来るだろう。
 雪はこの南国には二度と降らない。
 そして、あいつも、ここに。

「来た」

 微かな振動が足元から伝わる。間違いない。
 人間の耳では捉えきれないが、しかし体に直接響く重低音の迫力と一緒に、駅舎の横から、一両の汽車が大地を破って現れた。
 煙突は、銀色の煙を、もう、吐かない。
 その必要もなくなった。
 自らの車体を、地表突破時の勢いで強引に環状線へと乗り入れた汽車は、そのまま発着場まで進んできて、そこで停止する。
 ああ、今夜は月がない。新月だ。
 宵闇に、まぎれるみたいにして、黒い車体の側面、やや後ろ寄りのところから、扉が開いて男が降りてくる。

「本当に、来たんだね」

 男の暖かな声に、もう一度私は繰り返す。

「来た」

 私の前に立った、その男、ルウ=ラ=トゥアーリは、私の言葉を聞き、月のない夜に、月みたいにして微笑んで、着ていた厚手のコートのすそを揺らす。

「ユーミ=クライネ=プラーネは、その身に負うた弟の真名にかけて、ルウ=ラ=トゥアーリに会うため、自分の意志で、ここにやってきたよ」


 二人で並んで駅のベンチに腰掛ける。背もたれのところに企業報告の入った奴。スポンサーはどこだっけとか、ここって薬みたいな味のジュース出してるよねとか、しばらくはそんな風にして、どうでもいい話に私たちは興じた。
 やがて彼の方から口火を切る。

「僕は、失敗したかな、成功したかな、ユーミさん」
「なんで失敗を先にするのよ」
「成功を最後に残したいからだよ。
 ……で、どう、かな」

 私は笑った。

「成功したと、私は思うよ」
「そっか……」

 ルウは、安心したようで、少しベンチから体をずり下げた。
 それでもまだ、こいつの方が、私より目線が高い。
 この背丈の差分は、北国人と南国人のそれではなくて、男と女のそれだろう。

「機関には、入れてもらえそうかな」
「それはどうだろう」

 意地悪く笑ってやる。ルウは、えええ、と、私が見てきた中で一番に慌てた声を出した。今度は、それが可愛らしくて、また、笑った。

「うそ、うそ、冗談。
 君なら大丈夫だよ」
「……本当に?」

 太鼓判を押してもらいたがるルウ。
 こいつがこんな顔をするなんて、とても意外だった。
 今日のこいつは、どこか、重荷を降ろしたように、あけっぴろげで、軽い。
 あやふやなつかみどころのなさが、なくなっていた。

「大丈夫。
 だって、君の入りたいところ、『忘却機関』は、『忘れない/忘れられないことをする』機関なんでしょう?
 こんなこと、誰も忘れやしないよ」

 足をぶらぶらとさせながら、私は空を見上げた。
 もう、空は灰色をしていて、雪の降る様子もない。けれど、その痕跡はここまで私が歩いてきた道のりにも、しっかりと残っていたから。
 運命が、天から降ってくるのを待つのじゃなく、降ってきてさえ、跳ね返す、たった一つの願いを自ら叶えるために戦い続ける、国境さえない、組織でもない、覚悟の集まり。それが、私があの夜にルウから聞いた、彼が所属したいという『機関』の正体だった。

 まるでプレイヤーだ。

 あの時、彼は、言っていた。

『誰に覚えていてもらえなくても、それを……みんなの顔に、笑顔を取り戻せさえすれば、それで、いいんだ』
『僕が昔好きだった人は、とても屈託なく、笑う女性でね』
『この街で生まれて、僕の目の前で、死んでいった』
『だから僕は、彼女の分まで、笑っていたいし、彼女と一緒にいた時の自分の分まで、みんなを笑顔にしたい』
『単なるわがままだけどね』

 そのわがままは、いつものように、さらりと口にされたけど。
 にこにこと浮かべているものの重みを、私は知った。
 月は、遠くにあるから小さいけれど、やっぱり本当は、でかいのだ。

「汽車はやっぱりちょっと目立ちすぎだったね。指名手配されちゃったけど、煙突から上空に撒き上げた砂を核に、雪を降らせる、なんて、いいアイデアだったと思うよ、うん」
 最初はなかなかうまくいかなくて、それで雨ばっかり降ったんだね。

 私の答え合わせに付き合って、彼は、うん、と、頷いた。

「みんな、喜んでくれていたかな?」

 ルウは雪が降っている間中、姿を消していた。
 原理そのものは至って当たり前の手順を踏んでいるけれども、それを実現させてしまう技術水準は、常軌を逸している。世界の身の丈にそぐわない情報は、世界にひびを、入れかねない。そう、それはまさしく、あのマンイーターのように。
 だから、本来、それはとても危険な試みで、一介の鉄道技師なんかのわがままで許していいことではなくて、いろんなものに捕まらないよう、彼は隠れていたのだ。
 だから、雪が降っている間、みんながどんな風にリアクションしていたのかを、彼は一度も直接見たことがない。
 その問いかけは、少しだけ、おずおずとしていた。

「もちろん」

 私は自信を持って保証した。

「だって、みんな、雪が降ったから喜んだんじゃなくて、その雪の、雪解け水で起こった鉄砲水で、川を埋めていた砂が洗い流されたから、喜んだんだもの」

 川は、自然における水のサイクルの、いわば大動脈。
 あらゆるものに、生命の息吹を届けて目覚めさせる。
 後は、自然の雨が、大地をゆっくりと洗い流してくれるだろう。そしてそこに植物が根を張り、水分を海へと逃がさず、文字通り、また次の雨を呼ぶための土壌となるのだ。

「砂中を己が車体で貫き走行する、世界に唯一の単独地中潜航列車『サンドスクレイパー(砂掃き車)』、一挙両得の、大傑作だったよ」

 この列車の動力源は、砂、そのものだ。
 この砂は、砂だけど、砂じゃない。かつては樹だった砂なのだ。その砂を食って燃やし、凍結した水分の核となれるほど微小になるまで削りつくされた塵を煙突から吐き出すことで、サンドスクレイパーは、砂を掃く。かつては南国だった大地の奥底に、まだ、生きている河川からも、蒸気機関の水源を得て、その水分、もろともに。
 そして空が雪を地上に掃き返す。
 まったく。
 大したシステムだった。

 確かめてみたところ、夜のルウの動向を知らないのは私だけではなく、街全員が、そうだという。やってきた時の、汽笛の音が、いくら遠かったとはいえ、突然だったのも、つまりはそういうことなのだ。
 地中を走る汽車の存在なんて、誰も想像すらもつきやしない。
 そして、

「たとえ地中を潜れても、藩国と藩国をつなぐリンクゲートだけは、環状線を使って正規に抜けなくちゃいけない程度には、今の共和国の軍隊だって、ちゃんと警備を行っているんだよね。何度も死を呼ぶような大過が起こり続けているからこそ」

 にこりとルウは頷いた。

9

(城 華一郎)

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最終更新:2010年04月25日 16:22