「うん、今友達の家。今日泊めてくれるって言うから・・・迷惑かけないようにするから大丈夫だって」
母親の心配そうな問いかけに彼女が何度も頷く。
高一の娘がいきなり外泊するだなんて、親御さんが心配するのもごもっともです。
しかも親御さんは知りえない事ですが、宿泊先は同性ではなく異性の家だというのですから。
僕としては暴風雨がここまで強くなる前に家に送り届けたかったのですが、
彼女が宿題が終わらないと帰れないと言うものですからつい長居を許してしまい、
結果、今から外を出歩くなんて狂気の沙汰というほどに外は嵐になってしまっていまいました。
「・・・っ、違うよ! な、長門んちだってば」
どこの家に泊まるのか厳しく突っ込まれてしまったのでしょうか、
真っ赤になった彼女がこちらをちらちらと見ては声を大きくして反論しています。
何事も平常心で事態を乗り切った方がいいですよ。
その点、僕は自信があります。
今日のようにあなたが僕の部屋にお泊りするという事態にだって、平常心でいられます。いてみせます。
「・・・すみませんが娘がお世話になります、だってさ」
通話を終了させた彼女が振り返り、まだ赤い顔で苦笑いを浮かべる。
ご安心ください。天地神明に誓って、指一本髪一筋たりとも触れませんから!
「では夕飯の支度でもいたしましょうか。そのあと、この間録画しておいた映画でも観ませんか?」
冷蔵庫を開けて食材の確認をしながら、
先日彼女が観たいと言っていた映画の前作をDVDに焼いておいたことを思い出す。
「・・・どんなの?」
「ほら、この間あなたが仰っていたアクション映画の2ですよ」
「・・・・・・あっそ」
少し不機嫌そうになってしまった彼女に小首を傾げつつ、冷蔵庫の中身の確認に戻る。
確かラブストーリーよりこういったものがお好みだと記憶しておりましたが、違ったのでしょうか。
夕飯を食べ、二人で食器を片付けたのち、先に彼女に風呂に入ってもらった。
「古泉ーお風呂空いたぞ」
彼女が長い髪を拭きながらリビングに現れた。
その格好に思わず大仏のような笑みのまま固まってしまいましたが、
そこはそれ、今までの僕とは違います。今日は解凍時間を10秒まで縮める事が出来ました。
僕が用意したパジャマは上半分しか使われないであろうことは、実は想定の範囲内でしたから。
「下はどうされました?」
「・・・大きくて履けない。以上」
そう返されると思っていましたとも。
そしてズボンの代替品としてタオルを巻かせようとすると、暑いから嫌だと言われる事も分かっています。
人間、諦めが肝心ですよね。安西先生、不甲斐なくてすみません。
「・・・僕も入ってきますから、それまで映画を観るの待っててくださいね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・分かった」
すぐに出てきますので、と葛藤を顔に出すことなくいつものように笑いかけると、
彼女は一瞬眉間にしわを寄せ、そのまますたすたと歩きソファーの真ん中にどっかりと陣取ってしまいました。
な、何か気に触る事をしてしまったのでしょうか。涼宮さんの精神状態は手にとるように分かる僕ですが、
彼女の精神状態はまったくと言っていいほど読めません。
映画が始まるとご機嫌斜め下降気味だった彼女も上向き方向に修正されたらしく、
終わったあとはクライマックスシーンについて盛り上がったりと、
デートで映画を見た後の恋人同士のような時間を過ごしました。
時計をふと見ると、そろそろ日付が変わる時間ですね。
彼女が小さな欠伸をしたのを合図に会話を切り上げた。
「・・・そろそろ寝ましょうか。あ、今日は僕のベッドを使って下さいね」
エアコンのスイッチを切り、お茶が入っていたマグカップを流し台へ運ぶ。
洗い物は朝片付ければいいでしょう。
「え? お前はどうするんだよ」
「僕はソファーで十分ですよ」
というかソファー以外の選択肢は無いでしょう。寝室に鍵は付いておりませんが、
火災の発生など、非常時の場合以外は決して足を踏み入れませんからご安心ください。
「ま、待て待て待て! ・・・・・・実は俺は台風が怖いんだ。風の音が怖い」
おや、そうだったのですか。それは存じ上げませんでした。
先程までは平気そうだったと思っておりましたが、本当は怖くて仕方なくて普段より饒舌だったのですね。
「だからその・・・・・・一緒に寝てくれ」
承知しました、一緒に・・・・・・えええええええええええええええええええええええええええええ!?
僕のパジャマの袖を掴み、上目遣いでそんなお願いをされると、
寝てくれと言う言葉を全く違う意味に捉えたくなってしまう自分の低俗な頭が情けない。
思わず彼女と僕がそういうことをしているのを想像してしまい、
その不埒な妄想を必死で頭を振るう事により打ち消した。
「・・・だめ、か?」
いやダメでしょうダメですよ年頃の男女が同じ部屋でって!
どんな間違いが起こっても知りませんよ! いえ、間違いなんて起こしませんけれども。
「・・・・・・古泉なら、平気だから」
平気? ・・・・・・信用している、ということでしょうか。
いくら信用されていましても、僕がそれを守りきれるという保証はどこにも無いんですよぉぉぉ。
結局強引に押し切られ、寝室に連れ込まれてしまった。
肌を重ねるとかそういう状況ではないとはいえ、彼女と二人きりで一晩を過ごすのは
もちろん初めてなので、 既に心臓が口から飛び出しそうなくらい緊張してしまっている。
電気を消すと、街灯の明かりが豪雨にも負けずにぼんやりと届いてきて、
室内は顔の判別がつく程度には明るい。
いっそ真っ暗になってしまったほうが何も見えなくて良かった。
きょろきょろとしながら前を歩く彼女のパジャマから伸びた太ももに目を奪われ、
右頬にぺしんと平手を浴びせて煩悩を追い出す。
「ええと、僕は床で寝ますので、ベッドを使って下さい」
「そうじゃなくて、ベッドで一緒に・・・」
いやダメでしょうダメですよ本っ当にダメですってば年頃の男女が一つのベッドって!!
僕があなたと同性でしたらそれはありですけど、異性な以上は絶対になしです。
「怖くて眠れないんだよ」
彼女はそう言って、僕の腕を取りベッドへと倒れこんだ。
「・・・一緒に寝よう、な?」
薄明るい部屋の中、彼女がはにかみながら僕の腕を抱き締める。
なんていう拷問ですか、これ。
・・・・・・さて、そろそろベッドに入って1時間ほど経過するのですが、当たり前のように眠れません。
最初はお互い背を向けてベッドの両端に寝ていたはずが、
今の僕の背中には彼女が寄り添うようにして寝息を立てています。
シングルベッドなので体をできるだけ離すといっても限界があり、しかも目の前には壁。もう逃げられない。
「こい、ずみ」
寝言で名前を呼ばれ、思わず背筋を伸ばす。とん、と背中に彼女が頭を擦り付ける感触がした。
僕の夢を見てくださっているのでしょうか。とても嬉しいのですが、その、体が近いです。
彼女と触れている背中から体中へ、どんどん熱が移っていく。
「・・・ん」
たわいも無い筈の声が今の僕には非常に悩ましげな声に聞こえて、心拍数は上昇しっぱなしです。
僕のことを抱き枕か何かと勘違いしていらっしゃるのでしょうか、
足を絡められ、胸に手を回され、いつの間にか抱きすくめられている。
な、何なんですか? ここ何処ですか? どうして僕、こんな状況になっているんですか??
考えてはいけないことなのだろうけど、先程から背中に当たる柔らかい二つの物体の正体って
絶対むから始まりねで終わるあれですよね!?
「・・・・・・・・・・・・」
うわわわ、すりって!すりって!くっつけないで下さいいいい!!!
これはオから始まりイで終わるあれではなく、ただの脂肪のかたまりだと思うしかない。
自己暗示で乗り切れ、古泉一樹!
必死に心の中で、周り中ふくよかな人に囲まれ満員電車でもみくちゃにされている自身を想像する。
よし、なんだか萎えてきました。これは一晩乗り切れそうだと思った矢先、
ふにふにとしたものを一層強く押し付けられて頭がフットーしそうですよぉっ!
「・・・すき」
・・・鋤、スキー、すきっ腹、隙間産業、すき焼き、数寄屋造り!!
なんと言う寝言でしょう。この状況でそれを言いますか。
お互いの触れあっているところが熱くなりすぎて、その熱がとうとう脳にまで回ってきたようだ。
思わず都合のいい様に解釈しかけ、寝返りを打って彼女を抱き締めようとするのを
寸でのところで思いとどまる。
僕は今抱き枕です! 無機物です! だから股間のガンダムは起動しちゃらめぇぇぇ!!
そのまままんじりとともせずに夜を明かしました。ええ、もちろん一睡も出来ませんでしたとも。
明け方になってようやく彼女が離れてくれたので、そっとベッドから降りる。
仕事柄、夜通しで神人の相手をしたりもしますので多少の徹夜は問題ないのですが、
昨夜は非常に消耗しました。主に心を。僕のライフポイントはもうゼロです。
「んぅ・・・」
彼女が寝返りを打つと、無防備な首筋となだらかな胸の起伏が襟元から覗いた。
ああほら胸を出していると風邪をひきますよって胸ぇぇぇぇぇぇ!?
仰向けですやすやと眠る彼女のパジャマのボタンは上から二つほど外れていて、
肝心なところが見えそうで見えない、下半身直撃グラビアの様相を呈しています。
白い肌が薄暗い部屋の中に浮かび上がって、慌ててタオルケットを掛けてそれを隠した。
のののノーブラで当ててんのよだったんですか!! この無防備さはもはや犯罪ですよ。
思わず背中に触れていた柔らかな感触を思い出し、顔の表面温度が熱したフライパンのように熱くなる。
溜息をついて下を見ると、もうそろそろ夜が明けると言うのに夜営の準備バッチリなテントが見えます。
一晩中、思いを寄せる女性の胸やらが背中に当たっていたりしたら仕方ないですよね。
よくぞ一晩暴発せずにいられたと思います。信頼を寄せていただけるのは大変光栄なのですが、
僕も閉鎖空間外では聖人でもなんでもない、ごく普通の健全な男子高校生なんです。
もし僕が、涼宮さんが望んだ敬語キャラの古泉一樹というキャラクターを演じているのではなかったら、
とっくに羊のきぐるみを脱ぎ捨てた狼に変身していた事でしょう。
彼女の安心しきった寝顔を眺め、もう一度溜息をつく。
一度がつんと言って差し上げた方がいいかもしれませんね。
それでは朝までまだ時間がありますし、この元気一杯の息子を宥めてから、
少しでもソファーの上で寝ることにしましょうか。
前屈みでそろそろと歩き、扉の前でベッドの方を振り返る。
すると脚をなまめかしくもぞもぞと動かしている彼女の姿が見え、慌てて静かに寝室の扉を閉めた。
制服に着替え、寝不足ですっきりしない頭でニュースを聞いていると、
アナウンサー暑苦しい元気さで朝の六時半を告げる。
カーテンを開けると台風一過で綺麗に晴れ渡った空が見え、
殺人光線のごとく強烈な太陽の光が降り注いでいる。
一旦家に帰らせなくてはなりませんので、そろそろ彼女を起こしましょうか。
クマ対策として目の上に乗せていた蒸しタオルを洗濯籠に放り込み、寝室へ向かう。
三回ノックをしておはようございますと声を掛けるも、中からはまるで反応が無かった。
今日も平日ですし、いつまでも寝かせて差し上げるわけにはいきません。
「し、失礼します・・・」
そっと扉を開けると彼女はまだ夢の世界にいるようだった。
そう言えば孤島に行った時、彼女は寝起きが悪くて大変だったと涼宮さんが言っていたような気がします。
とりあえず肩を軽く揺すって呼びかけてみるが、やはり反応は無い。
「おはようございます、朝ですよ」
幾分大きな声で呼びかけてみるが、小さく唸っただけで目覚めなかった。
やれやれ、困ったものです。うかつに抱き起こしたりでもしたら、
また抱き枕代わりにされてしまうかもしれませんから、あまり体に触れるわけにはいきませんし。
それにしてもよくお休みですね。僕なんて、あなたが横にいらしたから一睡も出来なかったのですよ?
ベッドの端に腰掛け、眠る彼女の頬に触れてみる。
「・・・起きないと、襲ってしまいますよ」
なんて冗談を言ってみたり。
途端、彼女の頬が急に熱を持ち出した。
「・・・・・・やってみろよ」
がばっと体を起こし、僕のネクタイを掴んで締め上げる。
「え、ちょ、起き、起きて?」
「やってみろっつってるだろ!」
事態がすぐには把握できない。
上体をがくがくと揺らされて、混乱しきった脳みそを更にシェイクされる。
ひとまず落ち着いてくださいと彼女の肩を掴んで言おうとしたが、
大きく開いた胸元が視界に入り、慌てて目を固く閉じて言葉も飲み込んだ。
寝起きが悪いってレベルじゃないですよ、涼宮さん!
新橋の酔っ払いサラリーマンレベルの性質の悪さじゃないですか。
「わ、と、とにかく落ち着いてくださいぃ!」
目を閉じているからどこにどう手を置けばいいのか分からず、わたわたと両手を空中を彷徨わせる。
「うるさい!」
ベッドに突き飛ばされ、彼女の手によってぷちぷちと制服のボタンが外されていく。
ど、どうして僕まで脱がせられているんですか!?
下に着ていたTシャツもがばっとめくられ、直後に彼女によって強く抱き締められた。
素肌同士がぴったりくっついて、僕の頭のブレーカーが設置していた壁ごと落ちる音が聞こえました。
抱きつく彼女を引き剥がし、リビングまで脱兎のごとく逃げ帰る。
テーブルの携帯を取って履歴から長門さんを探し電話をかけると、
きっちり3コール目で取られたので、走ってきた勢いのままに話し掛ける。
「・・・・・・あ、もしもし長門さん!? 朝早くからすみません! どうやったら近寄らずに穏便に彼女を起こせますかぁっ!?」
「・・・彼女なら、あと4分31秒後に支度をして起きてくる。何も問題は無い。落ち着いて」
「え」
そ、そうなんですか? では大人しく待っていることにします。
あとは僕が何事も無かったかのように普通に振舞えればいいという事ですね。
とても難しい事ですが、なんとかやり遂げてみせます。
長門さんの落ち着き払った声のおかげで、僕も少し落ち着けました。
「あ、ありがとうございます」
「・・・・・・なし」
へ?
電話越しに囁かれた意味不明の言葉にあっけに取られていると、通話が打ち切られてしまった。
梨、のことでしょうか? 日頃お世話になっているお礼として、今度お贈りしますね。
ひとまず、この真っ赤になってしまった顔をどうにか元に戻さないといけません。
登校時刻まで時間はたっぷりありますし、お風呂で冷水でも被っておきましょうか。
先程の衝撃体験に悶々としながら脱衣所に向かうと、丁度寝室から出てきた彼女と鉢合わせた。
「お、はようございます」
「・・・・・・おはよう。泊めてくれてありがとう。もう帰るわ」
セリフが全てカタカナ表記で書かれていたかのような、彼女のトゲトゲとした物言いに気圧される。
手には鞄を持ち、すっかり帰り支度を整えてしまった彼女に、
朝食を用意したのですが一緒に食べませんかと声をかける隙は微塵も無かった。
「ご自宅までお送りします、よ・・・?」
「結構」
髪が逆立って金色に変わってもおかしくないほどに、とてもぴりぴりしていらっしゃいます。
戦闘力が上がりすぎて、そろそろスカウターでは計りきれずに爆発するころでしょうか。
苛々の原因に全く思い当たらず、どんな言葉を掛けたらいいのか分からないので、
彼女が荒っぽく革靴を履いている姿を見ている事しか出来ない。
強いて挙げれば、先程僕に寝ぼけて抱きついてしまった事が恥ずかしくて怒っているとか。
または単に寝起きが悪いから苛ついているだけなのかもしれませんし、
放課後部室で顔を合わせるときは、もう普通の彼女に戻っているかも…と思うのは、
寝不足による思考力低下を言い訳とした、余りに都合が良すぎる考えでしょうか。
「・・・・・・お邪魔しました!」
玄関のノブに手を掛けながら振り向きもせずにさよならの挨拶をされる。
ま、まさか僕が昨夜あなたに抱き付かれて、その、元気になってしまったことがばれてしまったのでしょうか。
あれは男の生理現象ですから仕方の無い事なんですっ。
弁明しようにも余りにし辛い内容をどうマイルドに説明しようかと頭をフル稼働させていると、
彼女はいつの間にか扉の外にいた。
「っ、また放課後に!」
扉がゆっくりと閉まっていくにつれて彼女の姿が見えなくなっていき、慌てて声をかけた。
その声にこちらを少し振り向いた彼女の目は心なしか潤んでいたような気がする。
「い・・・じ・・・・・・」
彼女の唇が何か言葉を紡いだようだったが、扉の閉じる音にかき消され、僕には何も聞こえなかった。