リリカルなのはSpiritS第一話後編

魔法少女リリカルなのはSpiritS
第一話「蒼き新星(後編)」



 ぷらん、ぷらんと揺れる青。
 さながら海か空の色を、そのまま結晶化させたようなもの。
 透き通るような青色の、縦長の六角形の水晶体。
 リスティのすみれ色の瞳の中では、そんなものがぷらぷらと揺れていた。
「それ、何……?」
 やや控えめな声で尋ねる。
 環状の紐で吊られたそれを、ぷらぷらと揺らす歳上の少女へと。
 つぶらな瞳を持ち上げて、水晶と同じ色をした、青い髪の少女へと問いかけた。
「これ? これはね、あたしの相棒のマッハキャリバー」
 返ってきたのは朗らかな笑み。
 にっかと満面の笑顔を浮かべたスバルが、銀髪の娘へと誇らしげに言う。
「さっき一緒に戦ってた、ローラーブレード型デバイスの待機モードなんだ」
『正確には“使っていた”と表現するのが正しいかと。私はあくまでマスターの武器であり、所有物に過ぎませんから』
「あ、またそういうこと言う。そういう道具扱いするのは嫌だって、何度も言ってるじゃん」
 機械的なインテリジェント・デバイスの音声に、ぷぅっと頬を膨らませるスバル。
 先ほどまでリスティに向けられていた視線が、じと目になってマッハキャリバーへと向かった。
 そんなごく自然なやりとりが、クラナガンの廃ビルの一角にて繰り広げられていた。
 否。むしろ逆に、自然であることが異常に感じられる。
 黒い長袖のジャケットに、ジーンズのミニスカートとスパッツ。既に正体を隠す必要はなくなったので、マントは脱ぎ捨てられていた。
 ややボーイッシュであることを除けば、普通の年頃の少女の出で立ち。
 だがスバルはその数十分前に、圧倒的な強さを見せつけ、2名の戦闘機人を蹴散らしたばかりなのだ。
「こうして見ると、本当にただの子供にしか見えないんだがな……」
 信じられない、と語尾に小さく付け足しながら、俯瞰するリスティの父親が呟いた。
 何せ筋骨隆々としたこの男でも、手も足も出なかった連中を、あっという間に叩き潰した豪傑である。
 その彼女が見せている歳相応のあどけなさは、戦闘中とのギャップがあまりにも大きすぎた。
 鬼神のごとき戦いぶりが、今ではまるでハイスクールの休み時間のようだ。
「ストライカー、ってのは知ってるか?」
 困惑するひげ面の男へと、すぐ隣に腰掛けたサングラスの男が確認する。
 中骨中肉といった印象の上半身は、今は包帯によって覆われていた。
 肩に受けた銃創の手当ての跡だ。
 このご時世、薬品の類は貴重品だが、リスティら父子を救おうとした男を、無下に放置するわけにもいかない。
 結果として応急処置が施され、今では出血も止まっている。
「ああ。ゼスト何とか、って奴がそう呼ばれてたな。どんな困難な状況も突破し、勝利をもたらす優秀な魔導師……だったか?」
「大体そんな感じだな。一騎当千のワンマンアーミーがエースなら、組織戦で全体を引っ張るのがストライカー、ってところだ」
 確認で返してきた男へと、サングラスの若者が説明した。
 言うなれば、エースとストライカーとは剣と盾だ。
 他を寄せ付けぬ圧倒的な技量の下に、単身で戦端を切り開き道を作るエース。
 迫り来る脅威に立ち向かい、戦線の中核となって味方を守り抜くストライカー。
「で、話を本題に戻すが……管理局は先の戦争で、そういう優秀な魔導師をかなり失うことになっちまってな。
 そこで戦力の質を増強するのと、後は、新たな旗印として扱える人材を生み出すために設けられた、徹底された戦技教導……
 通称“ストライカーズ養成計画”と呼ばれるプログラムの下に生まれた新人の1人が、あのスバル・ナカジマだ」
「未来のストライカーとして鍛え上げられたエリート、ってことか……だが、何でエースじゃないんだ?」
「そこは、ホラ、求めてるものが違うんだろう」
 サングラス男の言葉に、ああ、とフィリスの父は納得した。
 現在の管理局残党の頭数は、到底芳しいと言えるものでないに違いない。恐らくは、士気に関しても同様のはずだ。
 ならば単独で切り込むエースよりも、共に戦ってくれるストライカーの方が、皆の支えにはちょうどいいのだろう。
 加えて同じ戦線の主軸であっても、ある程度周囲の援護を頼れる位置で戦うストライカーの方が、孤高のエースよりも大成が早い。
「まぁ、ペラペラと喋っちまったが、一応スカリエッティ達には内緒の極秘プロジェクトだからな。あんまり言いふらさないでくれよ?」
 言いながら、腰掛けていた瓦礫から若者が立ち上がる。
 上半身裸の右肩に上着を引っ掛け、左手でズボンの尻についた埃を払った。
 管理局の機密事項。
 それをさらりと口にした男に、ひげ面の親父はぎょっとしたように目を見開く。
「で、どうすんだスバル? そろそろ連中も出てくる頃だろ?」
 そしてそんな様子は露も気にせず、若者はスバルへと声をかけた。
「あ……やっぱり、そうなる?」
「たりめーだ。こんだけ派手に暴れた奴を、そのまま放置しておくわけないだろ。
 多分ここらの親玉自ら、徒党を引き連れてやって来るだろうな」
「そっか。そう、です、よね……なはは、はは……」
 たらり、と冷や汗を流しながら。
 今度はスバルの表情が、困ったような苦笑へと変わった。
 スカリエッティが支配したクラナガンで、管理局の魔導師が、戦闘機人相手に乱闘を繰り広げたのだ。
 しかもその戦闘の果てに、2名の戦闘機人が撃退され、人間ごときに拘束されている。
 連中からすれば、放置しておく理由がない。
 自分達に脅威をもたらす者を排除するため、そして自分達の立場を示すためにも、本腰を入れて始末にかかるはずだ。
 後先考えずに突っ込んだ結果、この場所により強大な戦力を呼び込む羽目になってしまったのだ。
「仕方ねぇっちゃあ仕方ねぇ状況だったがよ……ここがクラナガンでも、隅っこの方だったのが幸いだったぜ」
 がしがしと頭を掻きながらサングラス男がぼやく。
 スカリエッティ支配下の都市の中でも、首都クラナガンは特殊な場所だった。
 駐留する戦闘機人達が一箇所に固まって支配するには、この街はあまりにも広すぎるのだ。
 よって市内を計15ブロックに分割し、それぞれをそれぞれの派閥のテリトリーとすることで、この街の戦闘機人は均衡を保っている。
 要地である中央に近ければ近いほど派閥の規模は増し、外側になればなるほど他の派閥からの援護を受けづらくなる。
 周囲に示しをつけるというのも、隅の方が対処しやすいというのも、どちらもそういう事情あってのことだ。
「それで、結局どうすんだよ? 人数上の不利は変わらねぇし、乱戦になりゃ周囲への被害も馬鹿になんねぇぞ?」
 きっ、と。
 サングラスの男の問いかけに呼応し、緑の双眸が細められる。
 へらへらと緊張感なく笑っていたエメラルドの瞳が、一瞬にして厳しく引き絞られた。
 そうだ、この顔だ。
 1人のスバルという少女のそれではない、管理局員スバル・ナカジマの戦士の顔だ。
「ボスが来るっていうのなら、そいつを一騎討ちで倒します」
 決然と、言い放つ。
 真剣そのものの気配を、静かに語気に滲ませて。
「一番強い奴に勝てば、あたしが奴らの誰よりも強いと証明できる……少なくとも、そう見せかけることができる」
「お前自身を牽制役とすることで、この地区の戦闘機人全員を大人しくさせようってか……だが、連中が素直に乗るか?」
「いくら仲間を倒されたからって、そう簡単に油断は抜けないはずです。
 昔倒した管理局の魔導師くらい、自分1人で倒せる……むしろそうでなければ、奴らのメンツも立たない」
「連中のプライドを利用するってことだな。
 確かに考えてもみれば、たかだか魔導師1人を集団で囲って倒すなんて、みっともねぇ真似もできねぇだろうよ」
 そうと決まれば善は急げだ。
 若者が言い終えると同時に、スバルがミニスカートの腰を浮かせた。
 迫り来る敵を迎え撃つべく、廃ビルの外へと向かわんとする。
 と、その時。
 ぴくりと眉を動かして、歩みは不意にあっさりと止まった。
 何かの視線を感じたのか。怪訝そうな表情と共に、少女の顔が下方へと下がる。
「………」
 気配の主はリスティだった。
 小さな娘のすみれ色の瞳が、不安げにスバルを見上げていた。
 ふるふると震える小さな肩。
 触れれば砕けそうな華奢な体躯が、より儚さを増すようにして怯えている。
 また危険な目に遭わされるのではないかと。
 迫る脅威を予期したかのように。
「……大丈夫」
 にっこり、と。
 顔つきを緩め、笑顔を浮かべて。
 倍近い背丈の身体をしゃがませ、視線と視線をそっと合わせて。
「なんにも怖いことはないよ。怖いのは全部、お姉ちゃんがやっつけてあげるから」
 今は先ほどまでリスティに見せていた、等身大の少女の顔へと戻り。
 差し出した右手を頭に当て、銀色の髪をくしゃっと撫でた。
 ふっ、と。
 サングラス男の口元も、自然と軽い笑みに緩む。
 戦士として鍛えられたスバル・ナカジマが、失うことなく残していた、人間らしい優しさに。
「なぁ……お前、一体何者なんだ?」
 と、その時。
 野太いひげ面の男の声に、不意に現実へと引き戻される。
 恐らくは鳩が豆鉄砲を食らったような、きょとんとした目つきをしているであろう顔を、リスティの父親へと向けた。
「管理局の秘蔵っ子と知り合いで、おまけに機密事項まで知ってるなんて……」
 この中年男を驚かせたのは、それだ。
 管理局残党に関わる者以外は、誰一人として知らぬはずの極秘プロジェクトを認知し。
 その養成計画の下に鍛え上げられた、虎の子の新人エリートとも顔なじみ。
 どう考えても、一般人であるはずがない。
 これほど事情に通じた人間が、そこらのスラム住まいのガキであるはずがない。
 であれば、この男は一体何者なのか。
「ヴァイス・グランセニック」
 にっと不敵な笑みを浮かべ。
 ゆっくりとサングラスを取り払い。
 短く切られた茶色の髪を、軽く揺らしながらその名を名乗る。
「しがない管理局のヘリパイロットさ」


 ばたばた、とはためく漆黒のジャケット。
 ゆらゆら、と揺らめく青色の短髪。
 ひび割れたアスファルトの上に立つのは、両腕を組んだスバル・ナカジマ。
 歳の割に発育のいいふくよかなバストが、ぎゅっと押し付けられている。
 鋭い眼光も相まって、さながら男のような風貌だ。
 それだけの威圧感を感じさせる何かを、彼女は確実に内に秘めていた。
「分かってるよな、スバル」
 横合いからかけられる、若い男の声。
 完全に上着を羽織った、サングラス男改めヴァイスが、離れた位置からスバルへと言う。
「一番強い奴と戦うってことは、一番倒しづらい奴と戦うってことだ」
「覚悟の上です」
「やれるか?」
「やれるやれないじゃない――やるしかない」
 スバル・ナカジマは揺るがない。
 このエリアを支配する敵の中でも、最も強い敵と戦わなければならなくとも。
 最も巨大な困難に、たった1人で立ち向かわなければならない状況であろうとも。
 決意の瞳は揺らぐことなく、地平の果てを睨み続ける。
 一切の恐怖も不安もなく、勇敢な眼光を燃やし続ける。
 何物にも動じぬ戦士の形相は、さながら不動明王か。
 どんな敵が相手であろうとも、人々を必ず守り抜いてみせる。
 気配にも滲み出るその覚悟には、なるほど確かにストライカーの片鱗が浮かぶ。
「こんな子供に、世界の命運を背負わせることになるとはな……」
 故に、その背中が痛ましかった。
 あまりにも大きく見えるその背中が、ひげの男には痛々しく映った。
 見れば見るほど不自然な子供だ。
 普段は歳相応の娘と変わらぬ、笑顔の似合う女の子。
 されどひとたび戦場に出れば、厳しい表情を浮かべた戦士。
 二律背反の表情だ。
 その両方を持ち合わせるのは、しかし15の少女には、あまりにも荷が重過ぎるのではないか。
 1人の娘を持つ父親の目は、その背に言い知れぬ危うさを捉えていた。
「言うなよ。あいつ自身が受け入れた道だ……周りのせいにされるのは、あいつも居心地が悪いだろうよ」
 そう言うヴァイスの言葉には、微かに苦いものが混じっていた。
 改めてリスティの父親は、この茶髪の若者の姿を見る。
 包帯の上に羽織ったジャケットは、確かに改めて見てみれば、管理局のフライトジャケットだ。
 そしてそれなりに整った顔立ちの眉に、微かな皺が寄せられている。
 彼女を利用せんとする管理局に所属しながら、必ずしもそれを本意として受諾してはいない。
 この男は信用できる。
 ヘリコプターのパイロットを名乗った、この若者なら信用できる。
 率直に、そう感じた。
「来た」
 ぽつり、と。
 小さく、短く。
 スバルの声が囁いた。
 落とした視線を持ち上げる。
 中年男がそうしたように、同じく遠巻きにスバルを見守っていた住民達が、一様に彼女の向く方へ視線を向けた。
 かつり、かつりと響く音。
 劣化したアスファルトを叩くのは靴音。
 たった1人のそれではない。合計10人分はあるだろうか。
 見れば視界の彼方には、ぞろぞろと人影が浮かんでいる。
 男性型、女性型。筋肉質に低身長。多種多様なものが入り混じっているが、どれも身に纏うのは同じフィットスーツ。
 戦闘機人だ。とうとう奴らがやって来た。
 生意気な管理局の魔導師を粛清すべく、この場所へと足を踏み入れたのだ。
「ほぅ、これは大層なお出迎えだ」
 そして彼ら軍団の中、一歩先を歩む者がいる。
 残る9人を従えるかのごとく、集団の先頭に立つ者がいる。
 黒い短髪に、ひょろりと伸びた細い手足。
 黒きマントから覗く体躯は、背丈の高い痩せっぽち。
 されど、油断は禁物だ。
 その暗色のスーツと黄金の瞳が、彼もまた戦闘機人であることを証明している。
 その残忍かつ尊大な笑顔が、彼の集団の中での地位を物語っている。
 間違いない。
 この男がボスだ。
 あの赤茶と金髪を従えていた、リスティ達の住むエリアの親玉だ。
「201号と273号をやったという魔導師はお前だな?」
「そう言うお前がこのエリアのボスか」
「そうだ。俺がクラナガン第11区を率いる、戦闘機人第98号機だ」
 静かに。それでいて得意げに。
 右手を灰色の胸元へと添えながら、漆黒の戦闘機人が名乗りを上げた。
「その親玉様としては、何としてもあたしを排除しておきたい、と」
「何せ俺達の事情もなかなか複雑でな」
 スバルの問いかけに対し、98番目の戦闘機人が、おどけるようにして肩を竦める。
「弱い奴には従わない……戦闘機人の間では常識だ。
 示しをつけなければ侮られる。そうなれば俺の支配するこの庭も、他の連中にいつ掠め取られるか分からないのさ」
 対するは沈黙。
 嫌味な笑みを浮かべる98号とは対照的に、スバルは冷静な無言で受け止める。
 見下したようなゴールドと、射抜くようなエメラルド。
 黒髪の男と青髪の女が、真っ向から視線をぶつけ合わせる。
 ふ、と。
 不意に、98号の笑顔が軟化した。
 自らの力を誇示し他者を威圧せんとする表情に、異なる感情の色が混ざる。
「しかし、お前もよく逃げずにいたものだ。その言い草からして、俺達が来ることは分かっていたんだろう?」
 それは嘲笑。
 愚かなる思考を嘲笑う形相。
 反逆者を駆逐するために、いずれここに戦闘機人達がやって来る。
 それを分かっていたにもかかわらず、逃げようともせずにこの場に残った。
 確実に叩き潰すべく、徒党を組んでやって来ると、分かっていたにもかかわらずだ。
 誰の目にも明らかな多勢に無勢。
 10人の戦闘機人を相手取るなど、無謀にも程がある愚行。
 どう考えても勝てるはずもない負け戦。にもかかわらず、スバルはこの場に留まった。
 これを身の程知らずと呼ばずして何と呼ぶか。
 げらげら、げらげらと。
 背後に並ぶ機人達からも、次々と下品な笑いが上がった。
「確かに、あたし1人で全員を相手にするのは厳しいかもしれない……でも、お前1人だけなら倒せる」
「ほう、決闘をご所望か?」
「格下の魔導師を袋叩きにする、なんてのもみっともないでしょ?」
 面食らったような顔の98号へと畳み掛ける。
 僅かに丸くした双眸を振り返らせ、同じく丸くなった部下の瞳と見合わせる黒髪の機人。
 ここまでは事前の計画通りだ。
 現状敵の勢力規模は、管理局残党よりも圧倒的に大きい。
 いわば戦闘機人は魔導師以上の格上の存在であり、格下とはすなわち慢心と自尊心を抱く対象だ。
 それを再認識させて、一対一という状況へと引きずり込む。
 敵の中でも一番強い奴を叩きのめし、より効果的に相手に衝撃を与えるために。
「……確かに、一理ある」
 にぃ、と。
 痩せたマント男の口元に、再び浮かんだ三日月模様。
「お前を確実に葬る手段はいくらでもある。
 圧倒的物量を以って嬲り殺すなり、民衆を人質に取って身動きを封じるなり、な……
 ……だが、どの部隊の何者とも知れぬ雑兵に、そこまでムキになるようでは、俺の面子もがた落ちだ」
 ぱちん。
 細い針金のような指を鳴らす。
 ぞろぞろと蠢くは配下の連中。
 合図に応じた戦闘機人達が、スバルを取り囲むようにして円形に並んだ。
 ギャラリーに当たるリスティ達民衆からすれば、さながらスタジアムのフェンスのようだ。
「お望み通りに応じてやろう。逃げも隠れも許されない、一対一の真剣勝負だ」
 邪悪な笑みが浮かべられた。
 一組の男女を囲う壁は、せめてもの保険のつもりだろうか。
 たとえスバルが逃げようとしても、そこでせき止められるようにするために。
 あるいは、たとえ98号が追い詰められても、すぐに援護に出られるように。
「勝負をする前に、1つ聞きたいことがある」
「いいだろう。俺の知る限りのことなら、死ぬ前に1つくらいは答えてやる」
 目の前の戦う相手へと、問いを発するスバル。
 98号がそれに応じたのは、絶対的優位にあると確信してやまぬ自信故か。
 ゆっくりと。
 一度閉じた口が開かれる。
 唇の紡ぐ言葉は。
 少女の口から発せられた問いかけは。

「――“高町なのは”を知っているか」

 一瞬。
 その名が紡がれた、まさにその一瞬。
 全ての時間は静止した。
 その場に居合わせた人間の、あらゆる思考が凍りつく。
 発せられたその名前に、全員の体感時間がストップした。
「昔管理局に所属していた、伝説のエース・オブ・エースだ。あの人が今どこにいるか……知っていたら、その居場所を教えてほしい」
 そして一瞬のインターバルの後、改めて問いの内容を認識する。
 ああ、知っているとも。
 その名前だけならば、誰もの記憶に残っているとも。
 リスティの父親はそう思った。
 ヴァイスもそう思っているはずだ。
 恐らくこの場の全員が、まず間違いなくそう思ったはずだ。
 かつてエース・オブ・エースと謳われた、高町なのは一等空尉。
 時空管理局の魔導師の中でも、最高の技術と戦績を有した者に送られる、最強の中の最強の称号。
 おおよそこのミッドチルダに住む者の中で、彼女の名を知らぬ者など1人もいない。
「……ッ……ククク……」
 ああ、それでも。
「くはっ、はははは……何を言い出すかと思えば、そんなことか……!」
 答えるべき男は笑っている。
 漆黒のマントを羽織った肩を、さぞ滑稽そうに揺らしている。
 おかしくてたまらないと言わんばかりに、腹を抱えて嘲笑している。
「知らないはずがないだろう!? わざわざ俺が言わずとも、お前にもとっくに分かりきっていることだろう!?」
 そうだ。
 そうなのだ。
 かつてのエース・オブ・エースは。
 前大戦を駆け抜けた、最強最後の守り手は。

「高町なのはは既に死んだ! あの月面での最終決戦で、俺達戦闘機人が抹殺した! それが唯一の真実だ!」

 高町なのはは、もういない。
「無様なものだな……偉そうに振舞っておきながら、過去の栄光にすがりつき、残酷な現実から目を背けることしかできないとは」
「違う! なのはさんの死亡はまだ確認されていない! お前達が勝手に言ってるだけだっ!」
 これまで以上に意地悪く、狡猾な笑みを浮かべる98号。
 これまで以上に熱くなり、荒い語気をぶつけるスバル。
「違わないさ。彼女は死んだ。エースの翼は、偉大なる創造主――Dr.ジェイル・スカリエッティに食い千切られた」
 そうだ。
 それが奴らが発表した、エース・オブ・エースの辿った末路だ。
 かつての時空管理局とスカリエッティの戦争。
 その最後の舞台になったのが、天上に浮かぶ2つの月。
 月面に陣取った科学者の城塞・聖王のゆりかごへと、決死の突入を仕掛けた月面攻防戦だ。
 背水の陣の覚悟で決行された作戦は、しかし管理局の敗北に終わった。
 そして撤退する残存兵力を逃すべく、殿を買って出た高町なのはは、奴らの手にかかり命を落とした。
 戦後2年近くが経った今でも行方が知れず、管理局に戻ってくる気配もないのが、その何よりの証明だ。
「こんな具合になぁッ!」
 瞬間、絶叫。
 急激に男の語気が強さを増す。
 冷徹な嫌味を込めた口調に、燃え滾るかのような勢いが宿った。
 そこに込められたのはすなわち気合。
 振りかぶられた右腕に、ちかと輝く光がある。
 ぱっと煌く紫の閃光。
 ばちと轟くプラズマ音。
 一瞬の出来事だった。
 それら2つの現象を、リスティの父は同時に知覚していた。
 否。
 同時にしか知覚できなかった。
 それが一般人の限界だ。
 それが敵のエネルギー弾であったことも。
 それが手下の包囲の穴を縫って、リスティ目掛けて発射されていたことも。
 それが自分達の理解よりも遥かに早く、スバルによって防がれていたことも。
 突き出された左手を見た瞬間に、ようやく理解できた事象だった。
 くわ、と。
 98号の瞳が見開かれる。
 黄金色の機人の瞳が、これ以上ないほどの驚愕に染まる。
 だがそれは、己の一撃を防がれたことによるものではない。
「お前……その、手は……!」
 きっと自分達が抱いているものと、全く同じ衝撃のはずだ。
 そこに突きつけられたのは、にわかには信じがたい残酷な真実。
「ふ……ははは……ファハハハハハハハ! そうか、そういうことだったのか!」
 機人の男が大笑する。
 今度こそ滑稽だと言わんばかりに、思いっきり大声を上げて大笑する。
 98号の攻撃を受けた左手は、ひどく焼け爛れていた。
 当然だ。
 恐らくは防御魔法を展開する余裕もないままに、反射的に素手で防御を試みたのだ。
 それだけならば普通の人間と同じ。特に驚くことはない。
 本当に驚くべきはこれからだ。
 引き裂かれた皮膚から覗く傷口から、流れ出すのは真紅の血液。
 通常の人間であるならば、真っ赤な筋肉が見えるであろうその場所からは。
「まさかお前まで俺達と同じ――戦闘機人だったとはなァッ!!」
 鋼色を放つ金属パーツと、断線したコードから放たれるスパークが覗いていた。


 ああ、とうとうばれてしまったな。
 できることならばこのままずっと、隠し通していようと思ったのにな。
 煙の上がる左手を見やり、スバル・ナカジマは思考する。
 されど、結局こうなってしまった。
 リスティを守ることこそできたが、結局己が正体をさらす羽目になってしまった。
「そうだ。製造ナンバー、タイプゼロ・セカンド……あたしは一番最初に設計された、お前達と同じ戦闘機人だ」
 こうなってしまっては仕方がない。
 これ以上隠し通すことなどできない。
 故に、その名を口にする。
 誤魔化しきれない正体を、はっきりと声に乗せて言い放つ。
「くくっ、そういうことか……2人がかりでも倒せなかったのは、そういうからくりがあったからか……」
 くつくつと。
 嫌な笑顔を浮かべながら、嫌な視線を向けてくる。
 何度向けられても気に食わない、この98番目の戦闘機人の嫌な表情。
 人を見下すことしか知らない目。
 人を嘲笑うことしか知らない口。
「お前も……戦闘機人、だったのか……」
 野太い声が背後から聞こえる。
 リスティのお父さんの声だ。
 見た目通りのがっしりとした声が、しかし今は震えている。
 彼の声を皮切りに、人々が静かにざわめきだした。
 刺すような視線を肌に感じる。幾十もの声音を耳に感じる。
「お……おい、お前らっ! こいつは……こいつはなぁッ――!」
「いいのっ!」
 立ち上がるヴァイス陸曹が張り上げた声を、それ以上の声で制止する。
「スバル……」
「いいんです……分かってたことですから」
 その優しさは嬉しいと思う。
 正体を知られた自分を庇おうとしてくれたのは、心底ありがたいとは思う。
 それでも、その気持ちだけで十分だ。
 中途半端な言い訳だけでは、届くことはないと分かっているから。
 他人の口を通した言い訳が退けられた時ほど、惨めで申し訳ないことなどないのだから。
 ちら、と振り返る。
 緑の双眸に映るのは、すっかり様変わりしてしまった人々の表情。
 当然だ。
 こうなると分かっていたからこそ、正体を知られたくはなかった。
 無用な刺激を与えることは、避けなければならないと思っていた。
 エース・オブ・エースの名を知らぬ者がいないように、戦闘機人を嫌わない者などいない。
 恐怖。憤怒。憎悪。
 十人十色の負の感情が、明確な拒絶として発せられているのが分かる。
 それだけのことをしてきたのだ。
 自分達戦闘機人という人種は、それだけ嫌われることをしてきたのだ。
「っ……」
 リスティのすみれ色の瞳を伺う。
 つぶらな少女の双眸は、目に見えて恐怖に震えている。
 一番分かりやすい例じゃないか。
 彼女は前の戦争で、お母さんを戦闘機人に殺されていた。
 本当なら、こんな顔をさせなくて済んだだろうに。
 怖いものは全部やっつけてやると約束したのに、自分で怖がらせてしまっては話にならないじゃないか。
 思わず苦笑が浮かんでいた。
「裏切り者の戦闘機人よ……お前は何故俺達に刃向かう?」
 戦闘機人の親玉が問いかける。
 地獄の悪魔のような声音が、そっと囁くようにして発せられる。
「人間に味方する理由がどこにある?
 世のため人のためと戦っても、彼らはお前を認めはしない。
 民衆から憎み恨まれ蔑まれ、管理局にも体よく利用され、無惨に屍を晒すだけだぞ?
 それでもお前はその道を歩み、この俺に牙を剥こうというのか?」
 そうかもしれない。
 確かにそれは正論かもしれない。
 早々に人間達を見限り、スカリエッティの軍門に下った方が、ずっと楽な生き方ができるかもしれない。
「あの人に出会ったから」
 ああ――それでも。
「あの人に救われて、大切なことを教えられたから」
 止まることはできないんだ。
 今歩んでいるこの道を、踏み外すことなどできないんだ。
「かつてこの機械の身体は、あたしにとって絶望の象徴だった。
 戦って傷つけられることも、誰かを傷つけてしまうことも、怖ろしくてたまらなかった……」
 戦うことは好きじゃない。
 暴力を振るうことが好きになれない。
 かつての幼い頃の自分は、人間ならざる身体を持ちながら、戦闘機人としても失格だった。
 強すぎる力を誰かに振るって、不要に傷つけてしまうのが怖かった。
「……だけど、今はこの身があたしの希望だ」
 だけど、今なら戦える。
 あの日あの場所であの人と出会った、今の自分なら戦える。
「人でない戦うための機械の身体が、あたしの力を支えてくれている」
 首元のマッハキャリバーが声を発した。
 蒼穹色の水晶が発光した。
 全身に纏った衣服が即座に分解され、代わりにこの身を戦装束が包む。
 大切なあの人のものにも似た、純白の輝きを放つバリアジャケット。
 漆黒の鉄拳リボルバーナックルと、音速の具足マッハキャリバー。
「守るために、振るう力を」
 力の意味は一つじゃない。
 何かを壊し誰かを傷つける、暴力だけが力ではない。
「だから、あたしはお前達と戦う。そしてあの人を見つけ出す」
 壊すための力があれば、守るための力もある。
 誰かを壊したくないということは、誰かを守りたいということ。
 自分が生まれた研究所では、決して知ることのなかったこと。
 それを教えてくれた人々を守るためなら、自分は戦うことができる。
 壊すための力でなく、守るための力なら、いくらでも振るうことができる。
 戦闘機人の機械の身体が、それを実現するだけの素質を与えてくれている。
「それを教えてくれた人に――高町なのはに会いに行く!」
 白いはちまきが締められると同時に、スバル・ナカジマは宣言した。
 一切の迷いなき視線と共に、アームドデバイスの鉄拳を構えた。
 エメラルドの視線に宿るのは決意。
 たとえどれほどの拒絶を受けようとも、世界の全てに否定されようとも。
 人々を守り抜くためならば、この地獄のごとき世界の中でも、敢然と戦い抜いてやるという意志。
「上等」
 ゴールドの視線が引き絞られる。
 不敵かつ獰猛な笑みが浮かぶ。
「ならばこの俺直々に、お前の旅路を締めくくってやろう」
 漆黒のマントが翻った。
 布地の裏側を染め上げる、鮮血のごとき赤が躍った。
「何せ幻のタイプゼロだ。俺1人の力で捕らえたとあれば、その分手柄も増すというもの……」
 目の前に立つのは許されざる敵。
 たとえ命を賭けてでも、全力で否定しなければならない悪。
 最も許せないと思った、壊すための暴力の権化だ。
 必ず倒してみせる。
 この地に生きる人々のためにも、降りかかる火の粉は払ってみせる。
 こんな奴のために流れる涙を、もうこれ以上見たくなんてない。
 人の幸せを奪う敵は、何人であろうとも薙ぎ倒してみせる。
「さぁ、来るがいい! 裏切り者の戦闘機人よ!」
 宣言を聞き届けると同時に、マッハキャリバーを加速させた。


 まるで蝶を追うような感触だ。
 拳を振るう少女の顔に、少しずつ焦りの色が浮かんでいく。
 右のストレートを勢いよく突き出し、続いて回し蹴りを叩き込めば。
 敵はそれら双方を、ひらりひらりとかわしていく。
 先ほどからこれの繰り返し。
 どれほどの剛拳を打ち込もうと、目の前の男には掠りもしない。
 余裕ぶって回避するたび、ひらひらとはためく漆黒のマント。
 こちらが少しでも隙を見せれば、即座にエネルギーの弾丸を撃ち込んでくる。
 さすがにこの11区の戦闘機人を束ね上げるボスだけのことはあるか。
 覚悟はしていた。だが、これほどまでにやりづらい相手だとは思わなかった。
 潰された左手は使えない。握力がほとんど残されていない。
 その差が決定的な差になる前に、何としても敵の動きを読まなければ。
「無様だな、ゼロ・セカンド。報告にあった通りの力任せ……見た目にも色気がないときた」
 右手より弾丸を放つ98号が、嘲笑と共に口を開いた。
 煌く閃光。引かれるトリガー。
 回避は間に合わない。反射的にプロテクションを展開。
 ばちっ、と鳴り響く反発音。
 紫色の光球と、空色の魔法陣が激突する。
 電気のスパークのごとき烈音と共に、視界一面に迸る激烈な光輝。
 青と紫の衝突が止んだ。目にも眩しき闇が晴れた。
 その、瞬間。
 至近距離に感じる、黒と黄金。
「俺が“女”を教えてやろうか?」
 指先が顎を伝う、感触。
 ほぼゼロ距離に感じる、吐息。
 少女の顔に差し込む、影。
「っっ!」
 顔が赤くなっていたかもしれない。
 眉間には皺が寄っていたに違いない。
 びゅん、と空を切り裂いて。
 一瞬ムキになったスバルが、目前でせせら笑う男の顔へと、瞬速のアッパーを突き出した。
「ははっ! 安心しろ。俺はお前を手篭めになどしない。なにせ、お前の身柄はドクターに献上しなければならないのだからな」
 されど、黒を捉えるには至らず。
 白装束の振るう拳を、ひらりと飛び退り回避する黒装束。
 捉えどころのないこの仇敵は、さながら暗黒の蜃気楼だ。
「お前は何のためにあたしを欲しがるんだ!」
「決まっている! 力のためだ! 製造者不明・所在不明のタイプゼロ……最高の被験体を探し当てたとなれば、俺は更に強くなれる!
 創造主たるドクターの手による、更なる改造を望むことができる!」
「何のために力を! これ以上暴力を振るうべき相手なんて、お前達にはもういないだろっ!?」
「敵ならいくらでもいるさ! そうとも、こんな小さな箱庭になど収まるものか……
 俺はまだまだ強くなる……全てのライバルを踏み台にし、“原初の11人”をも引きずり落とし……最強の戦闘機人へと上り詰めてみせる!」
「っ……お前はぁっ!」
 拳が震えた。
 怒りに奮えた。
 澄んだ緑色の双眸に、燃え盛るマグマの憤怒が宿った。
「戦い、倒し、強くなる! それが俺達戦闘機人の、唯一無二の存在意義だろう!」
「ふざ、けん……なあぁぁぁっ!」
 轟、と。
 右手の白銀の歯車が回転。
 二層に連なる回転刃は、破壊力を高めるナックルスピナー。
 魔力を動力へと変換し、火花と共に大気を引き裂く。
 鋼鉄の駆動音を掻き鳴らし、瞬発攻撃力を増幅。
「あたしはお前を許さない……」
 こんな奴らをたくさん見てきた。
 高町なのはを探しながら、世界中を巡る中で、自分はこんな奴をごまんと見てきた。
 己の嗜虐心を満たすために、いたずらに暴力を振るう者。
 己の出世欲を満たすために、被験体と称して人々を引き離す者。
 そうして誰かを悲しませる者達が、かつてこの地獄を作り上げた者達だ。
 そんなふざけた連中のために、平和に生き続けたいだけの誰かが、常に涙を流している。
 許せない。
 許せるものか。
「そんな自分勝手な理由のために、誰かを傷つけるお前達を……あたしは絶対に許さないッ!!」
 怒れるスバルの鉄の拳が、弾丸のごとく唸りを上げた。
 金属色の咆哮。白銀が巻き込み切り裂く虚空。
 螺旋を描くリボルバーナックルが、抉り込むようにして98号へと殺到。
 これまで以上の一撃だった。
 遥かに鋭い拳速。
 遥かに重い拳圧。
 遥かに強い気迫。
「っ……!」
 その三拍子の一撃が、僅かに標的の読みを上回った。
 より威力を増した右ストレートが、僅かに目測よりも早く届いた。
 これまで掠りもしなかった攻撃が、揺らめくマントへと叩き込まれた。
 左の脇腹のすぐ傍を掠め、はためく布地へと吸い込まれる。
 回転は暴力的な破壊力を生み、薄い生地へと風穴を空ける。
 漆黒の裏側に広がる赤は、真に鮮血のごとく瞳に映った。
「く……!」
 戦闘機人の顔が青ざめる。
 これまでの余裕に満ちた笑みが掻き消え、頬を一筋の冷や汗が伝う。
 ただの一撃だ。
 たった一撃が当たりそうになっただけだ。
 ただそれだけであるにもかかわらず、顔は引きつり色は失せ、98号は顔面蒼白となった。
 おかしい。
 明らかに異常だ。
 この常軌を逸した反応は、誰の目にも異常に映った。
「スバル!」
 そして。
 ただ、1人。
 その異常の正体へと、思い至った者がいた。
「相手が回避に徹してるのは、防御に自信がねぇからだ! ドデカい一撃をぶち込めば、間違いなく一発でブッ潰せる!」
 遠巻きに見ていたヴァイスの声が、鋭くスバルの鼓膜を打つ。
 ち、と。
 同時に鳴った音さえも。
 戦闘機人の鋭敏な聴覚は、消え入るような舌打ちさえも、敏感に感じ取っていた。
 言ってしまえば、この男の戦闘能力は、その外観から受ける印象と全く同じだ。
 ひょろりとした痩せ気味の体格は、さながら柳や暖簾のように、攻撃を回避することには長けている。
 だが、一度でも当たれば終わりだ。
 枝葉をへし折るのはあまりにも容易。薄布を切り裂くのはあまりにも容易。
 薄っぺらなその身体は、とことん堅牢性に欠けているのだ。
 その98号自身の舌打ちが、この仮説を裏付ける何よりの証拠だ。
「だが……それだけではこの俺は倒せん!」
 ばっ、と。
 細く伸びた両腕が広がる。
 阿修羅のごとき剣幕で、敵を睨みつける戦闘機人が、背中のマントを大いに広げる。
「教えてやろう……この俺がこの11区の中で、何ゆえ無敗を誇っていたかを!」
 刹那、跳躍。
 だんっ、と両足が大地を蹴る。
 思いっきりジャンプした98号の身体が、廃墟の上空へと舞い上がる。
 否。
 これはただの跳躍ではない。
 跳ぶ、ではなく。
 飛ぶ、ということ。
 すなわちこれは―――――――――飛翔!
「空戦型かッ!」
 忌々しげにヴァイスが叫んだ。
 空を自在に飛び回る技術は、魔導師の専売特許ではない。
 魔導師風情に並べぬようでは、戦闘機人が存在する理由などない。
 奇跡の力を巧みに操る、魔法の力があるように。
 機械仕掛けの兵士には、人工の奇跡の力が宿る。
 先天固有技能――インヒューレント・スキル。
「そう……俺のIS(インヒューレント・スキル)は飛行能力!」
 威勢を取り戻した98号が、力強く天空に叫びを上げた。
 虚空にはためく黒のマントは、さながら蝙蝠の翼のようだ。
 爛々と黄金の瞳を光らせ、廃ビルの狭間に浮かぶ姿は、まさしく恐怖の蝙蝠男。
「高度30メートル! 陸戦型揃いの下僕共にも、お前にも手の届かぬ不可侵の聖域だ!
 地べたを這いずる戦闘スタイルが災いしたな……ククッ、見ているがいい……俺の全力の空爆で、襤褸雑巾のようにしてくれる!」
 高らかに笑った。得意げに両腕を突き出した。
 内側より湧き上がる紫のエネルギーが、開かれた十指へと宿る。
 出力マックス。エネルギー全開。
 この高度ならば届かない。どれだけ防御が薄かろうと、敵の射程外に逃げれば怖くない。
 ならば勝負はこちらの勝ち。
 敵の攻撃は届かない。こちらは攻撃し放題。
 圧倒的手数で制圧し、一気にケリをつけてやる。

「――甘いよ」

 そう、思っているのだろう。
 とでも、言わんばかりに。
「っ」
 にやり、と顔に浮かぶ微笑。
 笑ったのだ。
 この瞬間、初めて。
 戦闘機人第98号だけでなく、戦闘機人タイプゼロまでもが。
 この戦闘が始まって以来、初めてスバルが笑みを浮かべたのだ。
 何のつもりだ。
 ハッタリのつもりか。
 98号の笑顔は掻き消え、怪訝の一色が顔面を支配する。
 できるわけがない。
 飛び道具に乏しいベルカ式の、それも空を飛べない陸戦型が、自分を倒すことなど不可能なはずだ。
「魔法技術は日々進化してる……空飛ぶ術を持たないばかりが、ベルカの陸戦魔導師じゃない!」
 そう、思っていたのだろう。
 この、瞬間までは。
 ぎゅん、と。
 ナックルスピナーの唸りと共に、鋼の鉄拳が振り上がる。
 手のひらに集束されるは魔力。
 黒いグローブに浮かぶは蒼天の煌き。
 握り締めた右の拳が、勢いよく眼下へと叩き落とされる。
 スバル・ナカジマの背中には、憧れたエース・オブ・エースのような、天翔ける翼は生えていない。
 地に足をつける陸戦型には、忌まわしき漆黒の機人のように、宙を舞うことなどできはしない。
 それが古代のベルカ式なら、陸戦騎士が空を飛ぶなど、到底できるはずもなかった。
 されど、彼女は違う。
 幾多の先人達の努力の下、脈々と培われてきた近代ベルカ式魔法は、絶えず進化を続けてきた。
 もはや翼を持たないことと、空を飛べないことはイコールではない。
 空を翔けるための翼がないのなら。
 空を駆けるための道を作ればいい!

「ウィング――ロォォォォードッ!!」

 がん、と響く硬質な音。
 ごう、と轟くスバルの叫び。
 拳がアスファルトを揺らすと同時に、空色の閃光が立ち昇った。
 その様は昇竜。
 さながら雄叫びを上げる青き竜蛇が、天空高くへと飛び上がるようだ。
 されど、魔力で形成されたそれは、伝承の竜と同じではない。
 翼なき者が空を飛ぶためといえど、わざわざ竜を呼ぶ必要はない。
「何だ、これはぁぁぁっ!?」
 驚愕も露わな声が上がった。
 くわ、と瞳を見開きながら、翼持つ機人が絶叫した。
 それは道だ。
 猛然と迫り来るその輝きは、まさしく天へと昇る道だ。
 薄っぺらな橋のごとく形成された魔力が、徐々に自らの身体を伸ばし、天上の標的目掛けて殺到しているのだ。
 スバルの家系に代々伝わる、移動魔法ウィングロード。
 人が空を飛べないのなら、空に道をかければいい。
 御伽噺の虹の架け橋を、実現させてしまえばいい。
 そんな馬鹿げた絵空事を、大胆にも実現してみせた奇跡の業だ。
 日々邁進する魔導師達の、努力と探究心の果てに辿り着いた奥義だ。
「ふんっ!」
 ばっ、とスバルが跳躍する。
 その高度はあまりにも低い。宙に浮かぶターゲットに比べれば、10分の1の高度にもなりはしない。
 だが、それだけで十分だ。
 道に乗れさえすればいい。
 後はこの光り輝くウィングロードが、行くべき道を築き上げてくれる。
「く……来るなっ!」
 男がみっともなく叫んだ。
 狼狽する98号の両手から、紫電の弾幕が解放された。
 襲い来る紫色の弾丸の嵐は、さながら熱帯雨林のスコールのようだ。
 並の人間であるならば、到底無事ではいられない。
 避けることも防ぐこともできず、あっという間に蜂の巣にされる。
 されど、今まさに天上を目指す者は、そこらのひ弱な一般人ではない。
 未来の管理局を担う存在として、徹底的に鍛え上げられた、正真正銘の超人だ。
 カット、カット、カット。
 さながら金髪の巨漢相手の戦闘の焼き回し。
 迫り来る猛威の間を縫うように、マッハキャリバーの軌道が曲がる。
 ウィングロードの示す道筋は、スバルの求める道筋と同じ。
 術者の思考と正確にリンクし、かくかくと複雑な軌跡を描く。
 敵が紫の豪雨なら、こちらはさながら青き稲妻。
 雷のごとき軌道を描き、猛烈な速度で標的へと肉迫。
「くぅっ……!」
 逃げようとする。
 98号が後退を図る。
 そうはさせない。
 逃がしてたまるか。
「!?」
 蝙蝠の翼が逃れるよりも、魔法の道が届くのが早かった。
 ぐわん、と青き道筋は曲がる。
 ぐるんぐるんと鳴るかのように、光が描く軌跡は螺旋。
 天上に描かれたスパイラルは、悪しき罪人を幽閉する牢獄。
 回り込んだウィングロードが、敵の逃げ道を完璧に塞いだ。
「や、やめろッ! 来るな……来るなぁぁぁぁッ!!」
 その願いは聞き届けてやらない。
 散々命乞いを無視してきたお前の、その命乞いだけは絶対に聞かない。
 がしゃん、と重厚な音を立て、デバイスのカートリッジシステムを起動。
 魔力を圧縮した弾丸が、更なるエネルギーを解放する。
 吹き出るスチームと共に満たされてく、強く眩き青の閃光。
「リボルバアァァァァァ――……ッ!」
 振りかざすのは正義の鉄拳。
 灼熱の魔力に覆われた、一撃必殺のストレート。
 距離が詰まる。
 拳が持ち上がる。
 残された距離は数メートル。
 それもやがてゼロへと変わる。
 乾坤一擲の気合と共に。
 疾風怒濤のごとき拳を。
 まっすぐに。
 叩き、つける。
「キャノオオオォォォォォォ―――ンッ!!!」
 刹那、世界は爆裂した。
 蒼穹色の激流が、視界の全てを塗りつぶした。
 フィットスーツの腹部にて、眩いばかりのエネルギーが爆裂。
 千々に引き裂かれた極光には、天地鳴動の破壊力。
「がああぁぁぁぁぁっ!」
 野獣のごとき荒々しき悲鳴が、拡大する光を破り裂いた。
 青き閃光が掻き消える中、悲痛な唸りを上げた男が、ゆらりと重力に引かれて落ちた。
 ぷすぷすとたなびく灰の煙。さながら襤褸雑巾のような翼。
 羽を焼かれたイカロスは、ただ地上へと落ちるのみ。
「ク、クククク……」
 消え入るような嘲笑が、微かにスバルの鼓膜を突いた。
「精々みっともなく足掻くがいい……貴様らごときが、どう足掻こうと……世界は……変えられはしないの、だから……」
 みっともない負け惜しみを吐いた大将は、鈍い音と共にアスファルトへと沈んだ。
 訪れるのは静寂。
 あれほど口やかましかった漆黒の機人も、もはやその口を開くことはない。
 死人に口なし、ということだ。もっとも、本当に死んだかどうかは定かではないのだが。
 重要なのは生死よりも、彼と彼女の勝負の決着。
「ボ、ボスが……」
「あたしらのボスが、やられた……」
 クラナガン第11区の中でも、最強を誇った親玉が、敗北したという事実だ。
 群れなす戦闘機人達にとっては、それが唯一の真実だった。
 ざわめきが生じる。
 あれほど振りまいていた自信と邪気が、みるみるうちに萎縮していく。
 最強無敗が負けたということは、勝者はそれ以上に強いということ。
 最強以上の最強に、雑兵が勝てる道理などない。
 そしてこの激戦を制した強者は、彼らと敵対する存在だった。
 ウィングロードが大地へと向かう。
 純白と蒼穹の色の拳士が、ゆっくりとアスファルトへと着陸。
 にっ、と。
 不敵な笑みが、向けられる。
「……で、どうする?」
 ぱし、と軽快な音を立て。
 リボルバーナックルの鉄拳が、爛れた左手へと収まった。
 スバル・ナカジマのその仕草と、その笑顔がとどめの一撃となった。
「う……うわああぁぁぁぁぁーっ!」
 戦闘機人は実力主義。自分より弱い奴には従わない。
 ひっくり返せばそれはすなわち――自分より強い奴には逆らえない、ということ。
 彼我の戦力差は絶望的だ。
 少なくとも、彼らにそう認識させるには、この大立ち回りのインパクトは十分過ぎた。
 あれほど威張り散らしていた戦闘機人が、我先にと悲鳴を上げて退散する。
 恥も外聞もない恐慌と共に、蜘蛛の子を散らすようにして逃げ去っていく。
 あっという間に戦場から、暗色のフィットスーツの影が消えた。
 後に残ったのは1人の少女。
 負傷した左手に入れたパンチが、ぴくりと笑顔を引きつらせる。
 新たなチャンピオンの誕生にしては、少々しまらない顔つきではあったが。
 クラナガンに住まう人々の視界には、ただ1人の魔導師のみが残っていた。


 一夜明けて、朝。
 暗い宵闇が訪れ過ぎ去り、再びクラナガンの街に朝が来る。
 ひび割れた道路やビル群を、穏やかな陽光が照らしていた。
 本当に、穏やかな朝だ。
 昨日の激戦以来、この街に現れた強者を恐れる戦闘機人は、すっかり暴れる様子もなく静まりかえっていた。
「召集、ですか?」
 そして彼らを黙らせた少女はというと、きょとんとした表情で、ヴァイスの言葉を反芻した。
 スバルが一夜を明かした場所は、小ぢんまりとした無人の不動産屋。
 当然、住む者は誰もいない。
 正体が割れるまでは、リスティの親子の寝床を借りる算段がついていたのだが、
 戦闘機人であることが知れ渡った今、無用な刺激を避けるためにも、彼女は1人でここに転がり込んでいた。
 そして夜が明け、職場の上司に玄関先にて呼び出され、お互い瓦礫に腰掛けながら話すという現状に至るというわけだ。
「そうだ。いよいよそれなりに反撃の準備が整ったらしい。
 本格的に活動を開始するってことで、お前ら4人に、ちょうど一ヶ月後――5月の8日までに帰還しろ、って命令が出てる」
 それを伝えるのが、ヴァイス・グランセニックに与えられた任務だった。
 通信手段を使うことなく、わざわざ直接出向いたのは、通信傍受の可能性を避けるためらしい。
 ストライカーズ養成計画の存在が極秘なら、彼女らを集めるのも極秘。
 そこから情報が漏れ、手を打つ前に打たれてしまっては話にならない。
 こういう時に幸いしたのが、彼の持っていたバイク免許だ。ヘリコプターを飛ばすよりは、隠密性も高いだろう。
「そっか……また、みんなに会えるんだ」
 自然と、スバルの表情が綻ぶ。
 当然といえば当然だ。
 みんなというのは言うまでもなく、同じ養成計画のカリキュラムを受けてきた仲間達である。
 戦闘機人という正体を知った上で、それでも仲間として接してくれているのは、現状管理局残党に関わる面々だけだ。
 そしてその中でも特に、残る3人の同期達との絆は深い。
 スバルには養父と姉がいると聞くが、彼ら3人に抱く信頼と愛情は、その家族へのそれとほぼ同等と言っていいだろう。
「………」
 ヴァイスもまた、彼女の愛すべき友の姿を思い浮かべる。
 これから1人ずつに伝令を伝え、全員が集合した後も、彼が面倒を見ていくことになる若者達を。
 銀の二挺拳銃を携え、橙色のツインテールをたなびかせる少女。
 燃えるような赤毛を揺らし、大仰な騎士の槍を振りかざす少年。
 両手にブースト手袋を嵌め、召喚獣を使役する桃色の髪の少女。
 スバルは一体彼ら以外に、何人の仲間を作ることができるだろう。
 この呪われた身体に生まれた少女を、一生のうちに何人の人間が理解し、支えようとしてくれるだろう。
 スバル・ナカジマは孤独な少女だ。
 誰も信頼できる相手がいないわけではない。
 同じ戦闘機人の姉はいるし、研究機関から救出された彼女らを保護してくれた父親もいる。
 管理局の上官や同僚は理解を示してくれたし、親友と呼べる人間も3人いる。もちろん、ヴァイスも彼女の味方だ。
 だが、彼女には敵が多すぎた。
 戦闘機人を憎む人間が、この世界にはあまりにも溢れすぎてしまった。
 戦争を起こし、自由を奪い、暴力と恐怖で管理世界を支配する彼らを、民衆はそう簡単には認めないだろう。
 左手に巻かれた包帯を見る。時間をかければ、自然治癒でもある程度は回復が望めるらしい。
 しかし事実として、彼女は左手に傷を負った。
 知られれば拒絶されると知っていたのに、躊躇うことなく肉体にも傷を受けた。
 自分を恐れ憎む者達を救うべく、独り心と身体をすり減らし、死と隣り合わせの戦場に臨む。
 誰からも理解されることない、誰からも敵と見なされる――まさに、地獄だ。
「俺はあと2日も養生したら、次の奴の居場所に向かうつもりなんだが……お前はどうする?」
 できることなら、無理やりにでもここから連れ出したかった。
 一箇所の集落に住まう人間全員から、恐怖と憎悪をぶつけられる苦痛。
 一体その笑顔の裏で、どれほどの痛みと苦しみを、その細く華奢な身体に抱えているのか。
 ヴァイスに知る術はない。されど、人間には想像が可能だ。
 想像するだけで、ひどく吐き気をもよおした。
 世界中のどこにも逃げ場がないことは分かっている。スバルにとってこの世界は、尽きることない無間地獄だ。
 それでも、せめてこの場ぐらいからは、彼女を遠ざけてやりたかった。
「んーと……」
 身体は機械でできている。されど心は人間だ。
 今もこうして、歳相応の人間らしさを見せる彼女に、これ以上の痛みを背負わせたくない。
 本来ならば、戦う必要もなかったであろう彼女を、苦しみの中に放置しておきたくはない。
「?」
 と、その時。
 不意に目を丸くしたスバルが、脳内で紡いでいたであろう思考を打ち切る。
 背後から気配を察したのか。ちょうどヴァイスの位置からでは彼女自身に隠れて見えない、何者かの存在を感じたのか。
 怪訝そうな表情を浮かべ、首を後ろへと傾ける。
 こんなことは、昨日にもあった。
 ボスとの戦いに臨むスバルが、今と同じ状況を体験したことがあった。
「………」
 振り返った先にいたのも、その時と同じ人間だった。
 銀色の髪とすみれ色の瞳は、あの塞ぎ込んでいたリスティだ。
 おずおずとした幼子の視線が、数歩分の距離を置いて、じっとスバルを見つめている。
 当然だ。
 彼女は戦争で母を喪った。戦闘機人の手によって殺された。
 リスティにとって戦闘機人とは、最も恐怖と憎悪を抱く対象であって然るべき存在であるはずなのだ。
 かつり、かつりと靴音が鳴る。
 最も嫌いな人種へと、しかし彼女は歩み寄る。
 歩幅の小さい、ゆっくりとした歩みであっても、着実にスバルの元へと近づいていく。
 遂に彼女の座る瓦礫へと到着。
 スバルとリスティの間の距離は、数歩分からゼロへと縮まった。
 す、と。
 小さな右手が持ち上がる。
 時折震える短い腕が、恐る恐るといった様子で伸ばされる。
 歩みの倍近くゆっくりと伸びた手は、漆黒のジャケットの裾をぎゅっと掴んだ。
 ようやく彼女の元へと歩み寄り、ようやく手を伸ばしたリスティの顔は。
 それまでどこか遠慮がちな、複雑な表情を浮かべていたリスティの顔は。
 次の瞬間には――笑っていた。
 にっこりとした微笑みが、眩い光を放っていた。
 一瞬、スバルは面食らったような表情になる。
 何せあれほど怯えていた少女の笑顔だ。予期せぬ行動と反応に、目を丸くして硬直する。
 だが、しかし。
 そこに込められた意図を察したのか。
 その無言の笑顔に込められた、感謝と親愛の意を察知したのか。
 次の瞬間には、スバルもまた、満面の笑顔で応じていた。
「……もう少し、ここに残ろうと思います」
 ヴァイスの方へと振り返る。
 心からの笑みを浮かべたスバルの顔だ。
「連中に牽制を効かせておかないといけませんし……ギリギリまでは、ここでなのはさんの手がかりを探そうと思います」
 なんて眩しい笑顔だろう。
 素直に、感動すらも覚えた。
 そうだ。やはりこの娘には、こういう顔が一番似合う。
 この弾けんばかりの笑顔こそが、人間スバル・ナカジマが持つ、何よりも強い一番の武器だ。
「そっか」
 自然と、彼も笑っていた。
 立ち上がり、リスティの手を握り返したスバルが、共にアスファルトを歩いていく。
 互いににこにこと笑い合う背中を、同じく立ち上がって見送る。
 ふと視線を傾ければ、あの幼子の父親がいた。
 大柄な筋肉質の中年男は、相変わらずひげを伸ばしていて、相変わらずタンクトップを着ていた。
「俺は戦闘機人が嫌いだった」
 すぐ横へと歩み寄ったヴァイスへ向けて、野太い声が紡がれる。
 リスティが母を喪ったということは、彼もまた妻を喪ったということ。
 厳つい男の厳つい視線が、伴侶の命を奪った仇と同じ、戦闘機人の背中へと注がれる。
「だが俺が嫌ってたのは、スカリエッティの戦闘機人だけだったらしい……
 一晩明けて、頭が冷えて……そしたら、不思議とあの子を嫌おうとは思えなくなってたんだよ」
 向ける目つきは穏やかで。
 呟く口元は、笑っていた。
「あの子に伝えてやってくれ。娘を助けてくれてありがとう、ってな」
 ああ、それだけで十分だ。
 そのたった一言だけで、あの少女はどれだけ救われたことだろう。
 その理解と笑顔だけで、彼女の心にかかった闇が、どれほど晴れることだろう。
 自分のことのように喜び、微笑を湛えるヴァイスの姿があった。
「……戦闘機人の中にも、あんな子がいたなんてな……」
 男の口が言葉を続ける。
 視線の先に立っているのは、にこやかに笑うスバル・ナカジマだ。
「あの野郎はああ言ったが、あの子ならきっと、世界を変えることができる……平和な世界を取り戻せる……そんな気がするんだよ」
 彼の愛娘を抱きかかえた少女は、互いに笑顔を浮かべながら、言葉を交し合っている。
 その笑顔につられるようにして、行き交う街の人々もまた、笑顔で彼女に声をかける。
 憎むべき戦闘機人であったはずのスバルは、この街にすっかり溶け込んでいた。
 彼女の振りかざした拳と正義が、真に人々を救ったのだ。
「ああ――違いねぇ」
 心底、同意した。
 強く優しいあの娘ならば、今この目に映る笑顔を、世界中の人々に与えられるはずだと。
 きっと世界を変えるのは、心無い圧倒的な暴力ではなく。
 いかな苦痛にも挫けない、優しき不屈の心だと思うのだ。


 彼女の名はスバル・ナカジマ。
 高町なのはを目指す者。
 自由と平和を取り戻すために戦う、不屈の心を受け継ぎし者。


To be continued...














予告

その手に銃を取る者がいる。
亡き肉親の遺志を引き継ぎ、双銃のデバイスを手に戦う者がいる。
彼女の名はティアナ・ランスター。
スバルと志を同じくする、もう1人の若きストライカー。
忌むべき邪悪を打ち砕くべく、今、奴が牙を剥く。

魔法少女リリカルなのはSpiritS 第二話
【スカーフェイス・ガンスリンガー】

あたしは全ての悪を駆逐する者――あんた達みたいな悪党への、復讐者よ。

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最終更新:2010年05月13日 20:52